よく視える相手というものはいるものだ。
不意打ちで触れた時、視るつもりもないのに引っ張られるように未来を目の前に提示される。先日の太刀川がにとってはそうだった。他にもそういう相性の人間がいる。視るまいとしても普通の人よりは視えやすい。
はそれをたまにあることとして受け止めている。性格の相性があるように未来の視えやすさにも相性がある。そういうものだと半ば諦めているともいう。
けれどそれとは別に未来が視えすぎる日がある。年に一度あるかないか、体の不調と同じで未来を視る調子にもムラが出る。
言うなれば目隠しをして視界を閉ざそうとしても覆いが取れてどうしてもうまく隠せないのだ。触れる相手ほとんどの未来を視てしまう。過剰反応に体も悲鳴を上げて熱にうなされしばらくは使い物にならない。その間はとにかく人との接触は控えて大人しくしてる。
「ここしばらく大人しかったんだけど今かよ」
悪態をつくは頭痛と目の奥の熱に顔を歪めた。
昼過ぎに家を出るまでは不調の兆しもなく、迅で遊び、もとい迅と遊ぶことで慣れた駅前を一人ふらついていた。
目的もなく、普段なら玉狛にでも足を向けるところだが今日はなぜか寄る気にならなかった。不調の兆しだったのかもしれない。
微かにあったであろう兆しを見逃したまま、帰るついでにと食料を買って店を出たところでどうにも足が重たい。意識すると途端に頭の奥からも鈍い痛みがやってきて、目の奥が熱を持つのはあっという間だった。
こんな日に限って荷物は多めだ。鈍い頭でまとめて買いこんでしまえと判断したのだ。舌打ちをしかけるのをなんとか堪える。
とにかく痛みのピークが過ぎるまで、と店の入口横の壁に背を預ける。荷物を足元に置いて帰らずにいるのは外見も相まって目立つと思ったが離れるのはまだ難しそうだった。
不快な感覚を紛らわせるように一人なのは不幸中の幸いだろうと己を慰める。
元々玉狛に入り浸るのも日を決めているわけでもない。迅にくっついて街を見て回るのも一番初めの頃に比べれば頻度は減っている。二、三日顔を見せないことは不自然ではない。
早く治まれと、目を閉じて少しでも視覚情報を減らす。荷物も足元に置き、周りに気遣われないようわざと話しかけるなと装って腕を組む。
下手に触れられでもすれば意図せず未来を視てしまう。普段意図的に視ないように意識していることができない。にとって警戒せざるを得ない状態だった。
幸い、派手な髪色もあってに話しかける人間は現れない。じっと、痛みの波が引いていくまでただ耐える。
耐えていた時間は十分か、それ以上か以下か。わからないままだったが不意に気配を感じて目を開けると見たことのある人物が躊躇いがちに立っていた。
「迅のこと嫌いなやつだ」
先ほどよりはましになったが一度会っただけの人間の名前を思い出せるほどは回復できていない。一番インパクトのある情報が口を突いて出たが相手にとっては不快だったらしい。三輪です、と眉間に皺を作りながら名乗られた。
「そうそう三輪。なに?」
は反射的に顔を作りなんでもない風に笑うが三輪は顔をしかめた。
「体調が悪いのに気を遣わなくていいです」
「そんな顔色悪そう?」
へらりと笑って聞いてみればさらに三輪は顔をしかめる。なぜであろうか。が鈍い頭で疑問を抱く前に本人から答えが出た。
「俺が店に入る前の状態から微動だにしていません」
「結構時間経ってたか」
軽い口調で一言落としたが思うよりも目立っていたのかもしれない。これ以上店の前で陣取るのも本意ではない。
声を掛けてきた三輪はどう対応するか悩んではいるがこのまま立ち去る気はなさそうに見えた。
「うーん、声をかけてきたんだ。三輪、お願いがある」
なんでお願いしてるのにえらそうなんだと目の前で呟かれるがは無視した。
目の前に人がいる分空元気でも振る舞えと脳みそが指令を出してきたらしい。今のうちに移動するのが良さそうだった。
「私の荷物持ってくれないかな。今なら歩けそう」
「タクシーに乗ればいいと思います」
「タクシー乗るけど荷物が重い」
三輪の視線がの足元に向き、それから聞こえるほどのため息。どうして体調が悪いのに袋いっぱいに買うのだと視線が訴えている。体調が悪くなる予定もなければ望んでなったわけではない。結果的に荷物が運べない体調になったので運が悪いだけだ。
「迅でも呼べばいい、と思いますが」
「弱ってるのは大人数に見せたくも知られたくもない乙女心があるんだよね。本当に悪いけど頼まれてくんない?」
