その男は人好きしそうな顔でにこりと笑って何度目かのお願いをしてきた。

「なあ頼むよ慶、
「駄目だ」
「いいよ、引き受けよう、慶」
「は?! 何言ってんだ?!」

 喜色満面になる男と理解不能と言わんばかりに私を見る慶がいる。
 豪奢ではないけれどある程度の広さと簡易の応接スペースがある部屋だ。壁にかけられている地図、机の上に積み上がっている書類の束。目の前の男は机の前に座る責任者だ。
 ここはいわゆる砦の中、防衛拠点だった。

 この国に来た直後、たまたま彼らの警邏順路で船から身を出したばかりの私たちはもちろん警戒された。当然のことだろう。あっという間に周りを囲まれた。
 その時はたまたま慶の顔を知った人、つまり目の前の男がいて、お互いを認識した後、慶と砦の人たちは警戒を解いた。
 次の目的の国までの周回軌道を待つ間、当然この国で私たちは生活する必要がある。それは彼らも承知のことだ。その間だけでいいから雇われてくれないかと私たちは目の前の男から傭兵の依頼を受けていた。

「どうせここには移動できるまでいなきゃいけない。この人は困ってる。衣食住とお金をくれる」
「でもお前」
「慶、いい機会だよきっと」

 避けては通れないことの一つではあったのだ。私が避け、慶も気付いて言わなかったそのことに向き合ういい機会だった。
 私と慶の微妙な雰囲気に気づいているであろうに、そんなことより契約契約と嬉しそうに男は契約書を出してきた。チラリと見てもちっとも読めない。

「そちらの文字を読めないので判を押しません」
「それもそうか」

 わかっていただろうにそれでも判を押させるチャンスを諦めない男の名前はリンという。透き通る金の髪に翡翠の瞳を持つ、ナイフ使いだ。
 本人もこの土地の人間ではなくたまたま流れ着いて路銀稼ぎをしていたところ土地に馴染んで長逗留をしているらしい。
 自分の土地でもないのに傭兵が砦の取りまとめをしてあくせく働いているのは奇妙だったけれど、本人曰く迎えが来るまでの暇つぶしだそうだ。ずいぶんと気の長い暇つぶしだと思う。
 まあこの砦が正規軍のものではなく、彼らの手が回らないところを補うものなのでうってつけではあるのかもしれない。

は慶以外には本当に隙がなくていい。狙撃の腕も良かった」
「あなたたちが慶を囲まなきゃ構えなくて済んだ」
「まあオレたちも不審な船と人間を発見したら確認するのがお仕事だからなあ」
「リン、それ以上と話すな」

 はいはい、と肩をすくめておしゃべりを止める上機嫌なリンと、それを見て一応は頷いたけれど不機嫌を隠そうともしない慶と。
 私はこの後の慶を説得することを考えると思わずため息をついていた。
 リンは私と慶のやり取りを何てことのないように見つめて、にこやかに見守るだけだ。いい性格をしていると思う。

 慶、知ってるだろうけど、私は人を撃てるんだよ。
 心の中でそう呟き、けれど今はそれをどうしたいのかわからないまま、私は長い瞬きをする。


***


「もう帰んの?」

 数合わせで頼まれた年下との合コンだった。
 適当な相づちをし、それなりのご飯でお腹を満たし、飲み放題だという酒をほどほどに飲んだ。義理は果たしたはずだ。
 もう一軒どうしようという輪の中を明日は早いからするりと抜け出す。食い下がる相手がいないだけ良い合コンだった、と思った矢先、低めの声がすぐ後ろからかかってきた。
 その相手はすぐに私の隣に並び、そちらへちらりと視線を向ければじっとこっちを見つめてくる。
 向かい側にいた相手だ。他が入れ替わるところもある中、席替えがだるいという彼の言葉に乗って私も奥の隅から動かずに済んだ。そういう時、周りは勝手に気があるんだろうと勘違いしてくれる。もちろん相手も勘違いするリスクもあるけど、目の前の相手は会話が弾まなければ案外あっさりと周りと話しだしたのでご飯に集中できた。

