「私の、スコーン……やっちまった……」

 百貨店ではよく催事がある。例えば人気があるものでいえば北海道物産展だ。売上がいいので年に複数回取り扱われることもある。
 そして今日夕方まで、三門の百貨店で催されていたのは英国物産展だった。英国物産展の目玉になっていたのはスコーンで、クロテッドクリームもきちんと準備されているというそれを私は楽しみにしていた。楽しみにしていたのだった。
 ただ催し物は最終日は早く終わるのだと、当たり前のことを忘れていただけで。

「……目の前に、あるのに」

 本日終了いたしましたと立ち入り禁止のために区画を区切られている物産展会場は本日午後六時まで。なんとかダッシュで本部を飛び出して奇跡的なタイムで駆け込んだものの残念ながら時刻は午後六時を回っていた。

「この間通りがかった時に買えばよかった……私のスコーン……」

 チャンスはいつだって逃さず掴まなければならなかった。しかし逃した私に買うという選択肢はない。だがスコーンは食べたい。
 そんな時、頭のが一気に明るくなった。これぞ名案、これ以外に良い考えは他にないと、私は携帯を取り出した。ブラウザを起動して検索をして目的のページで確認が取れたらブラウザは閉じた。それからすぐにアプリを起動して友達欄ではなくトーク履歴を探してすぐに目当てのアイコンを見つける。
 買えないスコーン、だが食べたい美味しいスコーン。私には美味しいスコーンを生み出せそうな人に当てがある。

『こんばんは。突然ですが、スコーンを作ったことはありますか?』

 少しして既読がつく。よかった。防衛任務ではないらしい。

『前に作ったことはあります』
『明日一緒にスコーン作らない?』

 突然のお誘いなので断られるかもしれない。ただ明日は私がお休みなのでできれば明日都合が良いと良い。大人の都合であった。

『午後からで良ければ玉狛で作りましょう』
『ありがとう! 材料は今日買うので帰り寄るね! 百貨店にいるからおつかい要るなら言ってね』

 すぐさま返事を打ってるんるんでエスカレーターを下り始めた。ちょっとお高くなるけど材料はいつもより良いものにしよう。
 小麦粉はあるだろうからバターと生クリーム、そこらへんは奮発して、とレシピの材料を画面で確認しながら明日のスコーンに思いを馳せたのだった。




「レイジくん今日は本当にありがとう、レイジくんが時間あってよかった!」
「午前中に授業があるだけで防衛任務もなかったんで」

 材料をお互いに混ぜながらのんびり会話をする。今日の昼間の防衛任務は迅くんで、桐絵ちゃんと京ちゃんは学校だ。京ちゃんは今日は夕方から支部に来ることを事前に調査済みだ。林藤さんはお仕事で、陽太郎はすぐそこで雷神丸と遊んでいる。
 実に平和な午後だった。

「けど玉狛全員分と烏丸家と余分に作るとなかなか大量になっちゃったねえ」
さんが両腕に荷物抱えてすごい顔して昨日ここに来た時には驚きました」
「たくさんあったほうがいいと思って」

 そう、昨夜地味に浮かれた私は自分のためが一番だったけれどせっかく最強の味方がいるのだからとかなりの人数分材料を買い込んでしまったのだ。玉狛にたどり着くまでに腕に袋が食い込んでレイジくんに笑われた。
 でもせっかくだからと、玉狛のみんなでクロテッドクリームで食べる用と、お土産用も含めてチョコが入っているのと二種類作ることにした。ジャムも買ってあるので本当に大量に作る気まんまんだ。
 今の材料分をオーブンに入れたら次の準備もする予定だ。全部付き合ってくれるレイジくんに感謝しかない。
 ちょうどいいところまで混ぜたら小分けにして、クッキングシートに並べていく。予熱していたオーブンに第一弾を放り込むと続けて第二弾。同じように材料を混ぜ合わせてせっせと作っていく。手は二人分だけどオーブンは一つなのでどんどん焼き待ちが増えてきて、材料をすべて使い切った後はさくさく使った道具を洗ったり片づけたりしていく。

