波打ち際、ゆらゆら揺れてそれは砂浜へと導かれてきた。
打ち上げられたそれを手に取ったのは年端もいかぬ子どもであり、そのものの意味を理解することは叶わなかった。そして子どもにとって意味のないそれは再び海辺に捨て置かれたのである。
ただどういう経緯をたどったのかそれは再び一人の人間の元へと流れ着く。
今度は字も読めるしそれがいわゆるメッセージボトルだと理解できる年頃の人間だったのだが、瓶に入った手紙を読むことはできなかった。唯一読むことができたのは手紙の冒頭のみだった。
”この一文のみ読めた人はこれを再び海へと投げてください”
そのあとの文章を読める人物がこの瓶を拾えたのかどうか、それは誰にもわからない。
親愛なるみなさまへ
こうして手紙を送るのも何度目か。そもそもこうした手紙なんて私も柄ではないし、そちらで手紙を読む姿も想像できません。
毎回のことですがこれが初めての手紙かもしれないのでとりあえず近況について。
今、私は海賊船の一員として航海しています。”こちら”に来て早数年。ただの思いつきで私をこうした目に遭わせた相手を、帰ったら半殺しにしてやろうと思っていました。でも今はどうでもいいです。
もう二度と、こんなことは書かないと思います。手紙は、気が向いたらまた似たような手紙を送るかもしれないけれど。でも、一度だけです。たった一度だけ、書きます。だからこれが一番初めの手紙とならぬよう、祈っておきます。
もう一度、ホームで、みんなに会いたい。
帰った時は慰謝料を請求します。
その瓶は毎回、たった一枚の手紙で、普段はとある人物を罵ったり文句であふれているのだが、時折、この手紙のように彼女にしては長い手紙もあった。
ただこのように感傷的な手紙は後にも先にも、これ一通きりだった。
海に流された手紙は再びゆらり、ゆらり。行く先もわからず流れていった。
(誰にも届かなかった手紙)