グランマのいるイギリスで暮らそうとの父が言い出したのは十歳の頃。当時日本に住んでいて友だちもいたが、もちろん子どものにはどうすることも出来なかった。父はあっさり仕事を辞めて故郷イギリスへと戻ることを決めた。
イギリスの文化は家で触れて馴染があるとはいえ住み慣れた日本を離れることは幼いには身を裂かれるようなひどい出来事で、その当時仲の良かった友人とはお互い大泣きに泣いたものだった。しかしそれも随分と前の出来事だ。その友人とは今も連絡を取り続けているだけれどあれ以来会ってはいない。あれからもう六年も経ったのだから時の流れは早いものである。
『、卒業したら彼氏の一人や二人連れてこっちに来てね』
日本の友人は高校を卒業した後は大学に進学するらしい。大学はどこに行くか考えてるのと言われる度にまだそんなことは考えられないよと誤魔化しているが実はあと一年と少しで卒業なのだ。先日も進路についてはまだ曖昧なのだとこの間の手紙で伝えれば進路は置いといても卒業後暇があれば遊びに来いという。自分もそっちに一度は行ってみたいと手紙に書いていた。
友人にはこちらでの生活ののあれこれをいろいろ書き綴っている。彼女の方も日本での日々のさまざまなことを書き綴ってくれた。国際電話も長期休暇のときは何回かする。
でもは彼女にたったひとつ秘密にしていることがある。
自分が魔法使いということだ。今は一人前の魔法使いになるためにホグワーツ魔法学校でいろいろなことを学んでいるということを秘密にしている。
全寮制だということも外部とはなかなか連絡が取れないということも、学校は楽しいということも、全部全部本当だったけれど、これだけは秘密だった。
まさかいきなり「私実は魔法使いなの」なんて言われてもなら信じられない。正気か疑うだろう。だから彼女にはそれを伝えてはいないのだ。
「ー、次の番」
「ああ、ゴメンゴメン」
チェスの最中に考え事だなんて命取りだ。カタカタとナイトが揺れている。遅いと文句たらたらの態度には苦笑い。
状況は優勢のままだったからとりあえず考えていた通りの手をすすめた。
結局チェスはの勝利だった。文句たっぷりの態度を取っていた盤上のナイトも許してくれたらしく途中からは大人しく動いてくれた。
いつも負けっぱなしのエディは唇をとがらせて負けを悔しがっていた。すべてがいつものこと。いつもの休日。いつもの勝負。
普段のエディは冷静で頭の切れるタイプだがこういうときは素直に感情を表す。勝負事になると彼女は途端に熱くなるのだ。エディに勝てる数少ないものがチェスなのだがエディはいつか絶対完勝してみせると意気込んでいるぐらいだった。
二人はチェス盤を片付け午後のアフタヌーンティーに興じる。レポートは午前中に終わらせてしまったし他に今やらなければならない課題はとくにないので問題はない。
今度のホグズミードでの計画や授業について、実験の出来具合など他愛のない話に花を咲かせていたがエディがふと思いついたようにを見た。
「、そういえばさ」
「んー?」
「あなたどうしていっつも告白断るの?」
口に含んだ紅茶を噴出しそうになったため思わず口を押さえる。何を言ってるんだろうかエディは。はそう思いながらもなんとか紅茶を飲み下してしまう。
入学して六年目の付き合いになるエディは丁寧な物腰だが聞きたいことはずばっと聞くし好敵手に会えばある種輝いた笑みを浮かべて嫌味の応酬をしてみせる気概ある人物だった。ジャスミンイエローの髪とサマーグリーンの瞳は黒髪黒目のには羨ましい色合いだったけれど本人はもう少し明るい色でも良かったのにと言っている。
エディもも年頃の女の子らしく憧れの人が出来たり恋の話に花を咲かせることもあった。けれどエディはが誰かを好きになったという話は聞いたことがなかったし告白されてもやんわりと断ってきたことを知っていた。
六年生としての一年が始まり落ち着いてきた、というときにエディは夏休みに再び抱いた疑問をようやくにぶつけた。
「好きでもない人と付き合うつもりないだけだよ」
「じゃあ好きな人となら付き合うのね?」
この質問は何度もあったのだけれどそのたびには適当に流してはおしまいにしてた。本当に好きな人はいなかったのだ。しばらくの間触れなかった話題だったけれどエディはに好きな人が出来ない限り諦めないだろう。
ただ、には去年からずっと気になる人はいた。曖昧にしておきたかった想いは半年以上経った今でも確かに感覚を残していた。一時的なものだと思っていただったがここまでくれば言ってしまおうと思った。
「去年から、気になってる人ならいるけど」
「あら、初耳だわ!で、教えてくれるのよね?」
こういうときのエディには逆らわない方が良い。彼女は素直に頷いた。
「うん。でも名前を知らないの」