家に帰れば一日寝込むことになるのはわかっている。それに寝てさえいればそのうち治まるのだ。時間が解決する事態を多くに知らせる必要はない。特に三輪の言った相手に知らせれば面倒が他の人の二倍は増えることをは知っている。心配と妙な責任感を感じることは目に見えていた。
へらりと笑うを数秒見つめ、三輪は自分の荷物を左手に全て持つなり右手でが買った荷物を手にした。
「行きますよ」
「助かる」
迅が絡まなければ良い子だ。
もちろんその感想をは口にすることなく三輪と共に帰宅することとなった。
嫌な顔をしたものの三輪はを気遣いタクシーの乗り降りから家の玄関にたどり着くまで丁寧だった。荷物を持ってくれ、ゆっくりと乗り降りするを待ち、強引に手を貸そうとしないところも都合が良い。
戸を開けひとまず玄関先で腰を下ろす。そしてやむを得ず人助けをしてくれた相手をは見上げた。
「後は適当にやるから、ありがとね」
「そのまま玄関に倒れ込むのも食材を駄目にするのも時間の問題と思うので嫌でなければそこまでは手伝います」
「親切が行き届いてるな」
軽口のつもりだったが三輪は黙り込んでしまう。
お節介なタイプではないだろう彼の親切をは結局受け取った。助かるのは事実だし、三輪もここまできたら最後まで見届けたいのだと結論付けた。先ほどから変わらずのろのろと動くに触らず付き合ってくれている。それもあり、そのまま甘えさせてもらうことにした。
「廊下の奥、台所だから冷蔵庫に適当に突っ込んでもらえるかな」
「わかりました」
「戸棚のおまんじゅう食べていいよ」
「……気持ちだけいただきます」
自分の買い物の荷物は玄関に起き、おじゃましますと上がる少年には鈍痛が止まない中で思わず小さく笑う。迅に対する態度を除けば真面目で不器用そうな高校生にしか見えないのだ。
許可を得ながらも遠慮がちに奥に進む三輪を横目には荷物を居間に置き手洗いを済ませて台所へ向かう。
三輪は冷蔵不要なものをテーブルの上にきれいに並べているところだった。
「後はなんとかするよ。本当に助かった。お礼する」
「知らない振りをする方が嫌なだけですからお構いなく」
「そう言わず、っと」
足元が覚束ないと思った瞬間、時既に遅しというやつで体勢を崩したが床に膝をつくよりも三輪がを支える方が早かった。
触れないようにと気をつけ、気を遣われていたのも水の泡だった。やむを得ないこととはいえ親切にしてくれた相手の未来を不躾に視てしまうことを予想しは目を閉じた。
それは教室だった。にとっては懐かしい学校の景色。
教室の隅に立っていたは教室に残る少年と入ってくる少年どちらにも見覚えがあった。
「秀次帰ったんじゃなかったの」
廊下から教室へ入ってきたのはたった今を助けてくれた三輪で、教室にいたのは先日三輪と一緒にいた米屋だった。
米屋は机に何かプリントを広げて手にはシャーペンを持っている。課題か何か取り組んでいるんだろう。
「職員室に用事があったんだ」
「さっき居場所聞かれて帰ったって言っちゃったんだよな」
三輪は悪いことしたなとつぶやく米屋の近くまでやって来て脇にある鞄を手に取ると早々に立ち去ろうとする。
「帰んのかよ」
「用は済んだ」
「課題終わんないから手伝って」
「……今日提出締め切りのやつじゃないだろうな」
顔を顰める三輪に米屋はへにゃりと顔を崩す。今日防衛任務なくてよかったよな、と誤魔化すように口を開けば盛大なため息とともに三輪が前の席に座った。
「課題の未提出が多いと任務に支障がある」
「これでも自力でやろうとしたんだぜ?」
「見通しが立たないなら先に相談しろ」
「へーい」
何がわからないのだと問いかける三輪の声が遠くなる。
何気ない日常の一コマを見てしまい妙に安堵を抱く。
ボーダーという組織にいても彼らは高校生で普通の生活があるのだ。玉狛支部でもそれは時折感じていてもこうして馴染みのある風景はを安心させた。
「大丈夫ですか」
「……ごめん、立ち眩みした」
「俺のことは構わずに寝た方がいいと思います」
お礼の話は曖昧に濁されたが今は問答する余裕もないので諦める。
戸締りをするからと、は玄関までなんとか三輪を見送る。表情はなくとも一度振り返る三輪に軽く手を振りへらりと笑って見せればため息と会釈で返された。その背中が見えなくなったところで戸を閉め、鍵をかけた。誰に触れる危険もなくなり思わず肩の力が抜けた。
「この街は、長居するとまずいことばっかり起きそうだな」
うっかり知るとまずいことが、人が、にとっては多すぎる。それなのにに優しくて居心地の良い足枷を与えるものも多すぎる。
先ほど視えたものはまだいい。ほんの少しこの土地の人に愛着を覚えてしまう程度だ。まだ振り払えるし問題視もされない。
