眠りのない遊真は玉狛の屋上で考え事をすることが多い。今夜も彼は一人屋上でじっと考えに耽っていた。
時折夜更かしをし、その長い夜に参加させてもらう。今夜もそのつもりだった。
遠くを見ていた少年はその話の間、私のことを視界に捉えて思考の整理に加えてくれる。長年の相棒の代わりになる気ではないけれど夜のお供を許されることは彼の内側に入れたような気がして一人密かに喜んでいる。
夜半彼が語る内容や考え方は彼の生まれ育った環境や育てた人間の色が濃く出ていた。
その中でも私は不意に見える瞳の揺らぎに憧憬の念を抱くのだ。
「遊真は有吾さんと似てるね」
「おれが? 親父に?」
口にしたことのない思いだった。
遊真はきょとん、として首を傾げる。その仕草は有吾さんがしないものであることを考えれば似ていないのかもしれない。
遊真が生まれる前、有吾さんがこちらの世界にいた頃のこと。私はまだ子どもで、楽しげに現在のボーダーの構想を練る大人たちについて回ってははしゃいでいた。だからボーダー内でもほとんどの人が知ることのない空閑有吾を知っていた。あの頃有吾さんのことで毎日がいっぱいだったのだ。だから、遠い記憶でも時折目の前に現れる面影に気づかないわけはなかった。
「瞳の奥の色が、たまにそっくり」
「たまになのに似てるっておかしくないか?」
「親子だからたまにで十分だよ」
「ふうん」
そこで一度会話は途切れた。お互い沈黙を気に留めることなく、私は光の少ない屋上から川の流れる音を聞いていた。
私の知る有吾さんと遊真の知る有吾さんは違うのだ。だから彼が父親と自分が似ていると思っていなくともおかしくない。
それに遊真は有吾さんの息子だけれど別の人間だ。だからたまに似ていると思えるぐらいがちょうどいい。懐かしみ慈しむことのできる面影は眩しかった過去を見つめるのに十分なものだった。
私の好きな揺らめく瞳の光が今もこの世に在る。紡がれているのだと、私は遊真を見る度に思い出す。遊真の瞳が有吾さんのものを受け継ぎながらも遊真自身の色が確かにある。その中に遊真が出会う別の誰かの色が混じる。そうやって遊真という人間が生きてきた分色味は複雑さを増し、たまに有吾さんや遊真の中に根付いた誰かの色が色濃く出る。
「遊真の中に私もいたらいいのにな」
そして私の中にも憧れが生きていればいいと思うのだ。
「親父はちゃんとおれたちの中にいるよ」
私の稚拙な思いはバレていたらしい。気遣いよりはわかっているよと見透かすような笑みに両手を上げて降参した。
「初恋だったの」
初恋のお相手の息子に告げることではないのかもしれない。それでも口にしてした。
人を他者と似ていると言ったのだ。そう思った理由を彼は聞く権利がある。
これは昔を知る人たちは周知の事実で、そして今は誰にも言いづらくなってしまったことだった。
「昔はモテモテだったって、言ってたからな」
わかりやすすぎる初恋は好きという気持ちを隠そうともしなかった。私は子どもで、有吾さんは大人だった。恋に浮かれて振り回されて、憧れとごちゃ混ぜにした想いを彼は軽んじることなく、丁寧に優しく、木っ端みじんになるように振ってくれた。
子どもだからと隠すこともない相手だったけれど息子にも色んな意味でオープンだったらしい。
「息子にモテモテって自慢してたの?」
「玄界では将来のいい女もいたって言ってた。きっとのことだな」
断言されたことに胸がざわついた。
それは自惚れてもいいのだろうか。強くてかっこいい、ちょっとお調子者なところもある私の初恋の人。
彼に中に私が生きていたのなら、私のあの頃の思いは叶わなくても報われたのではないか。
「ご期待通りのいい女になってるかな」
「どうだろうな。はどう思ってるんだ?」
問いかけというよりは自問だったけれど遊真は私の顔を真っ直ぐと見据えながら尋ねてきた。
いい女なんて漠然な言い方だけれど、それでも一つだけはっきり言いたいことがある。
「有吾さんがいたら」
「うん」
「私のこと振って後悔してるでしょう、って、そう言うね」
遊真は瞬きをひとつ、ふたつ。
それから声を出して笑っていた。
「いいね。親父も悔しがると思うよ」
「そりゃあ、当然」
にやりと笑って顔を見合わせ、そうしてある瞬間、堪えきれずにどちらからともなく吹き出し、声を押し殺し笑い続けたのだった。
(色を継ぐ)