「帰るよ。私人数合わせで頼まれただけだもの」
「だから乗り気じゃなかったのか。駅? 送る」

 下心を隠そうとせず、でも比較的紳士的な言動が見える大学生なんて随分と慣れているなと、内心驚いた。このまま送る名目で着いてくるだろう相手に一応の礼を告げて歩きだす。引きそうにないのはわかったから無理に追い返すことは諦める。
 送ってくれるというそのくせ毛の青年の名前を私は覚えていない。ボーダーに所属していて授業の出席がヤバいことだけしか記憶になかった。

 ボーダーの正隊員という存在は珍しくはないけれど身近に存在するかといえばまた話は別だ。広報で出ている嵐山隊なんかは見ればわかるけれどボーダーの隊員は若い十代が中心なのだ。職員なら知人がいるかもしれないが防衛隊員は年下ばかりの私にとっては縁遠い存在だった。

「駅じゃなくて歩いて帰るの。遠くないから平気」
「道明るいけど夜道じゃん。下心あるけど送りオオカミはしないから送らせてよ、さん」

 相手は私の名前を覚えていたらしい。じっと、彼の顔を見るけれどやっぱり名前は思い出せない。
 前のめりにもならないけれど引くつもりもなければ狙っていることも隠さない。それを私と二人になった途端にハッキリ出してくる彼の名前は最初になんと言っていただろうか。
 半分ぐらい睨むように顔をまじまじと見てしまった。

「……」
「何?」
「きみの名前、覚えてない」
「マジで? ずっと向かいにいたのに?」
「参加費の元取るのに適当な料理がどれかずっと考えてたから。席替えだるいのと授業の出席ヤバいのとボーダーに入ってることしか覚えてない」

 それはそれですげーな。
 ハハッと笑った彼は太刀川慶と、そう名乗った。

 その日の慶は本当に言った通りただ家に送ろうとしてくれた。私が家の近くでいいと言えば最寄りのコンビニまで送ってくれて、連絡先だけ教えて欲しいと控え目に申し出てきたから私はつい、連絡先を教えてしまった。
 付き合ったあとから聞けば飲んでいる時にいいなと思って、店を出た後は最初から最後まで、計画的な言動だったというのだから大学生でもボーダーなんてやっているととんでもないなと思ったことは覚えている。


***


 リンのところから部屋に戻った慶の機嫌は大層悪かった。

「ここは辺境だけど三門で言うならゲートの誘引地なんだ。どんな敵が来るかその時にならないとわからないって、言ったよな?」
「でも慶、ここで戦ったことあるんでしょう? リンが言ってた」

 戦線は以前と変わらず。やって来る敵も近隣の国はある程度手札もお互いにわかっている。時折イレギュラーはあれど、それも大きな戦闘には発展していない。
 向こうにとってもここを落としても大きな旨味はないが戦線が崩れたら儲けもの。こちらも本国の兵士を割く程ではないが傭兵を雇って守らせる気持ちはある。その程度には土地としての価値はある。それがこの拠点だった。

 私たち二人に与えられた部屋は私がいるからと個人の部屋だ。傭兵の中には女性もいるが、彼らも二人部屋に案内される。砦の中で働く女性もいるのである程度部屋は固めているようだった。私たちは最初から二人連れなので女性の部屋が多い区画の隅に部屋を与えられた。
 施設内では慶は私を一人にすることはしない。部屋に戻ったら時折私を置いて一人で出ていくことはあるけれど何をしているのかは言う気はないみたいだ。慶のことを知っている人間も多いはずなのに私がいる時に声をかけてくるのは責任者のリンぐらいだから、慶が何か言ったのかもしれない。
 ベッドに勢いよく腰掛けた慶を私は立ったまま、見下ろすようにしている。下からじろり。その目はまっすぐに私を見抜いてくる。

「いつ戦況が変わるかなんてわからないだろ。ここは重要拠点じゃなくても最前線だ」
「私が毎日最前線で生き残ってたの忘れた?」
「……忘れてない」

 慶に再会した瞬間、私はわからなかったとはいえ慶をスコープ越しに狙いをつけていた。あの時、慶が動かなければ私はきっと慶を撃っていた。うまくいけば一発で換装体は解除されていた。そうでなくてもある程度のダメージは負ったはずだ。
 それを、慶はわからなかったはずはないのに。
 それに、睨まれているのは私だけれど私にも文句がないわけではない。

