何度も差出人を確認する。間違いない。間違いないしこれを知っているのはただ一人だ。
《きみに会えるほどファントムはきれいじゃない。醜くあさましい地下水道に潜む怪人だ。僕にはきみを見つけ出す資格がない。ゲームは僕の負けで良い。今度バタービールをふくろう便で送るよ。さんざん振り回してゴメン。》
差出人の名はイニシャルのみ。その一文字はFだ。それだけで全てが分かりきっている。
「…絶対に見つけ出してつるしてやる!」
・は一旦カッとなるとなりふり構わず突っ込んでいく傾向がある。それをファントムが知らないのも無理はない。彼女がこんなに怒ることなんて滅多にないのだ。
月曜日、談話室に鬼気迫る表情をして降りてきたを見てダンは目を丸くし、大広間に行くまでにこっそり恋人に事情を聞いた。
「ファントムが一方的にゲームを放棄したの。会うのがこわくなったらしくて」
「…それは、が怒るのも無理はないな」
「あの調子だと一週間以内には見つけるわ。キレたあの子は手段を問わないから」
エディの言葉どおりはその日から常に目を据わらせた状態でどの寮でもお構いなしにクリスマスのパーティのことを聞きまくり範囲を限定していった。
木曜日の時点で相手がグリフィンドール生というところまで突き止めた。そしてそこでようやく一人の候補が現れた。それをは少し予感していたけれどグリフィンドールに絞られた時点でほとんど確信に強いものを抱き始めていた。
昼休み、コーヒーを飲みながら笑うは既にホグワーツ中で噂になっていた。クイーンのナイトということでも名前は売れていたのだが下手をすればクイーンより怖いだとか言われている。一過性のものだからこそこの怒りを当てられることはエディも遠慮したがっているぐらいだった。
その怒りの相手は三日ほど休んでいたのだが休み明けに彼女のその姿を見て行動自体を後悔はしていなかったが殴られるかもしれないことを覚悟した。
「さあ、どうやって炙り出してやろうかな」
の怒りをうまくほどほどのところに抑えているのは隣で悠然とハーブティーを口にしているエディだ。ヒートアップしすぎないように絶妙のタイミングでストップをかけるのだが今回はほとんどブレーキ役にならず見守っている。
コーヒーを飲み終えたはすっと立ち上がる。エディも何も言わずにその後に続いた。
向かった先はグリフィンドール。動き出したに多くの生徒が注目し、たどり着いた席を見て納得した。学校の騒動の多くに彼らが関わっているのだから。
「ハロー、向こうで少し、お話良いかな?」
「…拒否権はないみたいだね、シリウス」
「これに逆らったら俺たち死ぬだろ」
ジェームズの言葉にシリウスは苦笑いを浮かべ既に歩き始めていたの後に続く。
とばっちりなのだがまさかそれをに言えるわけもなくついていくしかない。当の本人は休んでいた分の課題を図書室で必死にやっている頃である。
中庭は人がいたのだがの姿を見るなりみんな何かしらの理由を大声で主張しながら校舎に戻っていった。あっという間に中庭は空になる。
質問攻めにした生徒たちは揃ってトラウマだと口にするぐらいの鬼気迫る迫力は恐ろしいらしい。実際当人の次にそれを当てられるだろう二人は内心ドキドキしていた。
「ファントム、知ってるよね」
素晴らしい笑顔だった。普段なら思わず見惚れそうなぐらいのそれが今は恐怖の対象だ。なにしろ彼女の瞳はこれっぽっちも笑っていない。ひんやりとした瞳がざっくりジェームズとシリウスを射抜いている。
傍観に徹しているエディは自分の視界の端に窓から様子をうかがう影を見つけたが何も言わない。相手も気付いただろうが動こうとはしなかった。
「知ってるでしょう?グリフィンドールにいるのは確定。私は一人しか思いつかない。じゃあ当然二人はそれを知っている。違う?」
「じゃあ本人に聞けば良い話しだろ…とばっちりだぜ」
「そう。とばっちり。でも聞きたいことがある」
本人は何を聞いても知らぬ存ぜぬだろう。別にファントムということが問題なのではない。それとは別に二人には聞きたいことがあるのだ。
は感情が高ぶりすぎているなと深呼吸をして気持ちを切り替える。真剣なのだ。
「彼は何に対してあんなに劣等感を抱いてるの。…おびえてる、と言うのかな。とにかく、そういう思いがあるから無責任にもゲームを放棄したと思うんだけど」
おや、という意外な表情がうかがえた。そして二人は嬉しそうにを見たのだ。なにやら彼らの気に入ることを言ったらしいがはよくわからない。ただそんな自分勝手な理由で勝手にゲームをやめて自分だけ正体を知って満足するというところが許せなかったのだ。本人はそう思ってないにしてもからすればそうなのである。
