、最近米屋と仲良い?」
「……よねや? ああ、お茶の子」

 夕飯後のお茶を飲んでいたのところにやって来たのは帰ってきたばかりの迅だった。
 一つ年上ということになっているけれど、実際精神的にはかなり年上のからしてみれば迅は弟みたいなものである。時々姉のように振る舞うと迅は一つしか違わないのにと拗ねるのでなるべく気をつけてはいる。実際昔からの付き合いで年上年下というよりは家族同然の幼馴染のようなものだ。年上には敬語とさんづけをする迅も珍しく砕けた口調なのが良い例だ。
 その迅にお茶の子もとい米屋少年のことをは話した記憶はない。迅と仲が悪いわけではなく、が玉狛支部にいる時間帯に迅がいないだけだ。十八歳になってからは高校もまだ卒業していないのに暗躍だなんだとふらふら外を出歩いているのでは密かに迅を不良少年と称していた。

「なにが視えたの?」
「なんかラウンジで課題のプリント教えてるんだけどそんなに仲良かったかなって。食堂のバイトも今月始めたばっかりでしょ」

 も迅の言葉には首を傾げてしまう。確かに初めて会ってから日もないし挨拶をして、軽く雑談はしているものの学校の話はしたことがない。
 首を傾げるに迅も首を傾げる。じゃああれはどうしてああなったのだろうと。
 そしてそれは五月の連休明けに判明することとなった。



さんこんちは~」
さんちわっす」
「こんにちは。……出水くん、米屋くんどうかした?」

 同じクラスだという米屋と出水は学校帰りにボーダーに向かうときは一緒のことが多いようだった。防衛任務のシフトによっては米屋だけのこともあるけれどからすればセット、という印象が強い。大抵二人で食堂ののところに顔を見せに来る。
 今日も二人でやって来たのだがいつもなら出水よりも先に声をかける米屋が後ろでどんよりとした空気をまとっている。

「アー……いや、ただのバカなんで。気にしなくていいですよ」
「?」
「出水お前な」

 レジ前で騒ぎ出しそうだったのではとりあえず二人の会計を済ませてしまう。
 人が少なかったのでそのまま二人と少しだけね、と話すことにする。

「で、どうしたの?」
「米屋のバカが小テストで絶望的な点数取って中間の点数ヤバいと呼び出しフラグなんすよ」

 ズバリ。包み隠さない出水に米屋は思い切り肘鉄を食らわせる。ウッ、と出水が体を反らせたけれど米屋は当然とばかりに平然とした顔だ。
 この話の流れでは半分ぐらいこれからの想像できてしまった。今日はこれから休憩を取ったら夜までのシフトである。

「一応、去年まで高校生だったから、教えられるとこあればみようか?」

 毎回買い物をする度に律儀にお礼を言ってくれる相手への、ちょっとしたお礼返しみたいなつもりだった。バイトを始めたばかりなのに常連のように買ってくれる人は非常に貴重な存在だし、その気持ちとは別にの最近までのとある記憶がくすぐられたこともある。勉強はできて損はないができなくて困ることは存在する。特にボーダーで隊員として活躍するような学生には死活問題になりかねない。
 そうして見せられた小テストを見て、は気遣うとか遠回しな言い方とかそういったものをすべて忘れて思わず目の前の米屋を憐みの目で見てしまった。

「米屋くんこのままだと留年まっしぐら! 授業聞いてる?!」
「こいつだいたい寝てますよ。任務の分の補講も受けてはいるけど投げ出してますもん」
「いーずーみー」

 件の小テスト―科目は数学―の結果をそれぞれ見せてもらったが二人とも優秀とは言えないもののその差はかなりのものがあった。
 出水は防衛任務とランク戦に日々打ち込む上位チームの高校生としては普通だった。赤点は免れ、平均点は気をつけていればなんとか取れるだろうという無難な範囲。
 それに比べて米屋の小テストは結果そのものよりも空白の多さが問題だった。最初から放棄したのか考えてもわからなくて書けないのか。どちらにしても数式の部分点もこのままではもらえない。高校一年生の五月頭から由々しき事態である。つい先日までの記憶が蘇り、は思わず口を滑らせた。

「太刀川くんを思い出すんだけど」
「え、それマジでヤバいやつじゃないすか!」

 はボーダー本部には時折用事で訪れていたけれど隊員たちとはそこまで交流はなかった。
 けれどクラスメイトが防衛隊員ということはある。高校三年生の時、は太刀川と同じクラスで、林藤から頼まれてノートを提供し、時折勉強を見る仲だった。
 ボーダーのことは藪蛇なので自分から話すことはなかったものの、林藤曰く、太刀川が非常に優秀な隊員であることは聞いていた。しかしそれと、学生の本分を全うできるかどうかは別次元の話なのだというのは嫌というほど理解した。

