「馬鹿か」
その言葉にへらりと頬が緩んでしまった。上から目線で完全に見下され呆れられているというのに私は心から喜んでいる。いつの間に私はこんなマゾになったんだ。罵倒されてもちっとも嬉しくないはずなのに馬鹿と言われて喜んでいる。
「リオンさま、馬鹿と言われて苛立つどころか嬉しがってる私はどうすべきですか」
「その意識を直ちに捨てろ」
「えー、なんか今すごくイイ感じなんですが」
仮にも乙女の部屋にずかずかと入ってきて、その割に入口近くの壁に寄り掛かっているリオンさまはいつものように美しい。枝毛なんてないんだろう髪、紫苑の瞳はいつも通り綺麗な色だ。ベッドで横から見ていてもそのぐらいはすぐにわかる。
いつもの私ならリオンさまの口先の言葉にカッとして、主人でも関係なく敬語で暴言吐いてるところだ。今日は違う。頭がカッとなりすぎてて逆に冷静だ。物理的にカッとなっている。脳みそまで熱くて目も回っている気がする。
だからなのか、いつもならすでに口喧嘩に発展しているだろう段階に来てもなお会話が成立していた。
「いつもならもうリオンさまに殴りかかってると思うんですけどまだお話できてるんですよ? 風邪で頭がぐわんぐわんしているんですけどこれで寝るのもったいないです」
「熱で頭までイカれてるからだろう。早く寝ろ」
「今日はリオンさまの優しいとこたくさん見つけたから寝たくないです」
へらーっと笑ったらリオンさまはぎょっとしたらしく体が固まっている。図星なのか私の笑いが気持ち悪いのか。
だってリオンさま、いつも口喧嘩ばかりするお供の家にやってきてお見舞いに来てくれるなんて、私思わなかったですよ。そうして遠慮がちに入って決してベッドの近くにまでやって来ないその遠慮がちな態度が、いつもの傍若無人なリオンさまからは想像ができないぐらい控えめで、弱っている私が近くにこれ以上寄ってほしくないのをわかっているのだと、私わかってしまいましたよ。
へらへらと笑ってリオンさまを見つめていればリオンさまは視線を下に向けてしばらくしてなんとも言えない顔をした。いつものことだけどあれはなんなんだ。リオンさまの不思議なところだ。見えない何かを見ている感じだ。そこにはリオンさまの愛刀しかないのだけれどなんだ、剣がお友だちっていくらリオンさまが少年の年頃といってもかなりヤバイ感じがした。言ったら剣で斬られそうだから言ったことはない。
「とっとと寝てしまえ。僕は土産を持ってすぐ帰る」
「土産?」
「お前の母からもらった」
ぐるぐるする頭で必死に考えてゾッとした。風邪の寒気とは別だ。
それはお母様あれ、あれじゃないか。私がマリアンさんに教えてもらって家でのおやつに作ったあれ。
家で作っていたら母さんはそれはもう嬉しそうに笑ってきたんだよ。あらあらまあまあとか言って手作りは喜ばれるわねなんて言われて。あれは勝手に母さんに包装されたやつだよ。そうして私は珍しくも厨房に立ったからかすぐに熱を出して倒れたんだ。前日通り雨に濡れて楽しくなって踊りながら帰ったからかもしれないけれど。
でも問題はそんなことじゃない。私の作ったおやつ! そう、私のプリンの危機である!
「か、会心の出来なんですよあのプリン!」
「僕のだと聞いたが?」
リオンさまの手にあるそれは私が記憶しているよりも丁寧に包まれていた。お母様あんたいつのまにさらに可愛いラッピングしてるんだ。それよりなんでリオンさま喜んでるんだ。私の手作りなのに。というか自分用のプリンだったのに。
マリアンさんに「出来たらみんなで食べましょう? あの子は喜ぶと思うわ」なんてそれはマリアンさんの冗談だと思ったんだけど。期待していたなんてことはない。いくらリオンさまがプリンが好きでも。私が食べるためだけのプリンだったはずだ。
「リオンさま、正気ですか」
「お前の方が正気か?」
プリンを目の前に彼の目は据わっていた。それが私にもわかる。
プリン、好きですもんね。今日の私は正気じゃないのも事実だものね。そんな私の手作りすらプリンということで払拭されてるんですよね。そういうことにしよう。
「私が作ったやつですよ」
「お前が作ったなら何かあれば責任追及してやる」
「ありがとうございます。感想くれないと呪いますから」
「ふざけるなさっさと寝ろ」
気遣ってくれてるのは最初の発言どころか家に訪ねてきてくれた時点でもう丸分かりなんだけどもう少しやり方があるよリオンさま。花やら果物やら持ってきてよ。むしろ好物が欲しい。
まあ、実は母さんに花やら果物やら預けてることは後から知るんだけどリオンさまは本当に素直じゃない。
「リオンさま」
ドアノブに手を掛けたリオンさま。開きかけて、私の声の後、そのドアが開かれる前のまま止まる。その場に立ち止まる気配。
「王族御用達のお菓子屋のプリンを見舞品にお願いします」
「病人ならもっとおとなしくしておけ」
「せっかく作った大好物、取られたんだから良いじゃないですか」
マリアンさんのプリンを食べてから大好きになったプリン。自分でもあの味が出せるようにとマリアンさんにレシピをもらって研究を重ねたプリン。
自分のために作ったのも確かだけどもしかしたらと目の前のリオンさまに期待していたことは内緒だ。もらわれて喜んでるなんて知られたらそれこそ頭がおかしいと言われてしまう。
「……高い」
「客員騎士が何言いますか。この間買ってたの知ってますよ」
「目敏い奴だな」
私が気になって仕方がなくて店を見てたらほくほく顔で出て来たのはあなたですリオンさま。私に何も言ってくれなかった薄情ものですあなた。私が同じぐらいプリン好きって知ってるのに。なんていう仕打ちだろうか。でもそれも許せている私も相当だと思った。
呆れたように笑ってきたリオンさまが眩しい。これは風邪の症状じゃないと思う。ときどき眩暈がするぐらいに眩しくなるのだ、リオンさま。それから今回もいつもなら気付かない遠まわしな言い方で嬉しいことを言ってくれた。
「……稽古の相手がいないと困るからな」
「はい。治りますからプリンでお見舞いお願いします」
素っ気なく出て行く姿を見送りながら本当はプリンよりリオンさまのお見舞いの方が貴重だと思っていることは内緒にしておいた。
後日持ってきてくれたプリンは絶品だったけど熱の引いた私はリオンさまといつものように盛大な口喧嘩をした。
(眩暈)