正直言うと、がいなくならなければ俺は自分がこんなにのことを好きだなんて気が付かなかったし、何なら別れてしまうことだってあり得たと思ってる。
 でも世界はその時俺たちに優しくなかった。は突然俺の前から消えて、俺の世界はのいない世界になってしまった。


 が近界に攫われた可能性が高いのはすぐにわかった。
 それをがわかった瞬間、俺はを捜すために旅に出ることを決めた。何年かかっても、どこまで行こうと、生きているかもしれないのなら捜してみせると決めた。
 その時の俺は俺の中からがいなくなるなんて考えられなかったし、何よりもそんなことは嫌だった。嫌で嫌でたまらなくて、これが現実だなんて信じられなかった。だから、覆したかったのかもしれない。俺にはそれができる可能性があった。

 遠征の目的には連れ去られた一般人の保護も含まれていたから、任務の一部としてを捜すことは止められなかった。止める理由を俺が作らせなかった。
 ただし一人だけで近界への旅というのは猛反対された。
 わかっていたことではあったし、いきなり人間は消えちゃいけないのだと、自分が身をもって感じた。だから今にも飛び出したい気持ちを押し殺して、誰にも文句を言わせない、確実にを取り戻すための準備期間だと思って息を潜めるように俺はただその時のために準備を続けた。
 そうして太刀川隊も全員一人立ちできるまでの間に幹部全員を説き伏せた。少人数用の遠征艇をこの為に開発してもらい、俺は一人で旅立つことになった。

 がいなくなった日、ボーダーが持っているこちらと近界の周回軌道が近い国は最悪なことに複数あった。その中から可能性が高いもの、旅に出るとして辿りやすいルート、様々な可能性を考えながら組まれた俺の旅のルートは捜索する期間も含めれば途方もなかった。
 月見に協力してもらって組んだそれは、手伝った人間が顔を顰めるほど、随分と長い道筋だった。
 闇雲に捜さないように滞在日程と手元にある情報から割り出せるその国にいる確率と、計画すればするほど絶望的な数字が出たけれど、それはが見つからない未来よりも俺にとってははるかにマシだった。ゼロじゃない限り、俺にとってどんな方法も価値があった。



***



 酒を飲んでいる男の言葉に俺は思わず目を見開いた。

「ア? そういやいるぞ、黒髪黒目の玄界の女兵士」

 いくつめの国だっただろうか。何年経った頃だっただろうか。最後かもしれない探索の手がかりは縋りたくなるのに十分な情報だった。
 周回軌道が変則的かつ、内戦が長期化していて外部に手を出す余裕のないこの国にがいる可能性は一番低く、だからこの国は旅の折り返し地点として最後の探索地だった。
 ここまでに見つけるはずだったのに、俺はこの国までやってきてしまった。
 折り返すのは、ここまででを見つけられなければ捜しながらでもいいから三門に戻るよう、忍田さんに約束させられていたからだ。死ぬなと、あの人にあんなに悲壮な顔をさせながらも俺はどうしても諦められなかった。そしてその約束を違えることもできそうになかった。

「その女兵士、どこで見た」
「南では有名だぞ。玄界の機械式狙撃手って」

 機械式狙撃手。
 その言葉を喜べばいいのか、どうなのか、なのかもわからない相手だったけれど、その相手のことを思う。

 時折、俺たちの世界から連れ去られた人間を見つけないわけではなかった。その度に俺はその国、その街の詳細を記録はしてもよほど酷な扱いをされていなければ見て見ぬ振りをした。
 その数は決して多くはなかった。生きて連れ去られた人間は早々表には出てこないし、トリオン量が多いとなれば戦場に駆り出されることも多い。そうなると生き残り続けるには強さが必要だった。そして戦いなんて知らない俺たちの世界の人間じゃ、生き残り続けるのはかなり難しいことでもあった。

