光が舞う。粒子が鮮やかに空を登っていく。
 魂があるとすれば散るのはこんな風がいい。
 彼女は空を見上げながら機械的に告げられるトリオン体維持の限界を理解しながらコンマ一秒、自らとの離別を迎えた。



「風間くん、強いね」
「あんたも、弱くはないんですよ」

 戦闘訓練後の最初のやり取りにしては素っ気なかったがいつものことだった。
 それに風間の言葉は彼にとって賛辞に近い。ただそれが少し回りくどい言い方になるのには理由がある。

「いい加減変な負け方の癖は直した方がいい」
「…………風間くんには、しないよ」
「俺はあんたに変な勝ち方をしないからですよ」

 直球すぎる返答に彼女は苦笑いだ。
 風間も彼にしては歯切れの悪い調子で、肩を竦めるとその場を立ち去ってしまう。
 残された彼女は手のひらをぼんやりと見つめている。

「なんだかなあ」

 手は中途半端に指が曲がり手のひらとの間に小さな空間を生み出していた。
 そこにあるものが何か、考える前に彼女はその手をおろした。



***



 チーム戦に参加しなくなってから随分と経つが彼女は元々A級経験者でベテランのアタッカーだ。
 ボーダー創立当初から最前線で戦い今もソロランク戦では一定のランクを維持している。
 一時期はトップを争う太刀川と迅の次をいくトップランカーだった。
 今はどちらかといえば後進の育成の方に力を入れていて、あちこち歩きまわっては相性の良さそうな隊員たちをそれとなく引き合わせたりわかりやすく引き合わせたりしている。
 東ほどではないけれど、古株として二人で頼れる先輩枠を張っているつもりだった。

「太刀川、ひまだよね、戦おう」
「ひでー誘い方だなさん、いいぜ」

 今日はちょうど暇を持て余したような調子のその男を見ては声をかけた。仮にもナンバーワンに対しての声のかけ方でもなかったが太刀川慶にとっては大したことではなかったらしい。にやにや笑いながらすでにブースに向かおうとしていた。
 そして太刀川と五本勝負、交互に勝ち、最後に太刀川が見事に勝った。彼女は見事に胴体から真っ二つだった。

「見事に割れたな私」
「見事に割ったな俺」

 倒れこんで体の真ん中から下、輪切りにされたところから漏れるトリオンを見て、ベイルアウト直前の動作音を聞き、そして彼女は眼を閉じた。ブラックアウト。
 もう一度目を開ければそこにはちゃんとつながっている自分の体が横たわっていた。
 ブースから出てきたところで太刀川も出てきた。勝ったことがうれしいらしく、ご機嫌な様子で近づいてきた。

「もう五本! いや十本!」
「やだよ。そこら辺の……あ、風間くん! 風間くん! ねえ! あー、風間さん返事して?」
「断る」

 たまたま通りがかったランク戦終わりらしい風間に声をかけたが無表情で通り過ぎられた。彼は基本的に隊務も学業もなるべく疎かにせずにランク戦も行う実に真面目な大学生だ。暇さえあれば個人ランク戦を挑んでいる総合個人ランク第一位とはわけが違う。実に普通だった。
 どうにか次の生贄を見つけないととは実に自然にひどいことを考えながらなんとか抜け出そうとした。ただしそう簡単に一位の男と個人ランク戦をしてみたいという度胸のある人間はおらず、結局プラス五本勝負で手を打つ羽目になった。


さん本当に受け流すの上手いよな。達人」
「じゃなきゃとっくにスタミナ切れで引退してる」

 二本の弧月を使う太刀川相手にシールドと弧月で渡り合うのだ。しかも相手は自分より背も高ければ力もある。
 そうなれば力で競り合うのは土台無理な話だ。必然的にそれ以外で勝負しなければならない。特にスコーピオンが開発されるまでは攻撃手は皆弧月を使っていて、その中で勝ち抜こうとすれば技術を磨くしかなかった。
 だからは打ち合うことを止めた。力で負けるのなら速さを磨くか、その太刀を見極めて受け流すか、考えて、出した選択肢で は後者をとった。
 弧月を使う人間の中で太刀川の弧月二刀流は圧倒的に強かった。今でこそスコーピオンが出来て、以前の迅は太刀川といい勝負をしていた。昔、トリオン体全盛期で太刀川も成長期だった頃はだっていい勝負をしていた。
 しかし先程の五本勝負こそいい線までいったけれど最近は彼女のトリオン機関の成長もほぼ打ち止めで、戦績もトータルではずいぶんと負け越している。
 それでもまだ長年の経験は活かされていて、なんとか現役を続けられている。
 とは言ってもランキング一位と何回も連続で戦えばジリ貧で、二回目の五本勝負は既にニ連敗で負け越しまでもう後がなかった。

さんみたいな相手をきれいにぶった斬るの、最高にソソる」
「会話が外に聞こえてなくてよかったね。青少年の教育に悪いよナンバーワン」

 そんな軽口も段々とできなくなり、防戦一方、なんとか意地で一太刀浴びせるけれど、浅い。
 あ、と思った隙は当然目の前の相手には見せてはならぬもので、気づけば斜めにバッサリ。
 斬り口から大量のトリオンが漏れる。トリオン漏出過多、トリオン供給機関破損、戦闘体活動限界、ベイルアウト。
 そうしてベイルアウトする直前、体からキラキラと、トリオン体の光が散らばる。

