「あ、迅さんといたピンクのネーサン」
「は?」
その日は一人だった。
特に滞在日数を決めてはないけれど電気も水道も通っている家に住んでいれば料理も家でする。その日は玉狛に行かず家で夕飯を作るためにスーパーに寄った帰りだった。
「誰だ高校生。私高校生男子はとりまるしか知らないぞ。とりまるの友だち?」
「いや、栞の従兄弟でボーダー隊員」
「栞の? そっちも?」
「違う」
そうだろうね、とは最初に話しかけてきた方、前髪をカチューシャで上げている男子高校生を見ればなんとなく栞に似ていた。にこっと物怖じしない様子で笑いかけられる。栞も人見知りをすることなくに初対面から話しかけてきたので血筋なのかもしれない。
対して隣は寒いというには少し早い時期なのにもうマフラーを巻いている少し陰気な高校生だった。栞や隣のカチューシャ少年とは似ていない。彼は得体の知れないものを見るようにを観察していた。
値踏みするほど不躾ではないが見知らぬものを警戒する視線だ。初めてのことではないし人よりもそうした視線を受けることも多く慣れてはいるが心地良いわけはない。
「ピンク頭の女だからジロジロ見られるのは慣れてるけどそんな検分されるようなことアンタにした覚えないよ少年」
髪の色は事実も含んでいるが方便に近い。派手な色に視線を向けるまでは比較的多くの人がしている。この髪色になってから特にそういう視線は増えたけれど確かめるような疑いの含んだ視線はの未来視に触れた人の中で起こることだ。それを知らない相手に向けられるのはにとっては違和感だったが相手はすぐにバツの悪そうな顔をした。自覚はあったらしい。
「悪かった。迅と知り合いと聞いて……不躾だった」
「なに? もしかしてアンタ迅のこと嫌い? イイねえ。どこが嫌いなの?」
お互いに警戒をしていた空気は一瞬で霧散した。
少年の態度には途端に目を輝かせ、スーパーの袋をガサガサ言わせながらマフラーの少年の方にぐいと一歩踏み出した。
マフラーの少年はぐんと近づかれた瞬間目を見開き、今度こそ得体の知れない女を引き気味に見ていた。
ぶは、と吹き出したのはカチューシャだ。ギロリとマフラーが睨むが気にもしていない。睨まれるのに慣れているのかもしれない。
声を掛けられたのは往来だったのでそのまま話し込むのも邪魔になる。が端に寄るようと空いてる手で道の端を指差せば二人は素直にそちらに動いた。まだ話す気があるようで、を不気味だと思っても興味がないわけではないらしい。
「で、何が嫌いなの?」
「あんたには関係ない」
「まあそらそうだわ。気にはなるけどそれより高校生、ピンク髪の女とか関わってたら補導されない? 大丈夫?」
道の端に寄せた割にはその話題からあっさりと引くに一瞬呆気にとられる二人だったけれど我に返るのはカチューシャの方が早かった。
「喋ってるだけじゃ補導はないと思うけど。お姉さん名前は? 俺は米屋陽介。こっちのは三輪秀次」
「米屋」
勝手に名前を告げられた三輪少年は咎めるような口調だった。もちろん先ほどと同じように米屋は気に留めていない。よくあることなのかもしれない。
声のかけ方はお粗末だったがどうにも悪い人間ではないらしい。はこの二人ともう少し話すことにする。
「米屋に三輪ね。私はだよ。三門に長期滞在中で迅は知り合いかな? だから玉狛支部に遊びに行くこともある感じ」
「迅さん外部に知り合いとか意外」
「ボーダー関係者じゃないのか?」
「違うよ」
迅と知り合い、というところで三輪が反応したけれど米屋もも努めて無視した。どうやらそこは触れない方がいいと会ったばかりのでもわかるぐらい、三輪は迅の名前に過剰な反応を示している。
ただ、がボーダー関係者ではないことは二人ともが不思議な顔をした。
当然だろう。他の支部とは違って玉狛支部は市民向けの窓口は用意しておらず、ボーダー関係者以外は立ち寄ることが基本ない場所だ。自身訪問後に説明を受けて少々まずいことをしたと思ったものだ。過ぎたことは仕方のないことだと一瞬後には諦めて堂々と訪問することにした。玉狛支部が一般に門戸を開いていなくてもは迅で遊ぶと決めたのだ。気にしても仕様のないことだった。
にとっては背景事情があってのことだが玉狛支部の所属ではない二人には理解しづらいことだったのだろう。あっという間に視線の中に混じる鋭い疑念にはこの街の難儀な性質を見つけて気づかれない程度にため息だ。
