新手の美人局でも始めるんだろうか。しかしその場合彼女には仲間がいないといけないがその相手を迅はすぐには思いつかなかった。何しろ彼女の知り合いは今玉狛支部ぐらいしか心当たりがないし、美人局ができる器用な人間はどこにもいない。
 捨てたと言っていた黒髪のカツラではなかったけれど明るめの茶髪にゆるやかなパーマのカツラを被ってニット帽を被り化粧も変えたその人はなぜかボーダーナンバーワンとにこやかに街でお茶をしていた。なぜ、という思いと美人局にこの男なら引っ掛かるかもしれないという現実逃避とで頭は忙しい。
 暖かい日とはいえオープンカフェでお茶をする二人は妙に目を引いた。人の目を集めることも、その視線が注がれることも慣れているし気にしないタイプの二人だから余計にそうなのかもしれない。
 そのテーブルに歩み寄り二人を見下ろす迅を見つめる瞳はなんとなく似ているような気がして迅はそれだけで目眩がした。こういう手合いは一度に一人でお釣りが来る。

「あ、迅来た」
「マジだ。さんの占いってやつ? すげーな」

 “占い”という言葉に迅は途端に顔を曇らせ、彼女は迅に向かってへらりと笑った。
 両手を挙げて降参ポーズである。太刀川はそれを見て面白そうに迅とを見比べるだけだ。

「この人、視やすいタイプみたいでさ、出会い頭にぶつかっちゃってなんか流れでバレたわ」
さんさあ」
「迅、このオネーサンお前と"おんなじ"?」

 知り合いと確定するなり彼、太刀川慶はお構いなしだった。
 一応“占い”なのか“未来視”なのかとぼけた顔で判断待ちをしていたらしい。
 迅の反応で太刀川の判断はグレーに近い黒から黒へと確定したようだった。

「だから正確には同じだけど違うってば。タチカワ頭悪いな」
「んだよ、さんがバカにわかりやすく説明してくれたら済む話だろ」

 まるで旧知の仲のように会話を進める二人の話を聞けばなんと一時間前に出会ったばかりだという。
 なんでこんなに打ち解けてんのとげんなりする迅をよそに二人はけろりとしたものだ。

「私が開放的なリゾート地にでもいて、そのときにタチカワと会ってたら気の迷いで旅行中だけ付き合ってたかもしれないからここが三門でよかった」
「んだよ、別に三門でも気が迷えばいーじゃん」
「やだよ。一瞬気が合うかもと思ったけど我に返った。昔会った瞬間付き合って3日で別れた男と同じ匂いがする」

 それ脈アリじゃんと拡大解釈をする太刀川にも、拒否はしているけど一瞬アリと考えかけたにも迅は頭が痛い。感覚で会話をされるのはあまり得意ではないのだ。
 お連れ様ですか、と窺う店員にコーヒーを一つ頼んで迅も諦めて席につく。
 予定は今のところないので迅自身に特に問題はない。問題があるというのならから視えた未来の分岐だった。
 このままいけばおそらく今日玉狛で夕飯なのだが、なぜか微かに太刀川と諏訪が視えている。視えた瞬間、迅は心臓が悪い動きをしそうになって思わず深めに息を吐いた。幸い二人は気づいていない。勘の鋭い二人相手にギリギリの誤魔化し方だった。
 ちらつくその未来を迅は何としてでも阻止しなければと思う。微かな可能性とはいえそちらに転べばめんどくさいことにしかなりそうにない。は彼らと気が合う。現に太刀川とすんなり打ち解けているのだ。

さんはなんでこんなにボーダーの人間に遭遇してるの」
「え? 迅のとこの目つき悪い偉い人かなんかが仕事熱心な非番を当ててるんじゃないわけ?」
「ぶはっ。俺仕事熱心なの? でもさんいい女だし、それで強いんなら俺毎日会いに行くわ」
「タチカワのことよくわからないけどあんたがお盛んな大学生なのはよーくわかったからよそでやれ」

 争いごとは苦手なの、と電子タバコに手を付ける彼女にちぇ、と太刀川は唇を尖らせる。
 争いごとは苦手だという言葉と争いごとに不慣れかどうかは必ずしも一致しないよなと迅は言葉の裏を読み取ろうとするけれどは目が合った迅ににやりと笑いかけるだけだ。腕っぷしが強いとは思えない細腕だけれど、おそらく逃げ足は早いしなやかな脚の持ち主である。

