「迅、カフェ行くよ」「迅、買い物付き合え」「迅、ボーダーってなにしてんの?」
はどこに滞在しているのか、いつまでいるのかなんて細かなことは一つも言わず、ほとんど毎日、防衛任務以外は迅を振り回す生活を楽しんでいた。
幸か不幸かS級隊員の迅悠一は防衛任務を除けば大抵が非番のようでいつだって未来を視るための時間でもあり、街中に出ることは仕事の一環にもなったので彼女の誘いを強く断る理由がさほどなかった。任務以外で断る時は食事当番の時ぐらいだったけれど、そういう日、彼女は当然のようにスーパーでの買い物に付き合い、当然のように夕飯を共にした。おかげで玉狛支部の面々は随分とと仲が良くなっていた。
ちゃっかりとはしているけれどさらりと食費は置いていき、絶対に返却するなという徹底ぶりでその点は彼女の中でルールがあるらしい。
今日の迅は散歩につきあわされ、そのまま当然のように支部に二人で戻ってきて夕飯だった。本日の当番はレイジで、時間があったのか一汁三菜、食卓は豪華だった。
食べ盛りたちもお腹が落ち着いて食後のお茶を飲んでいる時、小南がふとを見て疑問を口にする。
「って料理できるの?」
「旅暮らし舐めんな。意外とサバイバルだからな? そういう小南はカレーだけでしょ」
「得意なのがカレーなのよ!」
順応性が高いのがこの支部の良いところなのだがもいい勝負だった。
小南とはいつの間にかは個人的に連絡をしているらしい。小南の夕飯当番の時にも当然のように支部にいて料理の手伝いをしているのを見たとき迅は眩暈がしそうだった。
栞も同じようなもので、小南と三人、もしくはゆりも含めて平日の放課後、訓練前なども時折話しているし、栞に至ってはサイドエフェクトがあるならトリオン量の測定したらいいのにと突き詰めがちな趣味心を爆発させかねない勢いだ。は適当に流していたけれど。
レイジは灰汁の強い女性は本部にだっているというのに身近にはいないからか自分から関わることもなければ避けることもなく、ただ迅の客だという態度を貫いている。この点もは心得たと言わんばかりにレイジに必要以上に干渉しない。
烏丸は小南という遊び相手がとられてつまらないのかと思えば新たな材料と思ってか適宜遊び、もそれに乗って小南を驚かせたり勘違いさせたりといつも通りである。
ゆりは元々人当たりがいいのだけれどの方がどうにも苦手意識があるらしく彼女の前だと少し大人しいのが迅にとっては新鮮だった。
クローニンは"設定"を早々に放棄しての近界への知的好奇心を満たすために時々話し相手にさせられている。一応秘密だと言ってはいるけれど彼女が誰かに話す理由もない。クローニンもあくまで支障が出ない範囲で、とはしているらしく今のところ支部の中では黙認である。
陽太郎は昼間、人がいない間の遊び相手にもなっているらしく子分にしてやってもいいというお墨付きだ。お嫁さんは、と問えばそれは遠慮するらしい。
そう、随分と、彼女はここに住んでいるのかと思うぐらい玉狛に馴染んでいた。馴染みすぎなぐらいだ。
「さんって玉狛に住んでた?」
「まさか。毎日泊まらず帰ってんじゃん」
「そうだよね」
今日も夕飯後、団らんしながらテレビを観ている。
ボーダーについては部外秘が相当数あるのだけれど触れたときに未来を視ることができるに小細工は無駄だった。小細工をすれば逆効果にもなり得る。
特別に話すわけではないけれど特別に隠すわけではない中で彼女がいることにどんどんも違和感がなくなっていく。
「いつも送らせないけど住処を隠したいとかあるの?」
「単に未成年送らせるほど大人は困ってないってこと。深夜になる前にだいたい帰るしね」
迅としてはなぜここにきて今更と思ったけれどここには未成年の学生が他にもいることもあるのかもしれない。未成年といえば一応迅もそうではあるのだが、それについて話すと迅との出会った話となりかねない。そしてそれは青少年の教育上よろしくない字面になるしなにより迅が聞かれてもいろいろ困るので黙っていることにした。
特にあの日、迅は目の前のタバコも酒も素知らぬ振りをして受け入れたし彼女も愉快だからとあの日目を瞑ったことはたくさんあった。だからきっと二人は何も言わずにその事実をあえて口にしようとはしていない。
あの冬の終わりの日だけの出会いでも良かったはずの彼女は再び、秋の終わりに姿を現した。一体なぜなのか。迅にはまだわからない。
「でも女の人のひとり歩きは危ないですから。迅さんに送ってもらえばいいんじゃないんですか?」
「とりまるがたまに遅くに帰るとき途中まで一緒だからおねーさんそれでいいよ。むしろとりまるみたいな美形が遅くに出歩くの心配だわ」
「そういうもんですか?」
「そういうもんだよ」
小南と栞は送ってもらいなさいという強い言葉が各所から出ているので彼女たちは遅くなると送られるしそもそも遅くなる日は潔く泊まっていく。
烏丸は弟妹の面倒があるし、バイトの都合で遅くなっても帰る日が多いので自然とと支部を出るタイミングも被りやすい。
それにしても結局がどこに帰り着いてるのかを知っている人は誰もいないままである。
その後話題もそれ、小南と栞は週末だからゆりと女子会だと部屋に引っ込んでいたけれどは誘いを辞退して烏丸と家路についた。
