「お前って歪んでるな」
「あんたには言われたくないわ」
悲劇の幕が下り、残ったのは酷薄な笑みを浮かべる王天君と私だけだ。
あの子は師匠に守られ抱きしめられその命を以って助けられた。絶望と希望が同時に降りかかるその場を、私は姿を消して見守っていた。抱きしめられた瞬間からのあの子はまるで子どものようだった。昔二人で手を繋いで眠っていた頃を思い出す。小さな頃、こわい夢を見た時に手を繋ぎたがったのはどちらだろうか。
「あの子、気絶する前に何て言ったか知ってる?」
師匠、と子どもが縋るように紡がれたそれは滑稽だった。縋るその身は酸性雨に溶かされ、二度とその腕に抱きしめられることがないと、あの子は知らぬまま目を閉じたのだから。
「可愛い弟じゃねえか」
そんなことは欠片も思っていない王天君が小気味良い。似たような歪みの中で生きてきた私たちはこの島の中では最も親しいだろう。その王天君が笑ったのはその言葉を聞いたからだろう。
師匠と大事な相手を呼ぶだけだと思っていた。
それなのに彼は最後、ねえさん、と口にしたのだ。一人離れた場所で見ていた私は笑うしかなかった。未だに私を片割れの姉だと覚えているあの子が、それに囚われたままの私が、ひどくおかしかった。
王天君はご機嫌だ。この滑稽さが楽しくて仕方がないらしい。爪を噛みながら歓喜に打ち震えている。彼の演出する悲劇はここからだ。あの子のことなんて始まりの一幕に過ぎない。王天君の望むそれは他人から見れば悲劇らしいけどどちらでも良い。私は私の望みが叶えば何も文句はない。
「私は好きにするから、そっちもお好きにどうぞ」
「で、終わったらどうすんだよ。妲己のところか?」
「誰が行くか。私は女狐の企みはどうでも良いの。後ろの存在の邪魔をする気もない」
「へえ。気付いてたのか」
後ろの存在、その言葉に王天君は少しばかり目を丸くした。愉快らしい。私が知っていると思わなかったらしい。
ただ王天君が驚くように、私一人ではその真実にはたどり着かなかった。先日申公豹に会わなければ首を傾げる程度だっただろう。
あの男はふらりとここまでやって来たかと思えば宝貝ばかりいじって脳みそが鈍っているかと思っていましたよと真顔で悪気なく馬鹿にし、その日の会話の中で私に歴史を操る存在を言い当てさせた。その後いくつか道具を手に取り、勝手に持ち帰りを決めて茶を飲み去っていった。
あれは気まぐれの訪問先に私を入れてるらしく、数十年に一度は顔を見せる。私、というよりは私が手元に置いている宝貝や希少な道具が目当てだ。今回の騒動の裏を読ませたのも暇つぶしの一つだ。暇つぶしで命の危険を背負わせる相手など二度と顔を見せないで欲しい。あれを受け入れているのは黒点虎と会えるからだけである。それがなければひたすらに迷惑なだけである。言うと機嫌によっては消し炭にされるので致し方なく受け入れているだけだ。
もちろんこの愉快犯にそんな事情を話すつもりは毛頭ない。これも腐れ縁なだけで好きで付き合いがあるわけではないのだ。妲己の手足に不必要に情報を与えてやるほどお人よしではない。そもそも私の一番突かれたくないところを一番知っている相手なのだからこれ以上の情報はやりたくもない。
「この島は終わる。やっとだ。私はそれで良い」
「教主の娘とは思えない発言だな」
「教主は不在だから私はただの仙人よ」
その言葉は望むものだったんだろう。その目に歪んだ喜びの光が灯る。
教主は抜け殻だ。あれはもう生きてはいない。抜け殻になっていく父を見て何も出来なかったといえばそうだが私はあの人も憎んでいたからそれで良い。憎む相手を助ける相手がどこにいるというのだ。憎しみをぶつける相手を失ったと気づいた時には思わず舌打ちしたけれど。
一度仕掛けが動き出せば止まらない。悲劇は進む。あの人を巻き込みあの子を巻き込み王天君が掻き混ぜ旧友たちを相対させ何もかもを潰す。
「ここが終われど簡単に死なないのが仙人なのだから面倒ね。どうせなら、こんな醜悪な妖怪ではなく人間に生まれたかったけど」
「違うだろ。『あの子と幸せに暮らしたかった』『あちらにいたかった』『あの子になりたかった』……こんなところだろ」
「地獄に墜ちろ」
最高だと歪んだ笑みで返されれば舌打ちするしかなかった。
(ずっとずっとあなたを望んでいた)