後に仙界大戦と呼ばれるそれは私にとって契機となる出来事だった。

 人間だろうと妖怪だろうと傍から見れば仙人道士たちの内輪もめだ。お空の上で譲れぬ戦いなど私にとってはどうでもいい。そんなどうでもいいことに片足を突っ込んでいる理由は至極独善的な理由だ。
 戦闘には介入しないと言いながら戦地のど真ん中へ私がやって来たことの意味は王天君だけが理解している。その王天君はこの場から気配を消しているが愉快だとこのやり取りを見ているに違いない。演出家気取りでこの出会いを悲劇的に仕立て上げたいんだろうか。あれに会話を聞かれようと大したことではないが気分は悪い。

「かわいそうな子」

 自分の声なのに何の感情も籠っていないことに思わず口の端が上がる。
 倒れ伏す相手を見下ろす。美しく変化した姿は見る影もなく、本来の姿を無様に晒して息も絶え絶えだ。これが崑崙山でも名の知れた天才道士楊戩だと誰が思うだろう。
 目の前の相手とは子どもの頃に会ったきりだというのに、すぐに誰だかわかった。それが同じ血が流れているからなのか、私の執着からくるものなのかはわからない。
 かわいそう、と口にしながらも本当に哀れなのはどちらなのかと思う。父親に捨てられたあなたか、運良くこの島に残ったと思えば疎外され誰にも愛されず自由だけを保障された私か。単身敵陣に乗り込んで特攻してくるあなたか、力尽きそうなあなたをみて哂う私か。
 私の愛しいあなたはずっと笑っていた。大事な大事な、あたたかい世界を見つけて、護ろうとしている。私とは違う。その立場には私がいたかもしれないね。あのときの交換は、私でもあなたでもどちらでも良かったはずだ。

「あなたは、あの人たちとは違うのにどうしてそこまで頑張るの?」
「お前は、だれ、だ」

 十天君の一人と戦い無様な姿を晒しなおあの崑崙のために力を振り絞って結果倒れた。哀れにも王天君に悪戯されたことも知らないで。これから起こることも知らないで。

「変化の力すらろくに残せないまま、あなたはあの人たちを助けたかった? 王天君に捕まって死に目にあってもなお、助けたい?」

 私が生きてきた世界は既に歪んでる。私が生まれた頃はまだ良かったのか。どうだろう。あなたが出て行ってしまってからかもしれない。とにかく、私が気付いたときには手遅れだったことは確かだ。
 可哀想な子。変化すら出来ず、大事な場所では己の本来の姿を晒し出すことも出来ず、こうしてただひたすらに怯える、不幸な子。

「知ったような、」
「それは、あなたが生まれた時から一緒だもの。知ってて悪い?」
「な」

 言葉の出ない相手の視界に入るよう膝をつき、とっておきの笑みを浮かべてみせる。

「あなたは私を忘れたのかもしれない。でも、私は待ってた。信じてた。なのに、あなたは来てくれなかったね。父さんのことばかり」
「ちが、う。いなかったんだ」
「知ってる。あとから聞いたもの。いなかったけど、今日まで再びここに来なかったね」

 傷ついて喋るのもやっとだろうに何か言いたげな相手を笑って黙らせる。
 世界の行く末なんてどうでもいい。壊れた父だった人も、全てを裏で糸引くあの女狐も、殷に夢見て盲進する太師も、好きにやれば良い。その代わり私だって好きにやる。世界が滅ぼうとどうなろうと、そんなことはよそでやってくれ。
 友誼の証。弟子と子どもの交換。今考えれば子が一人でも助かれば儲けものだったのだろう。何を考えてあの男があの子を崑崙へ出し、私を残したのかはわからない。通天教主の子は二人。崑崙から差し出される弟子は一人。均等にするのなら生き残る目があるものを選ぶ。私ならそうする。私よりもあの子の方が優秀だった。それぐらい考えずともわかる。
 わけもわからず見捨てられた場所に一度でもやって来たのだ。それ以上むやみやたらに訪れることが出来なかったのは理解していた。私に運がなかっただけだ。そう言い聞かせても、どうしてと詰る私は今日まで消えることはなかった。そして今、私はやっと出会えた相手に不条理を突きつけてやるのだ。

「王天君は、悪趣味なのよ。歪んでる。でも私はそれを止めてなんてあげないの」
「なにを」

 今から私のすることがどれだけ醜いことかわかってる。わかってはいてもここで真っ直ぐ育つほど私は純真ではなかった。歪み、歪み。五十年前のあの日、出会えなかったことで私は小さな希望も捨てた。歪んで、堕ちて、哂った。

「かわいそうな子。あなたを助けにたくさんの人間が来るよ。太公望も、来るんだろうね。可哀想」
「うそだ」
「嘘じゃない」

 本当はもう来てるんだよ。あなたがここにいることのついでにと、王天君が教えてくれた。
 でも、あなたは知らない。あなたの大好きな師匠も来てること、知らないの。だから教えてあげよう。そうしたらあなたは愕然とするだろうから。

「あなたの師匠は、今のあなたを放ってなんておけないよね」
「まさ、か」
「あなたが妖怪仙人だって知ってるのは崑崙じゃ元始天尊と玉鼎真人ぐらいでしょう? 大事な大事なあなたのため、命を懸けてでも助けてくれるよ」

 あなたの絶望を私は目の前で見届けよう。王天君の、あの女狐の喜劇にも乗ってやろう。全ては一つの意志の元。そんなこと、知っているだけで何の意味もない。どうでもいい。私はあなたに絶望を与える。ただそれだけだよ。

「愛してるよ、私の可愛い片割れ」



絶望前奏曲
(ねえさんと、掠れた声で呼ばれてもそんな資格のない私は、哂うだけ。)