「出水ってボーダーの中で結構強いでしょ」

 七月の放課後、一学期の早退分の課題をせっせと取り組む出水と米屋に話しかけてきたのは学年でも美人だと噂のクラスメイトのだった。

「お、よくわかんな。こいつ一番強いチームで結構強いよ」
「米屋」
「やっぱり? 米屋も強そう」
「俺? 俺んとこは出水のとこよりはランク下だけどまあまあな」

 整った顔立ちの彼女は黙っているととても大人っぽく、出水はクラスメイトなのに妙に緊張してしまう。
 米屋はそんなことなく、彼は学校であろうとボーダーであろうと誰とでも分け隔てなくしゃべれる人間だ。
 出水はボーダーでこそ付き合いが長い人も多いし勝手がわかるからのびのびやれているけれど学校ではどうかというと少し違った。

「ボーダーの正隊員の子ってうちの学年にも何人かいるでしょう? なんとなく見てたらわかるよ」
「そういうもん?」
「私だけかもしれないけどね。なんとなく、雰囲気かな?」

 米屋は美人を相手にしても堂々と喋ってみせる。出水だってボーダーきっての美女の加古とも普通に話せるけれど学年の美人な子と普通に話せるかというとそれとこれとは話が別だった。現に、今出水は米屋を呼んだ以外で口を開けていない。

「出水、問3それ多分違うよ」
「えっ、マジで」
「こないだ例題でやってたから間違いないはず」

 んー、と悩んでみるが一緒に取り組んでいる米屋はそこまでたどり着いてないらしくわっかんねえ、と、唸っている。こいつの進級大丈夫かなと、出水は密かに心配している。
 米屋は出水の隣の机で課題に取り組んでいて、はするりと出水の前の席に横座りになって出水と向かい合った。切り替わったばかりの夏服のセーラーの襟がひらりと揺れて、いい匂いがしそうだなと出水はぼんやり考えて、それから慌ててその考えを振り払った。

「これはね、多分途中の式が違って……」
「あ、これか」
「それそれ」

 彼女に言われた通りに式を見れば確かに途中で間違っていた。経過式を消して、もう一度やり直せば先程とは異なる答えが出てくる。

「ありがと、さん」
「どういたしまして。他にわかるとこあれば教えるよ」
「助かるけど、用があるから残ってたんじゃないの?」
「ん? まあ。でも用事終わって荷物取り来たら君らいるからお勉強付き合おうかなって。わかんなかったらごめんね」

 ああ、多分告白されたんだなと出水は気づいたけれどなんてことないように彼女が振る舞うのでそっかと頷いた。
 学校での出水はただの高校二年生で、勉強は普通、運動神経もまあ普通、ただ普通の高校生だった。

「おーい、米屋いるか?」
「げ、どしたんすか先生」

 ひょいと、放課後の教室に現国の教師が現れた。わざわざやって来ると言えば昨日二人で出した課題のことだろうか。

「げ、ということはお前出した課題がまずかったのわかってたな?」
「いや、えーっと」
「ちょっと職員室来い」
「でも俺今数学の課題やってんすよー」
「ちょうどいい。今井先生いるからわからんとこ聞けばいいだろう」

