トリオン体への換装前、制服のスカートからすらりと伸びた足がボーダー本部の廊下の床を軽々蹴って目的地へと向かう。かろうじて走ってはいないけれど跳ねるような足取りは何度も注意を受けながらより早く目的の場所へ辿り着くための彼女の最善だった。
飛び込んだのはランク戦室。今日も目当ての後ろ姿を見つけて飛び込んだ。
「たっちかわせんぱーい!」
「うおっ! ビビるわ」
背中に飛びついても倒れ込まずに踏み留まる太刀川の反応にはニヤリと笑ってそのまましがみつく。
「勝負しーましょ」
「おう」
「テンションひっく!」
「おまえが高いの」
しがみつかれたまま太刀川はの頭を小突き、さっさと離れろと言えばもぴょんと跳ねるように床に着地した。
星輪女学院の制服でいつもこの調子である。周囲の目を気にしない太刀川から見ても、お嬢様学校と噂の学校で浮いていそうなのは想像がつく。
早く早くと言わんばかりに爛々と輝く瞳を見つめ返してみる。年明け、真冬の只中でコートも着ているし黒のタイツも履いて防寒しているのに急いでやって来たのかその頬はほんのり赤く色づいていて、暑いのかマフラーはほどいて首にかけているだけだ。換装するからと鞄だけ放り投げて駆け込んできたのがよくわかる恰好だった。
太刀川は自分以上にランク戦を楽しんでいる人間を知らないが目の前のはかなり自分に近いところがあると感じていた。
「学校でうまくやってるか?」
「赤点取らずにやってますよ?」
「あ、そ」
クラスメイトから浮いているという話もから聞いたことはないし、思い悩む様子もない。そもそもと太刀川はそんな話はついぞしたことがなかった。太刀川もそういう話は興味がない。相談されたら話を聞くぐらいはできるだろうけれど当の本人は太刀川の僅かな気遣いに予想の斜め上の回答である。
今日も結局それ以上話すこともなく学校の話題はこれでおしまいだ。は目を輝かせて不敵に笑う。
「今日こそ勝ち越します!」
「本来ならポイントなくなってボロボロなのによく言う」
は現状はともかく、憧れと打倒の的として太刀川の名前を挙げて憚らない。果敢に太刀川に勝負を仕掛けてはボロ負けをすること早二年。本来の個人順位はまあまあなところにいるはずだが太刀川に負け越ししすぎてポイントが異様に低いのだ。あまりに低くなり過ぎて太刀川はポイントが動かない勝負設定を周りに提案されたぐらいだ。太刀川と戦って勝った回数はゼロではないが驚くほどに低い。回数は重なっている分、とんでもない点数を持っていかれている。
本人たちは気にしていないのだが実力と乖離するポイントはと影浦の二人以外は早々いない。あまりに低いポイントはチームを組む際に懸念材料にされることもあるのだ。
昔からを知っている面々からしてみればただの怖いもの知らずの猪突猛進なだけだが今後のことも考えては太刀川以外とも定期的に勝負をして勝つように釘を刺されている。
「太刀川先輩に勝った後他の人も勝ちまくる予定なんですけどねー。ポイントの方が先になくなっちゃった」
「なんで一番から狙うんだよ」
「敵を落とすなら大将からですよ!」
敵かよ、という太刀川が軽く笑うのにつられても笑う。
師弟関係を二人は否定するけれど似た者同士には違いない。太刀川の総戦闘数は圧倒的だがもかなりの回数を戦っている。上位の面々とも良い勝負をするのにそれを上回る頻度で太刀川に負けているだけだ。
「今日こそ勝つ!」
「おー、頑張れ」
その後十連戦して見事に全敗した。
むう、と唇を尖らせて悔しがるの頭を太刀川は乱暴に撫でてやる。部活のようにボーダーに打ち込み入り浸るジャンキー筆頭二名は年も性別も違うけれど戦闘が好きな点は共通している。
の踏み込みが甘かった、あそこの回避は良かった、あの判断はいつしたのか、などなど、二人は戦闘後の感想会に余念がない。主にによる質問会ではあるが。
