「ここに迅悠一って人間います?」
秋の終わり、その女は赤みがかったピンクの髪を短く切り揃え、大きめの黒いパーカーにジーンズを履き、ボストンバッグと紙袋、それからメンズのショルダーバッグを背負って玉狛支部のインターホンを鳴らしていた。
ピンク頭の人間が呼んでるわよと小南が怪訝な顔をしてきた時迅はそれが誰かなんてとんと見当もつかなかった。ピンク頭の知り合いはいない。
だから一応と来客向けのインターホンの画面を見たときうわ、まじかと迅にしては思わぬ出来事に声を上げていた。
「なんだ、知り合いじゃない」
「知り合いっていうか」
住所教えたっけと首を傾げながらも迅は玄関へ向かいながら思い出す。
そういえば彼女に出会ってから数カ月ほどした、あれは夏のある日だっただろうか。半ば無理矢理交換した携帯の番号に連絡があった。
明らかに日本語ではない背景音の中で彼女は迅の住んでいる場所を聞いてきた。出稼ぎも海外までいくのかと、夜明け近くの電話の中、寝ぼけ眼で答えたらあっという間に電話を切られた。夢だったのかと思いながら目を閉じたし、その後音沙汰がなくて忘れていたのだがここにきてその住所に突撃されるとは予想外である。
突然どうして、とか、なんでピンク頭に、とか言いたいことはあったけれどとりあえずドアを開けてまず聞いたのは一番気になっていたことだった。
「用事は終わったの、さん」
「終わったからウィッグから諸々ひいさまグッズ捨ててやったわよ。相変わらず辛気臭い顔してんのね、迅」
小馬鹿にしたように笑って手元のボストンバッグと紙袋を下ろした彼女は当然のように両手を広げてきたので迅は苦笑いしながらその体を軽く抱き締めた。たった一度きりの抱擁の感触は遠かったが近づいた瞬間に香るほのかな甘い匂いがあの日のことを思い出させる。
けれど神秘的に笑っていた詩人の顔はどこにもなく、派手に染めた明るい髪がよく似合っている女性がいるだけだった。
「本当にわざわざまた来てくれるとは思わなかった」
「暇で仕方がなかったから会いに来てやったのよ。ありがたーく思え」
「わかったって。お茶でも出すよ」
「防衛基地に部外者入れていいの?」
こんなのだけど、と彼女は自分を指差して笑うけれど彼女が近界民でもなければ三門で悪いことをしようとする人間ではないと迅は知っている。多少お金を稼いだ過去はあるけれどはたった一度会っただけの迅との約束を果たすために足を運ぶ、その程度には善人だ。
どうぞと一階の居間の部分に案内されたはそこに人影を見つける。一番最初にインターホンに出たのは迅ではない。小南が入ってきた二人を見て目を見開いていた。
ただ小南と迅が口を開く前にの方が反応が早い。
「迅、あんた美少女と同居してんの?!」
「この人なに? 悪い人じゃないと思うけど」
「小南、褒められて警戒心解くのは感心しない。さんもここ、防衛拠点だから。まあおれはここに住んでるんだけど」
あらわれたピンク髪のに小南は驚き怪訝な顔をしたけれどかわいいかわいいと連呼をされてどんどん顔が緩んでいく。いくら迅が迎え入れたからといって警戒心を解きすぎだった。
お互いに初対面に対しても物怖じしないということで迅がお茶を淹れている間に美少女と連呼されていた小南は気づけばに髪を結んでもらっていた。小南の警戒心も低ければの気安さも人並み外れている。
「って頭の色すごいけどいい人ね」
「小南、お前ほんといつか騙されないようにね」
「美少女をだます趣味はない」
「さんは話をややこしくしないで」
手先が器用なのか、は小南の髪をあっという間に編み込んで、普段は流すかポニーテールにしか見ない小南の髪型があっという間に飾り立てれていた。
