見上げる空の意味は、今日が戦いやすい日かどうか。そういう意味しか持たなかった。
「ユーマはっけーん!」
「ああ、か。どうしたんだ、こんな夜中に」
「それはこっちのセリフだよ。こんな夜更かししていいの?」
要塞の屋上、夜空の下にユーマと相棒のレプリカはいた。
は防寒のために厚手の羽織物を肩に掛けているけれどユーマは羽織ものもなく、縁に腰かけて遠くを見つめていた。
「いーんだ。こそ、夜更かしはビヨーの大敵じゃないのか?」
「たまにはワルイこともしたい」
「なるほど」
はユーマの隣に立つ。夜の城砦は見張り以外は休息をとり、静まり返っている。
がこの国に傭兵として雇われたとき、すでにユーマはここでの生活が長かった。いつもレプリカと一緒で、昔からの知り合い以外はあまり近寄らず、戦争が終わるまではここにいるのだと言っていた。
自身は特に訪れたこの国に何の縁もなかったが着の身着のまま暮らしている中で自分よりも年下の傭兵はそう多くはなく、かつ生き残り続ける年下はさらに少なかったので面白くて仕事中はよくユーマと同じ部隊にと立候補していた。
不寝番以外は早寝が身上のではあったが勝手に隣に陣取った相手が眠りを必要としていないらしいことは最近はほぼ察していた。いつだってユーマは起きている。その意味をは深く考えないことにしていた。それは今のにとってはなんとなく、避けたいことだった。
「ユーマ」
「なんだ?」
「もうすぐ戦も終わりそうじゃない?」
「そうだな。結構かかった」
の滞在も随分と長いものになったがユーマは年単位でここで手を貸している。それも途中で亡くなった父親の義理立てで。そうしてユーマは亡くなった父親の黒トリガーで戦っているとも、しばらくしたら耳に入ってきた。
ユーマの近くにいる人間は元々の知人なのか悪い人ではなかったが上層部をユーマ自身はあまり好んでいないらしく、必要以上の付き合いは基本的に避けている。はどうにかお眼鏡に叶ったらしく、こうして夜中のおしゃべりにも付き合ってくれる。
「戦争終わったらどうするの? 別のところでまた戦う?」
はこの後のことは何も考えていなかった。いつものように適当に軌道の近い別の国を渡り歩いて適当に稼いでもいい。根無し草は何をするにも自由だったけれど何をするにも枷がなさすぎて時々迷子になりそうなのだ。だから、似ているようで少し違う隣の少年の答えを聞きたくなったのかもしれない。
「いや、玄界に行くつもりだ」
「玄界?! え、何しに?!」
けれども出てきた答えは予想外もいいところだった。玄界なんて、とんだ僻地だ。いや、現実的に渡れる場所ではあるのだがトリオンの存在すらまともに認知されていない異世界みたいなところである。
思わずぐんと近づいたけれどユーマは飄々としている。
レプリカは沈黙だ。いつもとユーマの会話に必要以上に立ち入らない。ユーマ以外とは日常で話すことはあまりない。だからユーマからレプリカを紹介してもらえた時、は静かに喜んだ。ユーマには喜び様を不思議がられたが、にとっては一大事だったのだ。
「親父の知り合いがいるらしい。だからちょっと行ってみようと思う」
「亡くなったお父さんの?」
「そう。ボーダーっていうこっちとあっちを繋ぐ組織があるんだってさ」
「ぼーだー」
そう、と頷くユーマには顔を顰めてしまう。一体玄界とこちらの何をどう繋ぐのだとその顔ははっきり言っている。
傭兵や旅人をやっていれば各国の事情は薄っすらと見えてくるし、玄界から人を資源として調達するなんてよくあることだった。そんなところとこちらの何を繋ぐのか、大抵の人間は理解しないだろう。も理解できない。何を繋げるのか。何を繋げたいのか。皆目見当もつかない。
ユーマはその反応を当たり前のように受け入れている。こちらの人間の大半はと同じ反応をするに違いない。
「でもは親が玄界の出身じゃなかったか? 行ったことないのか?」
「ないよ。父親は会ったこともないし出身らしい母親も気づいたら死んでたから。トリオン量あってよかったよね、なんとか生きてる」
よくあることだ。その中では生き残れた分運が良く、そして生き残れるだけの能力があった。例え玄界の血筋でも、傭兵であれば生き残った者が全てだ。
