昔のことを考えたからだろうか。昔の夢を見た。
ありとあらゆる光景が流れに流れていく。もうかけらしか覚えていない光景。顔もはっきりしない。遊んでもらった人たち、仲良しだった少年、優しげな父。
最後に見えた光景は瓦礫に下半身が埋もれ、真っ赤な血を流して倒れているたった一人の父の姿だ。
「おとう、さま」
死なないで死なないで死なないで。お願いだから。お願いだから死んだらいや!
でもお父様は優しく微笑んで私の名を呼んで、その瞳の光を失わせるのだ。私を守ってくれた腕はもう動かないのだ。永遠に。
「おとうさま、おとうさま」
腕を揺すっても起きてくれない。返事をしてくれない。名前を呼んでくれない。抱きしめてくれない。
泣き叫んでもお父様は助けてくれなくて、泣き叫ぶ私を助けてくれたのは血だらけの大人だった。大丈夫だと、自分が大丈夫じゃないのに笑顔を浮かべて私を助けてくれた。そしてその人も途中で倒壊する中私を庇って倒れ地に伏した。
「いや…私…」
目を開いた世界は真っ暗で、でもひとりじゃなかった。誰かがタオルで汗をふいていてくれたのだ。
ぼんやりとしながらその誰かを見ていたけれど今私はアイグレッテの宿に泊まっていて隣で寝ているのはたった一人だ。少年しかいない。
「目が覚めたか」
「優しいね、少年」
「たまたま起きたらお前が汗だくになっていたんだ。気が向いたからふいただけで別に」
「ありがとう」
起き上がってぎゅっとその体を抱きしめた。ごめん、汗臭いかもしれない。許して。
じたばたと暴れようとした少年だけど途中で動きを止めておそるおそる、私を抱きしめてくれた。あったかかった。
そのままにしてくれるのを良いことに、私はぽつぽつと喋りだす。
「私、神の眼の騒乱の戦争孤児なの」
「……」
「結構いい家に住んでてね。仕えてくれる人もいて。大きな建物だったから、倒壊した時に大変だったんだ。私の家族も周りの人もみんな死んじゃってさ。私は、みんなに助けてもらって助かった」
「ああ」
「……その頃の夢を見るなんて滅多にないけど、見るとちょっとひとりはこわいんだ」
この夢だって何年ぶりに見ただろう。過去は薄れていき私はみんなの顔もおぼろげにしか思い出せない。平和な頃は淡い記憶ばかり。忘れたくなくても私は忘れていく。人間だからだ。
それでもあの日の記憶は鮮烈で、私は夢に見るたび泣いてる。今も泣いてた。あの日誰一人として生き残れず瓦礫に埋もれたままになったみんなを私は助けられずに今も生きている。
生きていてくれと誰もが私に希望を託してくれたから、だから私は生きている。私は死ねないのだ。生きて、生きて、生き続ける。それが私に出来ることなのだ。
「ひとり、か」
その言葉を聞いたとき突然わかった。なんだか感覚的なものだったけれどわかってしまった。
暗闇の中で私と少年は似ているのだと知る。
彼もひとりなのだ。どういうひとりかは知らない。ただ彼もひとりで世界に立っている。私なら十八年前。彼は、今だ。
「少年、生きよう」
「なんだ、いきなり」
「私は少年を助けた。だから、生きて欲しい。自分を卑下しちゃいけない。ただ前を向いて生きて欲しい。もし私が少年を助けたせいで死んだとしても、少年は生きて、生きて、生き抜いて。それが私の願いだ」
私はなんで少年を助けたんだ。そこに倒れていたから? さみしったから? そうじゃない。一番の理由はそうじゃない。
私は、目の前の命を助けたかった。目の前で生き延びる可能性がある少年を助けたかった。私が助けられなかった頃、できなかったことを、私は無意識でしたくなかった。そんなことに今更気づいてしまった。
「これは私の自分勝手な人助け。でも、私は少年が生きていて欲しかったから助けた」
「僕は助けられるべきでも、生きろといわれるべきでもない、最低な人間でもか?」
それは少年の過去なのだろうか。でも私は過去を知らない。少年は目の前の少年でしかない。ひねくれていて、優しい、瞳の美しい少年だ。アメジストの瞳を持つ少年だ。
「私は少年がどれだけ最低なのかを知ったあとであの最初の瞬間に戻っても助ける。人殺しでも、なんでもだ。だって、少年は優しい」
「な」
「優しいと知っているから、最低だと言われても私は少年を見捨てるようなことはしない」
今だってこうして心配してくれている。真夜中にも関わらず、だ。
不安定な道に行けば必ず前を歩いて道を確かめてくれる。体調が悪いと気付けば歩調を緩めてくれる。
「そういう、お前みたいな奴を優しいと言うんだ馬鹿が」
「私はずるい。少年の優しさに甘えてる。借金なんて、そんなものもう良いんだ。私は少年からいろんなものをもらってるから。だから、いいんだよ」
ありがとう、といえばこっちの台詞だと言われた。
私たちはタイミング良く出会ったんだね。どっちも何かを欲しがってて、その足りないものを持っている相手が現れたんだ。
「ありがとう」
顔が見えなくて良かった。ぼろぼろで、どうしようもなかったから。
「少年、恥ずかしいお願い事を聞いて欲しいんだけど」
「さんざん泣いて恥ずかしいも何もないだろう」
「手を、繋いで寝て欲しいんだ」
これには呆気に取られたらしい。抱きしめていて見えない少年がため息をついた。
「お父様が、怖い夢を見た日はそうしてくれたんだ。忙しい人だったのに、寝るまでは手を繋いでくれてた」
「僕はお前の父親じゃない」
「うん、ありがとう」
離れて仕方なく手を握ってくれたから、私はあの夢を見ることはなかった。
(声に涙が混じる頃)