「別にボーダーの秘密聞いてるわけじゃないよ。単に暇な時に遊んでもらってるだけ」
「ふーん。さんはなんでまた三門に来たの?」
米屋の方は興味本位丸出しで特に質問の他意はなさそうに見えたが隣の三輪は実にわかりやすくを疑り深い視線で見ている。米屋が軽い肘鉄をして少し落ち着こうとはしているけれどおよそ覆面調査には向かないタイプだろう。実に真面目で反応が素直である。
どれだけ突かれてもに出せる答えは一つしかない。それ以上でもそれ以下でもない。だからそんな視線もかわいいものだと笑ってみせた。
「迅が面白いからニートして暇な間あいつで遊んでやろって思っただけ」
「ニートって、こんなに堂々とそれ言えるのツエー!」
「人生のモラトリアムしてる人間はツエーぞ米屋」
からりと笑うにへえとある意味素直な反応の米屋とは対照的で三輪は出会ってからこちら、を見たことのない生き物として見るか疑って見るかのほぼ二択である。彼は彼で実に素直だ。
ボーダー隊員らしい二人だがからすれば物怖じしない素直な高校生、というだけでなかなか話していて好ましい。
「そもそも何の知り合いなんだ」
「迅の暗躍? の途中で偶然会った」
好ましいといってもも出会ったばかりの子どもに一から十まで説明してやるほど親切丁寧な人間ではない。むしろ今日はここまでの対応が親切丁寧そのものだ。機嫌が悪ければ悪態ついてガン飛ばしでもして追い払っていたに違いない。そう考えれば実に年上の親切丁寧なお姉さんだった。
けれどそんなお姉さんもそろそろ営業範囲外になりかけている。
「そろそろ質問によっては私も君らのこと根掘り葉掘り聞くけどいーの? 彼女いるのかとか君らボーダーで強いのとか学生との両立大丈夫とか、知っても大丈夫そうな範囲でいくけど」
「……すみません」
「確かに聞きすぎた! ゴメンナサイ」
単なる好奇心とボーダー隊員としての立場からか詮索も含む言葉尻は本人たちも理解したらしい。ここで頭を下げられるところがこの二人の美点だろう。変な誤魔化しはここまでで一つもなかった。もすぐに態度を和らげる。
防衛隊員はいい子たちが多いんだけどな、とは心に留めるけれどそれを束ねる大人はまだ一人しか知らないといえど曲者揃いのようだ。間接的に見た顔に傷のある男なんてはお近づきにならなくて済むのなら一生会いたくない類である。
「まあ素直さに免じて今日はここまで許してやる。優しいお姉さんに感謝するように」
「ははーっ」
「よろしい」
ノリの良い米屋にからりと笑いかけ、生真面目に軽く頭を下げる三輪にひとつ頷いた。
街で見かけたら基本暇だから遊んでよね、とは気軽にそう言い残してその場を立ち去った。
その暇な時にまあまあの確率で隣に迅がいることはもちろん言う義理もないことである。
嵐のような遭遇に、その背中を見送ってしばらく、二人はお互いの顔を見合わせていた。
「で、あの人結局迅さんと玉狛のなんなんだろうな?」
「あの手合は苦手だ」
「嘘はついてなさそーだけどな、優しかったし」
あの人戦えたら面白そうなのにな。
脳みそがある意味でわかりやすいチームメイトに三輪はいろんな意味でため息を一つ。
「迅って三輪に嫌われてんの?」
お茶を吹き出さなかったことに迅は我ながらよく我慢できたと思った。
本日日曜日の午前中、リビングには昼食を作るゆりと迅と、それから雷神丸と遊んでもらっている陽太郎だけだ。
迅は朝からやってきたがお茶を出せと要求してきた通りにご希望のお茶を一緒に飲んでいたのだが飲んだ矢先にこれだった。向かい側でこの状態の原因は何してるのだと呆れ顔だ。
ゆりは聞こえていそうだが素知らぬ振りで鼻歌交じりで野菜を切っているし陽太郎もいつも通りで迅たちの会話に入ってくる様子はない。
ほぼ毎日のように入り浸る相手を警戒するなという方が土台無理な話である。彼女がいつの間に三輪に会ったのか、迅はそれを視損ねた。彼女の未来の選択肢はかなり多く、そして読みにくい。なぜならそれは簡単で、彼女は人の未来を視るから。
日常的に未来を視ることはないと彼女は言うけれどそれを迅に確かめる術はない。偶発的に視ることもゼロでもない。そうなると彼女の未来はいつ視ても確実なことがあまりない。今の彼女がすることがないと言っているのも要因だろうと迅はみている。未来を見据えた人間は大きな方向は近々では変わらない。けれど彼女はやることを終えてここにいる。何をするかも決めていないのなら未来は不確かなものばかりだ。いつ必要に駆られて未来を視るとも限らない。
