あの日の髪の色、ドレス、それと以前は真っ白にしていたけれど少し模様を足した仮面。
一年前のハロウィーンとほとんど変わらないクリスティーヌの出来上がりだった。
「うん、上出来よ!これでファントムはあなたに気付くわ。絶対」
「でも相手は忘れてるかも。一年以上前のことだし」
「私はそうは思わないわ。だってファントムよ?彼を知ってる魔法使いなんてなかなかいないもの。相手は絶対覚えてるわ。あなたと同じようにね」
自信満々に言うエディはガラスの靴をはいたシンデレラになっていた。ガラスの靴が履いてみたかったのよ、と嬉しそうにくるりと一回転。
談話室に降りたら御伽噺からありとあらゆる登場人物が現れたようににぎやかだった。王子王女はもちろん宮廷詩人や妖精などそれぞれ思い思いの恰好を楽しんでいた。
今回はダンスパーティではないから男女のペアをつくるという前提はないのだがやはりカップルは衣装を合わせてきている。これを機会にとクリスマスまでにパーティに一緒に行く約束を取り付ける人も少なくなかった。
「エディ、今日はプリンセスだな」
「ダン、今日『は』って何かしら?」
「いつもはホグワーツのクイーンだからね」
クイーンはレイブンクローのエディ・ホワイト。キングはグリフィンドールのジェームズ・ポッターだ。キングの彼女であるリリー・エヴァンスもクイーンと呼べるのだろうが彼女はクイーンよりもまだ可愛らしさを残している。
笑顔でなんでもそつなくこなす憎めない二人。それがクイーンとキングの由来だった。
お互いきちんと話したことはないが冠を被っているもの同士すれ違えば挨拶ぐらいはした。お互いの名前は知っていたし噂ならいつだって簡単に耳に入るぐらい二人は有名だった。
「ダン、今日はの恋の相手を見つけるのよ」
「へえ。はようやく春が来たんだな」
「…幸せそうですこと」
ダンはエディの恋人であり幼馴染だ。元々仲が良かった二人は同じレイブンクロー生だったし自然と恋人になっていた。改めて付き合い始めたのは三年生からだから恋人としてはもう三年目の付き合いである。
そんな二人はいわゆる美男美女のカップルでレイブンクローの中では理想のカップルとして後輩から憧れや羨望の視線をもらっている。グリフィンドールではこれがジェームズ・ポッターとリリー・エヴァンスとなるわけだ。
朗らかに微笑んだダンはなんてことはないようにさらりとした流れで尋ねてきた。
「で、お相手は?」
「名前もわからないファントムよ」
「まぼろし?」
「あとで話してあげるわ。さあ、行きましょう」
ダンに微笑み、それからエディはぽんとの背中を押した。楽しんでいると言ってものことは心配なのだ。不安を見せるの後押しをするような手はをほっとさせた。
大広間に向かうまでにチラリと見えた空を見上げれば星がキラキラ輝いていたのだが月は見えなかった。新月らしい。星の光だけが鮮烈に地上に届いている。
まあお祭りを前にした若者には月があろうとなかろうと関係ない。みんな友人とはしゃぎながら大広間に向かって歩いていく。ざわざわ。はじまりの前の高揚感と少しの不安が混じって空気は揺れる。
ここにも不安と、ほんの少しの期待に揺れる少女がいる。ギュっと両手を握り不安げに隣の友人に声をかけた。
「エ、エディ、ドキドキしてきた」
「情けない声ね。もっとしゃきっとして!歌姫は堂々と舞台に上がるものよ!」
大広間の扉は開きっぱなしで寮関係なくどんどん人が入って行く。三人も当然そこまで進んでいるのだがの足が途端に鈍くなった。よろよろと老人のようにゆっくりとした歩みだ。
ダンは苦笑いをしながら二人の様子を見守っている。彼はこういうときはいつも見守る役に徹している。そうしているうちに彼の恋人は背筋をピンと伸ばして後押しをするのを知っているからだ。
エディは女は度胸なのよ!と言いながらぐいぐいと背中を押して大広間にを押し込んだ。
「う、わあ」
「まあ、すごいわ」
「さすがはダンブルドア。毎回粋なことをするね」
いつものテーブルと椅子は取り除かれ大広間の中心には高いモミの木が綺麗に飾りつけられている。昼食後に立ち入り厳禁の看板があったのでその間にせっせと準備をしたのだろう。ハグリッドあたりが木を運んでいる姿が目に浮かんだ。
広間にはもうかなりの数の人数が集まっている。気合を入れた仮装からジョークの入った仮装までさまざまで、レイブンクローの談話室のときよりもさらに色とりどり、にぎやかな集まりとなっている。
「ファントム、いるのかな」
