前日、との話が平行線のままだったイルミは屋敷を後にし街で一泊した。
ゼノに一泊を報告したところ大笑いされ、決着がつくまで仕事を振らないから好きにしろとまで言われる始末である。ゼノは身内よりも余程に甘い。
連れてきた執事はミクリ一人で、彼女は黙々と宿の手配やイルミの世話をしたが元々執事の手は最低限しか借りないので今は飛行船の手入れを指示している。一瞬何かを気にするようにイルミに視線を送りかけたがすぐに止め、イルミもそれを見逃すことにした。
「夢に出てくるとか図太いよね」
たった二度ほどの出会いだったというのにその女はイルミに顔と名を覚えさせた。その上夢の中でも思い出させるのだ。
随分とたちの悪い呪いである。耳にした当時は歯牙にもかけなかったそれが遅効性の毒薬よろしくイルミに疑問を抱かせるのだから。
「なんのこと」
「君のおばあさんの話」
発言の直後屋敷の方から不穏なオーラが感じられたがイルミは気にも留めない。
本日の天気は快晴。庭に用意された木目調のテーブルセットにパラソルがあり、そこで二人はお茶をしていた。
「話したことあるの?」
「うん。殺し屋の顔を事前に見たかったんだってさ。わざわざ殺される前に会うんだから変わってるよね」
「……」
はそれを聞いて思わず黙ってしまう。
約一年、ゾルディック家で過ごしたことで多少あの家のことを知った。
彼らのことは未だにわからないことも多いがイルミの言うことが珍しい出来事なのは理解した。彼らは仕事のためによく家を空けるが毎回訪う先は異なっているとはゴトーから聞いたことがある。
現場を見たことのないでもわかるのはイルミが暗殺しようと思えば悠長に会話をする時間など到底取れないことだけだ。訓練を受けているからこそわかる。イルミは人と必要最低限の会話しか行わない。
「その時に呪いの話もしたの?」
「しつこい」
「だって、おばあちゃんそんなことしないもん」
「別に恨んで呪ってきたわけじゃない。意味のわからない言葉が呪いみたいなだけ」
呪いと呪いじみた言葉の違いはにはわからないらしい。難しそうに眉間に皺を寄せ首を小さく傾げる。
ただ呪いの中身は話してくれそうにないのは確かだ。それに気づいたのかは正面突破から軌道を修正した。
「イルミに、おばあちゃんの呪いは効いたの?」
「……まあ、ギリギリ合格点だね」
「なに?」
「一つは効いたよ」
今までの暗殺対象については仕事を終えれば二度と思い出さなかった。死んだ以上次の依頼者にも標的にもならない。仇討ちだと元依頼者の暗殺の依頼が入ることはなくはないがそれはまた新しい依頼としてこなし、頭から消えた。
子どもたちへの仕事の割り振りはシルバとゼノの判断による。
指示されるだけだった割り振りは最近ではイルミ自身が選びシルバとゼノが最終的に判断する案件が増えている。最終的にはイルミ個人での依頼も出てくるだろうが今はまだゾルディック家への依頼をこなしているのが現状だ。
オウカの暗殺依頼はゼノが自分は受けないと言い、シルバは別件をすでに受けておりますイルミにお鉢が回ってきた。シルバが受けていれば結果はまた違うものだっただろう。
しかし現実ではイルミがオウカを暗殺し、預けられたの面倒を見ている。偶然のたらればほど無意味なことはないだろう。
「一つは、って他にもあるの?」
「は質問するしか脳がないの? その脳みそ空っぽ?」
「違うもん」
こうして話していれば場所は違えど普段の会話とそう変わらない。この場合イルミが気遣うというよりもが普段通りに近いというだけだろう。彼の最大限の気遣いはこの場に足を運んだことである。
「おばあちゃんとの話はイルミにしかわからないんだから。イルミに聞くしかないでしょう?」
「オレが嘘をつくかもよ」
「嘘つく理由、ないもん」
真偽のどちらもイルミに得はない。むしろ嘘をつけばそれが判明した時にから執拗な追及を受ける。それ自体は些事だが面倒を増やすよりも事実を述べた。
オウカとの話に興味を持つのはこの場にいる人間だけだ。それなら話すだけ話してやった方がよほど話が早い。小うるさく睨まれることもない。
呪いのことを話せばいい。弱いのに殺す気になれない者に出会うなんて、本来なら呪いとも呼べない。
「」
名を呼べば彼女は正面からイルミの瞳を捉える。弱くて、すぐにでも死にそうな子どもはイルミに殺される怯えもなく真っ直ぐだ。
暗殺者であれば己の不利益になる依頼以外は受ける。それが目の前の少女への暗殺依頼でも。ゼノがそれを受けなくともシルバが受けると決めたら簡単に破られる約束はゾルディックにとって渡された薬草のメリットが勝っているだけのものだ。それがなくなり、暗殺依頼があればイルミは依頼を受けるだろう。
晴れた青空と向日葵を背景にした彼女をイルミはその針一つで動かぬ躯に変えられる。
「イルミ?」