 俺は、のトリオン量が人よりも多いなんて気にしたこともなかった。昔、うすぼんやりと聞いたことはあっても三門ではそれを使う自由は残されていた。本人もトリオンのことなんて考えたこともなかっただろう。それでもトリオン器官を抜かれることなくその身丸ごと消えたは兵士として使われる可能性が高かった。
 嫌な想像は何度振り払っても頭の中をよぎって、その度に無茶苦茶に弧月を振り回した。
 戦える人間を求められたらすぐに手を挙げた。自分を絡め取るひどく重たい感情をとにかく遠くに置きたかった。敵を斬り伏せる度にその感情も斬り伏せるように、俺は弧月を振るった。
 ただ、が生き残り続けていることを願う反面、生き残り続けていることがにとって良いことでないことの方が多いこともわかっていて、敵を斬り伏せる度にがどこかでこうして地に伏している方がよほど彼女の為なのではとも思ってた。もしもそうだとしたら俺はそれはそれできっとをそんな目に遭わせたやつをなんとしても見つけ出して、どうにでもしてやるとも思ってた。
 でも、いろんなことを考えても結局俺は俺のためだけにに会いたかった。
 自分が思っていたよりもひどい人間なのだと、がいなくなって気づかされることばかりだった。

「南だな?」
「ああ。戦況がこうなる前は随分あいつは活躍してたな。北の馬鹿が人手不足に街の素人入れて混戦してた頃なんか北はあいつを随分怖がってた。投入した兵士がどんどん死んでくんだからなァ」

 馬鹿にした笑いは男が南側の人間だからだろう。
 この国は北と南に分裂して決着のつかない内戦を何年も繰り返している。

「今いそうな地区はわかるか」
「なんだ兄ちゃんあんな機械女に興味があんのか。ありゃ離れてたら味方だが近づいたら敵味方関係なく撃ち殺されるぞ」

 下卑た笑い声の男を今すぐ殴り飛ばしたかった。それどころか殺してやりたかった。
 それがであろうとなかろうと、戦場で生き残り続ける玄界の女兵士なんて三門で戦うのなんかと訳が違う。
 両手を挙げて降参のポーズを取る男は俺の殺気に気づいているらしい。笑ってはいるけれど目だけが俺を警戒をしていた。

「オレじゃねえよ。馬鹿やったやつはしくじってるしもう随分前に死んでる」
「それで、どこだ」
「ここからもう少し東の地区だ。西は気狂い兵士どものたまり場だが東は敵に遭遇しないように最低限のオシゴトする場所だからお前なら余裕で歩き回れるだろうさ」

 たまたま隣で飲んでいた男に形だけに礼を言い、早々に席を立つ。
 南側の傭兵の顔をしてその実誰にも頼まれずにここにいたことが幸いした。どこに行っても敵も味方もなかったけれど誰にも縛られず俺はその玄界の女を捜しに行ける。

「……

 その女兵士がであることを願う俺と、どうか苦しいことなんて味わうことなくもうこの世のどこにもいなくなっていてくれと願う俺と、何年も自分の中で響き続ける声に俺はもうそろそろ、どうにかして決着をつけたかった。
 と呼ぶこの声が、昔どんな風に呼んでいたかも思い出せないし、が呼ぶ俺の名前を、その音を、もう俺は思い出せすらしなかった。


***


 狙われている。
 肌に刺すような何かを、実際に感じたわけじゃない。ただ、そのなんとなくは戦場で命に関わる大事な感覚だった。
 振り向いた瞬間、咄嗟に強化した視野の中、廃墟の陰で一瞬覗かせた銃口を俺は見逃さなかった。
 狙撃手。
 そう思った時には走り出し、俺に気が付かれたことに気づいた相手が動いたことで冷静さを取り戻す。向こうの方が気づかれるはずのない射程距離で位置を気取られて動揺しているはずだった。
 どちらの兵士かもわからない。捜し出そうとしている玄界の女兵士なのかもわからない。それでも戦場で生き残れるような、こちらが偶然気づかなければ負傷させられていただろう腕の良い狙撃手。そこに期待をするなという方が無理だった。

 走り抜けて追いかける方が余裕がある。相手が狙撃手ならなおさらに。
 どんどん距離を詰め、もう相手の姿かたちもはっきりと捉えられるようになった時、俺は逃げるその背中を見て、誰なのか、ほんの少しの不安と、それでいて走るその背中の見覚えがあるような、己の願望が混ざり合った気持ちでめちゃくちゃだった。
 きっと追いつかれるのだと諦めて、でも諦めきれずにその手の銃を握り締めたまま振り返った相手に、俺は思わず名前を呼んでいた。