 問答無用、という調子で目の前にやって来られては米屋も避けようがない。あちゃあ、という顔をして目の前の課題をまとめだした。

「俺が帰らなかったらカバンは頼んだ……!」
「帰すわバカタレ」
「ういーっす」

 軽い調子でひらひら手を振って去っていく米屋に出水は思わず声をかけそうになったけれど平気な顔をしてばーか、とからかうしかできなかった。まさか目の前のクラスメイトに緊張しているなんて、バレているかもしれないけどわかりやすくバレたくはなかった。
 他には誰も残っていない教室で、グラウンドでは部活をしている生徒の声が窓越しに聞こえてくる。日中人がひしめいているざわめきからは遠い、けれど静かでもないそんな空間だった。
 出水は出水で課題の続きをやらなければならなかったけれどはこのタイミングで帰ったっておかしくなかったのになぜかそのまま座ったままで、出水の課題を反対側から眺めている。
 部活はしてないし、日焼けも気にしているのか出水よりは焼けていない肌が白いセーラーからすらりと伸びている。机に肘をついて口元に手を当ててじっと見てるのはプリントの問題式だ。反対側から読んでいるからか少し顔をしかめてなんとか読もうとしている。
 突然の二人きりの放課後に出水はどうしようと思ったけれどどうしようもないのでとにかく目の前の課題をやるしかない。から視線を外して必修にプリントを見つめる。ちらりと覗く鎖骨なんて見えていない。
 何問か、問題を解いたころだった。

「出水さ、学校でいる時ちょっと落ち着かない気分になるときない?」
「え」

 何の脈絡もなく突然振られた話題に一瞬意味が分からずにふっと顔を上げた。

「ボーダーの方が居心地いいでしょ、出水」

 わかりきったように笑う彼女の怪しげにも見える笑みに出水は返事ができなかった。図星だった。

「やっぱり」
「……なんでわかったの、さん」
「んー、それは、ずっと見てたのと」

 え、見てたのなんで、え、と慌てる暇なんて彼女は与えてくれなかった。

「私と似てるなって。私が家にいる時と似てるんだよね、学校の出水」

 ふふっと笑う彼女の言っていることは微笑みとは反対に出水にとっては不穏な意味を伴ったのだけれど当人は何てことのない顔だった。

さん、家で居心地悪いの」
「うん。私家の落ちこぼれだから。医者一家でお姉ちゃんもお兄ちゃんも医大行ってるのに私だけ行けそうにもないから居心地悪いったらないよー」

 困るよね、頑張ったってわからないんだもんと、彼女は笑っているけれど出水ならそんな家とっとと出ていきたい。一刻も早くだ。
 顔に出ていたんだろう。慣れてるから大丈夫と言われて出水は頷くしかできなかった。家で平和な出水にとってそれは想像できない家庭だ。

「どこにいたらいいのか困るから部屋に引きこもってるんだけど、出水くんそういう感じが学校であるから」
「そんなにバレバレ?」
「そうでもないと思うよ。まあボーダーの子といる時の方が騒いでるなって思うけど仲良いんだなって思われてるだけだと思う」
「じゃあなんで」

 なんでさんわかったの。
 声にならなかった部分を彼女はちゃんと聞き取って、それはね、と口を開く。

「同じクラスになってから出水のことたまに見てたから」
「それは、なんで?」

 もしかして、なんて妙な期待を持ち掛けて、いやいやと心の中で頭を振る。
 がもしもボーダーの隊員であったなら、あるいは出水は期待したかもしれない。ボーダーの出水は自分でも自信があったから。
 でも、学校での出水はただの、普通の高校生だった。たまに特別早退をする防衛隊員らしい、出水公平。何をしているかなんて言いふらすつもりもなかったし、学校でそれを求めているわけでもなかった。

