の世話役はイルミ、といってもそのすべてをイルミが請け負うわけではない。彼に任されたのは主に彼女をどういう風に育てていくか、ということだ。その他の雑事は基本的に、執事の役目となっている。
 イルミがいる日は主に体を使うような教育になるのだが、いつも家にいるわけではないし家で他の用事がある時もある。そうやってイルミに仕事がある日、の世話は誰がしているのか。



様、そこはこう解きます」

 すらすらと、お手本にふさわしい整った字で解答を書く。はそれを黙って見つめている。じっと紙から目を離さないところを見ると必死に頭を回転させて考えているらしい。
 人見知りをする性質で打ち解けないと相手の発言を注意深く観察するだが多少なりとも会話を重ねた相手ならばそこまで警戒心もなく、ゆっくりと丁寧に教えられればほぼ一度で理解する優秀な生徒である。

様は覚えが良くて教え甲斐がありますね」
「ゴトーさ……が、上手だから」

 若手の執事の中でも有望株としてゴトーは本邸でゾルディックの人間に直接仕えている。家族たちの中でも名前を覚えられるほどであり、若手の執事の中でも期待は高い。彼に任せれば間違いはないだろうとゼノの一言でイルミは自分が留守の間、それから自身が関わらなくても良いような教育はゴトーに任せている。
 はゴトーを最初さん付けで呼ぼうとしていたため、ゴトーの初めての仕事は彼女に呼び捨てをさせることだった。まだまだ慣れないところは多いが口数は初対面の時よりも確実に増えている。

「ありがとうございます。今日はこれが終わったらお茶にしましょう」

 ゴトーの言葉に一瞬目を輝かせるだったがお茶、と小さく言葉を落とした。
 お茶。アフタヌーンティー。時間的にもちょうど良い。ゴトーは用に味を調整した紅茶とお抱えの料理人がつくるおやつを持ってくるつもりだ。今日はシフォンケーキ。

「……」
「イルミ様のメニューはきちんと様のために作られておりますから。ご安心ください」

 現在が口にするすべての飲食物には毒物が含まれている。微量の、致死量には至らない毒の数々。すべてイルミの見立てだがは食事のたびに複雑そうな顔をするのだ。
 ゴトー自身も一家と同程度に毒物の耐性は高い。主人より先に毒に倒れたらそれは執事の名折れである。彼自身がそういう思いも強いこともあり、執事の中でもかなり強い耐性の持ち主である。
 彼は望んでその耐性をつけていったわけだがはそうではない。たまたま保護を申し出たところが世界有数の暗殺一家のゾルディック家だっただけだ。そうでなければ彼女は毒への耐性をつけるようにと食事制限がつくこともなかっただろう。
 しかし自身もここがそういう場所であることを幼いながらも理解しているらしく、苦い顔をしながらも食事を残すことはない。

「イルミは、いつ帰るの?」
「今日はお仕事で国外におられますから、お帰りは明日になってからですね」

 ゴトーが答えるとは明らかに落ち込んだ。
 この少女の一番の不思議はイルミになぜだか懐いているという点だ。初対面から今までの間でイルミが彼女に自ら気遣ったことなど一度もない。かろうじて名前は覚えているものの任せられなければ彼は視野にも入れずよく知らないが目障りだという理由でひょいと己の針を投げたに違いない。
 イルミがこの少女に労力を費やすのはそうするようにと声をかけられたから。それ以上でもそれ以下でもないことを、ゴトーは知っている。
 だから、この少女に先ほど届いた荷物を渡すかどうか、ほんの少しだけ迷ったが迷っても仕方がない。肩を落として問題の続きを解き始めるを見つつゴトーは席を立った。




「紅茶とシフォンケーキです。それと、」

 首をかしげるにゴトーは微笑む。合図をすれば部屋の前で待機していた他の執事が大きな袋を抱えてそれをゴトーに手渡し退室する。

「?」
「イルミ様からです」

 パッと顔を上げたに対しゴトーは、紅茶をケーキをきれいに食べたらお渡ししましょう、とにこにこ宣言するのでは黙ってフォークに手を伸ばすしかない。
 口に入れた瞬間その味はプロの作るものであるため大変美味しい。しかしその後即効性か遅効性かどちらにしろ体調を崩すとわかっているものを毎食口にすることは幼いながらに気の重い作業である。
 ただゴトーが目の前で持っている袋を目当てにか、は黙々とケーキを平らげ紅茶も飲み干した。いつもよりも早い時間だ。
 ゴトーは頬を膨らませて口を動かすを見て珍しく表情を緩めたがが視線を向ける前にはいつも通りの柔和な笑顔に戻っていた。

「そんなに急がなくてもよろしいのに」
「だって、気になるから」

 じっと袋を見るにゴトーはどうぞ、とに対して大きめの袋を手渡した。
 は恐る恐る袋の中を開け、そして目を丸くした。

「……ぬいぐるみ?」
「イルミ様が様はひとりで眠れないから人形でも抱いて寝れば、と仰せでした」

 袋から取り出すとは改めてそのぬいぐるみを見ていた。
 イルミが選んだとは到底思えない、が抱きかかえるにはちょうどいい大きさのぬいぐるみが入っていた。白いうさぎの人形だ。デフォルメされたたれ耳のうさぎはつぶらな瞳をへと向けている。

「うさぎさん」

 実はこのぬいぐるみの案は「オレがいない間に寝れないとかいうとめんどうなんだけど何か良い案ある?」というイルミの問いにゴトーが答えた案だった。じゃあよろしく、と言われたゴトーがあわてて動物の種類を聞けば何でもいい、と返されたのだが立ち去る間際、珍しく彼から返答があった。
 どうやら最近聞き覚えたことらしかったがイルミから出るにしては珍しい返答でゴトーは驚いたことを覚えている。
 曰く、うさぎはさびしいと死ぬらしいけど、も似てるね。
 そこまでなら天変地異でも起こりそうな発言だったが、そこはイルミだった。続けて、放っておいて死ぬか試してもいいけど殺しちゃだめだからなあ、と淡々と口にし、ゴトーにぬいぐるみを与えるよう指示して出て行った。

「お忙しくてイルミ様ご自身で選ぶことはできなかったのですが、お気に召しましたか?」

 その返事はうさぎをぎゅっと抱きしめるという形で返ってきた。

「貰ったものは、大事にするの」

 その日からのベッドにはしろいうさぎのぬいぐるみが枕元に置かれるようになった。







「なあ兄貴、」
「何」
「あのちびと寝たことあるって……本当か?」

 ミルキが恐る恐る兄に話しかけたのはうららかな陽ざしの降りそそぐ午後のことだった。

「え? そうだけど。何?」

 実際のところは一度しか一緒に寝たことはないし添い寝でもない。その後はうさぎのぬいぐるみが代わりになったようでは眠る時にうさぎのぬいぐるみを抱くことで一人で眠れるようになった。
 ただ寝る前の一時はイルミにおやすみなさいの挨拶をするという名目で会話を交わしにくる。イルミはわけのわからない生き物を見るようにそれに応対するのだがはそれでいいらしい。

「……いや、別に、」

 じゃあ、と立ち去る兄の背中を見送り黙るミルキ。彼の頭の中では今一緒にベッドで目を閉じて寝ている二人が浮かび上がっているのだがすぐに頭を振って想像をかき消した。

「……まあ、いいか」

 恐ろしいことには足を突っ込まずにいよう。
 すぐに頭を今月出たばかりのゲームへと切り替え、ミルキは自室へと舞い戻った。


(貰い物)