「でも今働いてないし暇なんだろ? なんで三門にいるか知らねえけどボーダー入って戦ってみたら案外いけるんじゃね?」
「トリオン量は年齢が上がるに連れて衰えていくんでしょうが。スポーツ選手みたいなもんでしょ? それに私“一般人”なの。しかもあんたらのとこブラックの匂いがするからなあ」

 ブラックをあえて楽しんでいるタイプと泥沼のタイプを目の前には視線を移動させる。
 太刀川は肩をすくませすぐに諦めのボーズを見せる。ちらりと迅を見て、そしてを見る。

「まあさんがマジで迅と“似てる”か“同じ”ならヤバいかもな」
「タチカワは馬鹿だけどそういうとこ嗅ぎ分けるからある意味お偉方はやりやすくてやりにくいね」
「ん? まあ俺は強いやつと戦えりゃそれでいいからワカリヤスイんだよ」

 こういう際どい会話、やめてほしい。
 周りを窺うことをやめられない迅は会話の内容を気に留めながらも誰もこの二人に必要以上の注意を払っていないかと確認することにも忙しい。
 二人ともが“わかっていて”こういう会話で遊ぶ。
 だから迅はこれ以上二人がいろいろな意味で仲良くならないようにと祈るしかなかった。


 おやつ時を少し過ぎた邂逅はその後迅の心配から外れて他愛のない話へと移っていき、微かにあったの飲み会フラグもへし折れたらしい。太刀川は飲み会だからと席を立ってふらふらと歩き出した。
 太刀川が去った後、残されたのは未だに滞在理由も期間も滞在場所も明らかにしないと、それをわかっていて、もしかすれば視えているのに太刀川のようには言葉にその疑問の意思を含ませることすらできない迅だけだ。
 太刀川を見送った後、迅たちも店を後にして当たり前のように玉狛の方へと歩き出した。

「迅、今日の夕飯知ってる?」
「炊き込みご飯」
「いいねえ」

 天気予報のように人の未来視を使う彼女は迅が全ての未来が視えているわけではないことも知っているのにちょうどよく迅が視ていそうな未来を尋ねてくることが多い。
 迅は隣の彼女はある種別の力の持ち主に近いと思っているけれど、それでも大きく分類すれば未来を視る者同士、わかることがあるのかもしれないと思う。迅からすればとてもわかりにくい人だけれど。
 歩いてすれ違う人々をさりげなく、けれど確実に視界に捉えていく迅とは対照的には街並みや空へと、人以外のものに視線を動かしていく。

「なんで私がウィッグ被ってたのとか聞かないの?」
「聞いてほしいなら聞くけど。おれ、過去は視えないし」
「ふうん。……迅、手繋いで帰ろうよ」

 そう言いながらも迅が何かを言う前にがするりと手を絡ませてきた瞬間、小さく手が反応してしまい、迅は思わず顔をしかめた。
 "そんなつもりじゃなかった"のに。
 は迅の小さな震えに気が付いたはずなのにそのままその手を握ってきた。そっと、迅もその手を握り返す。
 駅前から玉狛支部までは人通りもそれなりで、学校終わりの学生が時折ちらりと迅とに視線を送るけれどその程度だ。何の気なしに手を繋いでいる年頃の男女なんてただのカップルとしか思われない。

「迅」
「なに、さん」

 は太刀川と似ている部分がある。迅に似ている部分もあるし、おそらく林藤と共通するところもある。彼女は会う人によって巧妙に己の形を変容させ、どれもであることに変わりはないけれどどれが彼女の主な部分なのかと言われれば、迅はよくわからない。
 一番初めに出会った時の、聖人然とした薄いヴェールの下に隠された鋭い棘がある彼女はもうほとんど形が残っておらず、棘がやわらかくなった、もしくは減った、今は目的を持たない彼女がここにいる。再会したは最初に出会った時よりもやわらかく笑い、そしてさらに奥にヴェールがあることを人前に出せるようになった。迅はその奥のヴェールの彼女をきっと、存在を知らされても中身を教えてもらえてはいない。
 迅は、自分が一体何枚の薄衣にくるまれているのか、自分ではもうわからない。包まれているのかすらも、わからない。
 自分ですらわからないことを隣のはなぜだか知っていそうで、彼女が次に何を言うのか、迅はじっと耳を澄ませていた。