小南はそのままと迅の会話に参加することにしたらしい。支部の居間なので小南がいるのも自由だしも迅も特段気にしていなかった。強いて言えば迅がのはっきりと物を言う性格に心配をしているぐらいだ。
「で、って迅の何? 迅外部の友だちとかいないから驚きなんだけど」
「ざっくり言うならお仲間ってとこかな」
「なんの?」
小南が聞き返したときに彼女はよいしょと向かいの彼女のティーカップを持ち上げ、自分のも持ち上げた。
妙な動きに疑問を持つ前にがニヤリと笑う方が早かった。
「未来が視えるお仲間」
「……ハァ?!」
悪戯めいた口元から発せられたことばっを理解した瞬間、小南はテーブルを盛大に叩いて立ち上がり、迅のティーカップの中身は盛大に揺れて紅茶が溢れた。
どうせならおれにも教えてほしかったなと迅は用意していたふきんで溢れたお茶を拭き取った。迅はこの未来は視えていなかった。視えていたのはおそらくこの後、迅が隣の小南に胸ぐらを掴まれるところだった。二次被害を防ぐためにカップを気持ち遠目に置いておく。
「迅あんたどういうこと?! 聞いてないわよ!」
「暗躍の成果を報告するエリートがどこにいるんだよ」
「はあ?! ボスも知ってるの?!」
「ボスだけね」
がくがくと予想通りに胸ぐらを掴んで揺さぶられるがままだ。こういう時、小南は出来る限り好きにさせておくに限る。火に油を注いでもいいことは一つもないのだ。そして何を言っても小南に言うことはあの時何一つなかったのだから彼女の気の済むままへらへらと揺られておくしかない。
迅は、の未来視を林藤にしか告げなかった。城戸あたりは薄々気づいているだろうけれどがすぐに街を出たこともあり、迅が言わないことを見逃してくれている。
実際のところの未来視は迅のものとは種類が違う。
迅の未来視は目の前の相手の少し先の未来の、特に確率の高い未来が視えやすい。時に確率が高ければかなり先の未来まで視える。必ず視えるわけではなく、周りの言動によって視える未来は変わっていく。だから迅はよく街を見回るしボーダー内もあちこちに顔を出す。
の未来視は彼女の触れたものの現在確定している未来を視る。彼女曰く意識だけが未来にタイムスリップしているような感じらしい。誰にも見られてないけれどそこで起こることを彼女は見聞きしている。意識がまるごと持っていかれるような感覚で、現実時間でタイムラグが起きることもあるという。
迅の未来視よりもより身近な、限定的な能力だ。
ざっくりと、は小南にそれを説明していた。説明を始めても迅が止めないので話したのだろう。話していることもおおよそ正しい。
小南は先ほどよりも難しい顔つきで、言われた未来視の能力について咀嚼している。迅の言う未来視のサイドエフェクトは小南にとってはなじみ深いものだがのそれは少々異なる。
「じゃあ今何か視えてるの?」
考えるよりも聞いた方が早いと判断したらしい。実際迅も自分の視え方と違う未来がどんなものなのか想像するしかできない。
ただ、聞かれた当人は眉間にぐっと皺を寄せて一見すれば不機嫌だ。ただ迅からしてみればそれは不機嫌というよりは予想外のものと出会った困惑の色が強い顔つきだ。実際、当たりのようだった。
「……ここの組織未来が視えるのにあんたで耐性ついてんの? それとも神経図太いの多いの?」
「じゃないと未知の敵と戦えないかな」
後者を肯定すると場が荒れそうなので回答をずらしたがはツッコミを入れてこなかった。その代わり小南に向かって片手を差し出し、小南も素直にその手のひらに自分の手を重ねた。小南が素直すぎるのかの動作が自然過ぎるのか。どちらもだろう。
一拍置いて小南を見るの瞳は可愛そうなものを見る目に変わっていた。優しい声色で諭すように告げる。
