年の瀬というのは物の動きが慌ただしい。お歳暮文化にクリスマス、年末年始の長期休暇、通常とは違う動きは物はもちろんだがつられるように人の行動や気持ちを慌ただしくさせる。
相手を思って贈るものは喜ばれるだろうか。長い休みはどう過ごそうか。年越しを、年明けを、誰と過ごそうか。
はそんな人の流れを横目にのんびりとした歩みで観察していた。
慌ただしい要素はにとって必須のものではない。彼女はただ昨日と変わらぬ今日を過ごしている。
「さん、年末年始はどうするの」
玉狛支部、本日の夕飯当番は迅だ。玉ねぎをトントンと刻んでいく。
は調理の音をBGMに読書と会話に勤しんでいる。とはいっても会話に気を取られて本の中身はほとんど頭に入っていない。手は栞を挟もうと無意識に動いていた。
「紅白見て年越しそば食べてゆく年くる年で〆てカウントダウンコンサート観るかな」
「それ大晦日ピンポイントでしょ」
「他は特にこれといってないよ。玉狛が普段通りなら顔を出すかもしれない」
には年末年始を過ごす相手がいない。祖母は亡くなっており、祖母縁の知り合いはいくらかいるがべったりとした付き合いでもない。
一時期過ごしたことがある街とはいえ友人がいたわけでもなく、の知り合いはボーダー玉狛支部の人間と一部本部の人間という実に偏った構成である。
そういった事情をもちろん迅は把握している。予定のなさに何を言うでもなく玉ねぎを次々と刻んでいき、会話も続ける。
「クリスマスもお正月も誰かしらいるから玉狛にいよう」
「迅君や、私のこと暇人だと思ってない?」
「神出鬼没だと思ってるよ」
笑う気配はの言葉を否定しない。
実際言われた日は予定も何もない。いいよ、と頷けば素直に喜ばれる。
の家に訪ねて以来、迅は以前よりもに踏み込むようになった。
は変わらずだ。ふらりと玉狛にやって来てはまた出ていく。
図ったように本部の人間がいる時には立ち寄らない。これで未来を視ていないというのだから随分と勘が鋭い。迅が行動を起こすことも大抵は笑って流されているのが現状だ。
「後はおれとデートしようよ」
「積極的だね、青年」
「さん、ゆりさんが戻ってからの未来がはっきりしないから」
今もは笑うだけだ。確かなことはゆりとの約束を守るということ。そういう意味では迅の視ている未来は間違っていない。約束を作ればはそれを守ろうとする。
栞を挟んで閉じた本に手を添えたまま、視線は迅に向けられている。迅の視線は時折に向き、手元に戻る。
「多分年の瀬は落ち着いてるから」
「年末は何かと忙しいかな」
「それもあるし、ちょっと暗躍の機会が増えそうなんだよね」
が思わず眉を寄せ迅に視線を向ければ迅はしっかりとを見ていた。してやったりと言わんばかりに微笑まれる。
「趣味なんだ」
「暗躍が? どんな趣味だよ」
未来視を止められない相手へ呆れ混じりの眼差しを送れば笑みを深められるばかりだ。
暗躍中は顔を合わせる機会が減るという。そして暗躍に関係して近界側の活動が活発になりそうなので外出には気をつけるようにと付け足すあたり迅の年の瀬の忙しさは平和なものとは縁遠い。
は顔を顰めてもそれだけだ。
「私はいいんだよ。一般市民はいつも通り、何かあれば落ち着いて避難するだけだからさ」
「それが一番大事で意外と難しいからね」
「まあなんとかする。私より、自分の心配しときな」
危ないのは迅だろうと、その言葉に迅が固まること数秒。
軽快なテンポの会話が途切れたことにが迅の名を呼ぶ。
「いや、何というか、新鮮な気持ち」
「何が?」
「こういう心配のされ方久しぶりだな、って」
今度はが沈黙する番だった。
お互い言葉はなく、目は合っている。困惑と照れくささを混ぜた眼差しを受け、一方は不満げな色を隠しもしない。
「心配されとけ、未成年」
「こういう時だけ未成年を出すのどうなの?」
「いいんだよ。そうでも言わないと受け取ってくれないんだから」
「……ありがとう、さん」
「どういたしまして。気持ちよく暗躍できるよう平和に過ごすから安心しな」
不敵な笑みを浮かべるの未来は相変わらずいくつもの分岐があったけれど危険なものはなく、迅はに笑って応えた。
「それで、デートは何するの」
「ノープラン。こんなにあっさりOK出ると思ってなかったから」
「散々二人で出かけてるのに?」
「デートとして誘うのは初めてだから。これでも緊張してるんだよ」