けれどこれから先不意に視えるかもしれない未来がそうであるとは限らない。どれぐらい先の出来事なのか、知って良かったことなのか、迅の、ボーダーにとって重要なことなのか。
わからないことだらけだが今のは体も頭も重たく全てが鈍重な自分であることだけが事実だ。
「さっさと治ってるといいんだけど」
大きなため息をつきながらも適当に服を着替えて布団に潜り込んだ。
懐かしい夢を見た。
病室に備え付けられた椅子に座りにこにこ笑いかける姿は一見病人には見えなかった。はその人が苦しい顔をしたところを見たことがない。
その相手はヒメノという。
出会ってから一緒に過ごした時間は長くはない。偶然と予定が噛み合っただけの出会いと付き合いだ。
あの頃見舞いに訪っていた病室と変わりはない。ヒメノは当然ながらの記憶の頃のままだった。
「、代わりにピンクの髪で遊んでくれてるんだね」
時間ができたら髪をピンクにして周りに振り返られながら街を歩きたい。注目されたい。
悪戯を企むように話された望みが叶うところをは見ていない。代わりにというわけではないがどんなものかと髪を染めたのは事実だった。
「そういう気分だっただけ」
「それは良い気分だ」
そっけなく言い渡しても相手は楽しげに笑う。
いつもヒメノという人間を思い出すとその顔は笑顔で、それは夢でも変わらなかった。
ご機嫌に笑う相手は手に自分が作った詩集を持っている。
「たくさん届けてくれてありがとう」
「夢に出てこられそうだった、というか捌いても化けて出られるんじゃ売り歩いた意味ない」
「お礼を言うぐらいおばけだってするよ」
それぐらいいいじゃないかと夢の中の幽霊はおどけている。足元は掛け布団に隠れて見えないなと視線を送れば想像力は人を豊かにするのだと聞いてもいないのに返事がある。
愛想の良いおばけは懐かしむように本をめくっていたがふとそれを脇に置き、代わりに置いていた冊子を手に取った。
お手製だとわかる製本具合のそれをも一度見たことがある。
「それ、絵本か」
「に絵心がないって言われちゃったけど良いお話になったと思ってるんだよ」
困った相手を放っておけない、おっちょこちょいな少女が迷子のうさぎと寄り道しながらうさぎの家族を探すお話だ。
どこからやって来たのかもわからなくなったうさぎの家族を探すのは一歩一歩手探りだった。微かな手掛かりを元に人に道を聞く。おっちょこちょいな少女は道を間違えては反対方向に向かってしまう。うさぎは家族を捜してるはずなのに迷子になった時と同じように興味が向くまま寄り道ばかりして一向に探索は進まない。
それでもなんとかみちゆくひとの助けを借り、時に一緒に歩き、途中で別れ、たくさんの小さな冒険を乗り越え、少女とうさぎはうさぎの家族のもとにたどり着く。
良かっためでたしめでたしと少女はうさぎの家族と離れて去ろうとする。その時、うさぎは少女の名前を知らないことに気がつく。いつの間にか遠くに離れた少女に向かって名前を教えてと声をあげるうさぎ。少女は大きく手を振り、飛び切りの笑顔で叫ぶ。そこで物語は終わる。
「その女の子の名前、なんだったの」
手描きで簡単に綴じられただけの絵本はしか知らない。お世辞にも上手とは言えない絵だったがにこにこと色を塗るヒメノの姿はの記憶に残っている。
完成してすぐ一度だけ読んだ絵本はヒメノが亡くなった後にどうしたのだろうか。に知る術はない。絵本に出てこなかった女の子の名前も知りようがない。
答えなど出てこないと思っても、目の前にヒメノがいる。姿があるならと、聞きたかったことをは口にした。
「絵本、描いている途中でに会ったんだ」
「……それが?」
「それだけだよ」
何かの答えは夢の中でも得られないらしい。は想像通りで当然の相手に舌打ちする。
「」
「何」
煙草が吸いたいなと手が動いたがここが病室で目の前の人は夢であっても病人だ。ぎゅっとこぶしを作って手を腿の上に下ろした。
「今度会ったらのした楽しかったこと教えて欲しいな」
「怪しい組織に目をつけられた話でもしてやる」
「いいな! 悪の組織と少年少女のお話の参考になりそう」
「あいにく正義の味方だよ」
「なんだ」
つまらないと言わんばかりのセリフでもヒメノの目は笑っていた。
「この先の未来も楽しんでおいで」
口を開こうとした瞬間、薄暗い部屋が視界に入り鈍く重い体が布団に縫い留められたように沈んでいた。
結局全快したのは二日後だったが三輪は誰にも口外せずにいてくれたらしい。は何食わぬ顔でまた玉狛支部へと顔を出すことに成功したのだった。
(続・聖者の行進9)