迅は自分以外に未来が視える人間が現れて驚きはしたがそれ自体はそういうこともあるのだなと案外すぐに受け入れられた。彼女に触れられることもなんとも思わない。彼女が視ようとして視る人と聞いてもなんとも思わない。迅は視ようとしなくても視えるけれどこの街にいる限り視ようとして視ているようなものだ。視る際に怯えられることがなかったわけじゃない。それでも、そうされたって視えることは変わらない。だから迅は視続けるし、視ることをやめようとも思わない。
そんな迅が彼女に視られたくないと触れられたくないと思うのは誰より不自然なことだと迅は思う。
「何話したの、さん」
「迅で遊んで玉狛に入り浸ってるニートって話しただけだよ。なんだか結構目撃されてそうなんだよな。ボーダーで噂になってないの?」
「……たまに聞かれる」
いかんせん、は目立つ。ピンクの髪の色が最たるものだけれど、迅自身が彼女と共に行動するというのがまた拍車をかけているのだ。
迅がボーダー関係者以外と一緒にいる。
ただそれだけで周りがを気にかけるのに十分な理由である。
ため息をつく迅には面白いと笑顔だ。
「かわいい彼女って答えた?」
「三門に滞在中の友だちって答えたよ」
「なんだ、つまんない回答だな」
チッ、とわかりやすく舌打ちする相手のどこが彼女なのか迅にはわからない。友人と称するのもそれが正解だったのかわからない。
との関係性を、迅はまだ名前にできない。
「別に面白いもつまらないもないでしょ」
「あら、二人はてっきり付き合ってるんだと思ってた」
お昼できたわよ、とにこりと爆弾を投下してきたのはゆりである。
コトンと置かれたのはサラダだ。奥からはスープらしきほかほかとした匂いとミートソースのような美味しそうな匂いがしている。
迅は固まり、は顔を顰める。
「ゆり、そういうことを言うと迅がいろいろとあらぬ未来を視たり視なかったりすると思う」
「それはそれで青春じゃないのかしら? いいと思うわ」
ゆりののほほんとしながらもなかなかに鋭い回答には短く切り揃えたピンクの髪をくしゃくしゃにかき混ぜてしまう。がゆりを苦手にするのはまさにこういうところだろう。それはに大きく踏み入ることもない絶妙な間合いで巻き込まれた迅も今は同じ気持ちを味わっている。
「ゆり」
「だめだった?」
「ゆりさんって時々鋭い飛びナイフだと思う」
「そんな物騒なものになった覚えはないわよ」
ほらお昼ごはん並べて並べて、と何てことのないように食卓の準備を手伝うように告げるゆりにはのろのろと動き出す。
迅も言われたからにはきちんと手伝うだけの生真面目さはあるので三人で準備をすればあっという間に支度は整う。
テレビで見て美味しそうだったのよね、と牛肉のトマトスパゲティを出せば陽太郎が匂いに気が付いたのか騒ぎ出す。
「他の人も呼んできてくれる?」
「おれいってくる」
あ、逃げた。
のストレートなコメントに内心頷きながら迅はそそくさとリビングを後にする。
残ったのははしゃぐ陽太郎ととゆりだ。雷神丸はのんびりと微動だにしない。
「あんまり未成年をからかうもんじゃない」
「私はのことをからかったのよ?」
「なおのこと私に悪い」
はゆりのことは好きだったけれどこういうある意味でストレートなところが苦手だった。こういう手合いは会話の寄り道がない分真剣勝負なのだ。
迅がのことをなんと称すればいいのかわからないようにもまだこの奇妙なめぐり合わせに珍しく名前をつけかねていた。
「ねえ」
「ん?」
「私もうすぐしたらスカウトのために長期出張で不在なの」
「へえ」
優秀な人材の為にはボーダーもいろいろと手を打っているらしい。玉狛からは他にもクローニンが出るという。
それで、とはゆりを見る。
ゆりはにこにこ。彼女の笑顔は裏がない。裏がないけれど意図は読めない。触れてもいいわよとなんでもないように言うゆりにはひとつも触れられない。
「戻るのは年明けになると思うから、それまでがいてくれたら嬉しいわ」
「ゆりって本当にさ」
「何かしら?」
「……まだ決めてないけど、考えとく。ゆりのお願いだし」
嬉しい。
可憐に微笑まれてしまえばにできることなんてないに決まっている。
週末の女子会にはゆりが出張に出るまでは絶対に不参加だと決めるだった。
(続・聖者の行進3)