「ここが僕の目的地だ」
「古都ダリルシェイド、か。少年もまた因縁の場所を選んだね」
それは私にとっての因縁なのだがどうやら少年にも当てはまるところはあるらしい。ドキリとしたかのように身を震わせた。
ああ、彼もここに何かあるのだ。それを私は知らない。知る立場にはいない。
「私の家。ここにあったんだよ。この街で一番大きかったけど、もう今はなんにもないね」
「一番って」
この街は十八年前までは王都だった。王都で一番大きな家といえば一番偉い人が住む。私はそんな場所に住んで、女の子だからと猫可愛がりされて育ったのだ。それも今は誰も知らないことだし、私にとっても口にするつもりのない過去だった。
なんとなく、口にしたそれに仮面の奥で少年が驚いたのが分かる。シャルティエも小さく声を漏らした。私はただにこにこ笑って話はおしまいとした。もう大きなお城も臣下もいない、ここは抜け殻だから。
古都ダリルシェイドは十八年前のあの時代のあとから復興されることもなく難民が細々と暮らすさびれた場所へと変化していた。あの頃の活気は消え失せそのすべてはアイグレッテに持っていかれている。
私がここにいた十八年前とは何もかも変わった。あの華やかな街は二度と元には戻らない。私の過去も戻らない。
私は今を生きてる。だから古都のさびしさよりも目の前の少年の生を願う。
私は少年を助けたという事実を傲慢に持ち続け、彼に生きろと命令する権利を所有しよう。私が少年の存在を固定しよう。傲慢さは毒にもなるけれど彼の重石になれば良い。嫌われようと、重石があれば彼は存在できる。
「ねえ少年、生きてね。とりあえず百歳は生きて欲しいところだ」
「そんなに生きれるわけがないだろう。それに僕は、」
「ネガティブ発言を禁止する。長寿が無理ならせめて生き急がない。自己犠牲などもってのほかだ。少年は少年のしたいことをして生きれば良い。そしてその信念の下に死ぬのならまだ許せるかもしれない」
この少年が死ぬというところを私は考えたくない。私が目の黒いうちはしぶとく生きていて欲しい。案外薄幸そうだから心配になってきた。
古都の入り口でしみじみ別れる男女の図はおかしなものに見えたのだろう。じろじろと見てくる人間がいたけれどそんなもの気にしない。見たければ見とけ。ふん。
「少年、さびしくなったら私のところにおいで!」
「誰が行くか」
「しばらくは家にいるつもりだからさ。ここで用事が終わって気が向いたらおいでよ」
少年のために言っていることにして本当は私が少年との再会を望んでる。不確かな可能性を残したがっている。執着してることには見て見ぬ振りをする。
少年は気が向いたらな、と結局は頷いてくれる。それが嘘でも私はその嘘を丸ごと信じるから嬉しいのだ。来なければ来た時に馬鹿と呼ぶ準備が出来る。
「少年、いまさらな話をしても良い?」
「何をだ」
「私も少年も、お互いの名前も歳も出身も、何もかも知らない。最後に何か教えて欲しいんだ」
私が明かすものはなんでもないけれど彼の秘密は重たいだろう。それを願うのは残酷だろうか。わからない。いや、わかっていてもわからない振りをしている。
少年がここにいたのは変わりはないのに私はその証を欲しがっているのだ。随分と感傷的だった。
「僕の剣はソーディアン・シャルティエで、僕はシャルのソーディアン・マスターだ」
『坊ちゃん!』
「ありがとう」
これを少年の口から聞けた、こんなに幸せなことが他にあるだろうか。思った以上のそれに、私は応えるものがない。
「私の、何が聞きたい?」
「何も。さっきのは借金のあまりの分の返済代だ」
「ほとんど返したのに?」
「剣を、もらったからな」
私は紹介しただけで実際に剣をくれたのは親父さんだ。
でも少年は私に何も聞くつもりはないらしい。それも少年らしいのかもしれない。
「じゃあ少年、今度会ったらお互い名前を言おう。少年の名前と、私の名前、言い合おう」
「だから……」
「言わなくても良いから、約束しよう。私は今度少年にあったら名前を言うよ」
笑顔で告げれば少年はとうとう折れたらしい。「もしも会えたら、だな」と言いながらダリルシェイドに入っていった。『また会いましょうね!』「シャル!」という声が聞こえた。面白い二人だ。
彼は振り返ることはせずにひたすら前を進んだ。私はそれを見送り、彼が視界から消える前に自分も前を向く。
家に帰るのだ。久々に帰って、家族と団欒しよう。チビのお守を頼まれるだろう。それも良い。今ならみんなまとめて遊んでやれる気がする。気がするだけだけど。子どもの体力は無尽蔵なのだ。
「さーて、帰るか!」
私は未だ見えない家に思いを馳せ、ダリルシェイドに背を向け歩き出した。