長い夏島での滞在も終わり一行は再び船の上での生活へと戻っていった。
二週間近くの滞在で中にはよい仲になったクルーもいたらしい。船出の日になって帰ってくる人間もいた。
は別段惜しむこともなかった。頻繁に飲んでいたドレークたちは一足早くこの島を出発していたしそのあとのは島の探検もあらかた終えていたし早く出発しないかと逆に船出を待ち望んでいたぐらいだった。
ドレーク一行が先に出発したことをは一応ローに伝えたのだがそのころには特段いらだちを見せることもなく聞き流していたのでとしてはあまり面白くなかった。特筆すべきはそれぐらいだろう。
「もうすぐ折り返し地点、ですか」
「シャボンディ諸島のことか」
「はい。久しぶりだなと思って」
名残惜しいといつまでも言っているわけにはいかない。多くはすでに自らに与えられた仕事を行っている。も先ほどまであちこち気になるところを掃除し、船員の様子も見て回っていた。
甲板に上がれば全体の指揮を執っているペンギンがいるので隣に並ぶ。船長殿はおそらく部屋で仕入れたばかりの医学書を読んでいる頃だろう。出発間際に古書屋の翁に勝ったと不穏な笑みとともに帰ってきたことは船員の記憶に新しい。
前方に見える濃霧には顔をしかめたが先ほどから船員が騒がしいのはこれを回避するためだろう。がすることがあれば隣のペンギンが指示を出してくるだろうし人手は足りているようなのでそのまま隣にいる。
「そういえばは「新世界」にいたのだったか」
「すぐシャボンディ諸島に身を移して賞金稼ぎの日々でしたけれど」
偉大なる航路を逆走し別のルートで再びシャボンディ諸島へと戻る。彼女はそういうつもりで旅を始めたという。そしてその途中、ローと出会いこの海賊船の仲間入りをした。
それはこのハートの海賊団が偉大なる航路に入って比較的間もない頃で、なんだかんだ言いつつ彼女もこのハートの海賊団で過ごした日々も短くはないものになってきていた。
「気になっていたんだが」
「はい、なんでしょう」
「元々の旅の目的は、果たせたのか」
何気なく発せられた言葉だったがは思わず隣のペンギンをまじまじと見ていた。ペンギンは報告にやってきた船員に注意を向け報告にやや顔をしかめたがいくつか指示を出している。
前方に見える霧が気になるのだろう。しかし先ほどから進路を変えて避けようとしているのにそれは船を取り囲むようにしている。
「それより、この霧」
「……おい、船長呼んでこい!」
舌打ちするペンギン。も霧の奥から感じる嫌な気配に顔をしかめる。
間もなく甲板に姿を見せた船長はもう突っ込むしかないほど間近にある霧にニヤリと笑みを見せた。
「このまま死者の国へとご案内、か?」
「冗談はよしてください」
どうやらこの不吉な霧をローは不敵な笑みをもって出迎えることにしたらしい。回避しようと賢明に努力していた船員はそんな船長に気づいて早々にあきらめた。もし回避に成功でもしたら逆につっこめと言われることは請負である。
どう考えても海の楽園には案内してくれそうにない薄暗さと不気味さ。死者の国への入り口であると言ってもあながち嘘ではないだろう。
「キャプテン! ログポースこの霧の中指してる!」
ベポの楽しげな知らせにやることと言えばひとつである。
「何が起きてもよいように準備するか……」
キャスケットは諦めたらしい。ぶつぶつ言いながらもいつでも動けるようにと周りの人間に気を配っている。
海賊の航海に危険はつきものである。船長は面白そうなら危険だろうが首を突っ込んでみる人間だし止める人間もそういない。何が起こるかわからないので警戒しているとはいえ、ほとんどは楽観的だった。
「……ロー、この霧はまずいです」
「?」
いつの間にか近くまでやってきていたらしいベポが心配そうにの顔をのぞき込む。にしては珍しく苦い顔だ。その上あまり余裕がない。
ローはすぐさまの近寄る。船員たちも何事だと注目してくる。
「これ、ただの霧じゃありません! 油断しないようにしてください!」
そうが叫んだ瞬間船にいる全員が何かあたたかいものを感じた。先ほどまで霧によってひんやりとしていた体が何か膜に包まれるような感覚を覚えた。
何だ何だと不思議がる船員たちだが気を抜くことはしない。ローとペンギンは顔をしかめてをみた。ほぼにらんでいる。
「、おまえ」
「あんまり、保ちませんから。心構えだけ、ちゃんと、……してください」
膜が貼られたというのは間違いではないだろう。その感覚に襲われた瞬間が座り込み荒い息をしだせばそれが彼女のしわざということもわかる。
いったい何をどうしているかを誰も理解できないが守られているということはわかる。そしてそれがそう長くは保たないことも。
「いいかてめえら! 何があっても動じるな。心を乱すなんて真似、俺がゆるさねえ」
言外におまえたちならできるだろうと、挑戦的な期待をする船長に応えないわけにはいかない。船員はみな元気に返事をする。
「てめえもだ、。そんな大層な膜なんぞとっととやめちまえ」
「……しばらく、休憩しますよ?」
「ペンギンのそばにでもいろ」
「ローじゃないんですか?」
軽口をたたけばローはニヤリ。
「じっとしているよりは切り刻んでやる方が性に合ってるんでなあ?」
「なるほど」
ペンギンもおとなしくしてみせてはいるが元々戦闘員だ。というかほとんど血の気の多い馬鹿ばかりである。もう準備万端だとやいのやいのあちこちから声が聞こえる。
としてもそろそろ船全体を保護するような真似は限界である。
「本気で気合い入れてくださいよ! 下手すりゃ気持ちを削がれます。削がれた馬鹿は私が後で手ほどきしてあげますから!」
の手ほどきなどローのドキドキ解体ショーと同じぐらい遠慮申し上げたいイベントである。息をのむもの数名。おいおいとペンギンとキャスケットがつっこむ。
は汗をにじませながらニヤリと笑う。
「いきますよ!」
その声とともに船に響きわたったのはあちらこちらから聞こえる悲鳴と鳴き声。遠くにはぼんやりと船の残骸。
夜の闇に似た霧の中、船員たちはいきなり現れた世界に唖然としていた。
「こりゃまた、攻略しがいのある海だな」
「元凶、まだ奥ですよ」
悪態を吐くに数名が顔をしかめた。げんなりする者、やっぱりと肩を落とすもの、わくわくしているのはベポと彼らが船長ぐらいだろう。
「幽霊でるかな?」
「ベポ、おまえの耳に聞こえる悲鳴とすすり泣きは幽霊のもんだと思うぜ、おれ」
キャスケットのげんなりした声にベポはうれしそうに声の方向を見ている。見てどうなるものでもないが。
そもそも幽霊相手だったらどう戦うんだ、とか触れるのか、足はあるのか、と幽霊談義に花を咲かせる男たち。
「阿呆なこと言ってないでさっさとこの霧抜けますよ。元凶がいるのかいないのかはともかくとして、胸くそ悪い」
「苦手なのか、霧」
ニヤニヤ。普段よりも粗野な態度が船長殿はお気に召したらしい。は不敵な笑みを見せる。
「幻覚作用のある植物と似た匂いがします。これは早々に元凶を探すか霧を抜けるかしないとまずいですよ」
ぎょっとしたのはやはりほとんどの面々だったがただ一人、船長だけはそれすらも知っていたかのようにただ笑って進むぞ、と霧の向こうを見つめていた。
(初めから罠だった)