「、せっかくだから本人に聞いてみたらどう?」
ほら、とエディの視線の先にはリーマスがいた。窓から離れて外に出てきた今は全身が見える。全員に見られて苦笑いを浮かべながらも彼は近づいてきた。
はぶすくれた顔をしたがすぐに出来すぎた笑みと冷めた目でリーマスを迎えた。
「よーし、ゆっくり話を聞こう」
「昼休み終わっちゃうけど?」
「エディ、私は腹痛で保健室に向かったことになる。でも保健室に行くまでに痛みがひどくなって一時間その場でうずくまっていたってこと。オッケー?」
「そうね。は最近調子が悪かったから。そういうこともあるわ」
よし、と笑顔でリーマスをひきずりながらは歩き出す。リーマスを助けようとする人間は誰もいない。悪友たちも言い訳は任せとけ、と笑顔で見送ってくれた。この場合は生贄を捧げたという表現でも可だ。
残ったのは巻き込まれた友人たち三名である。互いに顔を見合わせて苦笑い。
「リーマスって案外自分に自信がないのね」
「そう。あいつに足りないのは自信なんだよ。ったく…迷惑かけるなっつーの」
「のことなら自信を持って良いと思うわ」
どうして、とジェームズの疑問にエディは笑う。
今の彼女の話しの中にはファントムと同じぐらい名前が出るのだ。リーマス、あの人の笑顔は本物だけど仮面でもあるのだと、手紙をもらう直前はそう言っていた。以前から少しずつ、彼女の生活にはリーマスと、彼の周りの話が入ってきていた。
本人は自覚がなかったのだがエディとダンはのその変化に思わず顔を見合わせて微笑んだぐらいだ。今まで見たことがないような女の子の表情を彼女は最近いつも浮かべていたのだから。
そんなの思いを踏みにじろうものならエディは相手が誰であろうと許すつもりは毛頭ない。どんな手を使ってでもそれ相応の報いを受けてもらうつもりである。
「さて、ここで逃げてみようものならわたし直々に制裁の一つや二つ下してあげましょうか」
「…シリウス、クイーンの制裁って何年ぶり?」
「えーと、二年前に友だちを侮辱されたっていってスリザリンの五年生を…ああ、二年ぶりだな」
詳細は述べずに空笑いを続けるシリウス。それによって自身も二年前の惨事を思い出して同じく空笑いを始めるジェームズ。あれは二人からしてみてもすごかった。自分たちとは違う意味で強かった。あれがきっかけで空位のクイーンの座はエディに決まったぐらいだ。かなり強烈だった。
クイーンの魔の手が自分たちの親友に及ばないよう、二人は親友が馬鹿な真似をしないように祈った。
「『天使の声』の正体を知ってる?」
駆け上がってきた塔の屋上は誰もいない。上空は珍しく晴れていて青い空が見えた。
は屋上につきリーマスを見るなりそう聞いた。今はじっと返答を待っている。
「あの正体の知れない声のことかな?」
「それはクリスティーヌを導いた幸運の証」
それが二人の合言葉だ。言い終えたリーマスに向かっては右ストレートを繰り出していたけれどリーマスはそれを軽く左手で受け止める。その瞬間に左脛を狙われるけれどひょいとジャンプして避ける。けれどそのまま飛びつかれたので二人そのまま床に落ちた。
鈍い音が響いたけれど痛いのは下に敷かれたリーマスだけだ。はじろりと睨むだけ。
「痛い」
「ねえどうしてファントムを名乗ったの」
「……僕の本質は醜い怪物だからだよ。地下に潜むファントムのように。僕は彼みたいに『天使の声』を持っていないけど、彼のように醜い。我ながらピッタリだと思ったんだ」
やっぱり、と声が落ちた。覆いかぶさるの体でリーマスは空を見られない。の影だけが落ちる。顔は少し見えにくい。ただ声が少し震えていたかもしれない。
どこかで授業のチャイムが鳴った気がする。それでもそんなもの関係ない。はただリーマスを見ている。じっと、見据える。
「どこが、醜いの」
「全て。僕は君の名を呼ぶべき声を持っていないよ」
「その声でと呼んでくれたら私はそれで良いよ。『天使の声』じゃなくても」
ファントムは好きだ。幻のような彼には憧れたしその仮面の下の素顔を見たいと思っていた。それから、名前を呼びたかった。ファントムという仮の名前ではなく仮面の下の彼の名を。
仮面の下にはリーマス・ルーピンという少年の顔があった。いつも優しい笑顔を浮かべている。振り返ればどこにだってその笑顔がある。笑顔だけが。それは嘘の笑顔というものではないけれど彼の何かを隠す仮面の役目も持っていた。