「あとは最後のが焼きあがるのを待つばかり」
「最初のやつ味見したけどだいたい良さそうでしたね」
「うん。そうだ、ちょっとおやつの時間は過ぎちゃったけどおやつにしよっか。陽太郎もさっきからお待ちかねだし」
「すこーんのじかんか!」
「すこーんのじかんですねえ」

 待ってましたとこちらに駆け寄ってきた陽太郎ににこにこ笑いかけ、紅茶のティーバッグを探しだす。
 玉狛に配属されたことはないけれどなんだかんだ就職してすぐの所属のない雑用係だった頃からここには出入りをすることがあったので玉狛のみなさんとも仲良しだ。京ちゃんは玉狛に正式に転属してはないけれど規格外のトリガーの開発に京ちゃんが協力を始めてからは時折玉狛に足を運んでいるので前よりは京ちゃんの様子を見に行ったり、たまに夕ご飯をご一緒したりしている。一人で食べるにはなんだかなあという時は実にお世話になっているのだ。おいでおいでとみんな言ってくれるからなお甘えてしまう。
 のんびりとレイジくんと陽太郎(と雷神丸)とでおやつを楽しんでいれば桐絵ちゃんが、すぐに京ちゃんも基地に帰ってきて、二人の分もスコーンを用意した。

「なんでスコーンなの?」
「それは私が昨日までの英国展のスコーンを買い逃したからだよ桐絵ちゃん」
「ああ、ちゃんよく買ってくるからな」
「そうなんだよ京ちゃん、うっかり買い損ねたのショックでレイジくんにお力添えいただいたわけよ」

 うう、おいしい、とジャムを付けてスコーンを頬張る。ちなみに今日の食事当番はレイジくんなのでちゃっかりご一緒することになっている。ずっとお料理続きで申し訳なかったけど楽しいしゆりさんもスコーン喜んでくれそうなので、と照れくさそうに言っていてこの好青年! となった。かわいい。
 夕飯の前なので1個ずつ、ともぐもぐして(食べ盛りはもう1個食べていた)私はスコーンの残りをまとめて、お片付け。レイジくんは夕飯の準備に取り掛かる。
 桐絵ちゃんと京ちゃんは夕飯前に訓練をするということで模擬戦形式で戦ってくるそうだ。
 陽太郎はお子様向けテレビを観始めた。平和な支部の午後だった。






「結構量あるなあ。京ちゃんとこ持って行ってもまだある?」
「そしたら明日集まりあるんで少しもらってもいいですか」
「同い年組?」
「はい」
「いいよいいよ」

 レイジくんは時々ボーダーの同い年組、風間くんと雷蔵くんと諏訪くんとご飯に行っている。三人は春に進学する大学も同じボーダー提携校なのもあるしなかなか楽しそうである。
 そりゃいいねとほかの三人分もスコーンを詰めていく。小分けの袋も玉狛には常備されていて、実に便利な支部だ。
 夕飯も食べ終えて少し遅れて帰ってきた迅くんも食後のおやつにスコーンをもぐもぐ食べてくれた。いや、半分はレイジくん作なのだけれども。

さん、これまだスコーン残ってる?」
「あともう少しならあるよ。迅くん食べる?」
「いや、それ2、3個残しておいてあげて」

 迅くんの言い回しにん、と首を傾げた。残しておいてあげて、というとそれは迅くん用ではない。ここにいる人間用でもない。
 誰に、と目で語っていたんだろう。苦笑いして迅くんが口を開く。

「太刀川さん。もらえないとめちゃくちゃ拗ねると思う」
「げ」
「げってさん、彼氏にそれはかわいそうでしょ」

 かれし、と言われてさらに顔を歪めると迅くんはさらに苦笑いだ。
 レイジくんは素知らぬ顔で、分けたスコーンを紙袋に入れている。
 桐絵ちゃんも京ちゃんも帰った後で、陽太郎はもう部屋に戻っている。ここにいるのは三人だけだ。三人でよかった。

