「んー、どーすっかなあ」

 その言葉を聞いたとき、出水は感心した。
 冬休み明け、学期末の試験も教師に泣きつかれ、冬休みの課題の出来もさめざめと泣かれた米屋もついに真面目に勉強する気になったのかと。
 1月も下旬、冬の冷え込む日のことだ。休み時間、出しっぱなしの先程の授業の小テストの結果を見ている米屋を見てそう判断する出水は悪くない。ごくまともな連想をした。

「なに、やっと勉強する気になったのかよ」
「いや、そーいうんじゃなくて」
「は?」
「んー、聞いたがはえーな」

 ひょいと立ち上がった米屋はそのまま短い休み時間に数人で集まる女子生徒のグループに近づいて行った。
 オシャレが好きでクラスでもよく発言する目立つグループだ。出水は自分から声をかけに行かないグループに米屋は平然と近づいて行く。

「ちょっと質問あんだけど今いい?」
「どしたの米屋、なになに」
「もし気の良い男の後輩がいて、そいつがバレンタインにワンコインぐらいのミニブーケ渡して来たらどう思う?」
「は?!」

 一番驚いたのは気になって後ろについてきた出水だった。
 え、バレンタインに男から花? え、なんで。
 顔がそのままそう言っていて、彼女たちはそれとチラリと見て、それから首を傾げた。

「米屋、その人どんな人?」
「年上の大学生でバイトしてんだけど、バレンタインのイベントの準備で自分はめっちゃ忙しい」
「米屋のことはまあいい後輩って感じ?」
「そーそー。残念ながら」
「んー、あたしならおつかれさまでしたって花くれたら気遣ってくれたんだなって思う」
「私もらったらすごい嬉しい。だってチョコくれ空気の男子の中でこっちが花もらうとかときめかない?」
「でもそれ相手によるっしょ」
「それはそうだけど~」

 平然と米屋が当の後輩だという前提で聞き返し、恥ずかしがることなく事情を説明する米屋に出水だけがこの中で置いてけぼりだった。
 女子生徒たちはあれこれと会話を広げていったけれど、嫌っていない年下からミニブーケぐらいなら、しかも忙しいのが終わった後ならば概ね嫌がられることはないだろう、という回答だった。

「米屋年上好きかよ~」
「好きになったのがたまたま年上なだけだろ」
「ひゅー、かっこいいねえ。米屋好きな子が聞いたら泣いちゃうやつじゃん」
「え、いんの?」
「さあ? 知らない」
「なんだよ」
「でもそういうの嬉しいと思うよ。まあがんばんなよ!」
「そっちもなんかあったら男子として相談乗るぜー」
「あはは! それは頼りにするわ~」

 サンキュな、と席に戻る米屋をよろよろと追いかける出水だったけれどもう授業が始まってしまう。
 それでも出水は言わずにはいられない。

「お前、なんなの」
「なんなのって、フツーにわかんないこと女子に聞いたんだけど」
「……俺たまにお前が宇宙人に見える」

 疲れたようにつぶやいた出水に米屋が何か言う前に授業の鐘が鳴ったので会話は打ち切りになった。


***


「学校のあれなんだったんだよ」
「あれって?」
「花渡すっての」
「ああ」

 放課後、二人とも任務はなかったけれど当然のようにボーダー本部へ足を向け、腹ごしらえを兼ねて売店で総菜パンを買い、米屋は当然のようにその後食堂で、もちろんさんと話して飲み物を買い、ラウンジで二人でもぐもぐと口を動かしていた。
 これを食べ終えたらお互い個人ランク戦でもしてそこら辺にいる人間とあれこれしゃべって、そして帰りに適当にファストフード店でも行ってハンバーガーでも食べて帰るのだ。幸か不幸か彼らは食べ盛りの高校生で、そしてそのぐらいを自由にできる多額のお小遣いがある。
 ただ今この場での話題はそれではなく、米屋の花のことだった。