「私を出さずに自分だけここで戦おうとしてたでしょ」
「別に俺はそれしかないからそうするつもりだっただけだろ。それに、働くのは戦うだけじゃない。中の仕事もあるし。こいつらそういうの苦手だからな」
「私、戦うのが怖いわけじゃない」
「じゃあなんで」

 なんで、とその言葉は続かない。
 私はその続きを知っている。慶も知っている。
 隠れるようにお互いがしていたことを知らない振りをしてただけ。

「慶に見られたくなかっただけ」

 そう言うと、慶は唇を噛み締めて、苦しそうに私を、私の奥の何かを見つけようとしていた。
 でもねえ、慶。私だってよくわからないことなんだよ。慶なら、慶となら見つけられるのかな。そうなら、私はそろそろ勇気を持とうと思うんだよ。
 三門まで、あといくつか、数えるほどの星を渡ればたどり着くと言われた。ここを過ぎれば通信も通じるだろうと。そうなればいよいよ、旅は終わる。宙ぶらりんのままにしていた問題は、全てが解決しなくても話しておく必要はあった。
 深呼吸を一つ。今の私にとっては当たり前で、いつかの私にとっては想像ができないこと。

「慶、私ね、人を、慶だってきっと撃ててしまうよ」
「撃たれてやるわけないから」
「そうだね。慶、強そうだった」

 撃てることも、撃たれないことも、私たちはわかっている。
 スコープ越しに目が合ったあの男を、私は忘れられない。ハッキリとこちらの殺意を見抜いてきた無機質な目。
 もしもあの男を、あの時あのまま撃ち抜けたとしたら。撃ち抜こうとしてもおそらくは躱された。良くてもかすり傷だ。狙撃銃を拳銃に切り替えている間に距離を詰められあの光る刀に斬り伏せられていただろう。そうして私の命は何の義理もない土地で終わっていたはずだ。

 あの男が慶で良かった。
 でもだから皮肉にも私は未だにこの手から銃を手放せずにいるのだと思う。
 この世界に私を簡単に殺せてしまう人はたくさんいることを、私は知っている。そして目の前の人が私にそうしなくてもそれができる人なのも知っている。
 そして私もまた同じように生きていた。
 
「慶、私は、弱くないよ」

 知ってる。
 あのときの男であった人は苦しそうにそう返してきた。


***


 私も慶も、旅をしている間毎日欠かさず行っていて、決してお互いに確かめなかったことがある。
 寝静まった夜、人の気配がなくなる深夜、私は眠りの浅くなった体を起こして寝床から離れる。
 船の中でも宿の部屋でも、なるべく慶から隠れるように、光が漏れないようにと隅でそっとトリガーを起動させる。
 私に与えられたトリガーは攫われたあの国のものなのか、それとも別の国のものなのかすら、私は未だに知らない。
 そのトリガーは長距離狙撃用の銃と護身用の銃を入れ替えて出し入れができ、私の意思か、機能をオフにしなければ半分自動で攻撃に対してシールドを張るものだった。

「……今日も異常なし」

 トリガーを起動し、二つの銃の動作を確認する。動きにおかしなところはないか、安全装置はかかっているか、いつでも問題なく対象を狙撃できるか。シールドは私を守るように起動できるのか。
 簡単にではあるけれど毎夜、夜にできなければ慶がいない時を見計らって手短に、それを毎日必ず一度は行った。
 私はそのトリガーが私の意思により起動し、私の意思でいつでもその引き金を引けることを確認しないと不安だった。

 慶のことを思い出しても、慶と少しずつ距離を近づけても、同じベッドで寝る日が増えても、それでも、私はどうしても毎夜慶の隣を抜け出して、いつでも引き金を引けることを確認したがった。いつでも私以外を撃てる心を、体を、確認したかった。
 それを慶は私が隠したがるから聞いてこない。どうして動作確認をやめないのか、時には構えて、引き金を引くだけのところまで執拗に確認し、的に狙いを定めるのをやめられないのか。慶は聞かない。

