は己を呼び出した女が的確に自分のことをわかっていることに辟易しているような気もするし、理解されていることが嬉しいような気もするし、それすらも彼女の望むままのような気がしていた。
余人を嫌うのために二人だけだとわかるよう、仙人界からも遠く人間も訪れない僻地の湖を前に、は隣の女の横顔を覗いた。
「なんでそんなにまで「母」になりたいの。アンタそんな母性本能に溢れた女だった?」
「にはわからないかもしれないわねん」
横顔を見せていたところからゆっくりと視線をへと移す目の前の相手は妖艶に笑ってみせる。
以前までは仙人界と人間界の支配が目的だった彼女だが、今は「母なる大地」になりたがっている。
そしてその為ならば僻地で息を潜めるように生きていたですら簡単に呼び出してみせるのだ。
「わからないしわかりたくない。そのために世捨て仙人な私を呼びだして自分のわがままに付き合えって?」
「わらわとの仲でしょう?」
「……暇だしいいけど」
「ほらん」
だからは好きよと、今は誰からもらった体かわからないそのしなやかな肢体でを抱きしめる。
は妲己の数少ない友人だった。からみて、少なくとも彼女は友人の枠であった。妲己本人に言わせてみれば違う回答が出てくるかもしれないがそれはの知ったことではない。
彼女がの厭世的な性格によって三大仙人にも比肩する才能を埋没させる様をもったいないと思っているのは知っていた。そして使う気がないのなら己のものとして思うがままに振舞いたいと思っていることも。
妲己がを利用しているといえばそうかもしれないがにとっては興が乗れば彼女のわがままを聞いてやる程度には親交があるつもりだった。
「暇だけど、でも歴史の勝者側で小細工するなんて面倒くさい。いてもいなくてもどうとでもするくせに」
「ひどーい! はわらわの楽しみを減らしてしまうのん?」
駒を置いては好きに遊ぶだけであろう。その駒の使い方が贅沢なのだ。世捨て人を引っ張り出し、いつか出てくる仙人たちにの立ち位置を疑わせては遊ぶなんて趣味の悪い女だった。そしてその駒は本筋にほとんど介入しない、ただの余興である。
を置いて望んでいる歴史と大幅な違いが出ないように修正をかけさせたいと説明したけれど彼女はがいなくてもそれぐらい簡単に修正してみせる。が出る幕など本来ならないはずだ。余計な騒動の種にだってもしかしたらなり得るかもしれない。むしろ彼女はそれを期待している節すらある。
「私の労力を楽しみって言うな」
「の困った顔、わらわは好きなんだもの」
そうやって笑う彼女を見るとはいつだって黙って要求を呑んでしまうのだから女狐とはまさにその通りである。狐は老若男女問わずその蠱惑的な目で、口で、手足で、相手を己の意のままに操っていく。
誘惑が彼女のお得意技だということはも知っているけれど、妲己はそれをに使わないことも知っていた。にはそういったものが効かない宝貝があったし、そんなものがなくても昔からは妲己のわがままが嫌いではなかったのだから。
未だに離れないそのやわらかな肢体にくらりと目眩がするのはいつものことだった。
振り切るように、努めて冷静を装っては口を開いた。
「……それで、今からなに? 殷周革命ってやつが起きるんだっけ?」
「そう。わらわ、まだ紂王様に嫁いで一週間だけどねん」
「は? まだ私を呼ぶには早いじゃない。出てきて損した」
「わらわと会えたでしょう?」
それが何か特別であるかの口ぶりに、そのさも当然と言わんばかりの言葉には耳元でそれを唱える女を心から呪った。
「女狐なんて大嫌い」
「わらわは大好きよ。三番目ぐらいに」
大昔、が好きだと言った湖を逢瀬の場所に選び、が拒絶しない境界線を一線だって踏み越えてこない。
何百年、何千年、そうしていつだってを弄ぶ女のことを、はいつだって己から離れることなどできなかった。
「本当に、大嫌い」
「知ってるわん」
永遠に一位どころか二位にすらなれない。けれど彼女の特別であることだけは確実で、それでいてなぜかと聞けばたちまちにその特別は霧散するのだ。
だからはただそのまま望まれるがままに抱きしめられていた。
(鏡花水月)