「あれ?」
その姿が修の目に留まったのは偶然だった。
遊真と千佳が正式な入隊を迎える前だが、散歩を兼ね、ランク戦で舞台となる三門市内の区域を一度見てみようという話になったのだ。遊真が土地勘がないこともあり、良い案だと朝から待ち合わせて三人で玉狛支部を出てきた。
街中を歩いてはあれはなんだ、これはなんだと遊真の質問に修と千佳で説明していく中、もはや作戦のためではなく単なる三門市案内になりつつあった。
そんな最中に修が声を上げた。
「どうかしたのか?」
「迅さんがいる」
そう言われた遊真と千佳が視線を向ければ確かに迅がいた。
珍しくボーダーの隊服を着ておらず、私服を着ているのだが、珍しいのは服装だけではなかった。
「見たことない女の人と一緒だな」
「彼女さんかな?」
そう、冬の街中を歩く迅の隣には大人っぽい女性がにこにこ笑顔で迅の腕を組んで歩いている。
そういう恋愛事には疎い三人でもさすがにこれが恋人同士の、いわゆるデートであることは察せられた。少し離れているとはいえ向かい側から歩いてくるのだ。相手も当然三人組に気づかないはずがない。
迅は三人を見つけた瞬間一瞬目を見開いて驚いた後、人差し指をそっと口元に当て、内緒だと言わんばかりに微笑んでそのまますれ違っていった。
「迅さんなんだかいつもと雰囲気が違ったな」
「ちょっとドキドキしちゃったね」
その後の三人は結局通りがかりのファーストフード店で遊真が気になるメニューを頼んでシェアをし、訓練のために玉狛支部へと戻っていった。
***
「さっきのちびっこたちは?」
「今度玉狛に入る新人だよ。楽しみにしてて」
「久々のデートより後輩の成長の話の方に目を輝かせるとは愛が足りないんじゃない?」
言葉は試すようなのにの目は笑っている。隣でしっかりと腕を組んで迅に視線を送る彼女に迅はごめん、と笑って許しを請う。
年末は未確定だけれど、年始からは忙しくてお互いデートどころじゃなくなると思うよ、と苦笑いで忙殺を予告されたのは十一月の終わりの頃だった。
も迅もボーダーの所属だが本部と玉狛支部という別部署で、所在地も別々だ。さらには成人済みでA級隊員の中でも今はフリーで各種作戦に補充役として駆り出されている状態だ。基本的には防衛任務をこなしているけれどシフトの戦力調整や会議には出るように言われているし、学生を連れていきにくい外部向けの同行にそこそこ連れまわされて忙しなく働いている。
そうしてようやく、今日明日は絶対大丈夫だからと力強く頷かれた本日は朝から少々よそ見をされたがデート日和と言えるだろう。
「新人のこともさんのこともそれぞれ楽しみなんだよ」
「どーだか」
くすくすと笑うは上機嫌だ。今日はの行きたいところを優先すると話が決まっていて、これから観る映画もランチのお店も彼女の希望だ。迅の希望はの家に泊まりたい、なのでそれ以外は希望通り付き合うし、いつも通りのデートのコースだ。
「今日の映画は誰のおすすめ?」
「おすすめはされてないけど諏訪が貸してくれた小説が原作で面白そうだったからそれ」
諏訪さんか、と迅は密かに心のメモに諏訪の名前を記した。メモをしてどうなるものではないのだがもはや癖だった。
の映画選はもっぱら荒船と諏訪からだし、ランチのおすすめは月見、少し洒落た居酒屋は東や沢村、学生間の流行りに関しては情報源は多種多様である。
古株で面倒見の良い先輩は年齢を問わず人気だし、ライバルは当時潜在的なものも含めて随分多かったものだ。まあ今はおれの恋人だけどね、なんて本人は口にはしないが勘の良い人間にはだだ漏れである。
「悠一が薦めてくれるならそれを観るよ?」
「おれが調べるスピードよりさんの調べるスピードの方が早いよ。いつ調べてるの?」
「悠一が私を見てない間」
にやりと笑うに迅は怒ればいいのか苦笑いで済ませればいいかわからなくなって中途半端な顔をしてしまう。彼女の言う見ていない間というのはおそらく迅が暗躍だなんだと連絡もそこそこに動き回っていることだ。そしてそれはそんなに短い時間ではないことを迅は知っている。
このデートも確実に一緒に過ごせることをを視て何度も邪魔が入らないようにと祈ったのだ。玉狛支部に新しい面々もやって来て、遠征チームも帰還し、新人が正式入隊するまでの僅かな平穏だ。どうしようもないことだとわかっていても迅にとってと過ごせる時間は少なかった。