他人事のように話すユーマも玄界は縁のある世界だろう。ユーマという名前はこちらでは少し変わった名前の響きだ。もそう。二人は玄界と関わりがあるのかと名前で聞かれることが多いし、はその度によく知らないのだと言えば納得するものもいれば逃げてきた捕虜ではないのかと疑われることもある。つまりにとってはほとんど役に立たない血である。
それでも根無し草で運良く磨いた戦の腕で生き延びた身として親の故郷は玄界であることだけがはっきりしている。そこに行くことなんてないと思っていたけれどユーマが行くというその言葉で途端に玄界の世界は近づいてきた。
「ねえユーマ」
「まさか」
「一緒に行っていい?」
「……もなかなか変わり者だな」
首を傾げられたけれどは笑って見せた。変わっているというよりは、単純に隣の少年が気になるだけだ。
ユーマはのことを止めるつもりはないらしい。周りから見れば子どもでも、二人は二人なりに一人で世界を生きている。どんな選択だってそれは彼らの選択である。決めるのも選ぶのも自由だ。
ユーマはユーマが決めた通りこの国の戦争が終わるまで居続けたし、も報酬の対価としてここにいて、話をしたくてユーマに近づき、ついていく気になったから勝手に宣言をしている。それを断る自由をユーマは持っていたけれど今のところは断るつもりはないらしい。
玄界玄界、とぶつぶつつぶやきながらは自分の中の知識を総動員しているようだったが結果はどうにも芳しくないらしい。
「ねえユーマ、玄界ってどんなところかな。トリガー使わなくて暮らしていけるんだよね? 平和なのかな」
「どうだろうな。おれも詳しくは知らないんだ」
『戦争は存在しているが目的地の三門市のある国では戦争はしていないようだ』
知識の宝庫、レプリカのお出ましだった。補完するその内容にふうん、とユーマは頷いた。戦わなくていいならそちらがいいに決まっている。
二人が話している今夜の静けさは戦の合間の一瞬だ。本当に安心して眠れる日々は戦が終わってもまだ遠いことだろう。
襲撃の心配をせずに眠りを味わえるというのならそれはこの世界からしてみれば夢のような場所だ。
「いいねえ。戦がない世界。まあ、私みたいなのにしてみれば商売あがったりだし困るけど」
「? 戦わなくていいなら別に働けばいいだろ?」
「……戦わないで、生きるの?」
きょとん、とはユーマを見つめる。何を言われたのかわからないかのように。
戦わずに生きる。
にとってそれは想像すらしたことのない世界だった。
生まれた時からにとって世界は戦う場所だ。生き残るためには常に戦い続けなければならなかった。
戦わなくても生きていける世界をは知らない。
答えを求めるようにがユーマを見つめれば、幼さの残る顔立ちの相手は表情なく何かを見つけるようにを見つめ返している。
「意外だな。はおれよりもずっと息が苦しそうだ」
「生きるってそういうものでしょ」
定住をしたことのない子どもたちは答えのない疑問をお互いの中に抱えたまま、お互いの言葉を見つけきれない。今あるものから選んだものだけでないことだけは知っていても、それ以外を自分で見たことはないのだ。
「私が生き続けるには、私に価値を生むしかないもの。戦う以外に何したらいいかなんてわかんないなあ」
「は傭兵の合間に国と国を旅してたことはあるだろ?」
「それは、もちろん」
国と国は大海をそれぞれの軌道に沿って巡り、そのすれ違いの瞬間に旅人は渡り歩いていく。
は戦が終われば別の戦場へ、噂を聞きつけては渡り歩き、時折民間人の護衛も請け負い、ひたすら歩き続けてきたし、歩き続けるはずだ。
雪原の美しい国、草原を駆け回る民たちの国、砂漠に包まれた国、様々な国を見てきた。
尋ねてきたユーマも、幼い頃から旅歩いて来たというし、話の端々からずいぶんとたくさんの国を見知っているように見えた。
「旅人じゃダメなのか?」
「うーん、旅人と傭兵って違うの? 旅人が戦ってたら傭兵じゃない?」
「それは確かにそうかもな。でも戦わない旅人もいるぞ?」
「それもそうだ」
けれどは戦わないで生きていく術を知らない。どうしたらそれを手に入れられるのか、見たこともないものはおとぎ話に近かった。
「ユーマは? ここに来る前どうしてた?」