の艶のある黒く長い髪は、白くきめ細やかな肌は、揺らがない菫色の瞳は、まっすぐに結ばれた血色の良い唇は、躯になれば喪われるだろう。イルミと、その声は音に乗ることもない。当然だ。彼女は彼女の意思を喪うのだから。
問いかける彼女のいない未来を惜しいとするそれの名を、イルミは赤く咲く花を脳裏に描きながら思い出していた。
「呪いの別名が愛って聞いたことないんだけど」
「あい?」
「がいなければオレは呪いに悩まされないはずだったのにいなくなっても呪われるんだから性質悪すぎ」
「イルミ、何言ってるの?」
を思い出すことがある限り、あの赤い花を忘れない限り、イルミにはを手元に置くしかない。そうして彼女を手元に置けばどうしたって彼女の祖母の影がちらつくのだ。
そうなると、オウカは予想していたのだろうか。もしかしたらと、可能性はわかっていたのかもしれない。
「知らないところで勝手に死なれるのも困るから帰るよ」
「勝手に決めないで!」
「じゃあ残るの」
イルミの問いかけには答えない。不満の表情を未だに消さずにいる。昨日の再会からは明るい姿をイルミに見せていない。
その瞳はイルミの何かを測ろうと光を灯している。その光は針を使っても失われるのだから取り扱いが難しく厄介なものを抱えようとしているとイルミは嘆息する。
雑に扱えば壊れるものなど不用品のはずだった。
壊れ物は壊れやすい自覚などまるでないままイルミを捉えている。
「イルミはお仕事、全うしてますか」
紡がれた言葉は彼女の声だがそこに彼女以外がいた。
念能力というほどでもない。誓約でも何もないがその言葉には意味があった。
「全うしなきゃ暗殺者なんて死んでおしまいだよ」
意味を求められたその言葉にはイルミは即答だった。彼女の思いの丈がどうであれその問いに対する答えは変わるはずもないのだ。
それがにとって意味ある回答だったらしい。こくりと小さく頷いた。
「それなら、いい」
「何が?」
「修行、また頑張る」
つまりそれはまたゾルディック家で過ごすということだ。突然の変わり身にイルミは思わず顔を顰める。昨日の頑なな態度はなんだったのか。子どもの癇癪にイルミは付き合っていたというのなら実に非効率だろう。
「それだけ? 祖母の仇に思うところはないわけ? 普通恨むもんじゃないの?」
「……? イルミはお仕事全うして、おばあちゃんはお仕事を全うしたから、命を狙われたんでしょう?」
「そうだね。命を狙われるようなことをあのばあさんはしてたよ」
「知ってる」
短く答えたは彼女の祖母が人の命を救ったことも、奪ったこともあると知っていたらしい。その瞳は怨嗟の色に濁ることなく理解を示している。
「恨んだり怒ったりするのはおばあちゃんが全部持っていった。だから、は、好きなだけ悲しんで良いの」
一人称が崩れたことをイルミは指摘しなかった。彼女の瞳から涙がこぼれ落ちているのだ。ポケットからハンカチを取り出してそっと涙を拭う彼女の手は戸惑いはなく、何度もそうしてきたことがわかる。見たことのないの姿をただイルミは観察していた。
「オレを恨んでいいのは殺された相手だからね。恨むなら依頼人を恨めばいいんじゃない」
イルミにしては譲歩した発言だったがは首を横に振る。
「殺したいって思われること、おばあちゃんはしたって、言ってた。それはおばあちゃんが全部持っていく。だからは涙が枯れるまで泣いていいの。悲しいのがなくなるまで大事にするの」
「それなのにハンカチで拭いて泣き止もうとするのも変な話だけどね」
祖母からそう言われていたのだろう。イルミに細かなことはわからなくともがそれを誓いとしたのは察した。そして涙はまだ枯れず、悲しみは確かにまだそこにあるのだ。
「それで、、帰るなら支度しなよ。オレもそう暇じゃないんだよ」
「は」
「私」
「私、は」
イルミはの瞳を捉える。すみれ混じりの青はいつだって光を取り込んでゆらゆらとその光を瞳の中で揺らがせている。似たような光はあれど一定であることはない。
己の意のままにならないことはそう多くない。あってもどうにかできる力がイルミにはある。
けれどイルミはこの瞳の揺らぎにはただ黙って付き合えるようになっていた。
「宝石が磨くと光るのか、原石のままがきれいなのか、まだわかってない」
見定めるようなその眼差しが己を指していることに不快感より興味が勝った。
「いい度胸してるね。そしたらせいぜい隣で見てれば?」
「そうする」
こくりと頷く彼女の顔つきの変化にこの場の全員が理解した。窺うように見守る二つの気配が警戒を緩め、一つは何も変わらない。
「準備が出来たら出るよ」
「イルミ、せっかち」
「どこが? 最大限待ったよ」
頬を膨らませるは不満顔だがイルミの言葉を否定しない。
「イルミ」
「まだ何があるの?」
「ひまわり満開の時、また見に帰っても良い?」
それはそう遠くない今年の夏のことか、来年、再来年ということなのか。
イルミは一拍黙った後、勝手にすればと荷物を取りに応接室に戻ることにした。
(呪いの別名)