「出水、去年の夏休みってボーダーの子補習で学校に出てた日あるでしょ?」
「あー、あった。あまりに成績ヤバそうだからって夏休みに何人か呼び出されてた」

 そんなことあったなと思って、けれど普通の生徒は出校日なんてなかったしその頃は部活生ぐらいしかいなかったはずだった。は部活には入っていないのを出水は知っている。

「出水、自分のジャージ貸したの覚えてる?」
「ジャージ? …………えっ?! あれ、さん?!」
「そう、私」

 照れくさそうに笑う彼女は去年の夏の日もその白いセーラー服を着て、そして校舎の入り口で座り込んでいた。
 座り込んでうつ向いている人影に気が付いたのは出水も学校に着いたばかりだったからだ。本日は快晴、けれど時々通り雨に注意、なんて天気予報を聞き流し、雲一つない空にこれはいけると折り畳み傘なんて持たずに学校へ向かったところ見事に通り雨に遭遇した。
 幸い雨宿りできるところがあったので通り雨が過ぎ去るのを待ち、不幸中の幸いだったなあと憂鬱な補習会場へと向かっていたところ、隅でうずくまっている人影を見つけたのだ。
 一瞬驚いて、なんでこんなところに人がと思ったけれどすぐに気が付いたのは彼女は全身ずぶ濡れで、出水は雨宿りできたけれど彼女は運悪く雨宿りできずに通り雨に濡れたのだとわかった。それから夏服のセーラー服がぴたりと体に張り付いて、下に着ているものの線までくっきりと見えているから彼女はそこから動けないのだということもわかった。
「ちょっと、そこのあんた、今動けないんだろ? ちょっと待ってて」
「え」
 見ず知らずの出水ですらその姿はまずいとわかる。慌てて教室に走って置きっぱなしのジャージをロッカーから取り出した。とても幸運なことに洗濯してからほとんど使ってない。使っても一度か二度だ。くんくんと匂いを嗅いでも汗臭さはなかった。
 それからもう一度ダッシュで彼女のもとに戻り、顔も見ずにジャージを突きつけた。
「一回ぐらい使ってるかもだけど臭くないから。で、なるべく見ないようにしてるけど直接返すの嫌だろうから俺のロッカーに勝手に返してくれたらいいよ。それか机の上。俺今廊下側の一番後ろの席だから、置いといてくれたらわかる」
「……ありがとう」
「1-Bの出水だから。じゃ、俺補習あるから行くわ!」
 そうしてジャージを突きつけて、補習に他の隊員たちと呻きながらも参加して、補習の最終日に教室を覗いたら机の上に紙袋があって、ジャージとオシャレな包装をされた焼き菓子とありがとうございました、の一言メッセージが添えられてあった。

「あの時たまたま学校に用があって、ずぶ濡れだけど歩くと下着透けてるのバレちゃうしどうしようってパニックになってたから助かった。ありがとう」
「お礼ならちゃんとあの時もらったしあれは女子なら名乗り出にくいだろ。……でも、だから?」
「それで出水のこと覚えてて、同じクラスになってからなんとなく、見てた、かな?」

 なるほどとうなずいた。なんで俺みたいなのがさんに、と思った謎が一つ解けたし善行はいつか自分に報われるのだなと実感した。

「それで気にして見てたらなんだか出水って私と似てるんじゃないかって、そう思って。違うかもしれないけど」
「俺がさんと同じっていうのはなんかこう、」
「こう?」

 首を傾げて上目遣いをされることの威力を彼女は知らないのだろうか。そう思ったけれど目の前の彼女は平然と答えを期待しているし、ボーダーの美女美少女も中にはこういうタイプがいるので小悪魔、と出水は心の中でつぶやいて、それでいて俺にしてくれて最高、と矛盾した気持ちも抱えていた。

「違うんじゃないかなって」
「そうかな? そんなのちゃんと話してみないとわかんないよ?」
「まあそりゃ、そうだけど」

 もしかして、もしかするんじゃないだろうか。出水の心がそわそわと落ち着きなく揺れ動いていく。目の前の彼女はそんな出水の気持ちの揺れもわかっているのかと思うぐらい余裕たっぷりだ。今の出水はトリオン体でもなければ己の技巧に自信満々の射手でもなんでもなくただの高校生で、そして彼女は家で居心地の悪い女の子ではなく、学年で美人と話題の高校生だった。

「出水、夏休み、デートしようよ」

 瞬きすること数度。

「マジで?」
「うん。マジで」

 断られるなんてみじんも思っていない彼女の微笑みに、出水はその通り諸手を挙げて降参する以外に取る手はなかった。
 学期末のテストも終わったばかり。夏休みはもうすぐ目の前だった。



(春と呼ぶには近すぎる)