 だから私も慶に聞かなかった。
 慶が私に見せるのは鈍るからと体力づくりのトレーニングだけだ。そしてそれを旅暮らしだからと私と一緒に行うこともあったから、それだけしか、私は聞かない。
 夜明け前、人が起き出す前の時間帯、慶がベッドを、あるいは船を抜け出して刀のようなトリガーを起動させ、振るう姿を私は知らない。
 あの光る鋭い刀を、私は慶と再会したあの日以降ほとんど見ていないことになっている。
 私の正確に人を狙う銃を、慶は私と再会したあの日以降、ほとんど見ていないことになっている。

「……知らないわけ、ないのにね」

 その日は別々で寝ていた。
 一人分の狭いベッドの中に戻り、隣のベッドで寝ていることになっている慶の背中を見て呟いたけれど、それは薄いシーツの中でくぐもって消えてしまった。


***


 砦といえど、見えるところから敵がやってくるわけではない。
 誘引装置によって指定された範囲を中心に警邏をし、それ以外は戦闘訓練をしたり事務仕事をしたり中で当番の仕事をしたりとすることはどこにでもある。交代で休みを取り、非番の人は砦から少し離れた街へ出かけてることもある。
 慶との話し合いの末、平時、私は最初に慶が希望していたとおり半分は砦の中でリンの周りで細々とした用事をし、警邏と訓練は慶と必ずセットで行うことにした。
 有事の際に四の五の言わないことは真っ先に決めた。いろいろなことを想定して、最悪ここの人間を見捨てようということまで決めた。ここの人の殆どが傭兵なのでそのあたりの良心の呵責が少なくて済むのはありがたかった。ある程度の腕が立ち、自分の命に責任を持つ者がほとんどだ。
 目の前で机の上の書類を唸って見ている相手がそうであることを、今は想像しづらいけれど。

「しかし慶は本当にが好きなんだな」
「リン、手が止まってる」

 堅苦しいのは苦手なんだと、年はいまいちわからないけれど私よりも年上の落ち着きを見せるリンは事務仕事を一人ですることが苦手だった。マルチタスクも得意ではなく、ちょっとした伝言や書類整理なんかも下手くそで、あまりの雑然さにこちらの文字が読めない私でもできることはそれなりにあった。
 本当は傭兵ではなくナイフ作りが本職らしいけれど道具も設備もないので仕方なく傭兵の責任者をしているという彼は周りに慕われていると思う。慶もなんだかんだ、このリンの言うことは聞く気がある。
 腕も立つようだけれど随分とおしゃべりな性格ではある。一応手は動かし始めたけれど話をやめる気はないようだった。

「昔ここに来たときは随分と荒んでたから、顔見せに来たときに見つかったんだなってすぐわかった。実力はもちろんだが運が良かったな、二人とも」
「慶は強いから」
もだろう? 守られるなとは言わないがそれは誇っていいものだぞ」

 動きを止めてしまった私にリンはからりと笑うだけだ。
 言葉の意味に含まれたものに気が付かないぐらい鈍感でありたかった。

 このリンという人、若作りなだけで見た目よりももっと人生経験が豊富なのではなかろうか。そのぐらい、何物にも動じないしこちらをよくよくわかっている。
 そう、私は、慶に守ってもらってばかりで、この旅の最中、一度だってトリガーを起動して戦うことがなかった。強さを誇ったこともない。
 唯一、ここに来てすぐだけだ。目の前の相手たちに囲まれた時、私はなりふり構わず銃を構えた。結局、すぐにその銃口は下ろせたのだけれど。

「……守られたいのと、守られたくないのと、戦うのは怖いのと、他にもたくさん、私は迷ってばかり」
「そりゃ再会した恋人の前で猫被るぐらいしたいだろ」

 この人は、本当に、容赦がない。
 言い淀んでいた事実を軽く告げられて苦笑いを浮かべれば彼はにこにこ笑っている。もしかしたら千里眼でも持つ仙人なのかもしれない。天使のような仙人がいるならば、だけれど。

