世界が平和になって幾年月。この世界は私が小さなころとは随分と姿を変えたらしい。でも私にとっては育った世界が今の世界だ。昔、壊れてしまった家や倒壊する建物から逃してくれた親や周りの人たちを覚えている。でも、私にとってそれは幼い頃の過去のもので、今は遠いむかしのことだった。

 両親を亡くし孤児院で健やかに育った私は実に活動的で、端的に言えば大人の手に負えなかった。
 大人の意も介さずすくすくと育ち、護身術も学び、お金も貯めたからちょっと世界放浪してきますと言って飛び出してから既に三年。案外年月というものは早く過ぎていった。世界一周はしてみたけれどそろそろ家に戻ってお手伝いでもした方が良いかなと思い、滞在していたハイデルベルグを出ることにした。我ながら好き勝手にしているなと思うけれど周りは寛容に私を育て見守ってくれた。この旅のことは大反対されて飛び出したので手紙を一方的に送り付けているけれど。三年も経てば怒りも溶けると信じている。
 そんなこんなで意気揚々と街を出たところ、早々に拾い物をして宿に舞い戻ることになった。
 よく道に落ちているものを何でもかんでも拾うなと大人たちに怒られた。年下の子どもたちにもまた何か拾ってきているなんて呆れられるけど今回のは拾ったって仕方ないと思う。さすがに私も鬼じゃない。雪原のど真ん中に埋もれかけている人を放置したりはしない。ただ、とうとう人を拾ってしまったという気持ちだけはあった。これでも、一応。





「う……」
「あ、起きた?」

 ハイデルベルグの安っぽい宿屋に運び込んだ行き倒れは非常に見目麗しい少年だった。多分十六か十七ぐらいの、華奢とも言えるぐらい細身の彼は真っ白な肌を寒さで青白くさせて寝ていた。彼の服だけが不自然に明るかった。
 色だけでなくその恰好はまるで雪国に向いていない恰好で自殺志願者かと思ったけどそうは思えなくてつい助けてしまった。拾い癖があったとはいえまさか人間を拾うなんてさすがに予想していなかった。

「だれ、だ?」
「雪原で寝てたあんたを助けたこころやさしー人」
「……雪原?」

 まだ起きたばかりだから頭が働いていないのかもしれない。こちらを見る動作も鈍いし口調だってゆっくりだ。まだ起き上がれなさそうだ。
 しかし彼は突然目を見開いて勢いよく上体を起こす。

「僕の剣は」
「剣は一緒にベッドで寝てるよ。絶対離そうとしなかったから」

 それを聞いた瞬間少年は明らかにホッとし、毛布の下に隠れていた剣に触れたらしい。ああ、と安堵の声を漏らした。
 驚いたけれど居場所も定かではないらしい少年に私は優しく説明することにした。少々態度の悪い拾いものに私は寛容な態度を持って接してる。これも育ちのおかげだろう。こういう手合いは慣れてる。

「ハイデルベルグから少し歩いたところにあんたが雪に半分ぐらい埋もれながら寝てた。で、これはさすがに死んじゃうと思った私がここまで引き返してきたわけ。んであったかい……まあちょっとばかし安いベッドで起きた、と」
「ハイデルベルグだと? 神の眼の争いから何年経っている?」
「はい? あんた何言ってんの? ここはハイデルベルグの下町。神の眼の騒乱なんて十八年も前だよ」

 そう教えてやると少年は黙り込んでしまった。何がなんだかわからないけど大丈夫かと声をかけようとしたところ、よろよろとベッドから降りようとするものだから驚いた。

「起きてどうするの」
「礼を言う。僕は先を急ぐんだ」
「残念ながら外は吹雪だよ。出発は明日以降にしとく方が賢明だねえ」

 私の言葉に少年は顔を顰める。顰められても私に吹雪を止める力なんてないんだよな。にこにこ返すとさらに目を細められた。
 孤児院に初めてやって来た子どもたちを思い出しながら、私は警戒心の強い相手に尋ねる。

「ねえ少年、名前は?」
「名乗る名前などない」

 やっぱりだなあと思わずうなずいてしまう。予想通り突っぱねてくれた少年の態度を私は知っている。少年自体は今日初めて会った赤の他人だけれどこういう態度を知っている。それとは別に彼が名乗りたくないというのもなんとなくわからないでもなかった。
 どうにもワケアリで、名前なんて知られるのは都合が悪いのだろう。何の都合かもわからない。それに、本当に名乗るな名前がないのかもしれない。私も一度、自分の名前を手放しかけたことがあって、それを思い出した。

「じゃあ何が良い? ポチ? シロ?」
「なんで犬の名前なんだ!」
「だって私が拾ったんだし。あんたは今私の保護下にある。とっとと出て行きたいのならまず私に宿代と治療代払ってけ」

 ニヤニヤ笑ってどうだ、と問うても私は答えを知っている。彼は本当に荷物なんて何一つ持たず、身一つで倒れていた。唯一持っていたのは後生大事に抱え込んでいた剣だけだ。
 万が一何か金銭を持っていても受け取ってやる気など毛頭ない。私が寝ている間にお礼を置いていくのは礼儀がなってないよねと牽制しておくと悔しそうに顔を顰めた。こういう手合いは牽制しておくと良い。経験的に。
 試しにポチと呼んでみると無視された。はて、まあきみとかあんたでもなんでも良いか。
 とりあえずはこの拾い物の処遇を決めなければならない。できるだけ、友好的に。

「とりあえず借金返済までよろしく、ピンクマント」
「ピンクマントじゃない!」
「王子様スタイル?」

 怒りの頂点に達した少年は笑うなと怒鳴り始めてしまった。
 まだ私は笑っていないんだけれどニヤニヤ顔も駄目だったらしい。

「まあ仲良くしようじゃない、文無し」
「借金なんてとっとと返してやる!」

 威勢が良いのは元気な証拠。良いことだ。
 そう笑うと大変不機嫌そうな少年は再びベッドにもぐった。


(少年の覚醒)