「あげないと?」
「かなり拗ねるしさんがめちゃくちゃ困ると思う」
「……その内容、聞かない方がよさそうだ」
「よくご存じだ」

 はあ、とため息をついて少しだけ大目に自分のために取っておこうと思っていたものを分けることにした。
 もしも近日中に会ってその日スコーンを持っていれば私も渡さないことはないと思っていたけれど特に会うと決まってもなかったので正直食べきるつもりだった。そもそもあの高校生は甘いものなんて特別好きじゃないはずだ。スコーンなんて自分から食べると思えない。食べたい人間が食べるのが一番だと思っている。
 でも迅くんの言う「困る」というのがどうにもまずそうなのは知れていて、本当に、面倒くさい。

「餅でも食べとけあの野郎……」
「そう言わずに」
「さすがに酷だと思うぞ、さん」
「ううん……レイジくんまでもが言うならわかっちゃいるけど仕方ない」

 ジャムなんてつけないだろうからチョコチップが入ったやつを選んで包んであげた私、優しい。
 持ち帰る紙袋にぽいと入れて、それを見たレイジくんが簡易包装だなって笑っていた。バレンタインでもあるまいししませんよ、と返しておく。改まって渡すとそれはそれで面倒なんですよ、一応彼氏らしい高校生くん。
 探しに行ってまであげるの、なんだか私がスコーンをあげたくて行ってるみたいになるな。

さん渋めの百面相してるぞ」
「いや、うん、私があげたくて探してあげに行ったってことになったらたち……慶くんなんか別の意味で困ったことになりそうで」
「大丈夫。その時おれもレイジさんも本部いないから。がんばれ」
「迅くんひっどいな?!?!」

 もういいよ帰るよ! とスコーンを分けたらもともと帰ろうと思っていた私はやけくそ気味に紙袋を持って荷物を取りに向かう。

「ああ、もうちょっと待って。もうすぐだから」
「迅くん、もうちょっとってもしかして」

 来客用のチャイムが鳴った。ちょうどよく。
 思い切り迅くんを見つめたらにこにこされた。レイジくんが開けてくると向かった。

「いつ連絡したの?!」
「来る前にもう連絡してた。今日個人ランク戦したら向かうって言ってたからそろそろだなって」
「勝手に人の未来確定させたな?!」
「どっちにしろおれかレイジさんが送るつもりだったけど、なんか呼んだ方がよさそうだったからさ。気が利くでしょ、おれ」

 少なくとも本部で太刀川さんが喜びまわる姿は回避されたね、ってなんてことない風に笑う迅くんに本当に何を言えばいいかわからなかった。
 ひょこっと顔を覗かせたのは玉狛支部で見かけるには不思議な顔だった。お、とこちらを見て笑いかけてくる。

「まじでさんいる。なんで玉狛いんの」
「ちょっと用事です。太刀川くんこそそろそろ高校生が出歩いちゃダメな時間でしょうに」

 一応卒業を目前と言っても高校生なのだ。深夜の防衛任務はまだできないし、当然深夜の出歩きもしちゃいけないはずだ。
 とは言ってもそもそも隠れて違反してるだろう常習者だろうのが慶くんを含めて目の前の迅くんもなんだから言うだけ無駄かもしれなかった。一応大人なので言うけれど。
 結局聞きもせず、といった感じで帰るんだろ、と本当に私のことだけ迎えに来たらしい。

さん送ったらすぐ帰るって」
「……ありがとう。迅くん、レイジくん、ありがとう、また来るね」
「気を付けてくださいね」
「じゃあね、さん」

 軽く挨拶して、廊下で待ってる慶くんのところへ行く。

「じゃあさくさく歩いて帰ろう」
「んー、そだな」

 なぜか先ほどよりも反応が鈍い相手に首を傾げたけれどよくわからなくて、とりあえず玉狛支部を出ることにした。本当に高校生に出歩かせるにはまずい時間帯になってしまいそうだったので。
 玉狛から私の家まではそんなに遠くなくて、それがよく立ち寄る理由でもあるんだけれど、玉狛を出てすぐの慶くんはなぜか無言で、はて、こういう時はすぐに話し出しそうなのになと思っていたらおもむろに手を握られた。寒くて冷たくなっている私の手にはその手はあったっかくてありがたいのだけれどどうかしたんだろうか。

