1,
朝、授業の前に窓際の席で本を読んでる幸村くんをふと見つけた。
先生が教室に入ってくると、幸村くんは読みかけのページにしおりをそっと挟んだのだけれど、そのしおりが押し花の、それも手作りのしおりで、私は誰につくってもらったのだろうかと思うよりも前に、なぜか幸村くんがその花を押し花にしてしおりを作ったのだろうと思っていた。
誰かに贈られたにしては不格好で、そしてずいぶんと年季の入ったしおりは幸村くんが作ったものだろうと、見た瞬間になぜかそう思わせた。
そしてその花の名前はなんだろうと、その日は気になってついつい幸村くんをちらちら見続けてしまったのだった。
幸村くんの押し花入りのしおり。
たったそれだけのことを、私はずっと気になっていて、ある日とうとう、彼の席の前に立っていた。
「幸村くん」
「ん? どうしたの?」
気合いは入れた。言葉も考えた。大丈夫と、自分を言い聞かせる。
「本に挟んでるしおり、幸村くんがつくった?」
その途端幸村は目を真ん丸にする。どうしてと、不思議そうである。
私は私の想像が正解だったことに嬉しくなり、思わず微笑みながら喋りだしていた。
「花好きだって前に聞いてたし、この間見かけたときになんとなくそうかなって」
「よくわかったね。一番最初に作ったからへたくそなんだけど、お気に入りなんだ」
照れ臭そうにする幸村がひょいとしおりを見せてくれる。この間見かけたとおり少し不格好だ。凝ったところのない素朴なものだったがへたくそだなんてことはなかった。
「幸村くん、すごく素敵なしおりだと思う」
「本当? ありがとう」
にこりと微笑まれ、その顔が優しくて、結局また花の名前を聞きそびれ、私は次こそと、次の理由を見つけてわくわくしていることにまだこの時気がついていなかった。
2,
秋の夕暮れ。肌寒いけれど歩いていればほどよい気温。
私は帰り際に会ったクラスメイトの幸村くんとなんとなく並んで歩いて帰っていた。
「幸村くんと帰り道に会うことなんてなかなかないね」
「うん、さんとは初めてかもしれない」
穏やかに笑う彼がつい数ヵ月前に壮絶な夏を過ごしてたことを、うすぼんやりとしか知らないけど、夏休みあけに久しぶりに学校にきた時、幸村くんは今まで以上に大人びて、それでいて笑った顔がほんのすこしばかり幼くなっていた、気がする。
部活があったから今まで会うことがなかったんだろうか。そうだとしたら少しもったいない気がした。
「初めてこっちを通るけどいいね」
「帰り道じゃないの?」
「うん」
うん、とあっさりと頷いた幸村くんはごく自然なことのように振る舞っていたけれど私からしてみればはてなが頭の中をくるくる回って見せている。
だから、じゃあなんで、と首を傾げたらとんでもないことを彼は口にした。
「さんと一緒に帰ってみたかったんだ」
一人満足そうに笑って、そろそろ帰るよ、じゃあまた明日と、幸村くんはちょうど区切りのように目の前にある横断歩道の前でくるりと身を翻し、あっさりと元の道を戻っていった。
「な、なに」
答えはどこからも返ってこなかった。
3,
冬の終わり、春には少し早い日。
海岸線沿いの道を二人で歩いていた。
歩く度に少しずつ隣に並んでる人が斜め前になっていく。横顔が背中になり、じわじわと、距離は開いていく。あっという間に開く距離に私は慌てる。
待ってと言うより先に距離を詰めてしまおうと駆け足をしようとしたところでくるりと幸村くんは振り返った。
「あれ?」
「歩くの、ちょっと速いよ、幸村くん」
ぱたぱたと駆け足で追い着いて、隣に並べば幸村くんはおかしいなと首を傾げていた。
おかしくもなんともない。幸村くんは私よりも背が高くて足幅があって、歩くのが早かった。
秋に一緒に帰っていた時、あの時の幸村くんの足取りがゆっくりだったのはあまり通らない道なりの景色を確かめるように歩いていたからだ。それを私は隣で歩くことが多くなって知った。
「ゆっくりのつもりだったけど気がつかなくてごめんね。普段はテニス部のみんなと歩くからその調子で歩いちゃった」
「テニス部の人たち、みんな歩くの早そう」
一生懸命早歩きで歩き出したけれどそれは幸村くんのふつうぐらいらしい。彼は横の私の歩くスピードを見て困ったようにしている。歩くのが遅くてごめんねと、言いかけて、でもこればっかりはどうしようもないしなと私も困ったように幸村くんを見つめ返す。足は忙しく動いたままだ。
解決策はないものかなと、あまり回らない頭で考えていたけどいい考えなんて出てこない。そんな時に隣の人はそうだとその手をひょいと握ってきた。思わず止まってしまう。幸村くんも止まってくれる。
「これで大丈夫だね」
微笑まれば反射で笑ってしまった。
「歩く速さと手をつなぐのは関係、ある?」
「引っ張られたら速いってわかるから、ゆっくり歩くよ」
だからこれでいこう。
そうやってぎゅっと捕まれた手が思ってたより力強くて、そして思わず恥ずかしくて振りほどこうとするしぐさすらきれいに閉じ込められてしまった。これは決定事項らしい。
つながれた手の感覚に意識がすべて持っていかれて、しばらくは上の空で会話をしていた。
もしもーし、と、耳元で声を掛けられた瞬間やっと現実に戻ってきたけれど、やっぱり幸村くんは手を握って離してくれない。
「ねえさん、高校はそのまま立海だよね?」
「うん。幸村くんもでしょう? 高校でもテニスがんばってね」
「もちろん。ねえ、さん、高校でもたまに一緒に帰ろうよ。時々休みの日に会ったりもしたいな」
さらりと、心地の良い声が耳を通って反対側の耳の方に抜けていった。抜けていってほしかった。
時々一緒に帰ろうと、私を途中まで送ってくるりと反対方向に帰っていく幸村くんのその行動が、ただの中学生の気まぐれじゃなくなるなんて、それは、私の都合の良い夢みたいだ。
「幸村くん、それってふつうは付き合ってる人たちがすることじゃないの?」
「さんと付き合いたいから、いいんじゃない?」
「……幸村くん」
なあにと、のんきな声で返事をする人はとんでもなく抜けてるんじゃないかなあ。
大事なことを抜かしてすごいことを言った人に、私は熱くなる頬を気にしないようにしながら、伝えるしかない。
「私は、幸村くんのこと、す、好きだからいいけど、幸村くん、それ、言ってないよ」
「え? 本当に? さんのこと好きだよ。好きな女の子じゃなきゃ反対方向に一緒に帰ったりしないよ。気づかなかった?」
気づかなかったというより、そうじゃないかもしれないことを確かめるのが嫌なのが片思いだって、幸村くんはわからなかったんだろうか。私が断るかもしれないなんて、考えなかったんだろうか。
地面に根付いてしまったかのように私は棒立ちだ。幸村くんは機嫌が良さそうに私のことをにこにこ、見つめている。
夢みたいだけど、夢じゃないなら、私はずっとあたためていた、理由を一つ、手放したかった。
「幸村くん、大事にしているしおりの花はなんて花?」
「え? しおり? すみれだけど、どうかした?」
「ううん、当たってたなって、確かめたかっただけ」
何度も記憶がすり減るぐらい思い出していたその日の記憶を、私はようやくきちんと自分の中に受け止められた。
案外離してくれる気が一つもないその手を小さく握り返すと、すぐさま握り返されなおして、私は思わず笑ってしまった。
(しおり)