「桐絵ちゃんはイケメンに騙されやすいのかただ騙されやすいのか知らないけど私と迅が生き別れの姉弟なんて言われても信じちゃだめよ」
「は?! そうなの?!」
「違うって話でしょうが」
優しさは一瞬で崩れ落ち、呆れた口調と声色が戻ってくる。
京介か、と迅が思ったとおりその後雑談していると烏丸が支部に現れ、一瞬の間があったかと思えばその後は見事だった。
その人迅さんの生き別れのお姉さんですよね、の生き別れと言い出した時点で小南が怒り出したので珍しく烏丸京介の唖然とした顔が見られたのだが残念ながら本日それを見られたのは小南と迅だけだった。
青少年の前ではタバコは、と言うポリシーを告げは一人屋上にいた。
ポリシーを口にした瞬間、迅には信じられないという顔で見られた事実を彼女は抹消した。それはそれ、これはこれだった。大人とは、実に曖昧でいい加減なものなのだと、彼女は去り際に笑いながら迅の肩を叩いた。
そうして一人屋上で煙の少ない甘い匂いを風に流していればもう一人、屋上に来客だった。
「いい髪の色してるな、サン」
「人の素性は名乗られてから言いなよ、リンドウさん。リンドウってどう書くの? 花の竜胆?」
「こりゃ失礼。林に藤で林藤だ」
どーも、と顔だけ振り返っていたの隣に立った林藤は可燃式のタバコを隣で点ける。
林藤はの素性を何かしらの方法で調べたのだろう。名前と占いの噂を辿ればの素性を掴むこと自体はさほど難しくはない。難しくないことと調べられた側の人間がどう感じるのかは別の話だ。
は迅が「リンドウさん」と呼んでいるのを視たから知っているだけで、名乗らないままに名を告げられる無粋に無粋で返してみせた。その不快さは察したらしい。
「迅は知らねーから、許してやってな」
「でしょーよ。知ってたらあんな顔できないでしょ、若者」
知られて困るほどの過去はないけれど、迅は他人の知らないところで他人のことを知ることを快く思っていないはずだった。
特に困る過去ではない。けれどそれを無遠慮に暴くのは、未来を視る迅悠一という青年にとって選び難い方法のはずだと、は知っていた。
「ここはお前さんを利用する気はない。なにせ迅がそう望んでるからな」
「もっと神経質そうな偉い人は違うって? 迅は私のことそこには伏せるんだもんね、人手に悩んでないわけない人間に未来なんて贅沢、貰えるなら貰うでしょ」
「言うなあ」
「利用されるの大嫌いなもんで」
タバコがまずくなる、としかめ面で最後の残りを消してしまう。隣の林藤は点けたばかりのタバコを悠々と吸っている。その余裕にの顔が僅かに歪む。
「、お前さん予定は?」
「しばらく迅で遊ぶ」
「それはいい遊びだな」
笑う林藤の声は柔らかで、嫌味にも取れる発言は言葉通りの意味しかなかった。どうぞ迅で遊んでやってくれ。そんなふうにには聞こえた。
なんとなく、はなぜ迅がこの男にはのことを話したのかがわかったような気がした。
「林藤サンさー、初対面の相手に言うことじゃないけど、言うよ」
「ああどうぞ」
「ここは、サイテーな大人が随分と多そうだわ」
「否定できんな」
乾いた笑いを浮かべる林藤にはただ舌打ちして、最低、ともう一度吐き捨てた。
「そういえば、お土産置いてったのなんだったの?」
「のりとお酒と紅茶とどっかの特産の佃煮」
「……なに、一体どこ行ってたの?」
「さあ?」
一服した後お土産を置いて出ていった彼女は去り際、明日も来るから空いてる時間連絡しろと迅に命令するだけして名残惜しさも見せずに出ていった。
そして残されたお土産がまた国内と国外を転々としたらしいことがわかる代物で、そして買おうと思ったというよりは手元にあるもの押し付けたような統一性のなさだったので実にらしいと、支部の台所にお土産を仕舞いながら迅はくすりと笑っていた。
(続・聖者の行進1)