呪いとは、念能力による制限をかけられたわけではない。イルミと同じ黒髪の、ゼノと同世代であるはずの、随分と容姿の若い女が笑って言葉をかけてきただけだ。
場所と時間の指定付きで自分を狙う暗殺者を呼び出す女の名前をオウカ=という。
「あのゼノの孫にしては随分と毛色が違うわねえ」
「自分を狙う暗殺者に茶を振る舞うのどうかしてると思うよ」
「今日は下見でしょう? 部屋で孫がお昼寝してるから今度になさいね」
後日己の命を狙う相手を目の前にオウカは平静だった。
ホテルのカフェは祭りの直前なのもあり盛況だ。ざわついて、それぞれが自分の会話に夢中だ。二人を気に留める者もいない。
彼女がイルミを呼び出したのは拠点があるどの国でもなく明日から始まる祭りでにぎわいを見せるある街だ。あちこちから花が運び込まれ、盛大な花祭りが行われるその場所は既に花の香りに満ちている。
そんな平和な周囲と変わらぬようにオウカは部屋にいる身内を心配し、同時に目の前の暗殺者を日常のこととして迎えている。
「ちゃんと迎え撃ってあげるから心していらっしゃい」
「普通逆だろ」
「まあ次に会った時の楽しみにしときなさい」
後日言葉通りオウカはイルミを迎え撃ち、一矢報いるのだがこの時のイルミは半信半疑だった。
目の前の相手は念能力者である程度の使い手であることはわかる。しかしそれだけだ。日々暗殺の技術を磨くイルミにとってピークを過ぎたであろう非戦闘タイプの念能力者は脅威にはならない。下見と称したこの対話も本来ならする必要のないものだ。
今回の暗殺依頼者よりも前にゼノがオウカから請け負っていたという「暗殺実行者との面会」という奇妙な約束のためにわざわざやって来たのだ。何か探るつもりかと怪しんだが特に聞きだそうとするわけでもない。念能力を遣うつもりかと警戒してもそういう気配もない。
この面会の理由をイルミはまるで理解できなかった。本当に、ただお茶をし、会話をしているだけなのだ。
「あなた、イルミだったわね? いくつになるの?」
「歳を聞く意味がわからない」
「十七、八か、もう少し下かしらね」
尋ねた割には話を聞く姿勢はなく、勝手にイルミの年齢を推定していく。
先ほどから彼女は一方的に喋っては適当にイルミについて見当をつけていく。単に今見たものを口にし、情報を整理するかのようだ。動揺を誘うつもりなのかと、イルミはただ黙って聞き流す。黒い髪は誰譲りなのか、戦い方は、普段の過ごし方、適当に口にしているものもあれば今見てわかること、イルミの何かを見て、あるいはゼノから聞いて見当をつけただろうことなど、彼女は雄弁だった。
ある程度一方的なお喋りが続いた後、オウカは一度一息つき、その唇をゆっくりと持ち上げ微笑んだ。赤いルージュに彩られた唇がゆっくりと開かれる。
「若者に、良いことを教えてあげましょうか」
「別に聞きたくない」
もちろん、彼女は先ほどと同じようにイルミの答えはまるで聞いていない。ほぼ一方的に話し続ける。
先ほどよりもゆっくりとした口調で、歌うように唇が震える。
「あなた、私のこと殺してからふとした時に私のこと思い出すようになるわ」
それはイルミにとって良いことでも何でもなかった。なぜたまたま依頼を請け負ったターゲットのことを思い出す必要があるのか。今この妙な邂逅すら、イルミにとっては仕事を終えればどうでもいいこととなり記憶から消えていくものだ。それをオウカは違うと確信しているようだった。
今の会話のどこにその要素があったのかイルミには理解不能だったし、次に告げられた言葉はもっと理解しがたいものだった。
「それから、自分より弱いのにどうしてか殺す気になりにくいものにいつか出会うわよ」
「良いことどころか悪いことだらけじゃん。呪いのつもり?」
呪い、と言われた瞬間オウカは驚きで目を丸くし、そして目を細め声を出して笑った。
「いいわねえ、呪い! そう思ってらっしゃいな。ずいぶんと幸福な呪いだこと!」
呪いという言葉を彼女は随分とお気に召したらしい。後日正式な仕事として彼女の前に現れ、勝負がついた時、彼女はまたもやこう口にした。
「あなたに負けるのは仕方ない。あげた呪いとともに、あなたの幸福を祈ってあげる」
彼女は強くなかった。イルミが対峙すれば勝負はすぐにつくはずだった。
そのはずだったのにイルミは骨を何本か折られていたし、擦過傷もいくつか負っていた。仕舞いには遅効性の痺れ薬が効いてきた。無傷で早々に仕事を終える予定がすでに十数分、死んでなるものかと足掻くオウカに振り回されていた。とんだ誤算である。その彼女も腹部に大きな穴が開いており、既に決着は見えている。彼女はもう血が足りない。
「馬鹿馬鹿しい」
「そう言えなくなるのを見られないのは残念ねえ」
笑って、彼女はなんてことはない顔でその直後、どう隠し持っていたのか部屋ごと吹き飛ばしかねない爆弾をイルミに投げつけてみせた。
爆風でもらったはずの呪いの言葉も一緒に吹き飛んだのだが幸か不幸か、イルミは彼女の孫によってこの呪いを思い出すことになる。
(幸福な呪い)