 その瞬間、相手が確かに動きを止めた。銃口を俺に向けたまま、引き金に指を添えたまま。
 俺を見つめるその人の顔を、俺は知っていて、それでいてその人は知らない顔つきをしていた。
 口を何度か動かして、そうしてようやく音を紡ぐ声。

「……あなたは、誰」

 誰。
 と呼んで動きを止め、俺の知るの声を持ち、姿を持ち、銃を構えたままの女は俺を初めて見る人間を目で見ていた。
 感動の再会、なんて、虫のいいことは言わない。
 けど、これってかなりひどいんじゃないかと、俺は信じるものもいないのにどこかにいる誰かを思わず呪った。


*** 


 をあの国から連れ出すまでの記憶は俺の中ではずいぶんと曖昧だった。
 一部の記憶がないというに近すぎないように、冷たすぎないように、問い詰めないように、それだけを考えていた。
 よほどの数の敵に囲まれない限り切り抜けられる自信はあった。皮肉にもあの地区はおそらく以上に警戒しなければならない敵はいなかった。
 とにかく一秒でも早く、を捕らえていたこの場所からを連れ出したかった。そして俺を知らないというのことをどう考えていいのか、答えの出ない疑問ばかりが頭の中をめぐっていることを悟られたくなかった。


 名前を知っているだけの知らない相手には半信半疑ながらもついてきた。あの国を遠征艇で抜け出すまで、俺はわざと、聞かれない限りは最低限の情報しか渡さなかった。俺はをこんなところから連れ出したい。もここから立ち去りたい。それならそれだけで今はいいはずだった。
 そうして国を出てようやく、俺が悪いやつだったらどうするんだと言った時、あの国で名前を名乗ったことがないと言った彼女の顔はただ冷ややかで、なんにも思ってない顔だった。
 名前を呼んだとしても、俺はにとって攫ってきたやつら以外、でしかないはずだ。それなのにあくまでも俺のいうことを信じてくれる彼女は、もしかしてどこかでかけらでも俺のことに覚えがあるんじゃないかと、だから簡単についてきたんじゃないかと淡い期待を残すような素振りを見せる。
 俺にとっては、だった。俺を知らなくても、記憶がなくとも、俺をよそよそしくケイと呼ぼうと、だった。
 だけどにとってはそうじゃないはずだった。

「もしあなたが迷惑でなければ、向こうに戻るときに私も一緒に連れていってほしい」

 あなたなんてよそよそしく呼ばれたことはほとんどなくて、淡い期待も一瞬ではじけ、俺の知るはここにはいないんだと突きつけられるみたいだった。
 目の前の、必死に生き抜いてきた人は確かに俺の知るだ。俺と出会う前、俺のことなんてちっとも興味のなかった。その頃を思い出す。
 でもやっぱり、俺を慶と呼んでくれる俺の捜していたはここにはいない。
 俺は、目の前のの名前をどんな風に呼べばいいのかわからないままだった。

「私のこと、「」と呼べなくていいから。帰るまでだけでいいから、手伝ってほしい」

 見透かしたかのような彼女の言葉に俺は思わず目を閉じた。


***


「慶、おやすみ」
「おやすみ」

 の記憶が戻って、それを俺が知ってしばらく経った。
 ぎこちないながらも、再会した直後よりも俺たちは普通らしくなった。よそよそしく響いていた名前は望んでいた音になった。きっと俺の感じ方なんだろう。でも、呼ばれる度にホッとした。ホッとして、それからが俺との距離をどうしたもんかと考えてるのもすぐにわかった。

 深夜、が密かに起きだしてはトリガーの起動を確認する姿に気が付いてからは、俺も弧月をの前で振るうことはしなくなった。が夜に手入れをするなら早起きして朝だなと思ったし、が不自然に姿を消すことについても一度も尋ねなかった。
 今日もまたきっと寝床を抜け出してトリガーを起動し、スコープで暗い中照準を合わせてしばらく息を潜めるようにその状態を保つ。そうして気が済んだらそっとトリガーをしまい込み、そして何もなかったかのように朝まで寝る。俺が起きだす頃、身じろぎすることを俺は気づかない振りをする。お互い様だった。

