イルミ=ゾルディックが歪んだ家族愛ならぬ弟愛にみち満ちて、弟に関することだけに執着を見せることは周知の事実だ。次点で家族のこと。その他の存在の優先順位は高くない。
 そして今現在、その他に分類されるものはたった一つしかなく、預かりものの小さな子どもを指す。
 それ以外は彼の中では順位にすら上がらないことに彼は半分無自覚だった。


 傷つけてはならぬ、という祖父の珍しい命令にも当時のイルミはほとんど耳を傾けはしなかった。傷つけてはいない、ということと後々影響を出さなければいいという結論を出し、少女を引き受けてしばらく経った頃、隙だらけの幼い少女に一度己の針を刺したことがある。何の支障もないよう、単なる興味本位の実験として。
 しかし想定していた一日という時間を経ずにイルミは自ら針を取ってしまった。
 それ以降イルミはあの少女に針を刺す気は起きない。操れば彼女は簡単に強くなるし手間暇かけることも不要だ。
 それでも止めてしまったのはイルミにしては非合理的な理由だった。家の為の枠の外にあるものに非合理を持ち込むことは生まれて初めてだったかもしれない。
 光の見えないすみれ混じりの青は見ていても退屈だった。
 ただそれだけで、イルミはとして見ることにした。

「オレ無趣味だったんだけど愛玩趣味ってやつだったのか」

 飛行船の中で呟くイルミの言葉にミクリはコメントを控える。どうせ独り言である。
 答えは人が持っていても経過式がなければ本当のところは納得できない。
 その手がかりを求めている光を見ないはずの機械人形はいつになく人間くさかった。




「平和じみた家だね」

 わざわざうちに来る必要あったのかな。
 向日葵に囲まれた家を無感動に見つめてイルミはため息。
 どうして仕事の合間を縫い、わざわざ飛行船をひとつ使ってここまでしているのか。
 愛だと笑う依頼人の若い男の姿がちらつく度にイルミは苦い顔しかできない。
 一歩敷地に入った途端に反応するオーラがひとつ。庭先から顔を見せた男が一人。
 侵入者を知らせる念字を張り巡らせて感知したら対応するのだろう。人が多く住んでない割に屋敷は広いことへの対策らしかった。

「こんにちは。こちらにどういった御用ですか」
「家主を迎えに来た」

 その瞬間明確な憎悪が見えたがそれはコンマ一秒にも満たず、イルミが針を構えて放った瞬間三メートル離れて何事もなく笑う男がいた。

「失礼しました。ゾルディック家の方ですね。ご案内します」

 使用人ではなく同居人が二名いるのはゾルディック家でも調査済みだ。の祖母オウカに拾われたらしい男女。
 一人は昔とある組織の諜報員として働いていた男で、もう一人は今も時折名前を聞く気まぐれ屋のハッカーだ。
 情報は現代における武器であり、その点ではオウカは情報戦では優秀な仲間を持っていた。少なくとも隠居生活を平和に過ごすには十分なぐらいに。
 必要以上の警戒を見せず、何も知らない人間から見れば隙の多い男に案内されながらイルミは家への訪問を許された。



「彼女は今街に降りてます。もうじき帰ると思いますからお茶でも飲んでください。屋敷内はこの部屋以外は出歩かれませんようお願いします。表の庭なら好きに歩いて構いませんので」

 私も庭にいますから、と丁寧だが距離を取ったもてなしにイルミはひとつ頷くだけだった。もともと歓迎されるとは思っていなかったしお茶が出ただけ十分だろう。
 出されたものに躊躇いなく口にし、そして一瞬手を止めた。
 毒を入れられたわけではない。入れられてもイルミにはそれをどうとも思わなかったし、気にも留めなかった。気に留めたのはそうではない。出てきたお茶そのものだった。

「……ここで出ていたお茶か」

 ゾルディック家における生活の最中、彼女はほとんど言われた通りの生活を送っていた。
 イルミにとってそれはなんの不思議もなかったが己の弟たちと比較すればあまりに欲が無かった。
 その彼女が珍しくお願いをしたのがお茶の指定だった。たまに、今ここで飲んでいるものと同じものを飲みたがった。
 そこそこ流通しているなんの変哲もないお茶だったがこうして普段から飲んでいたのだろう。
 それを覚えている自身にも驚き、それに気が付いた自身にも驚いた。仕事以外で不要な情報を、彼はめったに記憶しない。言ってみればどうでもよく、役に立たないはずのものだから。
 カップをローテーブルに置き、応接間を見渡す。
 クリーム色の壁に庭に面した窓、その反対側の壁には四連になった絵画があった。春夏秋冬を表したそれは花々で彩られ、部屋の中で主張しすぎず、庭の本物の植物たちと喧嘩をすることもない。おそらくはこの家の庭で植えている花々を描いたのだろう。豪奢とは程遠い、素朴な応接間だった。

「本当、なんでここを出る必要があったんだか」

 世間の常識を暗殺に必要な知識として蓄積していても己の周りに適用されない彼の脳みそでも、この家は一定レベルの安全と生活を彼女に提供できるものだと判断できる。死んでしまったオウカへの恨みをなおも晴らそうとする輩は一年も経てば早々おらず、もう孫のがここにいることも誰も気にも留めないだろう。人は死んでしまえば過去になる。オウカは常々恨まれてもいいと言っていたけれど彼女の恨まれ方はゾルディックに比べれば随分と可愛いものだった。
 もちろん中には数年では解消できない憎悪もあるだろうが、それでも最も彼らが苦しめたかった相手はもうすでにその命を終えている。その相手は己を殺した家の者に最愛の孫の後を頼んだのだから世の中は奇妙なことの連続だろう。

