その日の魔法薬学はもリーマスも調子が悪く、いつもとは違って出来は芳しくなかった。先生に心配されながらも魔法薬学の授業を終え、あと一つの授業を何とかこなそうと二人ともそれぞれ必死だった。
結局は変身術の授業が終わったあとエディに荷物を預けて保健室に向かった。腰に来る痛みはかなりのもので大人しくしていたかった。
「マダム・ポンフリー、ベッドを貸してもらえますか?」
「ああ、ね。良いわ。奥から二番目のベッドを使って頂戴」
毎月とは言わないが二ヶ月か三ヶ月に一度はお世話になっている保健室だ。が顔を見せればポンフリーは何も聞かずにベッドを貸してくれる。
言われた通り奥から二番目のベッドに向かってずるずると歩く。そしてその奥のベッドだけが誰かが寝ているのが気配でわかった。
「ルーピン、、少し出てきますけどすぐ戻ってきますからね」
「はい、先生」
「わかりました」
今日はお互いに調子が悪かったのだが結局二人ともダウンしたんだなとが苦笑いを浮かべてベッドに腰掛けると白いカーテンがめくられ青白い顔のリーマスが現れた。
お互い覇気のない声で挨拶をする。月に一度お互いこういう状態になるのだがはまさかリーマスが保健室に行くほど具合が悪いと思わなかった。はここ数ヶ月はそう痛みがひどくなかったので随分と久しぶりに保健室に来たのだ。けれどよくよく考えるとリーマスは案外体が弱いらしく顔色が悪い姿は頻繁に見かけていた気がした。もしかしたらリーマスはよく保健室で寝込んでいたのかもしれない。
「大丈夫?」
「私は寝てたら治るから。リーマスこそ、かなり体調悪いのね」
「うーん、でもそう悪くないよ。顔色こそひどいけどね」
「声に力がない。寝たほうが良いよ」
私も寝るからとはずるずるとベッドの中にもぐりこむ。カーテンはリーマス側だけ少し開けている。向こうも少し開けてくれていた。
ほら、と促されてリーマスもそれじゃあと再びベッドに横になる。
カチコチと時計の音だけがする。他の音は何もない。ただ時間だけが流れていく。規則的なリズムに揺られて意識はどんどん遠ざかった。
眠ったときに見た夢は幼い頃の記憶だった。母にとびっきりの魔法だと言われたときのことだ。あのときからは母親以上の魔法をかけられる人はいないと思っている。例えマグルだとしてもにとって母は一番すごい魔法が使える人だった。
「う、あ」
「……?」
目が覚めたときは保健室は真っ暗だった。随分と眠っていたらしい。痛みも引いてきたのだが消灯時間はとっくに過ぎているらしい。まあ明日は休みなので問題はないのだがシャワーぐらいは浴びたかった。
そうして目が冴えていく中で聞こえたのはうめき声だった。先ほどのままなら隣にいるのはリーマスしかいない。それに気付いたはベッドから起き上がりごめんねと言いながらカーテンを開けた。
そこにはうなされているリーマスがいた。汗をかき、苦しげにうめいていた。
「リーマス?」
起きる気配のない彼を見てとりあえずはタオルをさがす。以前マダム・ポンフリーが引き出しに仕舞っているのを見たのでその記憶を辿ってなんとかタオルを出すとそのままリーマスのところに引き返した。水で濡らせることが出来たら良かったのだがそこまで保健室に詳しくはない。いつもベッドを借りに来ているだけなのだ。
ベッドの淵に腰掛けてとりあえず汗をぬぐってやる。それでも目を覚ますことはない。
「…起こしたほうが良いの?」
どうすれば良いのかわからなくてはただタオルでリーマスの汗をぬぐい続けた。途中で水場を見つけて途中からは濡れたタオルで汗をぬぐった。
悪夢にうなされたようなリーマスは目を覚まさず、いい加減起こした方が良いかなと思ったがリーマスを覗き込んだとき悲劇は起こった。ある意味喜劇だ。
「!?」
「ったあ!」