「そういえば太刀川先輩この時期大学生って休み前にレポートとかテストあるんじゃないんですか? ここにいていいんです?」
は戦闘馬鹿だが星輪女学院の中でそこそこの成績はキープしている。テスト前でも息抜きに訓練ができるように授業中に集中しているし、課題も真面目にこなす。勉強でわからないことはボーダーの先輩を使ってでも早々に解消する。だからほぼ毎日訓練室で彼女を見かけても周りも特に注意をすることもない。
首を傾げるに対して太刀川はへらりと笑う。はその笑い方をボーダーで知り合って何度も見ている。テスト期間中、何もしていないけどなんとかなるだろうと高をくくっているときの顔である。
「太刀川先輩さすがに大学生一年目でそれはやばくないです? あと三年ありますよ?」
「なんで俺と同じくらい入り浸ってるは勉強で困ってないんだ?」
「勉強してるからです」
「マジか」
それ以外に何があるのだとは敗北の悔しさを脇に置いて呆れ顔だ。
「テスト前に太刀川先輩と遊ぶと怒られるから早くテストちゃんと受かってくださいよね!」
「おまえもテストあんだろ? 来年受験じゃん」
「私今のところ判定ヨユーっす」
「意味わかんねー!」
は知っている。太刀川はここで戦う以外もふらふらと街を歩いたり諏訪隊の作戦室に入り浸って麻雀をしたりたまに気が向いて彼女を作ってはすぐ別れたり本部内の誰かに戦おうと絡んだりとほとんどの時間を徘徊しているということを。
「太刀川先輩戦う相手としては尊敬するけど学生の先輩としては心配です」
「そのカワイソウみたいな目をやめろ」
「仕方ないから太刀川先輩とはしばらく止めて他の人と遊ぶんで早く試験終わらせてくださいよ」
「え、、マジ? 嘘だろ」
太刀川の対戦相手の中でコンスタントに相手をしてくれるという意味では大変貴重な相手だ。だいたいが捕まるとある程度の時間を拘束されるので逃げられやすい。それがさえいれば戦う相手には困らないはずなのにそのが不戦宣言だ。
今は大学生は試験期間、受験生は勉強に忙しく、他の学生も冬休み明けの小テストの結果を受けて気を引き締めたり、気が早い者は学期末のテストに向けて忙しそうにし始める。太刀川の成績は周りに自ずと知れたもので、が戦わない理由を口にすれば続くものは当然出てくる。何しろ太刀川は去年それを経験済みだ。勉学において信用が地の底の男である。
焦りだす太刀川を見てはしたり、とにんまり笑ってぽん、と太刀川の肩に手を置いた。
「二月過ぎには太刀川先輩と遊んであげますよって」
「ふざけんな!」
「ふざけてるのは太刀川先輩なんでー」
勉学においては優位性のある高校二年生、太刀川慶大学一年生の一月末の出来事だった。
***
「二宮先輩やっと見つけた!」
「何の用だ」
「二宮先輩毎年のことじゃないですか! 忘れたとは言わせない!」
「……話し方と頭の中身が一致しない奴だな」
はその日トリオン体ではなく、私服で紙袋を持ち歩いてボーダー本部内をうろうろ歩き回っていた。
お目当ての相手を何人か見つけては用事を済ませていたのだがようやく最後の一人、二宮を見つけたため、にっこり、満面の笑みだ。大して二宮はその笑みを見て眉間に皺を寄せて出迎える対応だがは気にも留めない。いつも通りである。
ラウンジ近くの廊下で出会ったために二宮の近くを通る隊員がたまに通りにくそうにしているが二人とも気にしていない。
は会えばほぼ必ず太刀川に個人ランク戦を挑んでいるが一日十連戦まで、が彼女の中のルールだ。十連戦をした場合、戦闘後の反省が終わって時間に余裕があれば、その時いる他の相手に対戦を挑む。太刀川がいない日には代わりに別の人と戦うこともあれば、ラウンジで学校の補習課題や予習をすることもある。
