仙人界を丸ごと引っ張り出した大戦は終わりを迎えた。
聞仲が死んだのだ。
目的に向かって邁進する馬鹿がつくほど真面目な奴だったが悪い奴ではなかった。妖怪仙人だらけのこの島では珍しい人間の仙人で、昔は今よりも笑っていたし、私のこともときどき、名を呼んでは構ってくれた。最近は妙に笑顔が増えたものだと気まぐれに宮廷に降りてみれば親友だと笑う大柄の男と出会い、増えた笑顔の理由を知った。
「祈るぐらいはしておくよ」
魂魄は崑崙の爺がかき集めているから死んではいないのだろう。それでも聞仲は死んだ。もう歳を重ねない。傷つくこともない。殷の大師として働くこともない。彼の人生はここでお仕舞いだ。
妲己が全てを狂わせたとは言わない。妲己は導かれる事柄を趣味の悪い飾りと共に整えただけだ。誰がやらなくてもこの結果はいつかやって来たのだろう。聞仲は死に、仙界は消え、崑崙が勝つ。そんな筋書きだろうか。
踊らされてもなお信念を曲げなかった、少し歪んだ男と、その男の本来の姿を取り戻そうとした快活な人間を静かに悼んだ。
全てが終われば、呪縛から解放された様だった。残ったのは瓦礫の山に怪我人と悲劇の残り香。たくさんの屍の上に立った生き残り。生き残った多くは崑崙の人間だ。それで良いと思う。それは導びこうとする存在の望んだ世界だからではない。陰惨とした世界は解放されるべきだった。少なくとも私は解放されたかった。あの島が壊れて、私にとっては幸いだった。ここまで壊れ切って、ようやく目が覚めたようだ。
「お主、あちらの生き残りか」
声を掛けられ振り向いた。話したことはないがその相手の顔はよくわかる。私に構う暇などないはずの相手だ。
「そうだよ、太公望」
どちらの人間とも相容れることなく一人金鰲島だったものを見る私はどちらからも遠巻きにされていた。
妖怪たちは妖怪たちで生き残っている。その中に雲霄三姉妹を見かけたから上手くやるだろう。あれは苦手だが今の金鰲をまとめるのに強引さは必要だ。元からほとんどなかった近づく気は完全に失せたけれど。だからといって別に崑崙側につく気もない。
どうなるかんて何もわからなかったけれど、ここから見る空はなんと美しいことか。空すらも見ずに生きてきたことを思い知った。風のなびく感覚すら忘れていた。
「教主の娘らしいな」
「あの子とは双子だよ。私が姉。聞きたいことはそれ?」
「いやなんだ、まあ……お主、こちらに来る気はないか?」
顔を顰めて見返した私を太公望は予想していたらしい。本人も言った割に戸惑いがちだ。
変わり者だということは聞いていた。奇天烈。さっきまで敵だった私を迎え入れるというのか。直接敵対していたわけではない。それでも目の前で死んでいく命を助けることはしなかった。私はただ物事の終焉を見届けていた。
太公望の背の向こうに青年が見えた。もうあの子とか、子どものように扱うのはおかしいのかもしれない。
「誘う理由は?」
「わし自身興味がある。それと、あそこの阿呆が絶対引き止めたいと言っとるくせにちっとも動かんので代わりに来てやったというところだ」
「あの子の師匠を見殺しにしたのに?」
太公望の顔が歪んだ。彼は多くの仲間を失くしていたから当然だろう。私に助ける義理など全くなかったけれど助けようと思えばいくらでも助けられた。私が裏切ったところで誰も困らない。王天君はその展開を揶揄して一幕ぐらい何か興じただろう。その程度なのだ。だけど私は私のエゴの為に見殺しにした。
それなのに、あの子も太公望も私を憎みはしない。顔を歪めた後再び私を見るその顔は真っ直ぐ前を向いている。
「お主が助ける義理もないだろう。それに、玉鼎は死を覚悟しておった」
「……人間は、というか崑崙の側にはお人好しが多いらしいね」
「それに、お主の手を借りたいのだ。太乙も認める技術者でありあの変人雲中子すら一目置くお主の技術を」
「お褒め頂き光栄だな。好きでやってる趣味なんだけど」
強さを求められる世界だ。技術を持っていても何を作っても強さを持っていなければそれは弱い者の力だ。そうやってあの子の噂を耳にしながら生きてきた。強くなりたかったのに私は強くはなれなかった。
「手を取らぬか? 出来れば、あやつの手を」
名前を呼ばれ躊躇いながらもやって来た子を太公望は無理矢理私の目の前に立たせた。人間の姿になり改めて対面した。本来の姿も力のみなぎった美しいものだったけれど変化した彼も美しかった。
ただ、随分と人間らしい顔つきだ。その瞳に感情が見え隠れしている。見間違えていなければ、それは期待と不安が混ざったものだ。そんなもの、向けられることがあると思わなかった。
一人醜く蹲っていた私も、希望になりうるのだろうか。
呆然と立ち尽くす私たちはどちらも何も言えない。
「ほれ! さっさと和解の握手でも抱擁でもしろ! どこまでお膳立てさせる気だお主ら!」
「師叔しかし」
「は、よ、や、れ、!」
痺れを切らしたらしい。毛を逆立てた猫みたいに苛立ちを見せながら太公望が私の手と彼の手を取り勢いに任せて握らせた。咄嗟に力が入る。それが同時で、太公望が離しても手は繋がったままだった。
「後は適当にやっておくのだな。忙しいっちゅーのに兄弟喧嘩なんぞしおって。世話の焼ける」
本当は喧嘩なんてものではなかったしそれを太公望も分かっていただろうに。
ただ立ち去っていく背中は妙に憎めなかった。この空気がこの子を育てたのだ。私の希望。
「……今から二百年分ぐらい、ずっといれば埋まると思うんだ」
繋がれた手を強く握り締めれば次の瞬間、身体はあたたかさに包まれた。
(キラリと輝く望んだ未来が見えた気がした)