 本当なら、すぐにだって俺はに触れたかった。この腕に抱きしめたかった。ちゃんと生きているのだと、それを確かめたかった。
 でもは俺と一歩半の距離に悩んで、躊躇って、時折慶と呼ぶ名前も確かめるように呼ぶ。
 俺は、俺を含めて他の何からもを守りたかった。のおそろしいと思うもの、見たくないもの、そのすべてから、遠ざけたかった。



 長めの滞在をした国で俺は宿の世話になりながら街で傭兵でもなんでもやりながらを捜していた。
 その時の宿の人間が俺を覚えていて、俺を見て最初驚いた顔をしていたけれど祭りの手伝いをしてくれと頼まれた。のことを考えた。人の気配に常に警戒していた頃からは落ち着いていたから宿で滞在し、中で接触する人間を限って働けば大丈夫だろうと踏んだ。に聞いてみても旅の行程に関してはすべて俺に任せきりで、今回も二つ返事で頷いた。

 にとって気が楽だっただろうことは俺ととで働く場所が違うことだった。俺は祭りの準備で力仕事をしていたし、は宿が忙しいからと中の仕事をしていた。
 仕事を決める際、には内緒で食堂の表みたいな顔を出す仕事は止めてくれと頼み込んだ。宿の女将だけがなんとなくワケアリを察して自分が面倒を見ると言ったことで後は楽に済んだ。は宿の裏方の仕事を真面目に取り組み、評判も良く、俺もが変に人と関わって何か起こるんじゃと面倒を心配する必要もなく、その分はホッとした。



 祭り前で人手が要るからという話だったのになぜだかその日は様子が違った。働きづめだから人手が要るまでは好きにしていいと女将に言われ、はそう言われたあと女将と何やら話して、それから部屋に荷物を抱えて戻ってきた。

「慶、お願いがあるんだけど」
「何」
「髪、切ってくれないかな」

 その瞬間、何を言われたのか正直わからなかった。
 髪を切る。
 の髪は随分と伸びていた。伸ばしているというよりは、伸ばしっぱなしだっただろうというのは見て取れた。
 だからといってなんで俺に髪を切らせるのか、それがわからなかった。は未だに俺に近づかれると緊張をするのに。俺自体を怖がっているわけじゃなさそうなことだけは救いだったけど、それでもじっと息を潜めるように動きを止められるのは気持ちがいいものではない。
 そんな相手に頼むなんてどうかしている。

「どのくらい切るんだよ」
「慶の好きなところまで。ああ、でも肩に届くよりは短くしたいかな」

 抱えてきた荷物は布とハサミだった。そしてさらりと口にしたその言葉の意味をどこまで理解しているのか。俺はに思わず悪態をつきそうになって、なんとか堪えた。
 ハサミを手にして何気なさを装う。適当に話をしながら切る準備を進めて、が背中を向けて椅子に座るのを見たとき、無防備なその後ろ姿に俺はどこからかこみ上げてくるものを胸の中で留めてそっと髪を手に取った。
 俺との距離を掴みかねるのに俺にハサミを握らせて髪を切るのは俺の好きにしていいなんて口にする。随分とずるい女だと思う。俺がこのハサミで傷つけることなんてないって、思ってる。もちろんそうだけど。そんなこと、するわけがないけど。
 そんなこと、気づいてすらいないその背中はただじっと、髪を切られることを待っている。それがにくらしくて、心の底から嬉しかった。

 を捕らえていた頃の服は本人が着たくないと言ったので代わりの服を手に入れてすぐに処分した。が今あそこから持ち出したままのものは肌身離さず持ったままのトリガーぐらいだ。それからあの時と変わらないのは髪の長さぐらいだろう。
 その長い髪もできるだけ、あまりおかしくならないぐらいに短く切ってしまいたかった。にこの手で触れられなくても、髪を切ってその重みごとの中の何かが軽くなればいい。そう思いながら大きくハサミを入れてからは丁寧に切り揃えていく。一度振り返ってきたのは危ないときちんと咎めておいた。