はきっと慶より人を殺してきてるだろう? あの銃、自分の腕みたいによく馴染んでた。いい手入れだ」
「……リンは、千里眼でも持ってるのかな」
「あいにく、俺は見た目より意外と年を取っていて、人よりもまあまあ人生経験が豊富な、今はしがない傭兵だな」

 まあまあと言わず随分と人生経験豊富に違いない。私なんかよりよほど戦場をくぐり抜けている人だ。どこにも撃てる隙がない。それは出会った時、銃口を彼に向けた時点からずっとそうだった。
 痛いところをつかれて気力を削がれてしまい、応接室も兼ねた部屋のソファに浅く腰掛ける。
 観察力が優れているとはいえ知り合ってすぐの人にわかることだ。妙なところで勘の鋭い慶がどうかなんて考えるまでもない。

「慶もわかってるのに」
が迷ってるのに? お前は俺と同じで戦える人間だなんて、あいつは好きな女にそんなこと言わないだろう」
「……その通り」

 慶は、随分と優しくなった。
 その変化の良し悪しは置いといて、私のことをとても大事にしてくれる。
 もう触れるのが怖いとか、触れられるのが怖いとか、そういうのはほとんどなくなったけれど、それでも私たちはまだ自分の中を占める大きなものを確かめあえずにいるままだ。

「お前ら案外変なところで似てるんだな」

 他人事だからと軽く笑う相手に私はため息をつき、そして立ち上がり、早く仕事をしてもらおうと言わずにいた書類の山を指摘してやることにした。


***


 九月の夏を引きずる暑さも終わり、そろそろ秋の落ち着きを見せようかという頃。
 その日、慶はボーダーの子たちと飲み会だというので家でのんびりしようと思っている帰り道だった。

「あ、太刀川さんの」

 聞き覚えのある苗字だが自分とは違う苗字を耳にした。
 それが自分にかけられているものだと気がついたのはその声の持ち主とばっちり正面から目が合ったからだ。
 太刀川さんの、で私を見るならそれはつまり彼女なり恋人なりが続くはずで、でも私は目の前の少年に見覚えがなかった。
 目が合ったその少年は少し茶色がかった髪の毛で、学ランを着ていた。学校かボーダーかまではわからないけど、おそらくは慶のボーダーの後輩だと見当をつける。慶は大学生のはずなのにほとんど大学での話はせず、もっぱらボーダー内の話ばかりだからほぼ確実だろう。
 でも私は相手と会って自己紹介をした記憶はないので素直に聞くことにする。

「どちら様? 慶の知り合い?」
 
 思わず首を傾げて問いかけたら相手もハッとしていた。
 しまったという顔で、やっぱり面識はないみたいだった。慌ててぺこりと頭を下げ、彼は口を開く。

「おれ、出水っていいます。ボーダーで太刀川さんと一緒の隊にいます」
「はじめまして、出水くん。といいます。……夏祭りで私たちのこと見た子かな?」

 夏祭りの日、浴衣でデートをしているのをチームの後輩に見られたと言ってたなんとかくんがこの出水くんだろう。あいにくあの時聞いた名前は忘れてしまった。少し緊張気味に私の前に立つ彼を見てなんとなく、あの日慶と話したことを思い出してきた。
 年上が好きに違いないからあいつに見られるとかやっちまったと、慶は一人で勝手にじたばたしていたのだ。
 高校生と社会人とでは随分と年の差があるしそういう意味で大人相手に緊張するんじゃないかと思ったし、別に見られて減るもんじゃないと未だに私は思っている。
 まあ、あの日の浴衣姿の慶を知人友人に見せびらかしたいかといえばそうではないから気持ちがわからないこともないけれど、それでも大げさだったと今も思う。

「多分、そうだと思います。すみません、呼び止めて」
「ううん。慶の知り合いってあんまり知らないから新鮮。今日はボーダーへは行かないの?」
「昼から任務で、終わったところです。さっき太刀川さんたちと別れておれは帰るところです」