「慶くん、どうしたの」
「レイジくんって」
「はい?」
「名前で呼んでただろ」

 はあ、と肯定する。慶くんはほら、と、言うのだけれどなんなんだろうか。玉狛の人とは就職してから仲もよくて、桐絵ちゃんのことを名前で呼び始めて、陽太郎のこともみんな陽太郎呼びだし、レイジくんもみんな名前で呼んでいるので私だけが木崎くん、というのも他人行儀だろうとレイジくん呼びだ。京ちゃんが来てからは迅くんだけが苗字だけれど、最初は名前だと思っていて、今も迅くん呼びのままだけれどみんなも迅と呼ぶのでなんだかそのままだ。

「……慶くんって、呼んでますけど」
「そうだけど」

 通りは人があんまりいない。当然のように学生服の慶くんと、明らかに年上の私が手を繋いで歩いているのはなんとなく、やっぱり私は後ろめたいから、少しありがたかった。暗くて、冬で、コートがある分少しだけ、それがわからなくなる気がしたから。
 でも名前の呼び方でどうにも拗ねてしまったらしい年下の隣の子はいつもはうんざりするぐらい構ってくれとこちらに来るのに妙にだんまりしてしまっている。
 つないでいる手をぎゅっと握りしめるとちゃんと握り返してくる。その辺は素直だなあと、その手のあたたかさを感じてみる。
 本当は送ってもらうのも夜中に手を繋ぐのもよろしくはないんだけれど、目をつぶる。私もあんまりよろしい大人ではなかったらしい。
 どうしたものかと思っている間に家の前に着いてしまう。寒い中ありがたかったけれど、さすがに家にあげるのはまずいし、向こうもそのつもりはないらしく、言葉少なにじゃあ、と立ち去ろうとする。

「慶くん」
「なに」

 迅くんどこをどう視ていたんだろうか。
 呼び止めて、紙袋の中に無造作に包んだ袋を取り出した。チョコチップスコーンが二つ入っている。チョコチップのやつ私も好きだけど、大サービスである。
 へ、と出てきたそれを見てきょとんとしている相手にほら、と無理やり受け取らせる。

「今日食べたくなって玉狛のキッチン借りて作ったの。あげる」
「なんで、玉狛」
「スコーン作るの自信がなかったから、レイジくんと一緒に作ったの。嫌なら持って帰る」
「食べるぞ!」

 無理やり持たせたはずのスコーン入りの袋を絶対渡さないと言わんばかりに脇に避ける慶くんを見てびっくりして、ぽかんとして、笑ってしまった。
 どうにも子どもっぽいことをしてしまったと、そういわんばかりの顔だった。
 学生服を着て、一つ上の男の人の名前を呼んで拗ねて、スコーンを喜ぶ太刀川慶。

「慶くん、かわいい」
「は?!」
「もう時間も時間だから早く帰ってね。帰ったらちゃんと連絡するように。私もちゃんと家入るからすぐ帰ってね、おやすみ」
「あ、ちょっと、さん!」

 かわいいついでにとおやすみと言いながら頭をさらりと撫でて、ささっとマンションの中に入る。カギはもうポケットの中に用意してあって、すぐにオートロックの扉は開いた。
 呆然とする慶くんに私もちょっと気恥ずかしくなって、あと早く帰ってほしくて、足早にエレベーターに乗り込んだ。
 扉が閉まる瞬間、座り込む慶くんが見えた気がしたけど早く帰ってくれ、と思いながら薄情にも家に帰りついたのだった。



(習作3)