さんさ~、めちゃくちゃ忙しそうなんだよな」
「今日は普通にバイトしてんだろ?」
「そうだけど。さん美味しいもの巡りとか好きで三門で新しいカフェとかできたらバイト休みの日にいってんだよ」
「お前はなんでそれを知ってんの」
「世間話で聞く」

 米屋陽介のコミュニケーション能力とは。
 出水だってボーダー内ならそれなりに自分自身の顔と名前が売れている分、そして所属が長い分勝手知ったる庭というところがあるけれどだからといって職員側の人間はあまり知らないし、いわゆる「大人」というカテゴリで、エンジニア部門のごく一部の人間ぐらいしか親しくない。
 それがこの米屋と言えばさんはもちろんだが他の本部職員とも何人か顔見知りで、なんで、と聞いたらたまたまラウンジでさん目当てでいたら話す機会が増えたのだという。それで知り合いが増えるのもそうだしクラスの女子にひょいと話して、しかも恥ずかしげもなく自分の恋愛相談ができるのはもはや出水にとっては未知の次元だった。出水だったらそんなに飄々と自分のことを語れない。そもそも自分の好意をほとんどオープンにして相手に向かって話しかけたりできない。その点米屋は出水にだって平然とさんが好きだと公言し、本人にもはっきりと告白はしていなくても明らかに他とは違う好意がある態度をとっている。宇宙人にも見えるというものだった。
 話の前に買ってきた売店のやきそばパンは作った時間からしばらく経っていたようだがお腹がすいている高校生にとっては些細なことで、話を進める合間に食べていけばどんどん残りが少なくなっていく。腹を満たすのがまず一番なのだ。

「まあ、うん、で?」
さんこの間三門の西側の方で新しい洋菓子店がオープンしたの知って行ったんだと。チョコレートメインらしいんだけどイートインもしてて、それがまた美味しかったし、チョコレートに合わせたお茶選びもばっちりで、そりゃ一気にファンになったと」
「おう」
「で、話を聞いてたら今回がオープンして初めてのバレンタインだから、ぜひともいろんな人に店のことを知ってほしいって話になったらしく、そこでさんはひらめいたわけ。『ボーダーの食堂の限定カフェメニューでバレンタインまでコラボしたら口コミでお店に行く人が増えるんじゃないか』って」
「へえ」

 そういえば最近メニュー表以外にもわざわざ期間限定、紅茶とチョコレートのセット、として何か書いてあったような気がすると、出水はぼんやりとした食堂の入り口での記憶をかき集めた。
 そうして話を聞いていけばまずその段階にこぎつけるまでに外部からの仕入れということで仕入れの決裁を仰がなければならなかった。バイトのさんがまずは食堂担当の職員に提案し、その時点までに企画書まであげて、コンセプトから仕入値から販売単価から諸経費からその時点でわかることは全部詰めたという。
 今回は利益目的ではなく、地域貢献という意味も込めた仕入れであり、特にボーダー内の女性へのちょっとした慰労も兼ねてのこと、ということでとりあえずは時期的にバレンタインまでの期間限定で提案をしたという。事前にオペレーターや本部職員にも一定数アンケートを取り、カフェメニューが増えれば利用したいか、という利用率の想定まで出したという。
 そうするとまあとりあえずやってみてもいいと言われたけれど企画の責任者は当然さんになるわけであった。仕入れのメニューの確認、搬入方法、その他もろもろ、初めての試みにやることはいくらでもあった。

「めちゃくちゃ燃えててさ。こないだからお試しでメニュー始まったんだけど評判上々で、バレンタインまでの仕入れも増やせたらって話してるけど店の方もじわじわ客足が伸びてるらしくてその辺も調整してるんだと。で、好評なら常時ではなくても定期的に限定物として店になかなか行けない人にもここで楽しめる形にしてファン層の定着もはかりたいってんでいろいろやってる」
「……さん大学は?」
「大学生って今の時期が学期末の試験前でレポートも課題が出てるころらしーぜ」
「ウッワ……そういや太刀川さんも作戦室まで押しかけられてなんか怒られてたわ」