「ああ、ごめん。そんな顔させたいわけじゃなかった」
横顔からでも見抜かれたのだろう。組んだ腕を手のひらがぽんぽんと軽く撫でる。
「ただのやきもちだよ」
「そんな余裕のやきもちおれ知らないんだけど」
「それは年上の威厳ってものがありますから」
はからかうような声で答え、迅の二の腕をきゅっと自分の方へ引き寄せる。せっかくのデートなのだからと、何かを言って腕を離されることはするまいと、迅はひとまず黙ることとした。
「それに、愛は試しすぎても良くないって言われたし」
「誰に?」
「城戸さん」
勘弁して、と嘆く迅には声を出して笑った。
の選ぶ映画は人からのおすすめもあればベタな流行りの映画もあるし、単館上映されてるような映画もある。
今日は流行りのベタな恋愛もので、ストーリーは悪くなかったもののいかにも女性が好きなそれに迅は可もなく不可もなくの感想だ。は面白かったようなので問題ない。
「あの俳優さんかっこいいよね……この間別の映画にも出てたんだけどあれもかっこよかった」
「彼氏の前で他の男を褒められてもなあ」
「それとこれとは話が別。悠一もきれいだな、好みだなって人いるでしょう? まあそれ聞いてもやっとするのも私の勝手だけど」
「もやっとするんだ?」
「そりゃあね」
も含めて迅の周りの身近な女性は好みの顔立ちの芸能人を見ると途端に機嫌が良くなる。機嫌の大小はあるけれど人の観察に慣れた迅からするとそれぞれある程度わかりやすい。自分以外の男性で、と思わなくもないがお互い様だと言われれば両成敗だろう。
ランチにやって来たのは時折訪ねるの好きなカフェで、迅一人では入らないような女性客の多い店だ。日当たりが良く明るい店内は程よく暖まっていて、客の顔も明るい。木目調で統一している店内のインテリアはほっと落ち着く雰囲気だ。
ランチとしては迅には少々量が物足りないけれどカフェで飲み物を頼むのなら好みのコーヒーが出てくる。近くのコーヒー専門店から卸してるらしい。
美味しいものを口にすれば人間気も緩むというものだ。ランチプレートを食べ終え追加のデザートのラズベリーパイが目の前に出てくるとは頬を緩める。それを見れば迅も気分が落ち着く。ラズベリーパイと俳優ならおそらく今彼女はラズベリーパイを取るのだから。
「同じならいいか」
「ちゃーんと悠一くんが一番ですよって」
「馬鹿にされてる」
「してないしてない」
はラズベリーパイを一口頬張ると表情を緩めて笑いながらね、と同意を求めてくる。
どう頑張っても年下扱いされる時はされるし、甘えてくれる時は甘えてくれるのだ。迅はそうだねと大人になって頷いた。
「それより夕飯どうする? 食べて帰ってもいいし一緒に作るのでもいいし」
「まだ時間あるし作ろうよ。さんが明日からお弁当か夕飯に食べれるように副菜多めで」
「悠一はお母さんかな?」
「おれ彼氏もやってお母さんもやるの? 忙しいなあ」
ご飯は炊いたらいいし家にあるのは、とは眉間に皺を寄せながら冷蔵庫の中身を思い出している。困らない程度に掃除まではなんとかできたが冷蔵庫の中のことなど覚えていないのは傍から見てよくわかる。普段料理をまめにする方でもなくあるもので食べてしまうタイプなのだ。それぐらいは迅もわかってきた。
「もう少しゆっくりお茶をして、スーパー行くまでに思い出してね」
「玉ねぎ使ったかな? まだあったようななかったような……」
唸るにやっぱり笑いながら迅はのんびりコーヒーを口にする。
クリスマス近くのざわついた空気の中でイベントに興じない普段通りな様子はらしかったけれど、さてどうしようかな、とポケットに潜ませた小さな箱を転がしながら迅はうまくいきそうな気配だけは感じて肩の力を抜いた。
スーパーで買い物をし、食後のデザートも買いながらの家へ早めの帰宅だ。買ったものを仕分けて冷蔵庫に入れて、上着を片付けたり身を整えれば夕飯の準備だ。
迅はまずはお米を炊く準備をし、は野菜を切り始める。二人で料理の作業をするようになってから、はお腹の高さほどの棚兼作業台を買った。可動式で、一人のときも意外と重宝しているお気に入りだ。
炊飯器のスイッチを入れた瞬間、あ、と野菜を切るのを止めてが迅の方にその目を向ける。
「洗濯物干してた! 悠一取り込むだけ取り込んでくれない?」
「はいはい」
