あの人、通天教主は私に教主の座を継いで欲しかったからこちらに残したと言ったけれど、結局のところ打算だろう。才を多く受け継いでいたあの子を生き残らせることで意志を託したかったんだろう。なんだかんだ言って崑崙の仙人は甘い。
私を手元に置いたのは私の方が才がなかったから。運が良ければ生き残るが死んでも仕方がない。そんなところだろう。勢力争いの激化が見えていたこちらにいる方が危険なのは当たり前だった。
妲己に何度協力を求められたか、誘惑されたか、数えてみたらキリがない。あの女は人の弱さを見抜き欲しいものを与える。その手を取れば二度と自力では立ち上がれない者は多い。あの子の代わりにやって来た王奕はあっという間にあの毒牙にかかった。彼の与えられた環境からすれば当然の成り行きだろう。
王奕を唆すと同時に狐はこちらにもその強かな瞳を向けていたがあいにく私は誘惑に負けるほど素直ではなかった。
己を毛嫌いする相手を暇つぶしと言えど女狐は嬉しそうに何度でも勧誘するのだから物好きにもほどがある。
「あなたが味方なら随分と心強かったでしょうに」
あちこちで戦闘が行われている中、戦火から遠い星で話す相手は崑崙からも金鰲からも遠い場所で優雅に垢すりをしながら戦況報告を聞いている。
「妲己、お前が最終的に何をしたいのか知らないけど戯れも程々にしないと舞台の役者が哀れだよ」
「そう言いながらもあなたも役者になってくれたの、わらわ知ってるわん」
賢い子は好きよ、なんてこの女に言われても嬉しくない。この女の、何を考えているか分からない底の知れなさが不気味だ。何を思って歴史の裏にいる存在に手を貸すのか。その力を手中に入れたいのか。私にはよくわからない。
この女にとっては仙界が滅んでいくこの大戦すら遊びであり観覧すべきものということだけは確かだ。仙界を手に入れたがっていたと思っていたのにあっさりと手放した。それ以上に魅力的なものを見つけたのだろうが、それが何かはわからないし考える程暇じゃない。
「今からでも遅くないからわらわと来ない?」
「二百年も飽きない? 私は飽きたぞ」
「わらわの誘いをここまで断るのはあなたぐらい。本当に、あの子が大好きなのねん」
通信を切ってやった。どうせ向こう側で嬉しそうに笑っているんだろう。切った時点で私の負けだ。
王天君はあの子を煽りに行き、暇だろうと代わりに報告を頼まれたのだ。崑崙の人間たちと戦う気もなかったし暇つぶしにちょうど良いと思ったけれど予想通り不愉快になるだけだった。垢すりなんてして観覧席の賓客気分に違いない。
二百年、私はあの女を毛嫌いしてるが話し相手にする程度には面白がっているのだ。お互いに分かっていて、とんだ茶番である。
「……いいさ。不愉快な演出かどうか、観客になってやればいいんだろう」
父親を憎む程度の心はあったが中途半端に娘を守ろうとする意図を察せられる程度の脳みそはあった。心は粉々に砕かれなかったが形は歪になった。
その結果、あの子よりも秀でたところなどない私は完全に敵対するわけでもなく、味方をするでもなく、その後の全て、見て見ぬ振りをした。
中途半端に私に向けられた愛情らしき行動が心からのものか哀れみからくるものか両方か、答えは出ない。あの人の心が死んだ後、ささやかに祈った自分に気づいた時、私の抱き続けた謎の答えは永遠に喪われたことを知った。
そうして歪な私は手招きされるがまま、親子の美しい殺し合いを傍観する戯れに乗るのだ。
「これが終わったら、もう、あなたは苦しむことなんてないのかな」
あの子が生きてくれたら良い。いつか、あの子にこの世の終わりのような絶望を見て欲しかった。ずっとずっと、ほの暗い気持ちで片割れを気にかけて生きてきた。それもこんなにもあっさりと叶ってしまった。最後の苦しみも、あの子は乗り越えるだろう。私とは違う。あの子は強く美しい。もうこれ以上に苦しんでも、絶望してもくれないんだろう。夢見た時間は終わりを迎えようとしている。
「今度は、何の為に生きようか」
答えはまだ見つからない。
今はただこの仕組まれた観劇のために一歩前へと踏み出すだけだった。
(憎んでいない振りをして、許すことなどできはしない)