「親父と旅してた頃は商人の護衛とか、あと採りに行くのが難しい植物とか動物を手に入れて売ってたこともあるな」
「平和的だ」
「旅人だからな」
は彼の父親のユーゴは随分と強い人だったと話には聞いていた。
きっと、旅に困らない強さと、その国に溶け込む陽気さと、困難を乗り越える知恵を持っていたのだろう。旅が怖くて恐ろしいなんて、ユーマは思ったことがないに違いない。困難はあれど乗り越えて、回り道をしても、歩き続けられるのだとユーゴはユーマに教えたのだろう。
次もまたどこかで戦うとして、どこがいいだろう。
ユーマと違ってそんなことを考えていたの前に現れた空白は、にとって手に余りそうな大きさだった。
「困ったな……戦わなくて、生きていくのかあ」
「別に好きなことすればいいだろ。おれと一緒に行かなくたって、傭兵続けてもいいんだし」
「それはそうなんだけどね」
物心ついたころには恵まれたトリオン量に気が付いた大人に戦うことを教えてもらえた。親もいない孤児にとってそれはとても恵まれていて、貴重な戦力としては大事に育てられた。
そうして育った国の軍は小国だったためにあっさりと攻め滅ぼされ、孤児どころか生まれた国もなくしたはなんとか身に着けた力で日々を生き抜くしかなかった。
今日も戦争、明日も戦争。明後日は別の国。戦って、戦って、生き残る。
それはいつまで続くのか、ふと気が付いた日、ユーマは隣で淡々と戦っていた。だから、自分よりも幼く見える相手が明日どうするのか、は気になったのだ。
「戦わない明日にも、意味はある?」
「さあ? それはが決めることだろ。の明日はのものだ」
「それはそうだ」
「でも」
ユーマの明日はどんなものだろうか。妙に冷めた少年の未来を、はこの後見られなくなるのが惜しかった。もっとユーマの明日を見てみたかった。
「意味も価値もなくたって、明日を生きてちゃいけないわけじゃない。生き残れるかは別だけどな」
「……そっか。……ねえ、ユーマ」
「なんだ?」
「どうしてユーマは玄界に行くの?」
君の明日は意味があるの?
「内緒、だ」
笑ったユーマは随分と大人びて、不敵さも置いて、妙に優しく笑うのでは思わずその肩を掴んだ。掴まないといけなかった。
「ユーマ」
「なんだ?」
「戦わなくても明日があるなら、私ユーマにそれをできるって言いたい」
「? そうか」
先程の微笑んだ顔なんてどこかに行ってしまった。気のせいみたいに、ユーマは飄々といつも通りだ。
けれども、亡くなった父親の跡を継いでこの戦争の終わりを見届けて、亡くなった父親の縁の土地に行く。
そこにユーマはいるのだろうか。
「玄界にそれがあるのか、別の場所にあるのか、まだわからないけど、探す」
「それは、頑張れ」
「ユーマ、それまで一緒にいていい?」
はどうして自分がこんなことを言い出したのかもわからないまま、早く言葉にしなくちゃとユーマに伝えていた。
ユーマと呼ぶ度、その名前をうまく呼べないような気持ちになっていく。
「、さっきから様子がおかしいぞ」
「かもしれない。ユーマ、私、ユーマのこと気に入ってるんだよ」
「それはありがたい話だな」
いつだってユーマは何てことのないように生きている。父親がいなくなっても、父親がしようとしたことを終えようとしている。
にはやりたいことなんて何もない。ただ明日を生きるために必要な振舞いをするだけだった。そのために戦っている。
ユーマは、何のためにそうやって振舞っているのだろうか。
「ユーマ、約束ね。戦争が終わったら、私と一緒に玄界に行って、そのあとどこでもいいから、私の目標達成、付き合ってね」
「おれもすることがあるから、付き合える限りなら」
「いいよ。ねえユーマ、それで戦わないでいるって何からしたらいいと思う?」
「ぐるぐる回って同じこと言ってないか?」
「いいからねえ考えて! レプリカも一緒に考えてお願い!」
『まずは話を整理するところから始めるべきだな』
戦も終わる前、その日は静かで、天気も良く、何てことのない星空も見えて、二人は随分と夜更かしをした。
そうして朝が来て、晴れ渡る空の下、今日の天気は作戦日和だと、二人そろって外へと飛び出した。
(なんでもないはなし)