慣れた足取りで迅はベランダへと向かう。物干し竿にかかっているTシャツは南向きのこの部屋のベランダで冬場でもよく乾いている。ハンガーを手早く取り込み、下着が干されている一角はなるべく視線を避けるようにした。
「別に今更な気はするんだよな」
「何か言ったー?」
「なんにも!」
少し早い夕飯は炊きたてのご飯に具沢山のお味噌汁、ほうれん草のおひたしにそれから豚肉の生姜焼きというメニューとなった。豚肉は迅が一枚多い。
ついでに、とピーマンとじゃこの炒め目物も作ったがそちらは味見でつまむ程度で残りは作り置きだ。
「いただきます」
「いただきます。お味噌汁に卵入れるの、いいよね」
表情を緩ませて卵入りの味噌汁に手を付ける迅を見てもそうねと頷いて笑う。
「私は卵より食べる相手の方が大事だね」
「そう?」
日頃から玉狛支部で食事を摂る迅にとってはの言葉に頷きはしても体感としてはわかりづらいようだった。はそういうものよと笑っている。
迅がと付き合いだした頃にははもう一人で暮らしていて、迅からしてみればの一人暮らしは普通だった。
「みんなで集まって食べた方が美味しいでしょ。鍋とか」
「確かに。材料足りなくなりそうだけど」
「食べ盛りばっかりだもんね」
食べ盛りの鍋の様子でも想像したのだろう。は料理当番大変だと零す。
実際食べ盛りだらけなので鍋や大皿料理が多い。余ることはほとんど無いし、余っても次の朝には朝ご飯で消えている。小南のカレーは寝かせて食べたいという意見がたまに出てくるので玉狛支部の中で一番大きな鍋で作ることもある。それでも大半はなくなってしまうのだけれど。
「おれはさんと二人でゆっくりご飯食べるのも楽しいよ」
「おかず取り合いもないしね」
「そういうことじゃないんだけど」
「知ってる知ってる」
そうして二人で美味しく晩御飯を食べ終えたら迅が食器を洗って片付け、その間には取り込んでいた洗濯物を片付けた。食後のお茶を淹れて二人用のソファに沈み込んでが気に入っている映画を観始める。
も防衛隊員として任務につくため毎日同じ時間に家に帰ることは少なく、ドラマを観るよりは映画を観ることが多い。一緒にいると迅もと付き合う前よりは映画俳優について多少詳しくなっていた。
「さんこれ好きだよね」
「大きな事件と小さな事件が交差して最後まとまっていくのが好きなんだよね」
ドラマシリーズも映画シリーズもヒットした警察ものの作品だ。映画版は大きな殺人事件を主軸に署内での各部署で担当している事件も描かれていき、それぞれの事件が目まぐるしく展開していく。
が次第に体重を自分の方に寄せてくるのを感じながら迅は自分の頬が緩むのを感じる。彼女は顔も広いし恋愛感情抜きにモテるのだが、こんな風に緩んだ気配を見せるのは二人でいる時だけだ。
コートのポケットから抜き取った小さな箱は先程そっとソファのクッションに隠すように持ってきていた。
「ねえさん」
「んー?」
「手、出して」
そうすると手を繋ぐと思ったのか手の平を下にしてひょいと持ち上げられる。反対、と言えば反対の手を差し出されて迅は思わず吹き出した。今日はアルコールは含んでいないはずだ。
「違うよ。手の平上にして」
「あ、そういうこと」
くるりと向けられた手は迅のそれよりも小さくて柔らかそうだ。そのまま手を重ねたくなる気持ちを抑えて迅はクッションの下から箱を取り出してぽんとその手に置いた。小さめの立方体の箱はいかにもアクセサリーが入っていますという大きさとデザインだ。
「……え?」
「当日は無理そうだったから。メリークリスマス、さん」
「え、ええ?」
してやったりと笑う迅にはぽかんと口を開けて見つめている。次第に頬が赤くなっていくのがわかる。
「待って聞いてない」
「言ってないもん」
「嘘でしょ。私忘れてたよ」
「知ってる」
今日の約束を決める時、はイヴもクリスマス当日も防衛任務に根付さんの付き添いに忙しいのだとぼやいていた。そこに十二月の日付感覚は薄く、働き出すと季節のイベントが遠くなると言っていたなと迅は思い出したものだ。
今日もクリスマスイルミネーションを目にしているのに流しているところからも自分と無関係だと思っているのは見て取れた。他の季節のイベントも基本的には触れないのでもともと興味がないのだろう。
「あー、なんであんなにシフト変わろうかって東に言われたのか理解した」
「で、貰ってくれる?」
「貰わないわけないじゃん」
はあ、と息を吐きながらは手のひらに乗った箱を恐る恐る開けてみる。