そこで勉強してわからないことがあれば大抵本部に入り浸っている先輩に教えてもらうことにしていた。以前は学校で残って聞いたり、クラスメイトにノートを見せてもらったりしていたのだが、ボーダー内の年上に意外と教え上手が多く、そちらの方を探せば大抵誰か捕まえられるということもあり、すっかり習慣化している。同級生だと犬飼と荒船という、別の高校とはいえ進学校で進学ペースも比較的似ている二人がいるため、三人で時間を合わせてお互いの得意・苦手科目の確認をすることも少なくない。
は太刀川と同じように放課後や休みの日をほとんどボーダーで過ごしているとはいえ一部は勉学に励む実に真面目なボーダー馬鹿である。
「はい、今年も一年ありがとうございました、のお菓子ですよ」
「……いつまで続くんだこの馬鹿げた礼は」
「私が大学卒業するまで? 勉強、お世話になりまーす!」
「ふざけろ」
意外と教え上手な先輩その一、名前を二宮匡貴。馬鹿は嫌いだが残念ながらは二宮の基準値をクリアできているようで、舌打ちされたり睨まれたり撃ち抜かれたりするけれど基本的に無視されることはない。鬱陶しそうな顔をすれども隊の犬飼とも仲が良く作戦室の出入りも許す程度に二宮はを買っている。
なぜお菓子かといえば二宮や他の勉強を教えてもらっている面々にいつも勉強を教えてもらっているお礼、ということでバレンタインデーに手作りのお菓子を振舞うことにしているのだ。面子は東、月見、二宮、おまけで荒船と犬飼である。全員感謝のお菓子ということは百も承知しているし、東へのお菓子の量とラッピングが贔屓目なしに豪華なのも全員が把握している。の憧れ、東さん節は本人も含めよく知れた話だ。太刀川は打倒したい憧れとして名前を挙げられている。
なお二宮になんだかんだとお菓子を断られないのはのお菓子作りの腕が彼の予想以上のもので毎年大変美味しいからだがもちろんはその事実を知らない。
「東さんにあげるのに二宮先輩にあげないとなんか可哀そうだなって!」
「憐れまれる理由がない」
「まあ東さんに一番良い形のあげてるからおすそ分けってことで」
「あ?」
「こっわ!」
元々入隊時期が同時期の二宮は一つ上とはいえ付き合いも長く、の一番の憧れ、東さんの元チームメイトであることも加えてお菓子を配るに理由も要らない仲の良さだとは思っている。
結局口は悪いが二宮はお菓子を受け取る。お返しは日頃の勉強の礼だから何もしないと二宮は言うが毎年三月の間に一度は十連戦をしてくれるのでそれがお礼代わりだとは思っている。言うと戦ってくれなくなるので絶対に言わないようにしている。
二宮がしっかりと受け取ってくれたことを確認してほっと息をつく。今日のマストの用事は終わったな、とまだ重たいままの紙袋を片手には二宮に別れを告げようとする。
「お、じゃん。二宮となにしてんの」
「太刀川先輩じゃん。救済補講テスト終わりました?」
「おまえに用はない」
二宮は太刀川を完全に無視して早々に立ち去ってしまい、残されたのはのほほんとした顔の太刀川とテストが終わったか気になるだけだ。
「なんだよあれ」
「で、太刀川先輩春休み?」
「今日から春休み。暇だよな?」
「今用事が終わったから暇になりましたよ。軽めに五戦ぐらいしましょ!」
今用事が終わった、というのは当然用事の相手は二宮だったのだろう。いつもならば適当に流すのだが今日はなぜだか引っかかる。が未だに私服であることや二宮が手にある何かを隠すように立ち去ったこともあるかもしれない。
返事がないことにが首を傾げるが太刀川の視線はの顔から手元にある紙袋へと向く。
「用事って?」
「お菓子配ってただけですよ」
「菓子?」
「太刀川先輩も毎年あげてるじゃないっすか。ハッピーバレンタイン」