彼はリーマス・ルーピンという素顔もまた笑顔を浮かべて全てを見せはしないのだ。彼の最も弱い部分がそれをさせない。彼は自分に自信がない。誰も覆せない劣等感を抱いている。
「リーマス」
彼の何が彼を留まらせているのかをは知らない。彼が何に怯えているのかもしらない。ただ彼がふとした瞬間に見せるこぼれる笑みは仮面ではないと思えた。あの夜に悪夢を見たという彼は人に見せないリーマス・ルーピンだったように思えた。
彼はいつもああして怯えているのだろうか。夜の、悪夢の夜はああして一人それに耐えているのだろうか。たった一人。
「リーマス」
「最初はあの日名前も知らずに別れたきみを見つけられたら楽しいなって、そう思っただけだった」
その声は小さくて、の耳にもやっと届くぐらいだった。は耳を澄ます。彼の声を聞くために。
曇り空は彼らから太陽を遠ざける。屋上のドアは彼らを世界から切り離す。の影はリーマスから彼の闇を遠ざける。の声はリーマスから彼の不安を遠ざける。リーマスの声はから彼女の不安を遠ざける。
「でも、きみは眩しくて、だから、僕が触れちゃいけないと思った」
彼は、を見ない。
あの夜の日の彼女が、彼にとってはとても眩しかった。焦がれていた。だから怖いのだ。触れてしまうことが、内を見せることが。それでも焦がれるから、暴かれる前に遠ざかってしまいたかった。ただのリーマス・ルーピンでいたかった。魔法薬学のペアのリーマス。それだけでいたかった。
怖いのだ。眩しいから、その手を差し伸べてくれるから。だから、怖い。手を受け入れることが、怖い。
「僕は、醜い。僕を知ったらきみは僕を嫌いになる」
「ならない」
彼がどういうことを隠しているのかは知らない。けれど人には何かしら秘密があるのだ。リーマスが秘密にしていることがあるように、もまた人に秘密にしていることがある。それを人がどう思うのか、は少し心配になるからほんの少しリーマスの気持ちはわかる。ただの勝手な理解かもしれない。それでも、秘密を持つ人間の気持ちは知っている。
押し倒したままの状態からは思い切りリーマスを引っ張り座り込んで向き合った。目が合う。は目を逸らさない。じっと、見つめる。
「秘密を知られるのは怖いよ。話すのは勇気が要る。時間が要る。今は無理かもしれない。でもリーマス」
目を逸らさないで。
はそう心の中で彼に向かって願った。それは彼に届いたのか、目を逸らしそうになりながらも彼はを見ていた。
「私はリーマスを知りたいと思ってる。リーマスの秘密を私は知らないけど、リーマスがリーマスであることに変わりはないでしょう?最初は驚くのかもしれない。でも、人間は理解して、歩み寄れるんだよ。私はリーマスの秘密を知って驚くかもしれない。けど、歩み寄りたいと、そう思ってるよ」
「…でも」
「私にだって秘密はある。誰にだって秘密はあるよ。人に嫌われるかもしれないと、避けられるかもしれないと、そうやって悩む秘密を持っている人もいる。でも私たちは理解しあえるんだよ」
言いたいことはうまくまとまらない。ただはリーマスのことを嫌ったり、彼が悲しむようなことはしたくないと思っている。彼が良いと言ってくれるなら傍にいたいと思っている。怖い夢を見るならそんな夢を見ないようにと手を繋いであげたい。ただ、彼が何かにおびえないようにとは思うのだ。
彼の手を握る。ここにいるよと、逃げないよと、そういいたくて。ここにいて、逃げないでと、そういいたくて。
どちらも声を出さない時間が続いた。途中で目を伏せて俯いてしまったリーマスの言葉をは待っている。顔を上げてくれる時を。手を払わないでと願いながら待っている。
「僕は、きみの名を呼んでも良いのかな」
そろりと顔を上げたリーマスを見ては高鳴る心臓を感じながら彼にわかるようにゆっくり頷いた。
「私はリーマスに名前を呼んで欲しいよ。って」
力を振り絞って払ってもその手は臆すことなく再び彼に差し伸べられた。きっと同じように払っても再び差し伸べられるのだろう。その甘い誘惑にリーマスは勝てない。ただ一人自分のためだけに差し伸べられた手を、払われる日がくると思っても、無理だった。
今この瞬間は確かに彼女は手を差し伸べてくれて、名前を呼んでくれるのだ。リーマスと、そう微笑んでくれるのだ。
それだけが、今の彼の全てだった。
「」
小さな、けれどはっきりと聞こえてきた声にはただ笑顔で応えた。
(calling)