 忙しいんだよ、と米屋の冷静なコメント通り、噂のさんは非常に忙しかった。本当に、米屋と話すのだって先ほども二言、三言だ。それでも話してくれるのはそれが習慣になっていたからだし、再三米屋自身がさんの出す飲み物を飲みに来ていると耳にタコができるぐらい彼女に伝えていたからだ。米屋は話したいことの十分の一も話せないけれど彼女が切羽詰まっていく様も把握できている。
 先ほどものど飴一つ渡して、しゃべりすぎに注意な、とありがとうと、その程度の短い会話で終わってしまったけれど、米屋くん、とちゃんと米屋を見つけて声を掛けに来てくれたのだから十分だった。十分ということにした。

「めっちゃがんばってるのここで見てるだけでわかるからさ~、バレンタイン終わったらその時おつかれさまってのもあるけど、花とかだと和むかなって思ったんだよ」
「お前……いいやつだな」
「んだよ。なんも出ねーし」
「俺チョコもらいてーとかしか思ってなかった」
「俺だって貰いたいけどさすがにあれ見て言えねー」

 パンも食べ終わりスペースのできたテーブルに突っ伏す米屋はうめき声を上げてん不足、と嘆いているただの異様に我慢強い高校生だった。
 チョコ貰いたいけどそれはあとの楽しみなんだわ。
 何を考えてるのか出水にはまだわからなかったけれどうまくいくといいなと、諸々のことを含めてぽんと米屋の肩を叩いた。


***


 実はこれと言って米屋にできることなんてなくて、いつもよりは話しかけるのをぐっと堪えること、話しかけられない限り話題を広げないこと、おつかれさまと声をかけること、それぐらいだった。
 この点は米屋にはわからないことがたくさんあったので彼は素直に人に聞いた。身近な働く大人に詳細は語らずとも忙しい時にどうして欲しいのか。
 答えは本当に様々で、年齢や立場や関係性によっても違うし本人の性格によっても違っていて、どれが正解ということはないのだというのが一番の成果だったかもしれない。
 熱心に聞いてくる米屋に現国の教師は泣いていた。その熱意を勉強にも当ててくれないかと。それが教師の一番の願いだったけれど米屋は来年頑張りますと年始だというのに開き直っていて教師はさらに泣いていたけれどそれとこれとはまた別の話だった。

「まあ俺は俺のできることするしかねーしなあ」

 さんが忙しいということはボーダー内の大学生も往々にして忙しいのだ。特にと同じ大学の人間がほとんどなので試験日程も被っている。
 そういえばいつもより防衛任務回る率高いよな、と米屋はそこにも思い当たる。去年もそうだったはずだけれど今年は気にかけている人のスケジュールと絡んでいるので気にかけていた。
 米屋はただ毎日学校に行って、放課後になればボーダーにやって来て、ランク戦をしたり任務をしたり時折相談に乗ったり乗られたりして、勉強を致し方なくして、ただ普段通りに過ごすだけだ。
 花屋には早々に相談をし終えていて、相談に乗ってくれた妙齢のお姉様はたいそう目を輝かせて、低い予算だというのに熱心に話を聞いてくれた。
 米屋が素直に話せば話すほど、女性陣は驚くほど米屋に厚意的だった。下手に格好をつけることはないもんだと、以前悩みながら槍型の相談をした時を少し思い出した。
 試験とバレンタインで通常のシフトはほぼ最低限、米屋も暇を見つけては食堂を覗いたけれどもうそれどころではないと顔が語っている。

「早くバレンタイン終わんねーかな」

 そうしたら、と米屋は考える。
 バレンタインデー当日まで、あと3日だった。


***


 カフェメニューの提供は始めていたけれど当日は他の日と少し違うメニューにすることにしていたための多忙は2月になってから加速していった。
 バレンタインまで提供していたのは一口チョコレートで、バレンタイン当日以外は二種類をお皿に出してチョコレートに合わせた紅茶かコーヒーを選べる形にしていた。
 当日はそれにチョコレートをもう一組追加してどちらか選べるようにして、皿の縁をチョコレートソースで飾り立てる予定だった。
 ボーダー本部内のチョコレートの用意は済んでいて、あとは提供だけ、というところにしている。がもし倒れたときにも備えてもしもの時はバレンタイン用のお茶を提供できるようにと食堂の面々にも説明はしていた。