袋の中をガサガサ音を立てながらあった、とは袋の中から手の中に収まる一口サイズのチョコレート菓子を三つ取り出した。味はきなこもち味。
はい、と手を突き出されたので太刀川も反射で手のひらを差し出す。の手のひらが太刀川の手の上空でななめに傾けばころりと一口菓子も転がった。
「こんだけ?」
「去年もこんだけでしたよ。マジで忘れてます?」
「なんかもらった気もする」
去年は受験騒動で周りが小うるさかった記憶しかない。チョコ欲しいなとなんとなく口にしたかもしれないがバレンタインと明示されて渡された記憶はない。それに太刀川には気になることがある。
「二宮にはなにやったんだ?」
「手作りお菓子。今年はクッキー各種盛りだくさんセットです」
「は? 今年? 毎年二宮にやってんの?」
「そうですね」
「聞いてねえ」
こてん、と首を傾げるははあ、と間の抜けた声で相槌を打つ。
「太刀川先輩関係ないですよね?」
バレンタインも兼ねているがほとんどいつも教えてくれてありがとうございます、の意のお菓子だ。太刀川とはほぼ毎日のように顔を合わせて戦ってはいるが教わっているわけではない。打倒ナンバーワン、を目指すにとって挑戦なのだ。
それに毎年、太刀川のためにきなこもちのお菓子を探してきちんと数を確保しているのだ。太刀川は今年までバレンタインの時期にからお菓子をもらっていた事実にすら気づいていないようだったが。
「え、二宮が好きだったのか」
「はい? まあ好きですけど二宮先輩はおまけというか一番は東さんですよ」
「え、何おまえ東さんが好きなの」
「好きですよ。憧れですし。いろいろお世話になってますし」
何を言っているんだというの怪訝な顔に、何もかも初めて聞いたという驚きを隠さない太刀川。
あれだけ顔を合わせていながらそんなことも知らないのかと誰かがいたらツッコミを入れただろうがあいにく二人の脇を通り抜ける人はいても足を止めてくれる人はいない。どう考えても首を突っ込むだけ面倒な気配しかしていない。
「俺のことは?」
「はい?」
「手作りお菓子、くれないのか」
「あれはお礼も兼ねてるし、太刀川先輩きなこもち味のが嬉しいでしょ?」
は本部内できなこもちを禁止されている太刀川が少しでもきなこもちの味を楽しめるようにとバレンタインの時期は特に多めにお菓子を渡している。たまに余った配布用に買っているお徳用チョコも一緒に。
ただ言われながらはふと考える。いつもきなこもち味なりきなこ味なりを見ると太刀川を思いだしてはすぐにお菓子を買って渡しているので季節を問わず太刀川にはお菓子を与えているなと。それならばバレンタインだと銘打たずにお菓子を渡しても気づかれないのも道理だと。
「え、太刀川先輩私からチョコもらいたかったんですか」
「バレンタインにチョコもらいたくねえ男はいない」
「じゃああげません。今年チョコじゃないから」
「クッキーでもいい」
「なおさらあげません。もう今日戦わなくて大丈夫です。じゃ」
「は?!」
驚く太刀川を無視しては作戦室のあるフロアに向かうため歩き出す。今ならまだ東はいるはずだ。先ほどクッキーを渡してきたばかりだから早々外に出かけることもないだろう。今年のクッキー詰め合わせのリクエストは東なのだから。きっとチーム全員でおやつ代わりにいただくはずだった。
すたすたと歩き始めるに呆気にとられた太刀川は一瞬後我に返ってその背中を追いかける。なんとなく、追いかけないとまずい気がした。
「なんで俺は手作りもらえねえの」
「勉強教えてくれた人にお礼にあげてるから。太刀川先輩勉強教えてくれます?」
「ウッ」
太刀川の足取りが鈍る。の足取りは変わらずだ。鈍った分、太刀川が半歩遅れるけれど歩幅でカバーする。