うーん、と考える素振りを見せながら迅は切った玉ねぎをどんどんトレーに移していく。目が染みることのないよう下処理をしていたのか迅が涙を見せることがない。玉ねぎを移し終わるとと冷蔵庫から鶏肉を取り出した。パックを開け、一口大に切っていく。
作業をしつつ考え中とアピールするような反応は話題を逸らそうとするような間と言っていいだろう。
後回しにされる気配を前にはにっこり、笑みを深めた。
「じゃあ、ドライブに行こう」
「はい?」
「遠くに行こうよ」
口調は落ち着いていたが妙案だと言わんばかりにの声色は弾んでいる。
運転はがすると言う。車は借りればいい。任務や急な未来予知があれば延期。
いくつかの疑問を浮かべるたびにはなんの問題もないと答えて解いていく。
「怖い?」
「どうして? ドライブ、いいと思う」
「じゃあ決まり」
行き先は選ばせて欲しいと言うに断る理由もなく迅は頷いた。
誘ったはずのデートは誘われているような形で決まり、そんな話題なんてなかったかのように別の話題に移った頃には小南が顔を見せ、人が集まる頃には食卓に親子丼が並んでいた。
「っていつまでここにいるの?」
親子丼を食べ終わり団欒の時間、は屋上で一服していた。十二月に入り屋上は川の上に建つ建物というとこもあり上着なしでは長居し辛い。
ストールを巻き電子タバコをチリチリと燃やすの背中に降ってきた声は前置きなしの直球ストレートで投げぬいてきた。
「ゆりが帰るまでは絶対。その後は決めてない」
「それが悪いわけじゃないけど」
「黙っていなくなるのはなしって言いに来たのよ」
タバコを消し、が振り返る先には小南が立っていた。
つり眉で真顔の姿は一見すると機嫌が悪いようにも見えるが纏う気配は静かで苛立ちも怒りもない。
ただ、小南の言葉も心配の色が滲んでいた。
「小南が嫌だから?」
「それもあるけど、迅がめちゃくちゃ落ち込むのがわかりきってるしそんなの毎日見てられないじゃない」
「めちゃくちゃかはわかんないけど、それなりに落ち込まれる気はするな」
何を言ってるのかと言わんばかりにやれやれとため息をつく様はの理解が足りないと暗に示している。
腰に手を当てて立ちはだかるような少女は頷かなければ屋上を出ることを許す気配はなさそうである。
「突然いなくなったりしなきゃいい。それだけ確認しときたかったの」
「ふらっと去る可能性は否定しないけど黙って、とかそんな薄情に見えた?」
「見えないけど念の為よ」
肩をすくめてやれやれと言わんばかりにため息を落とす小南は世話の焼ける弟を持った姉のようだ。
玉狛で林藤とレイジ、それに小南は特に迅に対して時折過保護な様子を見せる。ゆりもその気はあるが特に三人はわかりやすい。
「迅は末っ子気質か何か?」
「あいつひとりっ子よ」
律儀に答える小南には苦笑いだ。
「ひとりっ子っぽくないね」
「うちも昔はもっと人がいたから、それでじゃない?」
「アットホームな職場か」
玉狛支部は所属する人数よりも部屋が多い。客室以外にも扉に人の名前が書かれている空き部屋がある。
空き部屋の以前の主がどうなったかは聞いたことがなかったし、話題に出したのも今日が初めてだった。そして小南はそれを深掘りすることはなかった。
「とにかく、いなくなる前にちゃんと言うこと。わかった?」
「わかった」
引き留めたいと思っているであろう筆頭よりもその周りがどんどんの外堀を埋める。ただそれは不条理な別れを避けたいという言動ばかりだ。は別れの握手やハグをする日がきてもそれを厭う気持ちは起きそうもない。
「ゆりも小南も無理に引き留められるより名残惜しさが募るやり方だわ」
「じゃあ目的は達成してるわね」
ふふん、と胸を張る小南には両手をあげて降参した。
「小南は過保護だね」
「そりゃそうよ。迅ったら危なっかしいもの」
普段危なっかしい言動は小南の方が圧倒的に多かったがは黙って頷いた。
「目が離せないから離れ時を逃してる気はあるな」
「離れなきゃいけないわけじゃないでしょ?」
「そうだね」
「やらなきゃいけないことも、急ぐこともないわけでしょ?」
「終わってモラトリアム期間だね」
「じゃあいいじゃない。気になるだけあいつのこと見ておけば」
最近ちょっとビミョーなのよ。
小南の零すような一言は二人の間に妙に響く。
迅の口にした暗躍という言葉が脳裏を過ぎったがはそれを口にすることなく小南の言葉に頷くだけに留めた。
「小南は」
「なに?」
「可愛いやつだね」
「な?!」