 この期間内でできることをして、そして本日、バレンタイン当日である。
 今日はボーダー内が忙しくなる午後まではお世話になった洋菓子店のお手伝いだ。お互いに目も回るような忙しさでこの二週間は特にあっという間だった。

ちゃんそろそろボーダー行かないとまずいでしょう? 昨日も夜はこっちで準備手伝ってもらったし」
「私の方こそ無理言っていろいろお願いきいてもらったので少しでも力になれたなら」
「十分手伝ってもらったから」

 ほら行った行ったと、朝から来店客でにぎわう店舗を後には手早く荷物をまとめながらも使えるものは使おうといざという時のためのピンチヒッターを呼び出すことにする。スマホの履歴から呼び出せばその人はすぐ出てくる。

「レイジさん助けて~!」
「そろそろかと思ってもうすぐ店の前だ」
「か、かっこよすぎる!」

 前日にはおおよその呼び出す時間も伝えてはいたものの準備が良すぎるレイジには思わずときめいてしまった。持つべきものは頼れる支部の家族である。
 この後はボーダー本部に移動して、本日限定のカフェメニューを売り切れるまでひたすら作り続けるのだ。
 少し目を閉じておけというレイジの言葉には甘えて目を閉じた。このあとの地獄を思えば甘える以外になかった。


 かくして忙殺気味なボーダー職員の女性陣と流行り物が大好きな女子中高生は強かった。
 カフェメニューという通り、昼食が落ち着いた後、午後からの提供という風に決めていたけれど、一応メニューを変えず、時間帯によって提供数を決めていた。主に前半は職員・大学生向けの提供、放課後からは中高生向けの提供数を決めており、席はラウンジ全体が自由席なのでそこまで困ったことにはならないとは踏んでいた。
 ただいかんせん問題と言えばボーダーの食堂はあくまでも食堂であってカフェではないということだ。お茶を淹れるのもいろいろと手を回したといえど通常の食堂の業務もあり、カフェメニューにつきっきりになれるのはほぼのみというのが現状だ。
 それでも通常の仕事から外してくれた食堂勤務の面々には頭が上がらない。試食をしてほしいといって出したそれを美味しいと食べてくれて、後日慰労会でこのメニューでお店が落ち着いた頃に依頼しようと言ってくれた食堂担当の職員には深々頭を下げた。

 かくして午後の、昼食の時間帯を避けて設けられたカフェメニューの展開は事前に本部内でお知らせされていたこともあり、業務に支障がない範囲であれば終業時間をずらすことで中座をしていいことになっていた。
 というより元々ボーダーの職員のほとんどがコアタイムフレックス制であり裁量労働制も多い。部署によっては夜勤もいるので食堂・ラウンジの利用自体がそもそも昼食以外でも断続的にある状態である。
 そうしてまずやって来たのはなかなか仕事を抜けられないが甘いものは食べたいという本部内のオペレーター女性陣とエンジニア部門の女性陣だった。

「こんにちは~。限定メニューのご利用ですか?」
ちゃんが言ってたチョコレートと紅茶のセット、2セットお願い」
「かしこまりました。ご用意します。お会計向こうで先にどうぞ!」

 メニューはチョコレートは組み合わせ違いで2パターン、飲み物も紅茶とコーヒーに絞って、その代わりにチョコレートに合うものをと選んでいた。
 皿にチョコレートをかわいらしく添えて、チョコレートソースを飾りで描いていくのだけれど、飾りのソースは昨日の時点で相当数描いて冷蔵庫に保管してある。
 バレンタイン当日に実際のところどの程度の人数が食堂に足を運ぶのか、は想像できなかった。
 一応ターゲットは女性メインではあるけれどチョコレートがもらえなかったからとか、女性がたくさんいるからとつられて注文する男性がいないとは限らない。限定と言いつつ保存が効くタイプのチョコレートを用意した分、放課後前と後でそれなりに提供できる予定だ。限定と言えば人間が弱いけれど元々は美味しいチョコレートをたくさんの人に味わってほしくて始めているのだ。早々に売り切れは避けたかった。
 そしていろんな勤務形態の人間がいるがゆえに、ボーダー内の全員がラウンジでお茶をできるわけではないというのももわかっていて、持ち帰り用セットも用意していた。
 持ち帰りもそこそこ出ているなと思いながらもなんとか対応をし、人の波が落ち着いた頃、珍しい人が顔を見せに来た。