 なるほどと頷いた。未成年を飲み会に呼ぶわけにはいかないだろう。
 そわそわと、私の方を見る高校生になんだか私もくすぐったい気持ちになってしまったのは私の知る慶と、彼のいう“太刀川さん”がきっと似ているけれど違うところがあるだろうと気になってしまったからだ。
 バレたら怒られるだろうなと思いながらも気づけば私は出水くんに声をかけていた。

「出水くん、夕飯はお家で食べるかな? もし時間があればお茶でもしない?」
「エッ。いいんですか?! いきます!」

 のめり込むような返事に興味津々を貼り付けたような表情。
 私が慶と呼ぶ時に一瞬そわそわとする、実にわかりやすい高校生男子に私は思わず笑って頷いた。

 帰ってからも夕飯は食べるらしいけれど入った喫茶店でクラブサンドを頼む出水くんは比較的細身に見えるけれどやはり高校生だなと思う。
 同じようにサンドイッチを頼んだ私はこれが軽めの夕飯になりそうだ。

「太刀川さんさんのことはおれらの前じゃあんまり話さないっすね。でも本部にいる時間減ってちゃんと大学の授業受けたりそれ以外もいないときあるから付き合ってる人がいるの、知ってる人は知ってます」
「私が付き合う条件にちゃんと大学生することって言ったからだけど……そこまでボーダーに入り浸ってたとは思わなかったわ」

 聞けば聞くほど、私と付き合う前の慶がいかにボーダーに入り浸り、ランク戦という名の試合を繰り返していたかというのがわかる。それは単位も危なくなるだろう。
 ただこうして話してわかるのは、慶も、目の前の出水くんも、必要以上にボーダーの情報は出さないようにと配慮して私に話してくれているということだ。そのやや曖昧な情報ですら、慶の飛び抜けたのめりこみ具合がわかるのだから随分なことである。
 もう少し大学の進捗を聞いておこうと半分ため息をついたところで、出水くんが何やら私をじいっと見てくることに気が付いた。

「どうかした?」
「あ、いえ……。さんって、太刀川さんより年上なんだなって」
「? 大学生で社会人の彼女は珍しいかもね。慶も物好きだとは思ってるよ」
「いや、そうじゃなくて」

 出水くんは言葉を探しているようで一人で唸りつつ、途中でクラブサンドを食べることは忘れずに、もぐもぐしながらも唸るという器用なことをしていた。きちんと飲み込んだあと、出水くんは再びしゃべりだす。

「太刀川さんのこと年下扱いするのってボーダーだと少ないんで、不思議な感じというか。あの人総合1位でめちゃくちゃ強いのもあって、余計に」
「え? 慶って、1位なの? 単位が危ないって言いながら授業サボろうとするのに? ああ、サボってまでボーダーにいるから?」
「……まあ、はい。作戦室……おれらのチームの部屋でも単位ヤバイ話かゲームの話かランク戦の話しかしてないです。いない時別のところで麻雀してますし」

 慶が年上として扱われていることも、そして高校生にすら単位の心配をされていることも、どちらも初耳で、そして片方は頭が痛かった。本当に今度会ったらもっと厳しく言わなければいけないかもしれない。少なくとも年下から心配されるところは最低限抜け出してほしかった。
 それにせっかく大学生活もあるのだから、私はそちらも十分に楽しんで欲しかった。

「出水くん、貴重な情報をありがとう。次会ったら説教する」
「説教?! え、太刀川さん説教聞くんですか、忍田さん以外に」
「忍田さんって、慶の師匠だっけ?」
「あ、はい。ボーダーの偉い人っす」

 お説教をして聞くことはあるといえばあるのだけれど大概が高校生には言いづらい内容も含まれてくるので思わず話を逸らしてしまった。
 素直な出水くんはそれに特にツッコミを入れることなく、忍田さんと太刀川さんは、と説明してくれる。
 時折出てくる忍田さんと出水くんから見る忍田さんもまた少し違う印象で、今日はたくさん慶のことを別の面から知る日だった。