夜空の下でも小南の顔が赤らむのがわかる。小南にとっては不意打ちだったのだろう。口にしたは狼狽える小南を見てくつくつ笑い出す。
からかいの言葉こそなかったが烏丸が小南にわかりやすい嘘を吐くことも周りが笑って見守っているのも納得である。
睨まれながらも笑いを落ち着かせたはぽつりと思わずといったように言葉を落とした。
「どこかに留まるってしたことないんだよな」
「別に怖いことなんか何もないわよ」
「怖い、ねえ」
「迅を大事にするのが怖いんでしょ。も迅も似た者同士じゃない」
小南の言葉に言葉が詰まる。
目を逸らすことのない視線はに突き刺さる。
「似た者同士に見える?」
「そうね。ある意味の方が怖がりね」
今度は小南が小さく笑う。
「迅は大事にするまでを怖がるけど大事にするって決めたら強いから」
「私は?」
「は大事にしないようにしてるでしょ」
容赦のない返事には両手を上げるしかない。
大事だったものはの中に丁寧に仕舞っているがは両手を空けるようにしている。すぐに降参できる程度に身軽だった。
迅のことは大事でも、この街が存外居心地が良くて長居をしていても、勢いをつければ離れられるように必要最低限の荷物はいつだってすぐまとめられるようにしている。
それをひとつ、ふたつ、みっつ。大小さまざまな重石をつけて行くなと留まるように促されている。
「怖くて逃げたいのは私か」
「何?」
「何でもないよ」
口の中で転がした言葉は収まりが悪く、夕方ドライブに誘った己を思い出し苦笑いを浮かべていた。
それからしばらくにとっては平穏な日々だった。
強いて言うならばサイレンの数がやや多く、宣言通り迅の顔を見る機会が減った。
玉狛支部では時折難しい顔をするレイジと一蹴する小南という珍しい組み合わせがあったが任務に関することなのだろう。街歩きは気をつけるようにと言われるだけでそれ以上なにか言われることはなかった。
の生活の中で迅の暗躍の成果は何も感じられなかったが師走の慌ただしい雰囲気に呑まれるように過ごしていればそれはある日突然現れた。
「おじゃましまーす」
勝手知ったるよその家ならぬよその防衛拠点。一般窓口を開設していない玉狛支部は以外の部外者はいない。少なくとも前回まではそうだった。
「おや?」
「ん?」
持ち込みの食材を冷蔵庫に、と部屋に足を踏み入れた瞬間動きが止まった。それはも、見知らぬ相手もだ。
真っ白な髪の少年が首を傾げてを見ていた。
「君誰? あ、私は」
「空閑遊真だよ」
「空閑クンはボーダーの人?」
「になる予定です。さんはボーダーの人?」
「いや、時々顔を見せる部外者」
「ほお?」
予定といえども部外者同士が玉狛支部内で顔を合わせるという奇妙な状況にお互い首を傾げていた。
状況を説明できる人間は間の悪いことに席を外しているらしい。
は食材の保存を優先させた。空閑と名乗る少年の横を通り冷蔵庫の前へ立つと持ち込みの食材を移していく。
「空閑クンは誰と一緒にここに?」
「修とチカとだよ。迅さんに誘われてきた。今はこなみ先輩を待ってるとこ」
「そっか。私屋上に行くから小南か誰かここに来たら食材置いてるって伝えてくれる?」
「いいよ」
「よろしく〜」
伝言を託してはその場を後にした。
トントントン、とリズムを刻んで慣れた屋上への道を上っていく。
施設内の生活区域は基本的に自由に行動することを許されている。とは言ってもはキッチンダイニング屋上ぐらいしか出入りしない。ゆりに誘われて彼女の部屋に何度か立ち入ったぐらいだ。
が一人で一服することも周知され、帰っていない場合は大抵屋上を覗かれる。
玉狛支部の喫煙者は林藤だが彼と屋上で鉢合わせることはあまりない。執務室で吸っていることが多いらしく、は必要な時以外彼とは接触していなかった。
「新キャラ登場は暗躍の機会も多い、か」
独特の雰囲気で十以上が離れているだろう相手にも物怖じせず、反対に値踏みするような視線を向けてくる少年。
迅が慌ただしく動き回る要因としては十分だろう。ひと目見て肝の据わった人物なのだとわかる。
目を閉じて深呼吸を何度か繰り返す。吐く息ごとに肩の力が抜ける。
少年の眼差しの強さが脳裏をよぎる。はあの類の眼差しを知っている。
「何がみえてるんだか」
吐く息と共に言葉は消える。
変化は誰の都合もお構いなく、どうなるかもはっきりしないまたやってくる。
の周りばかりが少し離れたところで慌ただしく、確かに変わろうとしていた。
(続・聖者の行進13)