一口飲んだとき、おやと米屋は首を傾げた。
「なんかラウンジの飲み物味変わってね?」
「味? 味ってただの紅茶だろ?」
ボーダー本部のラウンジは全隊員向けに開放されており、休憩スペースとしてよく使われている。
席だけを利用するのももちろん構わないが併設されている店で食事や飲み物を買うことも可能だし、持ち帰りもできる。近くには自販機も置いているのでそこで好きな飲み物も買えるし、そもそも持ち込みだって自由だ。
併設されてる食堂で販売している飲食物は主に職員や開発室所属の隊員向けが多い。値段もまあ高くはないが学生が常時利用するためというよりは家に帰る暇がない人のためのメニューが少なくない。
栄養士の資格を持っている人間が厨房内にいるらしく、メニューと一緒にバランスの良い食事例を毎月提示しており、噂によれば職員の中にはほとんどそれで栄養バランスを賄っている者もいるらしい。持ち帰りもできるので開発室の面々などはよく代表者が大量にデリバリしていく。
そういう事情があるため、一般的に中高生の隊員はほとんど用がないし、防衛任務の時や長居する時以外は食堂の利用をしない。ラウンジのテーブルを使って雑談に興じたり、学校の課題を持ち寄って取り組んでいたり、チーム以外の面々と合同任務について確認したりと、自由なスペースとしての利用が多い。
だから飲み物の味が変わったなどと言われて首を傾げる出水は実にまっとうな反応だったし、どこまで飲み物をチェックしているのだというコメントは飲み物が好きだと公言している米屋へのものとしてもまっとうだった。
「ん~、多分これ飲み物作ってる人が変わってるな」
「なんでわかるんだよ。よくわかんねーけど機械で作ってんじゃねーの?」
「今日頼んだのは紅茶だからティーバッグ蒸してるはずだぜ。ってことは人が変わってんだろ」
そもそもなぜ紅茶なんて洒落たものを飲んでいるのだとか、ティーバッグを使っているなんてこと知ってるんだとか、出水は喉元まで出かかったけれどぐっと飲みこんだ。妙なところで物知りだしこと好きなものに関してなのだ。詳しくなるものなのだろう。
かといって出水は好きなエビフライのエビの産地がどこだとか気にしたこともない。できたらサクッとした衣でいい音で食べたいぐらいだ。
そもそもの二人は紅茶の味談義をするつもりだったわけではない。
ランク戦で遊びたいのは山々だけれど期限の近い課題がお互いにヤバいと思う状況になり、致し方なく取り組むことにしたのだ。お互いが見張り役になり、ついでに共同作業とし、課題を終わらたらランク戦、という約束をしていた。
課題を始めるつもりだった二人のはずが、米屋は席を立つ。荷物を持つわけじゃない。
「米屋?」
「ちょっと誰が淹れたのか気になるから見てくるわ。先に課題やっといて」
「え、おい! お前のためみたいなもんなんだからな!」
おう、と笑って軽い足取りで駆けていく米屋を見ながら少しため息をつく。
どちらにしたって二人とも提出はしなくてはいけない課題だ。進みが遅いであろう友人のことは置いといて、出水は出水で自分の課題に取り組むことにした。
「あのー」
「はあい?」
厨房は昼の忙しい時間帯を終えて今は夕飯時に向けて仕込み作業中だ。
は今週からバイトに入ったばかりで、とりあえず教えてもらった飲み物回りと皿洗いの担当だ。意外と持ち帰りが多いので洗い物はもう片付いており、細々とした作業をしていた。
声を掛けてきたのは高校生で、先ほど紅茶を出した男の子である。首を傾げて近づいてみる。
「俺さっきここで紅茶頼んだんすけど、淹れてくれたの誰かわかります?」
「紅茶なら私が出したよ」
「お!」
よっしゃと突然ガッツポーズをしだした相手にへ、とは置いてけぼりだ。
ここにいる学生の大半は防衛隊員だ。飲めの前の少年も防衛隊員だろう。
初対面の相手に物怖じすることなく少年はの目を正面から見る。
「お姉さん、最近入った?」
「う、うん。今週からバイトすることになった、けど」
「紅茶以外も飲み物淹れるの得意?」
「得意かわからないけど、お茶を淹れるのは好きだよ」
続けざまの質問にとりあえず答えていくもののそれでどうしたという彼女の視線に堪えることもなく、うん、と勝手にうなずいた高校生は改めて、を見てにかっと笑ってきた。
「お姉さんの淹れた紅茶同じティーバッグだけどいつもより上手かった」
「それは、どうもありがとう」
「俺お姉さんの淹れてくれたお茶飲みたいから、お姉さんいる時は俺のはお姉さん淹れてくんない?」
ド直球ストレートな要求には思わずは? と声を出していた。別におかしいことは何もない。前よりも美味しいドリンク提供者が現れて、それがいいなと思って、指名する。わからなくは、ない。
断る理由も無下にする理由も今のところなくて、どう答えようかと考えた。そもそもそういう自由度は高いバイト先なのか今の時点でまだ掴めていない。
おそらくは自由だ。言ってみれば社内食堂である。お客さんはこの場合職員や隊員であり、彼らのニーズに合わせることは理に適っていると言えよう。
「まだ入ってきたばかりだから、絶対、とは言えないけど」
「それでジューブン! お姉さん名前は? 頼み事すんのに名前知らないのもおかしいし。俺は米屋陽介。陽介って呼んでくれな」
コミュ力の塊か、との頭の中でツッコミが入ったけれどもうすでに相手は名乗っていて、多少距離感は近いけれどどうにもこの相手の常のようなのはわかるので流れに乗って名乗ることにする。
「、です」
「さんな。よろしく! 淹れてくれたのあったかいうちに飲むわ。じゃ!」
そうして颯爽と去っていった気楽な男子高校生が実は防衛任務に就く隊員の中でも優秀な、A級ランク入り間近な三輪隊の隊員ということを知るのはもう少し先のことだった。
(味わいの春)