「順調かな、くん」
「……忍田さん?!」

 思わず声を荒げかけたは相手が相手のため慌てて声の大きさを落とした。
 食堂に現れた忍田は決して階下に降りてこない人ではないけれど、普段下位の隊員もくつろいでいる食堂やラウンジに長時間滞在することはないし、時折顔を見せて食堂の人間に声をかけて何かしらを持ち帰って帰るぐらいだ。
 だから彼が笑顔でやってきて、となりに沢村響子が顔を真っ赤にしてやって来た時、は自分はもしかしたら何かのお手伝いができたのかもしれないとこの事態を察した。

「沢村くんからも聞いていたんだがくんが企画をしたと聞いたからには顔を見せないとなと思ってね。ただ他にも人がいそうだし、3人分、上に持ち帰ってもいいだろうか?」
「それは、構いませんけど、3人?」

 顔を赤くして何も言えずに後ろについている沢村は自分が買いに行くと言ったのか、どうなのか。とにかく忍田が下に降りることも止められず、止められないけれど彼がせっかくならと厚意でご馳走してくれるという「バレンタインのチョコレート」という誘惑に抗えなかったに違いない。本人は当然忍田にプレゼントしているだろうけれど、おそらく忍田本人がそれが本命であることはとんと気づいていないに違いない。

「ああ。さすがにあの人がチョコレートを買いに来ると騒ぎになるだろう?」
「……あの人ってまさか」
「これはくんと沢村くんと私の秘密だけれどね」

 あの人ことボーダー内で一番偉いその人がまさかチョコレートを買いに行きたいと思っているなんて、誰が思おうか。
 と城戸と忍田と林藤。が三門で世話になってから随分と経ち、今はそれぞれ昔のように顔を合わせることも少なくなってしまったけれど、こんな風に気にかけてもらっていることを知ることになろうとは。
 はこのことを言うわけはないけれど、でも気にかけてくれていることが嬉しくてつい顔が緩んでしまった。
 それでも注文にはしっかりと頷いて、3人分、きちんと持ち帰り用のチョコレートと飲み物を用意した。


***


 ボーダー内期間限定カフェメニューは盛況だった。
 放課後になってダッシュで花屋に寄り、それからボーダーにやって来た米屋が見る限り、チョコレートを楽しむ中高生はそこそこにいて、正隊員は懐に余裕がある面々が多いのか見かける姿も多いようだった。
 余るのは困るけど足りないのも困ると悩んでいたのつぶやきを漏れなく聞いていた米屋はその様子を見ながらも、慌ただしくしているに隙を見て様子を窺った。

さん、おつかれさま。チョコ全部終わりそう?」
「へ、米屋くん? え、と、ちょっと余るかも。でもなんとか予想に近いとこで終わりそう」
「んー、じゃあ最後の方何人か声かける? チョコもらえなくてわめいてんの見かけたし。」
「う……もし余りそうだったら、お願いするかも」
「りょーかいっと。俺のも最後に残しといてくれたら嬉しい」
「え、米屋くん?」

 それだけ聞いて米屋はまた顔見せるわとすぐにその場を立ち去った。
 その時のの戸惑った顔は残念ながら彼は見損ねてしまったしその顔の理由もわかるのはもう少し先だった。



「マジで我慢してたな米屋」
「俺健気過ぎると自分で思ったわ」
「今回はお前スゲーわ」

 ラウンジで座って待っていた出水は米屋が話しかけて帰ってくるまでの一部始終見ていた。そして出水ももちろん本日チョコレート在庫お買い上げ予備軍として指名されていた。ただ残念ながら一部始終見ていた出水少年だったけれど米屋の方を見ていての戸惑い顔を察することはできなかった。