「俺の勝ちだ、さん」

 そうだよ、あんたの勝ち。
 言葉にする前に彼女はブラックアウトした。
 その瞬間、彼女が笑っているのを太刀川は知ってるんだろうか。知らないといい。そう願いながらいつも彼女は目を閉じる。



***



さん今帰り? 飯食って帰ろうぜ」
「いいよ。こないだ行った定食屋でもいい?」
「なんでもいいぜ」

 ランク戦に勤しむのには労力を厭わない大学生は今日も今日とて誰かと戦ってきたらしい。
 なんだかんだ圧倒的に強いながらも挑まれてはいるので孤高のナンバーワンではない。自分から絡みに行った可能性も大だけれど。
 その定食屋は品揃えもそれなりにあり、量も少なめと多めが選べる親切設計なのでの最近のお気に入りだった。
 何を食べようかな、なんて考えながら太刀川と歩く。空は雲の少ない夜空で、遠くに星が見える。特別きれいなわけでもなければどんより曇り空でもない。普通の夜だった。

「なあさん」

 よりもずいぶんと背の高い太刀川と並んで歩いていても早歩きをせずに済むようになったのはいつからだろうか。
 追い掛けられていたのに追い掛けているのはいつからなのだろうか。

「なに、太刀川」

 見上げた左斜め上の相手の顔は真顔で、ふざけた様子もなく、考えが読めるようで読みにくいその瞳が何を映しているのかわからない。

「俺以外に殺されてやんないでね」

 言われて、彼女はゆっくりと一度、瞬き。
 瞬きした後も相手の表情は変わらない。足取りは止まっている。なんてことのない道端で。人気がないだけましだろうか。
 その意味がわからないではなかった。誰よりもその意味がわかる。
 気がつけば息が止まるぐらいだった。毛穴という毛穴が開いていくような、ぞわっとした感覚が体中を襲う。
 何のことかと笑い飛ばしてしまえるほど取り繕える余裕はにはなかったし、太刀川はなんてことない顔で、じっとを見たままだった。

「た、太刀川」
「おう」

 思わず呼んだ名前に、太刀川はいつも通りに答えた。

「いつ、それ、」
「最近? 他のやつと戦ってるとこ見て、なんとなく」
「こないだは」
「あれで確定したな」
「ああああああ!!!」

 道端だったけれどお構いなく、彼女は呻きながら座り込んだ。頭を抱えて、顔は俯いて。
 太刀川からはそのつむじが見えている。

「何」
「恥ずかしくなってきた」
「何で」
「だって、太刀川にバレるとか、もうそれ、恥ずかしすぎるよ」

 ああ、とさらにうめいて、もうここから動かないと言わんばかりの縮まり具合にそうさせた当人は面白そうになははと笑っている。
 太刀川慶とのランク戦の時だけ、は負けながら思うことがある。
 トリオン供給機関が破損されて、トリオンが体から漏れて、ベイルアウトする直前、自分の体から漏れ出るトリオンを見上げながら目を閉じるとき、このまま死んでしまえたらいいのにと。
 それを知ってか知らずか、太刀川はいつも致命傷を狙ってくる。大抵、太刀川はのトリオン供給機関を破損させてくる。袈裟斬り、一突き、たまに真っ二つ。供給機関を破損しなくても大抵は最後の一撃で絶対的な戦闘不能に持ち込む。それこそ生身ならあっという間に死んでしまうような致命傷。
 そんなことを思えるような倒され方をし始めたのはいつからだったのか。気づいているのは風間だけで、それだけがの救いだったのに、まさか当人に知られる日がこんなに唐突に来るなんて、思いもしなかったのだ。
 それこそそれは太刀川に好意を持っていると知られるよりももっと恥ずかしい、の一番秘密にしたいことだった。

「別にいいだろ」
「よくない」

 風間に指摘されたときだって、一時期は本当にどうしようかと悩んだのだ。極論ボーダーを辞めるなんてことまで考えて、落ち着いて、なんとか戻ってきた。
 それでも太刀川とランク戦をすれば負けるその瞬間思うことは止められず、太刀川の剣筋を見続けて、最後にどうしたってどうしようもないことを願うのだ。

「もう、ご飯食べる気も失せる」
「はあ? 別に俺が知ってたってどうもないだろ」
「どうもあるだろ」

 はあ、としゃがみこんでうつむいたままのに太刀川も同じように腰を落とす。うつむかれたままでは声がくぐもって聞き取りづらいのだ。それに距離が遠い。

「俺が勝手にさんをほかの野郎に殺されてたまるかって思ってるだけなんだから、飯食いに行こうぜ」
「別にこんなこと太刀川以外に思ってないから……本当、食欲失せる」
「食べれるって。残った分は俺が食べるからいいだろ。ほら行こうぜ」

 よいしょと太刀川は脇の下を掴んでをひょいと持ち上げて立ち上がらせる。
 はもうまともに横の太刀川のことは見られなくて、太刀川が言ったことの意味を深く考えることもできず、そして自分が言ったことの意味なんてたいして気づきもせず、太刀川に促されるまま歩き出すのだった。



(こどもの夜)