「いるわ。歳はそう変わらないんでしょう?五、六、七年生はほとんどが参加してるもの」
確信を持ったエディの言葉には励まされながらも不安が尽きることはなかった。
ダンブルドアによる始まりの挨拶のあと立食パーティとなり、食べている間は三人で楽しんだ。けれど食後落ち着いてくるとBGMも軽く踊れるようなものが流れ始め、恋人たちは手を取り合い中央で踊り始める。
もエディとダンに踊っておいでと心配されながらも二人を中央に押し出した。二人ともと六年の付き合いがあるとはいえお邪魔虫になる気はない。
「ファントムがいなければラウルが現れてくれないものか」
二人と別れてカボチャジュースを片手にはそうこぼした。
けれどはラウルよりもファントムの方に恋焦がれるクリスティーヌだ。ラウルの恰好をした誰かが現れてもちっとも嬉しくない。
何人か近づいてきて声をかけてきたがは全て断った。これを見てただ単に誘ってきたのならばファントムではない。ファントムなら必ずその話題を出してくる。
「今日は歌わないのかな?それとも亡霊に歌う歌姫ではない?」
優しい声。後ろから降ってきた声には胸が高鳴るのを感じた。彼だと、その声を聞いた瞬間に色あせそうになっていたあの声がきれいに蘇ってきた。
早く後ろを振り向きたくて、でも心臓が異常なほど鳴り響きうまくいかない。にしてみればやっと向いたときには呆れて立ち去ってしまったのではないかと心配したぐらいだったが彼はそこにいた。
「ファントム」
「久しぶりだね、クリスティーヌ。また君に会えると思わなかった」
それはの台詞だった。でも言葉には出来なくて、感情だけがただ高ぶっていく。嬉しさと緊張でどうにかなってしまいそうだった。
頬につと涙が伝わったことに気付いたときにはファントムの方が驚いていた。
「どうしたの?具合でも悪い?」
「違う。だって、覚えててくれてると思わなかった。また会えると思わなかった」
ごめんねと言っては後ろを向いてさっと涙を拭ってしまった。仮面を取って泣き顔を晒すのは嫌だった。
もう大丈夫と笑顔を見せる。お互い口許しか見えないのだけれど声と雰囲気でだいたいの様子はわかっていたのでファントムの方も良かったと安心したように息を吐いた。
「こっちが驚いたぐらいなんだ。随分と前のことだから忘れられてると思った。でも」
「でも、覚えてた」
はもうそれだけで十分すぎるぐらい幸せだった。ファントムが自分のことを覚えていてくれて、自分もファントムのことを覚えていた。そして再び同じように出会えた。それ以上に何が必要あるんだろうか?何もない気がした。
再会の喜びを一通りかみ締めたあと、ファントムは踊りませんかと少しおどけたように手を差し出してきた。は喜んで、と本心からそう答えてその手を取った。
ダンスをしている間、その後の他愛ない会話、すべてが幸せだった。これではもう気になる人どころではない。好きな人だ。このまま別れてしまうなんて嫌だった。せめて名前だけでも聞きたかった。
未だに二人は名前も歳も寮も聞けずにいた。もうそろそろ終わりだという空気が周りでも流れている中ではどうしようかと思って意を決したところでファントムが口を開いた。
「クリスティーヌ、ゲームをしない?」
「ゲーム?」
「そう。僕と君、どちらがお互いを早く見つけ出せるか」
それはつまり今ここでは正体を明かさずに後日改めてお互いを捜そうということだ。途方もない作業に思えたけれど嫌な気はしなかった。ファントムの声がどこか楽しげだったからかもしれない。
「先に見つけたときはどうするの?」
「負けた方がホグズミードでバタービールをおごろう。ああ、相手のお願いを聞くっていうのも良いけどね」
「じゃお願い事考えないと。…でもどちらも見つけられなかったら?」
思わぬ提案だったがその後は二人でゲームの話で盛り上がり、結局お互いを捜しあおうという約束をしておやすみなさいの挨拶をして別れた。お互いの寮が分からないようにが先に出て二十分後にファントムが出ることにした。
名前も年齢も寮も何もわからない。分かるのは声と、その雰囲気。
「クリスティーヌはファントムをこんな気持ちで想っていたのかな」
部屋に戻り髪の色を元に戻しているときふとそんなことを思った。『天使の声』の相手をクリスティーヌは慕いそしてその姿を、正体を見てみたいと思ったのだ。
クリスティーヌのように簡単に仮面を取って素顔を覗くことは出来ないけれど必ずファントムを見つけて見せる。
はそう決意してベッドに入った。
(歌姫の歌わぬ舞台で)