 チームを組んでいる隊員は基本的に当日前後、チーム内から義理チョコを頂ける風潮で、出水も既に国近から「義理」と大きく描かれたチョコレートを貰っていた。昨年はロシアンルーレットチョコレートで当たりが1つというのを3人揃っている時に完食させられたことを思えばかなり易しい義理チョコだった。
 米屋も昨日防衛任務の終わりに作戦室で月見からチョコレートを貰っていた。上品なデザインのチョコレートだったけれど米屋にはその良さとか他とどう違うのか、詳しいことはよくわからなかったけれど月見が選んだという点に有り難く頂いた。奈良坂が平然とチョコレートのメーカー名を言い当て話を弾ませていたのでこれだからシレッとモテるやつは、と古寺の肩を組んだら義理でもいいからチョコレート貰いたかったなと別の方向に思いを馳せていた。三輪はその場でコーヒーを沸かして少しずつ味わって、丁寧に月見に礼を言っていた。三輪隊の平時はそれなりに平和である。

 来月はもちろんホワイトデーにお返しがあるわけだがチーム内比率が男女に差がある場合、気が利く人間がいれば食べ物を避けたり、少し高いお菓子を連名で返すなどアレンジをする傾向がある。
 去年の三輪隊は悩みすぎてショートしそうな隊長を見るに見兼ねて連名でチョコレートと月見が好きそうな雑貨を贈り、そしてわかっていたようなのにとても嬉しそうに受け取る月見が見られるという非常に心温まるホワイトデーだった。
 それに対して太刀川隊はといえば、去年はロシアンルーレットの意趣返しにとビックリ箱を仕込んだ隊長が後でゲームでボコボコにやられていた。あの月見と隊長が幼馴染であるのは未だに出水の謎である。
 今年はどうなるんだろうなと思いかけて出水は現実に戻ってきた。今は目下米屋のバレンタインの行方が問題である。

「んで、余ったら誰に声かけんの?」
「せっかくならチョコレート美味しそうに食ってくれる人がいいんだよなあ」
「買ってるのほとんど女子ばっかみたいだしヤローならだいたいいけるだろ」
「んー」

 米屋の返事は芳しくない。
 確かに女性陣はそれなりに見かけていて、加古隊は揃ってラウンジでお茶会に興じているし、忙しい嵐山隊も持ち帰りにはしていたようだけれど木虎が買いに来ていた。
 女性陣はわりと見かけている分、声をかけるなら実際米屋自身も先程そうに返事をした通り男性陣の誰かにした方が一番簡単だ。

「他のヤローに好きな人のチョコレート食わすのシャクだなって思ってきた」
「お前、最後の最後に」
「だって仕方なくね? やっぱチョコレート貰いたいし独り占めしたいっしょ」

 それはごくごく普通の、高校生として当たり前の感想だ。よくここまで黙っていられたとも言える。
 どーしよー、と無理やり空けたテーブルのスペースに顔を突っ伏してる姿を見て出水はようやくこいつもおれと一緒じゃん、とやっとほっとしたのは内緒の話だった。


***


 結局米屋少年の独占欲が勝った。
 C級の女子グループを見つけて焚き付けて最後の在庫限りを売り切らせたのだ。巧みに誘導し、おまけしてくれるって、と人数分には足りなかったチョコレートをに頼んで一皿にまとめてもらい他と違う盛り付けにしてもらうことで特別な最後です、と演出して無事に完売させた。
 ちなみに、後日希望があれば別の企画も開催します、の一言を添えたのアンケート用紙はそこそこに回収されているらしい。

「おわ、ったー!」

 夜七時、食堂はまだ開いているけれどカフェメニューは無事終了だった。
 ラウンジの隅のテーブルで少し前の米屋と同じように突っ伏した。
 売上も確認を終え、あとは後日お店に報告をすれば一段落だった。