正方形サイズのその箱の中には小さなペンダントトップがきらきら。虹色がかった小さなオパールのすぐ下には小さく輝くダイヤモンド。全体的にシンプルでまとまっているデザインは日頃から使うことも考えられているものだろう。
はそれをまじまじと見つめ、目の前の恋人が、年下の、恐らくは彼が初めてジュエリー専門店に行き、店員と共にこのネックレスを選ぶ様を想像して、そして言葉が何も出なかった。感極まるとはまさに今日今この瞬間だろう。は胸に迫る熱い衝動に目眩すら起こしそうだった。
「……」
「ネックレスの方がいつもつけてもらえるかなって」
「かわいい。ありがとう」
言葉は少ないけれど目をうるませて唇を噛み締めるに迅は自分の表情が緩むのを感じた。それを見たがさらに目を細めて笑う。
のかわいいが目の前のネックレスと目の前の恋人にかかっていることなんて迅は気がついていないだろう。
流れて映画を見る暇もなく、二人共がお互いを見ている。
「悠一、せっかくだからつけて?」
「はいはい」
「はいは一回」
「はい」
箱の中から飾られているネックレスを取り出して迅に渡しては背を向ける。付けやすいようにと少し俯いたの髪や服に注意しながら迅は留め具を外すとそっとそれをの付ける。留め具をはめる時に手こずった不慣れさにがくすくすと笑ったけれど無事にの首元には虹色がかった乳白色と光を帯びて小さくきらめく透明な輝きがある。
「やっぱり似合う」
「本当? 待って、鏡出す」
ソファのすぐ近くのローテーブルの下から折りたたみの鏡を出してが首元に鏡を当てる。
ほう、と改めて蕩けるような吐息と指先がそっと確かめるようにペンダントトップへと伸びていく。
「私、こんな素敵なものへのお返し思いつかない」
「……じゃあ、お願い、聞いてくれる?」
「いいよ」
聞かずに頷いて安請け合いはだめだよと迅は笑って、それからソファで座り直せばも合わせるように迅に向かい合えるように斜めに座り直す。手元の鏡もそっとテーブルに移す。
「それ、できるだけいつも着けてて欲しいのがひとつ」
「もちろん」
「虫よけだから」
「それは、随分きれいな虫よけだ」
くすりと笑うはわかったとにこにこ頷く。弟子も元チームメイトも友人関係もたくさんあるに誰とも仲良くしないで欲しいなんて言うほど迅は子どもではない。でも、この人は自分の恋人だと声を大にしたいことぐらいはあるのだ。
機嫌の良いを迅はその腕の中に軽い力で抱き寄せる。はぽすん、とされるがままに頭を肩に預けるとそのままするりと近寄ってその腕を迅の背中に回す。
「……あと」
「あと?」
「……いつでも、さん家行ってもいいかな」
回した腕を先程よりもやや強く、が苦しくない程度にして逃げられないようにしてしまう。断られたくない心理はわかりやすく、迅は自分のスマートではないやり方に見えないからと苦い顔だ。予定ではこんな言い方をするはずではなかった。
迅の背中をの手のひらが撫ぜていく。ぽんぽんと、あやすようにリズムをつけて背中を軽く叩かれる。
迅の腕の力が緩んだ頃、はくすぐったそうな声で言葉を紡ぐ。
「クリスマスプレゼントはキーケースにしようか。買い物行けるの年末になりそうだけど」
わざと軽く聞かせるような声色に迅は思わず腕の力を強める。ぎゅっ、と、が思わず声を漏らすぐらい。
「ごめん、力入れ過ぎた」
「いいよ。いいけど、忙しいと部屋荒れてるからね?」
「ちゃんと行く時は連絡する」
「雑用頼むかもよ?」
「洗濯物取り込んでとか?」
「下着も畳んでとか」
「それたまにやるじゃん」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
肩越しに笑い合っていれば腕の力は緩み、顔を見合わせては近づいて、目を閉じれば軽く唇が触れ合う。
じゃれ合うように触れ合って、しばらく経ってがさ、と口を開いた。映画はいつの間にか終盤だ。
「お風呂入らなきゃ」
「ええー」
「ほら、さっさと入ろ」
「あ。一緒に入るのもクリスマスプレゼントに」
「悠一?」
「だめ?」
今度はが唸る。ね、とするすると手が背中を撫でればの態度は悪くはない。
駄目押しでこういう時ばかりは年下という要素を発揮して甘えるようなねだるような言い方に変えてみる。
そうすればが陥落するのも時間の問題で、お風呂を上がる頃には映画はエンドロールも全て流れ切っていそうだった。
(こいびとびより)