覗きこんだの頭と突然起き上がったリーマスの頭が正面衝突。お星様でも出てきそうなぐらいの衝撃と痛みが二人を襲う。
しばらくジタバタしていた二人だったけれどはなんとか正気を取り戻した。リーマスの方もなんとか痛みがおさまったらしい。不思議そうにの名を呼んだ。
「えっと…僕ら寝てたんだよ、ね?」
「放課後からずっと。そしたらリーマスがうなされてて、とりあえず汗をふいてみたんだけどあんまりひどいから起こそうとしたら頭ゴツンとやっちゃった」
苦笑いを浮かべたにリーマスも笑みを返したけれどそれは弱弱しい。今にも消えてしまいそうなそんな笑みだ。
それを見たはふとまだ青白い顔のリーマスが気になって額に手を当てたり不調はないかと尋ね始めた。
「大丈夫。大丈夫」
「じゃあどうしてまだ震えてるの?」
一瞬、リーマスの体が大きく動いた。自覚していなかったのだろう。いつだって笑顔を崩さない彼の笑顔がぶれた。
その頼りなくも儚い表情が彼の弱い部分に思えた。いつも魔法薬学で失敗して苦笑いを浮かべるのも彼だ。親友たちと楽しそうに過ごしているのも彼だ。優しい笑顔を向けながら苦手な魔法薬学に取り組むのも彼だ。最近授業のたびに仲良くなっている彼はいつも笑っている。
でも、不安そうな顔をすることもあるだろう。怒ることもあるだろう。泣くこともあるだろう。ただ彼はそれを隠したがるのではないか。にはリーマスがいろんなものを隠して笑っているように思えてきた。
「…震えてなんか、ないよ」
「怖い夢でも見たの」
「…恐ろしい夢だった」
認めた彼は一回り小さく感じた。小さな子どもだ。庇護を必要とする頼りない存在。傷つくことをおそれて縮こまった子ども。
はリーマスを見ながら先ほど見ていた夢を思い出していた。あの夢を見たのは今のためじゃないかと思えたのだ。
「リーマス、」
そう名前を呼んだは起き上がっていたリーマスの体を抱きしめていた。
それは強い力ではなく、離れようと思えば離れられるぐらいの力だった。リーマスなら弱っていてもトンと力を入れればは離しただろう。でもリーマスはただ抱きしめられたままだ。
背中をトントンとリズムをつけて叩くは夢の中の母の言葉を思い出していた。
「リーマス、笑ってばっかりじゃなくて良いとおもうよ。怒りたければ怒ればいいし泣きたければ泣けばいい。今だってそんなに笑っていなくてもいいよ。ねえリーマス、何に苦しんでいるのか私は知らない。でも、隣にいることは出来るよ」
小さい頃ことあるごとに泣いていたを泣き止ませたのは母親の抱擁だった。いつも優しい声で背中とトントンと叩かれながら自分を甘えさせてくれる言葉をくれた。それだけでは嬉しくて、幸せになれた。
今はそういうこともなくなったけれど学校から家に帰ると母は必ずを抱きしめる。そのあたたかさは今でもにはとても素晴らしい魔法のようだった。それだけで心の中にあった重いものは吹き飛ばせそうな気がするのだ。
この魔法は母と自分の間にしか通用しない。だけど何より効果のある魔法だった。だからそういう気持ちをリーマスが少しでも感じていてくれたらと思った。
そうしてリーマスから出た言葉はいつもよりもなおやわらかい声だった。
「…は、あったかいね」
「人だもん。リーマスもあったかい」
「…人、か」
その呟きのあとはリーマスは黙り込んでしまう。はずっと彼の背中を優しく叩き続けた。
その間にスウスウという息遣いが聞こえてきた。寝てしまったのだろう。ホッとして静かにリーマスを横たわらせる。先ほどよりも幾分顔色は良さそうだった。
「おやすみ、リーマス」
それとも、とは口に仕掛けたけれどそれは予感のように小さな弱いもので自信など全くなかったから口にはしなかった。
朝、リーマスが目覚めたときにはの姿はなかったけれどタオルだけは枕元におきっぱなしで、あれは夢ではなかったと思えた。
(悪夢よさらば)