「おつかれ、さん」
「ありがとお」

 気付けば作業をしているのところにやってきて一緒に手伝いをしてくれた米屋にへらりと笑いかけた。
 課題も試験もなんとかやりきったしバレンタインもこうして終えられた。いや、終わったかというと個人のバレンタインはまだ終わってなかった。
 あとひと踏ん張りと、重たい頭を持ち上げようとしたの目の前にぽんと、何かが現れた。

「……はな?」
「バレンタインおつかれさま」
「へ」

 目の前が派手過ぎず、華やぐ黄色とオレンジでいっぱいになった。
 が口にした通り、視界に花が出てきた。小さめにまとめられた、ミニブーケだろうか。

「これ」
「おつかれさまの花」
「ええ?」

 重たかったはずの頭を持ち上げてテーブル越し、頬杖をついてにやりと笑う相手を呆然と見つめてみる。
 大仕事が終わった後の脳みそでは今の状況がうまく整理できない。米屋の顔から視線を外してテーブルを見れば花がある。オレンジ色と黄色をベースにして、カスミソウがかわいらしく添えられている。

「私に?」
「そう、さんに」
「米屋くんから?」
「そう、俺から」
「ありがとう?」
「どういたしまして」

 仕事が終わった途端に労われて花を贈られる。
 の想像しないバレンタインの終わりだ。
 じいっと花束を見て、きれいだね、とつぶやいた。その時米屋が目を見開いて、おう、と笑ったのだけれどは残念ながら見損ねてしまった。なにしろバレンタインなのだ。彼女は彼女でプレゼントを贈られて思い出したことがあった。

「そうだバレンタイン!」
「は?」
「米屋くん、ちょっと待ってて!」

 満身創痍ともいえる状態では席を立つと一瞬足取りが怪しかったけれどあっという間に食堂の裏、バックヤードへと走り抜けていった。
 残されたのはちょこんと載った花束と米屋だ。

「え、な、なに」

 思わず動揺を隠しもしない米屋を誰が見ることなく、しばらくした時に戻ってきたは手提げの紙袋を手首に引っ掛けて、手のひらに今日完売したはずのチョコレートが盛られた皿を持ってきた。
 今度は米屋がぽかんとと皿を見比べる番だった。

「さっき食べたいって」
「……言った」
「とっといた。あと、これ」
「…………これ」

 これ、と手首に下げていた小さめの紙袋を渡されて、米屋はただ促されるままにそれを受け取った。
 控えめに見てもそれはチョコレートが入っている紙袋だった。今この瞬間、この会話の流れで渡されるものを他に米屋は知らない。
 先ほどまで待っている間は雑然とした食堂の空気になんとなく身を浸していたのに今はもう周りの音なんて聞こえやしなかった。
 今、目の前で不機嫌そうに見えかねないけれど本当は少しだけ照れくさそうにしてるのがわかるぐらい、米屋はのことを見ていた。

「今日、バレンタインだから」
「うん」
「米屋くん、ずっと応援してくれてたし」
「うん」
「感謝の印というか、なんというか」
「うん」

 米屋はただが言い訳のようにあれこれと言い連ねる言葉が聞こえているのかいないのか。じっと、のことを見つめてただ同じ相槌を打つ。

さん」
「はい」
「これ、俺に?」
「他に誰がいるの?!」
「俺だけ?」
「へ」
「おんなじもん、他の誰かにやるの?」

 その表情は変わることなく、何を考えているのか読めない。ただ真っ直ぐにその黒い瞳がを射抜いている。
 さんと呼ぶ彼がどんな意味にしろ慕ってくれていることをはわかってはいる。わかってはいるけれどその意味を確定させるにはなぜ、と疑問が未だに解けない。
 彼の好みの飲み物を淹れられるだけだ。だから気に入られているのはわかる。それ以上をはまだ理解したくなかった。
 でも、バレンタインのチョコレートをあげるとなればそれはいつもよりも考えざるを得ない。考えてしまった。それでもこうだと断定もできず、でもあげないという選択肢はなく、自分の中でも相手の前でも言い訳を連ねたけれど、目の前の男の子は答えを待っている。