はすぐに追いつく太刀川に見えない位置で顔を顰めるがすぐに平静に努める。
「それに」
「それに?」
「太刀川先輩彼女いるんだからそっちからもらってくださいよ。余計な火種になるのなんて勘弁ですー」
「彼女? ……あー、年明けに別れた」
「ごしゅーしょーさまでした」
ラウンジと各作戦室があるフロアは別だ。エレベーターを前にしては一度足を止める。少しだけ早くなった心音には気づかない振りをする。
ボタンを押して待つ間、太刀川が斜め後ろからじっと紙袋の中身を見ようと窺っているのを感じながらもからは口を開かない。
上階へ向かうランプがついて扉が開く。が乗り込めば当然、太刀川も乗り込んでくる。
「、さっき用事終わったって言ってたよな? 紙袋まだなんか入ってんじゃん」
「お徳用チョコがバラマキ用に入ってるんですよ。今日渡したい人には全部渡してるからあとは会った時に渡すんです」
ラウンジのフロアから作戦室までの間はそんなに長い時間ではない。すぐに扉は開いて、が早足でエレベーターから出る。太刀川もすぐにそれを追いかける。
「なんでそんなに怒ってんだ?」
「太刀川先輩がしつこいから。私東さんのところに行くんでもういいですか?」
「なんだよやっぱ菓子くれねーの」
太刀川の言葉にがようやく足を止め、のろのろと振り返る。
特に表情のない太刀川を認め、はため息を一つ。紙袋を探り、適当に一つお徳用チョコを取り出してねじっている包みを開ける。
「太刀川先輩屈んで」
「?」
「早く。で、口開けて」
「お、おう。んぐ」
ぽい、と一口サイズのチョコレートを投げ込むとは用は済んだと言わんばかりに歩き出す。
「ハッピーバレンタイン太刀川先輩」
「なんでそんな機嫌悪くなってんだ? 菓子ねだりすぎたのは悪かったって」
「太刀川先輩って、めちゃくちゃ強いけど本当に、だめだめですね」
「なんで悪口言われてんだよ俺」
「知りません」
それでもこれ以上はまずいと思ったのか太刀川も後を追ってはこなかった。
東隊の扉の前に立っては入室を願い出る。扉はすぐに開き、あれ、と小荒井が出迎えてくれた。
「先輩どうしたんすか?」
「小荒井くんちょっとね。東さんよかった! いた!」
「今年は去年より早いギブアップだな」
応接用のテーブルにクッキーを広げていた東の隣には駆け込んで東の肩に両手を載せてしがみつく。
小荒井はぎょっとし、二人で話していた人見と奥寺もぎょっとする。
「ああ、初めて見るのか。恒例行事だから気にしなくていいぞ」
「恒例行事……?」
ああ、と東は笑っての頭を撫でているしは呻きながらもう嫌なんですと無理ですと嘆いてほとんど泣きかけだ。
人見は先ほどから公認でお菓子のおすそ分けをしてもらえるというので給湯室でお湯を沸かして魔法瓶を持ち込んだところだった。奥寺は三つ出していたカップを一つ増やす。
「片思い歴三年目で本命にお菓子を渡せないだけだ」
「東さんあっさりバラすなんて鬼! 毎年感謝を込めて一番出来の良いきれいなの量もたくさん持ってきてるのに!」
「一番の次だから実際は二番目に出来が良い、だろう?」
「ほんとのこと言わないでくださいよー! みんなおすそ分けしてあげるから一緒に食べてお願い!」
そうしては紙袋の中、下に仕舞っていた箱を出す。その時にバラで入れている一口チョコレートもぽろぽろと紙袋から零れ落ちるが小荒井が慌てて拾ってくれる。
そうしてテーブルに置かれたものを見て三人は先ほど東に渡されたものと比べて思わず頷いた。
「これは、確かに」
「箱めっちゃきれいなやつですね」
「……本命、ですね」