 待つこと一時間強。イルミはその間次の仕事の事前資料を読み、家にいる執事へいくらか指示を出し、部屋の端で体を動かして調子を確認していた。
 訓練は日課の範疇であり、一人で仕事を任される一人前の暗殺者であり念能力者でもあるイルミでもそれは変わらない。多少動かしたりなかった分は室内でできるものは行う。待つことも暗殺の任務の中には必要であり、その気になれば何時間でも動かず息を潜めることもできたがここでする必要性もない。
 室内ですることも尽きたからと、イルミは言われたことを呑み、部屋以外に出歩いていいと言われた庭へと足を運ぶことにした。
 庭に面した窓は外へ出られる設計で、イルミがいる場所はサンルームとは言わないが日当たりの良い場所だった。今日のように天気が良い日は窓越しに見える庭は客の目を楽しませるよう意図されている。

 窓を開け、踏み出した庭には大量のひまわりが植えてある。夏が最もこの屋敷にとっては大事なことなのか、庭から玄関までの道沿いは全てひまわりだった。
 イルミのいた応接間からは四季ごとの花が見えるように配置されていたけれどひまわりの数だけが他と比べて多いのは明らかだ。

「どうせがなんか言ったんだろ」

 明らかに贔屓されたそのひまわりが誰のためにあったのかを想像するのは易い。この家の主は今も昔もなのだろう。オウカが整え遺したもの。
 これだけの花に囲まれて育った彼女はゾルディック家でも花に興味を示していただろうか。イルミは記憶にもないし報告の記録にそういった記載の覚えもない。
 要望も不満も口にしない預けられた子どもの心の機微などイルミには想像できない。イルミはそもそも他人の家に預けられることを良しとしないだろう。前提からして違うのだ。

「イルミ、なんで」

 帰ってきていたのは玄関の方で動きがあったのでわかっていた。
 先程までいた部屋の中からが幽霊でも見たかのようにイルミを見ている。

「なんでもなにも、君うちに預けられてる自覚ある?」
「……帰っていいって、言われた」

 咲き始めのひまわりを背景にするイルミは非現実的だった。家族以外の他人のためにここまで足を運ぶことも、そのために考えることも、何もかもが彼を構成する要素の中で異彩を放っている。

「オレがオウカを殺したからもう一緒にいたくないんだ」
「……」
「まあ普通は殺した相手と仲良くできるわけないからね」
「イルミ」
「依頼者は死んでる。嫌ならこのままここにいればいい」

 部屋の中からは外に出る。ゾルディックの家にいる時よりはカジュアルな格好だ。パニエのついたスカートではなくキュロットスカートで長い髪を今日はポニーテールにして大きなリボンで飾っている。
 彼女を守るように部屋の入り口にいた女性が中に入って二人が見えるようにする。庭師の男も気配を消しているが近くにいる。まるで番犬である。

「イルミ、おばあちゃんのこと、どう思う?」

 イルミの歩幅で二歩分離れてはそう問いかけた。すみれ混じりの青は真っ直ぐな光を灯らせてイルミの漆黒の瞳を射抜く。
 彼女のこの度胸は生来のものなのだろうか。物怖じしないといえばそれまでだが彼我の差が明らかな相手でもこうして見据える強さの理由をイルミは理解できない。力だけで言えば生殺与奪権はイルミにある。

「面倒なターゲットだったよ」
「それだけ?」
「殺す相手に何かあるわけないだろ。オレは依頼を全うしただけ」
「……」

 は眼差しを逸らさないし、イルミもそれを避けずに見つめ返す。

「面倒だから、殺したの?」
「依頼だって言ってるの聞いてる? 面倒ってのはこっちからしたら割に合わないってこと。楽に殺せれば仕事としてはコスパも良いのに君のおばあさんありったけの爆薬毒薬オレにぶつけて来たしそのおかげてその後しばらく仕事出来ない羽目になった」
「よく、わかんない」

 イルミは実に饒舌だったがにはその言葉の意味するところをはっきりとは理解できない。
 訝しげに続きを求めるの瞳をイルミは不機嫌そうに理解を示した。

「別にオレはあの人のこと嫌いも好きもない。ただ暗殺するのにあんなめちゃくちゃな相手はそう相手にしたくない」
「嫌いじゃない?」
「なんで2回しか会ったことのない相手をそんなに考える必要があるの? 呪ってきたような相手って意味では忌々しいけど」
「のろい」

 の言葉にイルミは珍しくしまったと顔を歪ませた。
 念能力によるものではない、ただの言葉だ。呪いをかけようとお土産を持たせるかのようにオウカは微笑んでそれをイルミに贈った。

「どうでもいいよ。それでどうするの、ここに戻るかうちにまた戻るか」
「やだ。のろいの話教えて」
「ウザい」
「聞かないと、答えないもん」
「それならオレ帰るから」
「やだ!」
「意味わかんない」
「イルミ、いじわる」

 結局その後は決着が着かず、イルミは明日も来るからとまさかの一泊となった。
 はやだの一点張りから膨れ面のまま帰るイルミを律儀に見送り、保護者二人が困惑の様子でのそばに控えていた。


(ひまわりの家)