“ヒーロー”ってものに、憧れてたんだ。
 小さい子どもだった頃、誰しも一度はその存在について思いを馳せるだろう。悪の存在を倒してみんなの平和を守るヒーロー。悪役にさらわれたヒロインを助け出すヒーロー。仲間と共に立ち向かったり、仲間のために一人でも立ち向かったり。愛の力で危機を乗り越えたり。愛と平和を天秤にかけたり。
 とにかく、何かしらのヒーローやヒロイン、物語の主人公に誰しも憧れを抱いたことはあるだろう。
 かくいうおれもそんなありきたりな子どもで、あんな風に救ってみたいなんて望んだことがあったんだ。
 まさか本当に、世界を救うヒーローみたいなことするなんて、思いもしなかったけどさ。

「……嘘でしょ」
「どうした迅、何か視たのか?」

 その日、暗躍のためにと人の姿をあちこち視界にかすめて、ほとんどがなんてことのない、平和の範疇の未来にほっとしながらそろそろ帰ろうかなと思っていたところだった。
 このあと麻雀で勝ち越すらしい東さんにそれを悟らせまいと当たり障りのない会話をして、諏訪隊の作戦室の面子まで視てから帰ろうと、そう思ったら、部屋に入った途端めまいがした。
 なんで。どうして。
 中にいたのは諏訪さん、太刀川さん、それからさん。いつも通りの面子で、ほとんどいつも通りの未来が視えたはずだった。
 なるべく未来に関してリアクションしないようにと昔からの癖になっている笑顔も今は崩れ落ちて、嘘だ嘘だと頭の中でおれが叫びだした。これ以上はやばいと、顔だけがなんてことない日常の、少し外れた未来を視たみたいな、そんな驚いた顔を繕って。この時ばかりは妙に器用な自分に感謝した。
 棒立ちになったおれを東さんの視線が不審げで、太刀川さんは確かめるように、諏訪さんとさんはただ首を傾げていた。一刻も早くここから逃げ出したかった。

「あ~、おれ、ちょっと、急ぎの用事。帰るね」
「気をつけてな」

 全員が強く引き留めず、何も聞いてくれないことに今は感謝する。
 ろくに顔を見ないまま、それから誰の顔も視ないように必死に廊下を歩く。だんだんと早足になって、最後には駆けだして、駆け抜けて、屋上に向かった。開けた先は誰もいなくて、そのことに心底ほっとした。
 それから口にしようとするでもなく、言葉が落ちた。

「なんで」

 最高に最低のおれのサイドエフェクトは直近の未来を視て、確定に近い未来はかなり遠くまで視える。
 なのに、あの時あの中にいたあの人の未来がほとんど視えなかった。"ほとんど確定している"のに"視え"なかった。
 それが指す未来は絶望的だった。未来は恐ろしいほど選択肢がなく、ほとんどは道の先が暗闇だった。
 何がどうしていつの間に。
 わけがわからない事態におれは気が付いたら座り込んで、頭を抱えている。いつの間にこんな状態になってたのかわからない。
 よろよろと頭を上げて、見上げた視界は快晴。雲一つない。警戒区域は座り込んでる視点でもきれいに見渡せて、世界は平和だった。

「こんなに平和なのに」
「なんで」
「ねえ、なんで明日、いないの」
「ねえ、なんでなの」

 掠れた声で名前を呼んでもその人は今頃いつも通り麻雀をしてる。今日はおそらく負け越さないぐらいだろう。東さんが圧倒的に強いだけだ。
 当たり前のような今日が決まっているのに、明日は本当は地続きじゃないなんて、知っていたはずなのに。
 どうして、人は明日も大切な人と一緒に過ごせるなんて簡単に奇跡を信じて生きていられるんだろう。
 何度もそうじゃないことを、おれは知っていたのに。未来は流動的で、不確定で、目を離せばすぐに揺らいでしまうんだって。
 それだからこそ未来は面白いんだと言ったのはおれの未来なんて覆すって笑っていた太刀川さんだったかな。でも、もう数えるほどしか選択肢のない、道の先が視えない未来は、どうしたらいいんだろう。おれは、この絶望をもう味わいたくなんてなかった。

「……おれ、ヒーロー失格でいいや」

 ヒーローは、世界を救うものだ。
 おれはヒーローになりたくて、幸か不幸かヒーローみたいに街の平和を守ることができる、そんな便利な最高で最低な力を持っていた。
 たくさん救った。たくさん見捨てた。たくさん選んだ。
 でも、今からおれは、おれのために未来を選ぶ。
 視えた未来は数えられるほど。でも、道は潰えたわけじゃない。細くて脆い糸を慎重に手繰り寄せれるならば、きっと未来は手に入る。
 そういうつもりで始めたわけじゃない秘密の計画を頭に浮かべた。まさかこんなに早く、そんなことになるとは思いもしなかった。

「おれは、世界を救うヒーローもなりたかったけど、それよりも、一番はやっぱり、捕らわれたヒロインを救うヒーローになりたかったんだよ、さん」

 ごめんね。
 おれは世界の平和をずっと守るヒーローより、明日死んじゃう好きな人の方が、大事だった。
 例えばそれが、おれがいない世界の始まりだとしても。









「死に急ぎたかったわけじゃないんだけどなあ」

 死にかけで開発室で横たわっているおれに鬼怒田さんが怒髪天だ。うん、鬼怒田さんは怒ると思ってた。
 でも、どうしたって彼女が死にかける時、おれはトリオン体にはなれない状態で、その状態でも彼女を助けないと、それ以外の彼女はイレギュラーゲートに現れたトリオン兵にあっという間に命を奪われてしまっていた。
 視た瞬間からそのどうしようもない未来を避けるためにはおれが彼女を守る以外になくて、その先におれの未来は億に一つもないとしても、それをおれがしないわけ、なかった。

「怒ると血管きれちゃうよ鬼怒田さん。それに、鬼怒田さん、多分、"おれ"は明日もいるから、今までよりちょっと困るけど、壊滅的、って感じではないよ」
「迅、何を」

 どういう風になるのか、おれはさっきまでいまいちわからなかったけれど、人間、死にそうになるとわかるもんなんだなあなんて、痛みもマヒした体で考える。もう声もほとんど聞こえない。
 おれはこの世界のヒーローになりたくて、でも、それよりももっと、ヒロインを助けるヒーローになりたくて、もっと言えば好きな人ひとり助けられない男になんて死んでもなりたくなかった。
 この後の未来は、おれはもう視られないけれど、"おれ"はとりあえずしばらくはうまくやるみたいで、おれの結果が彼女にバレさえしなければ、もうそれでよかった。

「サイドエフェクト持ちは黒トリガー成功率高いって、知ってた?」

 笑って力いっぱい手を握り締めて、今持っている力全て込めれば、鬼怒田さんが泣きながら怒っていた。そんな顔をされるなんて、おれって案外好かれてたんだなんて笑みはさらにこぼれた。
 ほとんど誰にも知られないでいい。衝撃で気を失っちゃったさんが無事だって、それだけ聞けたらもう十分だった。

「おれは"おれ"にしかこんな力、扱わせないよ」

 どうか”おれ"が欠片でもいい。おれの大事な人を守る未来を多く選びますように。
 体の感覚が溶けて、溶けて。
 おれにはもう、なんにも視えなくなっていた。



(What's the hero made of?)