東のラッピングも凝ってはいたのだが見せるラッピングで、透明な袋をリボンで結び、中にはバスケットの形の入れ物に詰め込まれた数種類のクッキーが五枚ずつは入っている力作だった。もともと毎年作戦室でチームメイトにおすそ分けすることもは織り込み済みなので東が二枚ずつ、他が一枚ずつだが種類は多めに、という形にしている。それ以外にあげた面子は各種一枚ずつ、という形でラッピングも簡易にしているので東のものが一番豪華に見えるのだ。
それに対して出てきたものはまず箱だ。上蓋にリボンがついているタイプで、はそれをそっと外すと周りからさらにああ、と声が漏れた。
箱は内側で半分に仕切っていて、クッキーは東に渡したものと同じものが二枚ずつ。それから反対側にはトリュフチョコレートが六つ。チョコレートでコーティングしたスタンダードなもの、ホワイトチョコレートでコーティングしたもの、それからきな粉をまぶしたものがそれぞれ二つ。
「今年も一緒に食べましょう東さん」
「供養みたいな顔してるが食べ物に罪はないからみんな遠慮せずに食べてやれ」
言いながらも東は自分がもらったクッキーに手を伸ばすし、人見たちも紅茶を並べてから東のおすそ分けを味わう。
さっくりとしたクッキーもあればドライフルーツを入れ込んでいるものもあるし、ココア味のもあってどれも甘さも程よく種類もあって全部食べても甘ったるいということもない。目を見張って美味しいと手を伸ばす三人に東は微笑みは良かったと疲れたように笑う。
「今年は渡そうとしたのか?」
「なんで俺にお菓子くれないのかって。バレンタインにチョコ貰って嬉しくない男はいないって言われました」
は家に残っている失敗作たちを思いながらチョコレートコーティングのトリュフに手を伸ばす。形もきれいにまとまったものだ。もぐもぐと、味を噛みしめるように口を動かせばチョコレートは口内の温度に溶かされてあっという間に形なんて消えていく。
の言葉に人見は一瞬驚き、小荒井と奥寺は首を傾げていたが東は吹き出しかけて慌ててクッキーを飲み込んで紅茶に手を伸ばした。なんとかクッキーを飲み込んで、笑いを堪えながら隣のを見て苦笑いだ。
「進歩はしたが負けだな」
「彼女と別れたって言ってたからさっきそこで一口チョコだけ口の中に投げ込んだら帰りましたよ!」
「まあチョコレートには違いない」
きっと一時退却だなと東は踏んだがそれをに言うことはない。火に油を注ぐのは折を見てすることだ。
断片的なの話をわかっているのは東だけで、人見は相手は察しているが小荒井と奥寺に至ってはよくわからないという顔を隠しもしない。ただ事実としてクッキーは美味しいので手は勝手に伸びて気づけば食べている。
はなくなった部分に箱の中に入れているクッキーを投入する。種類も同じで形もほとんど同じだがほんの少し、より整っていそうなものを選んだクッキーたちは無造作に追加されていく。食べていいのかと不安げに東を見る小荒井と奥寺に東は頷きながら自分がその一枚を手に取って口にした。
「今年も上手いな」
「一昨年は彼女がいたし、去年は勇気が出なくて当日に声もかけられなくて、今年こそはって思ったら秋に彼女作って、かと思えばもう別れてるんですよ。なのにクッキーでもいいとか、チョコなら誰からでもなんでも嬉しいみたいな、そういうのに、こんな箱渡せるわけないじゃないですか」
目を潤ませながらキッと箱の中のトリュフを睨んではきなこをまぶしたそれを指でひょいと掴んでぽいっと口の中に放り込んだ。
戦うこと以外にが好きなことはお菓子作りだ。昔からこれだけはちょっと自信をもって人に見せられる、味わってもらえる趣味だった。
「私は太刀川先輩にあげたくて作ってるのに、でもいい、なんて言われてる間はあげたくないんですよもう嫌だ東さん助けて」
「一位に勝つのも太刀川を待つって決めたのも自分だろう」
「そうなんですけどあまりに相手にされなさすぎてきついですよ」
にとって太刀川に関しての情報源である東はふむ、と紅茶をもう一口含みながらも言葉を考える。