「あんた、私のことが『こわい』って、ちゃんと自覚しときなさいね。それは、悪いことじゃないってことも」

 繋がれた手の先はあたたかい。血の通った、人の手がそこにある。繋がれた迅の手も、きっと同じぐらいにあたたかい。
 それなのにその手のぬくもりの元であるはずの迅の心臓はいきなり鷲掴みにされたかのようにきゅっと締め付けられ、呼吸が一瞬止まる。
 そうじゃない。そんなことない。どうして。こわくない。思ったことない。こわいわけ、あるわけがない。こわいなんて言っちゃいけない。
 そんな否定の言葉が頭の中でぐるぐると巡るのに迅にできることは遅くなった足取りを機械のようになんとか彼女に合わせるだけだ。目の前を視界に入れているようで何も見えていない。隣の彼女なんて視界に入れられるはずもなかった。
 ただ、手のぬくもりだけが彼女が自分の隣にいることを知らせてくれる。
 彼女は迅の足取りに合わせることはなかったけれど迅の手を離そうともしなかった。

「別に、それでいいの。意思をもって『視られる』のは、こわいの。当たり前」
「でも、おれが、それは、だめでしょ」
「いいんだって言ってる。あんたの視えるのはそれはそれできついけどね、あんたが我慢しちゃったら他はあんまりこわくないのよ。こわいのは、あんただけ。それと私のは、別物」

 迅は、隣の人の声があまりにも優しく迅に注がれるから、先ほどとは違う胸の苦しさを感じてしまった。
 きっと、は気づいていたのだろう。いつからなのかは、迅もわからない。迅自身、今言われて初めて自覚したのだ。
 人の未来を視る人間が、人に未来を視られるのがこわいなんて、そんなことは絶対に思ってはいけなかった。触れられるのがこわいだなんて、思ってはいけなかった。
 迅は、迅がなりたくないものになっていることを認めなければいけなくなってしまうから。

「迅は、視界っていうあんたにしかわからないものがトリガーなの。だから、こわくない。迅が普通にしていれば視られたかどうかは誰もわかりっこないんだからね」
「でもおれがさんのことそんな風に思いたくない」

 それだけは伝えなければと迅は必死に口にする。
 は迅と同じではない。同じではないけれど、未来が視えたことで人から羨ましがられることだけではないことをよく知っているはずだった。
 だからこそ迅はをこわがってはいけなかった。こわがりたくなかった。この手を今すぐ力強く握りしめて、それを伝えたかった。
 けれど現実の迅はその手をさらに握りしめることもできないけれど、離すこともできない。迅にはどちらも選べない。

「私は触れたら必ず視ているわけじゃない。私が視ようとしたら視えて、その時には触れるという明確な意思があるの。視る以上にそれはお互いの意思によってコントロールできる。避けられることなの」
「でも」
「知らなきゃ迅と一緒で私がへましなきゃ多少変な女ぐらいよ」

 きっと彼女の言う通りなのだろう。
 知らないのなら、彼女がコントロールすればいい。迅とその点は変わらない。
 けれど、迅は知っている。

「……そんなつもりじゃ、なかったんだ」

 彼女を何の気なしに力いっぱいこの腕で抱きしめてしまいたかった。以前再会を約束した時の通りに、躊躇いなくそのやわらかな体を包み込んでしまいたかった。未来を視ていいよと、軽口を叩きたかった。

「だから、あんたのせいじゃないって言ってんでしょうが」

 何にも責めない優しい声が、今の迅にはなおさら痛くて、でも目の奥に迫る熱い感覚は自分ではなく彼女こそが感じるものだろうに、恐る恐る見た彼女の横顔はただやわらかにほほ笑むだけで、迅は唇を噛みしめて前を向くしかできなかった。

「帰るよ、迅」
「うん。炊き込みご飯、待ってるし」
「そうそう、その調子」

 その後、迅はの背中を追うように、彼女の手に引っ張られるようにして支部へと帰っていった。




(続・聖者の行進4)