「知らない?違う寮の人ってことかしら?」
確かに寮は違うんだろう。は彼みたいな人を寮で見たことはない。他の寮を探そうと思ったこともあったけれど幻だったらこわいなと思って結局探していない。
覚えているものが曖昧になっていく中でもどうしても探しきれなかった。一時的なものだから、夢のようだったと思えば良いと、はずっとそう思っていた。
「去年のハロウィーン、仮面舞踏会をしたでしょう?」
「ああ、金曜日にハロウィーンがきたからその日にパーティしたのよね」
休みが控えているなら少しぐらい大丈夫だろうということで開かれたのは仮面舞踏会。結局は仮面舞踏会か仮装舞踏会かわからないものになったけどパーティの直前は誰もがそわそわしていた。だってドキドキしてた。
ハロウィーンの日、仮面舞踏会だと称して行われたパーティ。いつもとは違う自分になりたくては髪の色を魔法で変え、仮面をしてエディと一緒にドレスを着て騒いでいた。まるでどこかの貴族の令嬢のようだと物語のヒロインになった気分だった。
「あの日、ファントムに会ったの」
「ファントムって、オペラ座の怪人の?」
頷くとエディはその人はマグルのこと知ってるのねと嬉しそうに笑った。
エディ自身は魔法使いの家系の出身だが彼女の父がマグルから生まれた魔法使いだった。本好きの父に影響されているエディは魔法界、マグルにこだわらず文学を愛していた。当然オペラ座の怪人も知っていたということだ。
の場合も母がマグルのため家にはマグルの製品が溢れている。文学作品も多くありオペラ座の怪人も見たことがあったのだ。それに実家自体はロンドンの街中にあるので休みの間は半分魔法式、半分マグル式の不思議な生活をしているのだ。マグルの作品も身近なものだった。
「ファントムって言っても恰好だけだけど、良い人だった」
「名前は聞かなかったの?」
「仮面舞踏会なんだから聞いたら面白くないでしょ」
そのときはそう思ったのだけれど今となっては名前を聞いておけば良かったと後悔するばかりである。そうすれば夢のような出来事、から現実にあった夢のように素敵な出来事だと思えていた。
が覚えているのは多くはない。自分よりも背が高いきれいなファントムだった。声は男の子だからやっぱり低く、踊っていたときはリードのうまい人だと思っていた。
名前を呼ばないと困るという話だったからじゃあクリスティーヌにしようとが言うとじゃあ自分はファントムだと、話題を知っている者同士ニヤリとした。原作の二人とは全く違ったけれどまるで物語の主人公になれたようでパーティの間中ドキドキしていたものだ。
「じゃあファントムはもう分からずじまいじゃない!」
名前を聞いておけばよかったのに!と心底残念そうにするエディはに降ってきた大事な恋の種を逃すまいと必死である。ある意味本人より必死だ。
「そうだけど、忘れられないんだよね」
はあの日の出来事を誰かに話せば現実になるけど話さなければ夢のような幸せな出来事で終わるかもだなんて考えていた。でもエディに話しても何も変わりはない。もしかしたら優しい声が頭に残っていても自分だけの秘密にしていたかったのかもしれない。
気になる人どころかこれは好きな人に抱く思いそのものということには薄々気付いていた。気付いていたけれど、認めたくなかった。
「でもファントムは現れない」
そう言っておかないと見つからなくて幻で終わってしまったときが怖いのだ。
けれどそれを打ち破ったのは意外な一言だった。
「じゃあもう一度クリスティーヌが現れたら彼は気付くわ」
「へ?」
エディは楽しそうだ。キラキラ瞳を輝かせて。
可愛い顔して彼女はこういったことに関してはグリフィンドールの悪戯仕掛け人たちと同じぐらい茶目っ気のあることが好きな人間だ。ちょっとした悪戯など日常茶飯事でにとっては慣れたことだった。ただそれが自分に向けられるとは思っていなかったけれど。
「一ヵ月後のクリスマスは仮装舞踏会よ!あなたがクリスティーヌを演じればファントムは気づくかもしれないでしょう?」
「…本気?」
「わたしは本気よ、クリスティーヌ」
嬉々として計画を練り始めていく友人を見て、はグリフィンドールのジェームズ・ポッターも似たようなものなのだろうと想像がついた。以前から思い続けてきたのだが再び確信した。エディとジェームズ・ポッターは同類だ。
目の前の彼女がなぜグリフィンドールではないのかは心底不思議だったけれどレイブンクローのとしてはエディがここにいることは嬉しいのでまあいいかと流した。
「一ヵ月後が楽しみね!」
「あー、うん」
期待と不安が入り混じる中、もしも見つからないのならいっそクリスティーヌになることを止めようかとも思っただったが否定することも出来ずにただ曖昧に笑って頷いた。
(はじまりの前の自覚)