「意外と、慣れてた」

 あともう少しで切り揃えられると思えばこれだった。不慣れかもしれない相手に髪を切らせようだなんて思っていたのかと、また口に出しかけた。でも、もし俺が髪を切り揃えることが苦手でも、頼まれたからには断らなかったとは思う。
 髪を無精することなく自分で切り揃えるようにしたのはと過ごしていた頃の髪型にしようと思ったからだ。どこから見ても年を重ねて見た目に迷っても、髪型が一緒なら見間違えることは少ない。だから自分でいつも同じ長さで切り揃えた。俺がを見つけられなくても、が俺を見つけられるように。
 肩よりも短く切れば長い髪に隠されていた首筋が視界に入る。髪が服につかないように布で囲っていても首筋は切る前よりも随分とはっきりと見える。例え相手が女性でも、こんな無防備な姿を他の誰にも見せたくなんてなかった。

「自分で切ってたからな。それに」
「……それに?」
「俺以外がに触るのは、嫌だから。そうされるぐらいならきれいに切り揃える」

 その直後、の体に一瞬緊張が走り、言った俺も緊張したけど何事もないようなふりをしてそのまま後ろと横を切り終え、ゆっくりと前に回る。
 はさっきのことが気になっているままなのか俺の顔を見ないまま視線を伏しがちにしたままだ。
 あとは前髪周りだけで、聞けば慌てて視線を上げて二つ返事だった。どう考えても勢いで頷いていたけれどバランスが悪いから切ることにする。
 目が合ったままで、そのままじっと見れば口を開く前には目を閉じた。
 それは前髪を切るんだから当然のことだったけど、俺と目が合ってから目を閉じるはキスをする前、目を合わせたらそっと目を閉じるのと同じ仕草をした。

 見知らぬ土地、何年かぶりに再会した恋人、彼女にとっては戦争の後のそれらはすべて未知に近い、恐ろしいものなんだろう。なにをどうしたらいいのか、はいつだって注意深く窺っている。
 そう思っているのに。不意打ちで、俺の前でだけ、こんなことをする。

 俺にだっていい加減恋人として限界はあるのだ。前髪をきれいに、彼女を傷つけないように切り終えただけ十分な仕事をしたと思う。
 気が付けば揃えた前髪をそっと上げてその額の際にキスしていた。
 呆然とするは嫌がる顔をしていなかったから、そのいいところだけを確認して早々に片づけを言い訳にその場から逃げた。
 じゃないとのことなんか構わずにこの腕で抱きすくめてしまいそうだった。



***


 祭りが終わった次の日。
 俺はベッドの中で眠るを椅子に座って眺めていた。
 朝飯にともらったスープはあっという間に平らげて、少し落ち着いたらを起こさないように隣でまた一眠りしようと思っていたはずだった。だけどなんとなく、の寝顔から目が離せないままぼーっとしてる。眠くて頭が働いてないのかもしれない。

 が少しずつ前に進もうとしているのはわかってた。迷ってこわがって、躊躇って、時折無防備に俺に近づいて。
 そして昨日の夜、バレないようにしていた俺の中身をは容易く、はなくても真正面から見抜いてきた。

 起きたとき、そこまで目が腫れてないことにホッとした。
 ガキだった頃でもあんなに泣くなんてそうなかった。忍田さんにボロ負けしたってこんなに泣かなかった。
 泣くなんて格好悪いこと、誰にも見られたくなかった。
 なのにはそれを見せろと、寂しいのなんてわかってるんだと、そんな時だけ譲らない。俺に優しく、大事そうに触れる。

「まあ、昔は俺がやったしお互い様か」

 もう随分と前、それこそ付き合う直前にあの時は俺がに問いかけた。
 あの時、俺は泣いてるを見て離れたくないし泣くのなら俺のいるところにして欲しいと思った。
 もしかしたらも昨晩同じだったのかもしれないと思うと少しだけ笑えてきた。

「俺たち、実は似てるのかもな」

 寝ているのこめかみに触れるか触れないかのキスをし、眠いからやけに考え込むのだと俺はそっとベッドに潜り込んだ。


***



 きれいに関節を撃ち抜かれたトリオン兵を斬り伏せ、射線の方向を見えないのに思わず振り向いた。
 定期的なパトロールで、今日は俺と、それからリンの三人での小隊編成だった。トリオン兵の出現に合わせて俺とリンは現場に向かい、は少し離れた狙撃ポイントについていた。