が東をことさら慕っているのは太刀川も知るところで、先日の麻雀終わりに不意に尋ねられたことがある。今時の女子高生はだれかれ構わず抱き着くのかと。東はだれかれ構わないことはないだろうと答えたのだが今のところ決定的な進展はないらしい。
「まあ待つのも勝負では大事な要素だ」
「私攻撃手なんで待つのもそろそろ限界に近いかもです東さーん」
「そこは相手が悪かったな」
ぽんぽんと頭を撫でられたは大きくため息をつく。
一昨年は初めてのバレンタインで、彼女がいると知っていても作るだけ作って当日ボーダーにやって来ない太刀川を恨み泣きながら食べた。去年は見かけても声をかけることができず、二宮隊の作戦室にある冷蔵庫を借りた。二宮は死ぬほど嫌そうな顔をしたがは無視をした。翌日、ラウンジで東を捕まえ、二宮と、居合わせた三輪を捕まえて何も言わせずに全部食べさせた。
今年も彼女がいると聞いていたのにそれでも太刀川用にクッキーとトリュフチョコレートを用意した。また二宮隊の冷蔵庫行きだと思っていたところでバレンタインの話題を本人と交わしたのだ。そして欲しいと言われた。その言われ方が望んだものとは違っても一昨年、去年と比べれば随分と進歩である。
「私、成長してますよね」
「菓子作りの腕は確実に上がってるぞ」
「攻撃手としてもポイントはボロボロだけど風間さんとたまに良い勝負できます!」
「負けても果敢に挑み続けるのは良いところだな」
一人決意表明のようにはきはきと口にしていく言葉に東がフォローするように合いの手を入れる。
先ほどまで泣き崩れそうだったがどんどん表情を明るく、というよりは決意に満ちたものにしていくのを他の三人はただ見ているしかない。
よし、とは自分の頬をパチリと両手で叩くと深呼吸をして紅茶をゆっくり、味わいながら飲む。
「とりあえず、太刀川先輩まだ残ってたら一太刀食らわせるために勝負挑みます」
「意気込んでいる時こそ冷静にな」
「はい! 東さん今年もありがとうございます。はー、こんなに淡々と答えられると目が覚めてスッキリします。さすが東さん!」
「毎年このやり取りはある意味面白いからまあ頑張れよ」
来年は嬉し涙で飛び込んでくるかもしれないなと東は思っても決して口には出さない。誰もそんなこと思っているなんてことも気づいていないだろう。本人たちは予想もしていない未来だろう。
紅茶を飲み干すとは照れくさそうに笑って人見、奥寺、小荒井と視線を向ける。
「今日は二度もお邪魔してごめんなさい。残ったクッキーもトリュフも全部食べちゃって。トリュフは一つずつどうぞ。どれも自信作だから安心して食べて」
「ありがとうございます」
「ありがとうございました。美味しかったです」
「ちゃん今度詳しく話聞かせてね」
「摩子ちゃん、あー、リョーカイ」
オペレーター陣に根掘り葉掘りだなとは諦める。月見はその点黙ってくれているのだが今回手助けはないだろう。外堀から埋めていくのもそろそろ作戦としては入れてもいいかもしれない。の頭は忙しく動いていく。考える前に体を動かせと、動かしながら頭を使えと、戦えば言われるのだが恋愛は別の戦で、先手必勝とは限らない。作戦は十分に検討が必要だ。
ただ今は明るくやっぱり勝負をしようと声をかければいい。そうしてチョコレートのことを忘れるぐらいの一太刀をどうやって浴びせるかだけを考えればいいのだ。
顔を上げ、四人に笑いかけるは明るく吹っ切れた表情だった。
「じゃあ、お邪魔しました!」
嵐のような訪問は唐突に終わり、残されたのは彼女の作った美味しいお菓子たち。
「びっくりした」
「年に一度の恒例行事と思えば面白いぞ」
面白いの一言で流して笑う東を見てさすが、といつもとは違う意味で尊敬する三人だった。