崑崙山の仙道たちは間が抜けている。呑気と言えば良いのか。仙界大戦のことも落ち着けば大抵の輩は私に笑顔で挨拶をしてくる。特に太乙真君と雲中子は私を見かけると必ず研究の話をしたがった。
 敵であった私はなぜだか崑崙の人々のところに身を寄せ、人間の国の厄介になっている。奇妙な縁だ。もしも仙人界にいられなくなった時には適当に人間界をうろついて、申公豹を見つけたら黒点虎と遊ばせてもらおうと思っていたことは嘘のようだ。
 奇妙な縁の結果、私はあの子と同じ場所で暮らしている。同じ部屋ではないが隣の部屋で、最初は大抵一緒にいた。私があの子についていたのか、あの子が私についていたのかは微妙なところだ。
 最近はそれぞれ好きなように行動しているのだがあの子は大真面目に食事は大事だと、仙人だから食べる必要のない二人で今のように毎食を共にしている。大事なのは食事ではなく共にいることなのは暗黙の了解だった。

「姉さん、最近表情がやわらかくなったね」

 そうやって嬉しそうに微笑む姿を見ていたら私の心は以前と違ってあたたかいものに包まれる。きっと私に向けてくれてるからだ。それに気付いたのは随分経ってからだった。間抜けなことである。
 この子の話は基本的に一日の出来事だ。その中には微笑ましい話からきな臭いものまで様々だ。聞きながらも正直、仙界大戦はもちろん人間たちの戦争もどうでも良かった。私にはまるで関係のない話である。今も彼の話す戦争のあれこれなど、正直そこまで興味はない。
 そう、私には関係はないし興味もないのだが私の口は無関係とは程遠い発言をしていた。

「戦に行くときはできるだけ近くにいるよ」

 予想外だったらしい。唖然とする彼を見て、くすくすと笑みをこぼした。それすら珍しいらしい。二の句も継げない。
 あまりにかわいくて、だから私はこの子のそばでこの子の願うものが見たいし助けたいと思うのだ。
 わずかな間に姉馬鹿になっているらしい。それすら、心地良かった。
 反対するかと思ったのに、苦しげに、でも嬉しそうに笑う彼がたまらなく愛しかった。




 私がここでするべきことは特にない。あるとすれば宝貝狂いと実験狂いの二人と研究をすることだろうか。
 仙界が木っ端微塵になった現在崑崙は周に身を寄せている。金鰲島の方は予想通り雲霄三姉妹がまとめており、そちらは問題ないらしい。生き残った者を見れば今の実力者は彼女らの他にいないし心配もないだろう。懸念はうっかりで誰かが魂魄台へと送られかねないことぐらいだ。
 一度三姉妹からこちらに戻って馬鹿妖怪をまとめないかと誘われたのだけれどあの人の娘だというのは知れ渡っているしその力でまとめるのはもちろん嫌だし、彼女たちの勢いについていける自信がない。丁重にお断りしておいた。いくら数少ない顔馴染みの願いでも聞けることと聞けないことはある。
 だから私は人間と関わり崑崙の仙道と言葉を交わし今もある人物に言葉を投げかけていた。

「こんなところで現実逃避?」
「おや、見つかってしまったか」

 秘密の場所だったのにのう、とのんびり笑うのは太公望だ。屋根の上に寝転がり桃を食べている。この男は手に持つのは打神鞭か桃しかないのかと思うぐらいよく桃を食べている。随分と策士と聞いているが今のところ有能振りを見せつけることもなく常に執務から逃げたがっている姿ばかりを見せている。
 そばにはかばもとい霊獣四不象がいる。情けなさそうに己の主人を見ているが仕事に連れ戻す気はないのか、諦めたのか、同じように屋根の上でのんびりと過ごしていた。あまり話したことはないのでこちらの目を盗むように窺ってくる。今度乗せてくれと頼んでみようか。
 そう思ったけれど今の私は客としての最低限の仕事を果たす必要がある。

「周公旦が捜していたよ」
「知らぬよ。あやつらもう少しわしを暇にさせろというに」

 別に周公旦に頼まれたわけではない。人間なのかと疑う鬼の形相で居場所を尋ねられたから一応言っただけだ。彼の言だと何度も逃げられていることになるのだ。あまりの必死さに告げぬわけにいかなかった。
 この太公望がこうしてだらけている今、あの子は今頃他の道士の修練をしている。一度参加しようと思っていて、そちらに足を向けたところで周公旦に捕まり、義理として捜し人を見つけたのだ。

「太公望」

 改めて名を呼べば彼はつまらなさそうに私を見た。起き上がる気もないのすらこの男らしいと思える程度に毒されている。
 そう、この男が背中を押さなければ今の私もあの子もなかった。
 懐に忍ばせておいたものを彼に向かって放り投げた。彼は何てことない様子で受け取り、それを見て訝しげに私を見つめた。

「いきなりなんなのだ」
「厨房でもらった。美味しそうだったからあげるよ」

 厨房で桃を仕入れたら常備するようになっているのは目の前の男のせいだろう。太公望を捜していると言えばこれで釣られるかもしれないともらったのだ。
 それを思い出し、つい笑いながら桃を投げつけた私を太公望は意外そうに見る。手元の投げられた桃を見て、もう一度私を見る。何か文句があるのだろうか。
 四不象はなぜか先ほどよりもにこにこと楽しそうであるしわけがわからない。

「お主、笑うと可愛らしいな」

 そう言って太公望はふわりとやわらかな笑み。私としてはいつも騒がしいこの男のそんな笑顔の方が珍しい。あの子とは違った居心地の良さがある。なんとなく、肩の力が抜けるような感覚がする。間の抜けた調子を人に見せる男は誰よりも人を良く見ている。だからその軽口に私も乗ることにした。

「可愛らしいとは、何百年振りに言われたかな」
「おっ、これは脈ありか!?」
「ははっ」

 お互いにこの時間を楽しんではいるけれど甘さなど微塵もない。ただ、緩やかな時を共有している。

「たまにはあなたと話すのも悪くなさそうだ」
「美人のお誘いなら乗らんわけにはいかんのう」

 セクハラ爺と四不象が毒づいたが彼の主人はからから笑うばかりだ。
 私もその軽口に思わず笑う。
 その雰囲気を綺麗に崩したのは新たな人物だった。

「師叔は仕事を放り出し他人の姉を誑かし……よほど覚悟がおありのようだ」
「よ、ようぜ……! お主落ち着け! 話せばわかる!」

 雷震子の羽を持って空中からこちらを見下ろす様は圧巻だ。太公望への言葉は抜きにしても上空の光景だけでも不穏さが伺い知れた。

「四不象、これは私の為に争わないでって止めるところだろうか」
「ご主人はサボりすぎだから一度懲りた方が良いと思うッス」

 主人思いの霊獣の言葉に従い、真剣勝負の追いかけっこを始める太公望とあの子を眺めることにした。


平和円舞曲
(始めてみれば、存外心地の良さに気が付いた)