「お世話になった人とか、他にも買ったけど、同じじゃないし、これは、米屋くんに何あげようって考えて、選んで買いました、よ」

 それは米屋の望む一番の答えではなかったかもしれない。けれど答えを出すのをずっと避けていたの第一歩だった。
 いつもなら茶々を入れてからかってくる相手が見計らうように話しかけてきて、さりげなく気遣いをしてくれて、最後の最後までが言い出した企画の終わりに付き合ってくれている。
 これがただなんとなく慕っているわけじゃないことを、は言われなくてもわかりだしていた。わかっていたことを、ようやく認めだしていた。
 視線を泳がせながら、それでもは今自分に応えられる精いっぱいを、目の前の目を逸らさない相手に向けた。

「俺、期待してもいい?」

 何を、なんて聞かずともというやつで、はあわただしい視線をさらにあちこちに動かし、もう一度、やっぱり視線を逸らさない相手と目を合わせた。

「えっと」
「期待、もししたままでいいんなら、お願い聞いてくんないかな」

 答えきれないのことをわかっていたかのように、米屋は言葉を紡ぐ。
 早鐘のように心臓が鳴り響いている。もし相手に聞こえたらどうしよう。そんな風に思うぐらい、心臓の音が自身の体の中で大きく響いている。
 果たしてそれはどちらのことだったのか。あるいはどちらもだったのか。

「今度、俺と二人で出かけてくんない?」

 電池が切れたロボットみたいにが固まった。言われた言葉が脳内でぐるぐると回っている。今度。俺と二人で。出かける。
 それを世間で何て言うのか、知らない訳もない。は目を見開いて、口をパクパクと開いては閉じ、何を言えばいいのかと忙しい。
 米屋はそれに何か反応することもなく、ただじっと、息を潜めるように沈黙だ。が何て言うのか、それだけをただ待っている。
 二人にとって耐えがたいほどではないけれどどうしたらいいのかわからない、そんな沈黙が続いて、それを破ったのはだった。

「わかった」
「……わかったって」
「食堂の人にシフトとか無理言ったから、少し先になるかもしれなくてもいいなら」
「そんなの待つ。どんだけでも待つ。あ、いや、どんだけもは待てない。え、さん本当? 嘘じゃねえ?」
「嘘は、つかないよ」
「めちゃくちゃ嬉しい。すごい嬉しい。最高。ありがとさん」

 再び視線を彷徨わせだしたとは打って変わって米屋は少しだけ前のめりで、それでいて手元のチョコ入りの紙袋も潰さず、テーブルの花束も皿も器用に避けて、だけを見てきた。
 先ほどまでのぎこちない空気は霧散して、挙動不審と突然元気になった人間の組み合わせへと変化していく。

「それより米屋くん、チョコ、あ、飲み物! コーヒーと紅茶どっちが、あー、うーん、待ってて!」
「あ、さん?!」

 半分逃げ出すようにして席を立ったはいつもの倍の機敏さを見せた。
 もう一度残された米屋はその背中を視線で追いかけ、そしてしばらくして視線を落とす。チョコレートが二つ。

「……夢じゃねえよな?」

 思わず米屋は自分で自分の頬をつねって、痛いことにへらりと笑ってしまった。
 慌てて片手で口元を隠してしまう。今は取り繕うなんてできそうもない。

「マジかー」

 思った以上のバレンタインに米屋の顔はゆるゆるとほぐれていく。緊張していたさっきまでと打って変わって、じわじわと胸の真ん中から嬉しさがあふれてきて叫びだしそうだった。もちろん、そんなことはしないのだけれど、それこそ勢い余って抱き着きそうだった。それだって、しなかったけれど、それぐらい見た目よりも米屋は喜んでいた。

「米屋くん?」

 そうして戻ってきた彼女がコーヒーも紅茶も淹れてきてくれているのに気が付いたとき、米屋は天を仰いでテーブルの下でガッツポーズをした。
 長い長いバレンタインがようやく終わりを迎えて、次の季節に移ろうとしていた。



(愛しきキャラメリゼ)
title:天文学