「出水くん太刀川くん知ってるの?」
「うちの隊長です」
「それは……去年、大変だったね」
「おれあれ見て赤点は取らないようにしようって決めました」

 反面教師。
 の頭にその言葉が巡った。あの悪戦苦闘の末、黒に近いグレーの推薦入学を何とかもらえるまでになった日々を思い出しかけて首をブンブンと横に振った。推薦をもらうのにすら課題の提出が危ういというので先に推薦を決めていたが駆り出されたことはあまり思い出したくない出来事だ。
 ほぼ毎日、最低限の防衛任務以外は学校で缶詰に付き合っていた。当の本人はあっけらかんとわからないんだよなあと最後まで解けないものには簡単に降参をし、もう少しボーダーで勝利に貪欲な部分を発揮してほしいと文句を言ったが無理と簡単に否定された。ひどい同級生だった。そんなものをまた生み出してはボーダーの評判もあの学校内では困ったことになるだろう。それは創設期のメンバーをよく知るとしては避けたいことである。

「米屋くん、これは由々しき事態だよ」
「ゆゆしき」

 あ、これだめだ。
 は自分のちょっとした手助けではどうにもならないと瞬間的に悟った。そしてその日のうちに忍田へ報告をしようと心に決めたのだった。


***


、掛け持ちでバイトしないか?」

 林藤の声が少しからかうような、意地の悪いような、そういう類のものだとわかったのは付き合いの長さだろうか。
 そして掛け持ちでバイト、なんて言われてボーダー関連といえば頭に浮かんだのは先日忍田に報告した米屋少年の成績問題ぐらいしかなかった。

「匠さんまさか」
「まさかだ。米屋の話を学校側にも聞いたら太刀川以来の心配をしていたぞ」

 家こと玉狛支部でのんびりとほうじ茶を飲んでいたらこれである。
 太刀川以来というそれこそ「由々しき」事態に確かにも他人事ながら気になるのは事実だ。
 林藤の言うそれはまだ間に合うかもしれないとはいえの顔を引きつらせるには十分だった。本人だけが気楽に構えていたあの補習課題の日々からまだ半年と経っていないのである。
 今日はバイトもなく夕飯には早い時間で陽太郎を見守りながらお茶を楽しんでいたが執務室から降りてきた林藤は軽快にその話を持ち出してきた。

「週に一度、お前のシフト早上がりの日か別の日、ラウンジを使っていい。空いてたら会議室も使用申請下りるぞ」
「本人は」
が教師なら受けるらしいぞ。モテるな。保護者も了承済みだ。あとはお前次第」

 林藤の面白そうに笑う顔を見ては頭を抱えた。断ると世に第二の太刀川を生み出す可能性があるかと思うと脳裏に母校の教師たちの死相が見えた。
 断ったとてが悪いわけではないが卒業式の時、当然の顔をして卒業式に参加する太刀川を見ながら数名の教師と涙ぐんだのを思い出す。
 米屋がそうであるかをはまだ判断しかねたが一年の頭。まだなんとでもなるのは確かだった。

「なんかこれ私ハメられてないです?」
「自分から報告したんだからまあ諦めろ」

 こうして週に一度、テスト前は本人のやる気と進捗により回数を増やすということになり、図らずも収入アップが決まることとなった。


***

 場所はラウンジの端のテーブル席。月曜日の夕方。は目の前で苦い顔をしながらもの話を聞き終えた米屋を見てふむ、と頷いた。

「というわけで、とりあえず様子見でまず一学期中、米屋くんの勉強みることになりました。勉強の癖がつくのを目標に頑張ろう」
「勉強マジでわかんないけどよろしくさん」

 勉強という言葉であからさまに苦い顔をしていたけれど、米屋は最後まできちんと話を聞いてくれた。
 そもそもボーダー隊員の多い学校側とは防衛任務に関しての遅刻早退は話が済んでいるし、授業に遅れがちな生徒が出てきた場合は専用に課題を設けている。それでも芳しくなければ特別補習もあるし、さらにテストの結果が目に余るようであれば長期休みも補習授業が開催されている。
 米屋の場合は既に今の段階でそのステップを確実に踏破し長期休みには休みと任務を返上で補習になることが目に見えており、今回のことに至ったわけだが、説明を受けて米屋は明らかに補習は嫌だが勉強なんて無理、と顔で訴えていた。は無視した。まだ聞くだけ素直だったしその分チャンスも多いのだ。手遅れには遠い。

「とりあえず、こないだ学校で受けてた小テスト、あれの復習しよう」
「あれまたやんの」
「その為の家庭教師です」

 中間テストは今からあと二週間と少し。結果に結びつくかは微妙だが期末テストは補習に引っかからないようにするのが当面の目標だ。
 せっかくちょうど理解度が把握しやすい小テストがあるのだ。使うのに越したことはない。
 始める前から動きが緩慢な相手に始めるよと声をかけ、週に一度の家庭教師生活が幕を開けたのであった。




(良い子のすすめ)