「気持ち良いぐらい正確に撃つ」
「味方にいると心強いなは」

 振り向いた顔を戻せばリンが楽しそうに笑っていた。
 以前会った時から妙に明るく、いいやつだったけれど時々城戸さんみたいだったし、根付さんみたいだったしそれでいて当真みたいだった。とんでもなく年上のような気も、俺とあまり年が変わらない気もする、見た目と中身がちぐはぐな人間だ。
 戦闘能力の面でも見た目と中身はちぐはぐだ。俺の方が間合いとして有利なのに動きに隙がない。そして気配を殺すのが誰よりも巧みだ。俺はこちらに攻めてくるという敵国よりもよほどこの男の方が恐ろしいと思う。もなんとなく、それは感じているようだった。

「あんたもな」
「俺は気楽な旅人だからお前らみたいなのは好きだし変なことはしないって」
「されてたまるか」

 ちょっとばかり俺たちはもめたけど、でもはここでイーグレットに似た銃を構えて、時にハンドガンに持ち替えて、この砦の中でも一目置かれるぐらい正確に的を撃つ。

 俺は、が戦いたくないんだと思っていた。もう、銃を構えて敵を迎え撃つような暮らしはしたくないのだと。そう思っていた。
 けれどはそうじゃないと言った。戦うのは怖くないと。今のところはトリオン兵のみだったけれど敵に対しても冷静に対処していく。
 じゃあどうして、俺に見られないように、バレないようにトリガーの手入れをしていたんだ。構えないと敵に襲われると思って、構えるのを止められないけど、そうしたくないんじゃないのか。

 砦からの探知では今のところこれ以上トリオン兵の反応もなさそうだということで、夜の当番のやつらがきたらも合流して砦に帰ることになっていた。その合間の、待機の状態。警戒はしていても話をする余裕ぐらいはある。
 俺のまとまらない考えは気づけば声に出てたらしい。

は、何を迷ってんだ」
「慶、鈍感だな。モテないぞ」
「るせえ」

 ちょっと話したぐらいでのことをさもわかっているような顔をする男を睨みつける。
 本当は、俺がずっとそばにいたいけれどそれはさすがにお互いのためによくないのだと、俺だってわかってた。だから一番マシなところにと思ったけどマシであってまともじゃない。悪い虫じゃない保証だけしかされない。リンがそういう人間だとわかっている、それだけでも十分だったけど。

「何があっても彼女が好きなんだろう?」
「そらそうだろ」
「慶にとっちゃそうだろう。が何であってもどうあっても迎えに行くんだって顔のコワーイおまえを俺は知ってる」
「……それがどうした」
「慶、お前あの頃の誰も彼も殺してやるって顔してた自分、に見られたいか?」

 その瞬間、内側にふつふつと浮かび始めては消そうとしていた自分の中の黒いものが自分の中を駆け巡る。体が緊張し、心が冷えていく。
 を一刻も早くあの土地から引き離したかった。を捕らえるあらゆるものから離したかった。を怖がらせるあらゆるものから守りたかった。

 それと同時に、を傷つけたすべてのものを憎んでいた。殺してやりたかった。壊してやりたかった。めちゃくちゃにしてやりたかった。
 を何があっても守りたいのにそれと同時に何もかもを恨んで憎んで感情のままにしてやりたいとも思っている。
 俺はずっと、に再会してから次第に顔を見せてくるそれを押し殺すのに必死だった。

「見せたくないな」
「そんな感じだ」

 コワイ顔するなよ、とさせた張本人が軽く肩を叩いてくる。

「でも、憎んでるとか恨み言は聞いたことない」
「それも通り越してるんだろ。もしくは……」
「もしくはなんだよ」
『ゲート発生を多数確認! 現在外にいる部隊は目視できる場合報告の上、迎撃。その他は砦から確認出来次第場所を指示する』

 空気が歪んでいく感覚。もう随分とこの感覚にも慣れてしまった。
 視界に入る場所に出てきたそれに俺もリンも軽口は閉じて出てくるトリオン兵を見据えて駆けだす。
 平和に終わるはずだった今日はもう少し続きそうだった。




(ロマンティックヒーロー 06)