「慶はめんどうくさがりなところもあるけど出水くんたちの前ではやっぱり年上の先輩なのね」
「太刀川さん、学校のことはおれから見てもアレですけど、防衛隊員の太刀川さんはめちゃくちゃ強くて、おれ太刀川さんと一緒のチームにいるの、すげー嬉しいんです」

 太刀川さんには内緒にしてくださいねと照れくさそうに笑う出水くんに私はもちろんだと頷いた。
 お互いに今日のことは内緒にしておこうということでちゃっかりと連絡先まで交換し、時々慶の隠し撮りショットを送ってもらうようになったのも、慶にバレるまでの間は二人だけの秘密となった。


***


、膝貸して」

 今日の仕事も終わり、寝る前までの自由な時間、慶は返事を聞く前に既にベッドに腰掛けていた私の膝に頭を預けていた。
 なんだろうと思ったけれど集団生活に疲れるところがあるのかもしれない、と慶の好きにさせることにした。
 その代わり、癖のあるその髪の毛を指で梳いて遊ぶことにする。慶は一瞬身を竦ませたけれどこちらも好きにさせてくれた。

 携帯も本もテレビもゲーム機も音楽プレイヤーも、道具が何もない室内での夜は静かで人の気配がよくわかる。慶の息遣いも、私のものも、少し動けば空気が揺れる。それを、私は二人になってから悪くないなと思えるようになっていた。
 慶は祭りの日以降、時々私を迎えに行くまでに滞在した場所の話をしてくれた。私と二人で訪れたときとは違う季節の話、同じ国の別の街に滞在していたときの話、その時々で出会った人の話。
 慶は私に何も話さない自由をくれ、慶は自分の旅路を話したいところだけ話すことを選択した。慶の声は心地よく耳に馴染んだ。

 今日の慶は何かを話すわけではなく、ただ目を閉じて私の指に好きなだけ髪の毛を触らせている。大人しくされるがままになっている慶を見ると気持ちも表情も緩んでくる。
 そのまま頭をやんわりと撫でていると閉じていた瞳がパチリと開かれる。

「なに?」
「……今すごい間抜けな顔してるぞ」
「慶しか見てないからいいよ」

 自分でもわかるぐらいに緩んだ表情に、慶も困ったような、なんと言えばいいのかわからない苦笑いのような、そんな顔で返してきた。
 手をベッドにつき、半分体をひねりながら起き上がった慶はひょいとその顔を私に近づけた。

「膝枕じゃなかったの」
がキスして欲しそうだった」
「そういうことにしといてあげる」

 慶は窮屈そうなその姿勢から起き上がりベッドに座れば、今度は私が顔を横に向け、体を少しねじる形になる。
 啄むように何度か唇を寄せ、そして慶はトン、と予告なく私の体を押して姿勢を崩させると背中を腕で支えながらゆっくりと仰向けにされた。ベッドの縁にかかっている足もあっという間にベッドの上。こういう時だけ手際が良い。
 視界は天井と、にやりと笑う慶だけだ。

「明日は朝から警邏でしょう」
「1回だけ。体拭く水とタオルならある」
「最初からそのつもりだったの?」

 髪を梳いて頭を撫でていたのが今度は逆転する。私よりも大きくて分厚い手があご先からこめかみ、そこから耳の後ろへと輪郭をなぞっていく。

「半分ぐらいはそのつもりだったけど半分ぐらいは普通に寝るつもりだった」
「どうだか」
と嫌な雰囲気のまま過ごすのは嫌だったけど、そうでもなさそうだったから、つい」
「つい、ね」

 首の後ろに両腕を回せば何を言わずとも背中を支えられ、どちらからともなく会話が止む。聞こえるのはお互いの息遣いだけだ。
 少しずつ息が荒くなり、瞳に熱がこもっていく。

「俺、がそばにいるなら正直なんだっていい」

 その意味を問おうと瞳を向けても、慶は熱の灯った瞳を細め、弧を描く少し乾いた唇を私のものに合わせてお互いの言葉を飲み込んでしまう。
 伝わる熱に次第に浮かされて、私は今夜だけはと目を閉じ、考えるのをやめた。




(ロマンティックヒーロー 05)