車道側を当然のように歩く烏丸と十六歳に、これを仕込んだであろう家族か玉狛の面々には苦笑いだ。こんなに見目麗しいクールな少年に気遣われればくらりとくる女子は少なくないのではないだろうか。
烏丸のバイト先に今度遊びに行きたいと言い出したにどこの、と聞く掛け持ちアルバイター烏丸京介の事実が発覚したりとそれなりに話をしながら今夜も分かれ道になった。
「さんは、ここまで付き合って俺を送ってくれてこの後どこに向かうんですか?」
それは疑問というより確認で、無表情の烏丸の顔は電灯の下で照らされても損なわれることなく整っていた。
何度かこうして一緒に帰る度、きっと烏丸はがきちんと帰りだすかあとで確認してくれていたのだろう。それは疑いというよりも心配だ。はそれがわかる程度、彼と話をしたし、彼の周りとの様子も見ていた。
そんな二人の距離は一歩半ほどで、はおもむろに半歩分歩み寄る。
烏丸は一瞬微かにその動きに反応した。そしてハッとしたように表情を崩し、そしてそれをすぐに消した。
烏丸少年はとても優しいけれど、それでも十六歳の普通の少年でもあった。
が近づくことが彼にとって何を意味するのか、それは彼の人を気遣う性質とはまた別のところで起きるものだと、は理解している。彼女が近づくことは彼女と触れ合うかもしれず、それは「自発的」に「意識的」にが未来を視るかもしれないことに違いない。迅のように知らぬうちに視られているかもしれない、というよりも触れられたら視られているかもしれないということの方が人間は緊張するものだ。だからその反応そのものより、はその後の烏丸の反応が彼らしく、優しいからこそに対して困ったように視線を逸らす、そのこと自体に安堵した。
は電灯照らされてさらに明るくなった前髪をいじり、そしてへらりと笑って彼の問いに簡単に答えることにした。
「ナイショ」
じゃあねと、ひらりと元来た道を平然と戻りだした。
遠くなるの背中を見つめながら烏丸はふう、とため息をついて彼もまた家に向かって歩き出していた。
「迅さん、手強いと思いますよ」
頼まれたわけでもなくただ気がついて問うてみたかった、ただそれだったけれど思ったより踏み入ってはならないところに入ったのだと、年若ながら話のわかる烏丸少年は誰にも見せないように苦笑いして一人ごちた。
は烏丸と別れたあと、さてとふらふら歩き出した。
夜の三門は活気づく繁華街というわけではなく、駅前以外の住宅街は静けさを保っている。
鼻歌でも歌いそうな気軽さで、彼女はどんどん道を戻り、途中で玉狛支部から東に反れるように歩き、川向こうまで渡ってしまった。
警戒区域に近い場所、住宅街の最中、人気のない古い日本家屋に彼女は入っていく。鍵も持っているようで、我が家然として引き戸の玄関をくぐり電気を点ける。
「ただいま」
表札の苗字は「」だった。
こじんまりとしているけれど庭もついている昔からあるその家は十年以上前、彼女の祖母が一人で住んでいた。その頃はまだこの三門にボーダーという組織もなければ近界という存在も明らかにされていないような頃だ。
その昔、この縁遠かった祖母の家に彼女は一か月ほど滞在し、そして元の居場所に戻り、しばらく経った頃、けれど三門が惨事に襲われる前、祖母は他界し、に家を遺産として残した。
「こんな家誰が定住すると思って遺したんだかあのババア」
そう言いながらも帰った彼女がまずするのは仏壇に手を合わせることだったし、こまめにとはいかないけれど家の手入れも信頼できる人間に依頼して定期的に行っていた。
近界民が出没する、外部から見れば曰くつきの土地にわざわざ立ち寄って詩集を売ることにしたのもそこが遠い昔過ごしたことのある土地だったからだ。なんとなく、立ち寄った冬の頃、祖母の命日が近かったことも足を向ける理由になったかもしれない。
それでも縁遠いと思い、目的を達成していないのにとヒメノを名乗っていた頃には立ち寄ることもなかった家だ。
そこへ今回立ち寄り、一時の住処にしたのはの気まぐれだった。目的も達成し、少し足を伸ばして旅をして、そうしてふと足を止めたら暇で仕方がないということに気がついた。
ここが三門で、暇な時に立ち寄る理由があり、滞在できる経済的に便利な家がある。ただそれだけだった。
縁側で就寝前の一服を、彼女の祖母がここにいれば家に臭いをつけなければいいと放っておくだろう。あの頃から、この家でが居心地の悪さを感じることはなかった。
彼女の祖母はの視える力を知っていてなお平然と触り、触れられることにも平然としていた。
なんなら明日の馬券を当てろと言われたこともある。株価にしておけクソババアと罵ると小難しいことは自分で考えろと結局視たことを言ったのに馬券なんて買いに行きもしなかった。
「なんで三門なんだかなあ」
奇縁というのなら、それはそうなのだろう。は誰に言うつもりもないし、祖母の家を把握しているだろう林藤は今のところ他言するつもりはなさそうだった。
はただのだったし、本当に迅で遊びに来た、ただの旅人だった。
「まあ、長旅を終えた骨休め、ってことにしとこ」
一服を終え、中に入って後はシャワーを浴びて、使えなくなっていた布団の代わりに適当に買った薄っぺら布団を敷く。そして居心地の悪くなかったかつての家で、彼女は今日も静かに眠る。
(続・聖者の行進2)