「兄貴はおかしい」

 粘着質な音を立てながらスナック菓子を食べるという通常食べている場合に出るわけのない音を立てながら、彼、ミルキ=ゾルディックは明言した。
 それを聞いた祖父はふむ、と頷く。驚くわけでもない。肯定するわけでもない。ミルキに次の言葉を促している。

 場所はゼノの私室だ。洋室で、ゼノとミルキはソファに腰かけて対峙している。
 室内にはゴトーがそっと控えており、それ以外の執事はいない。ゴトーはまるで石像のようにぴくりとも動かない。ただじっと、沈黙を守っている。

「兄貴もおかしいけどそれを知ってて黙ってるじいちゃんたちもおかしい」

 子どもたちの中で唯一事情を知っているのがミルキだ。そしてミルキは馬鹿だが頭は悪くない。十と二つ。状況証拠から推測を導き出せる少年だった。
 その推測を本人でもなく、両親でもなく、祖父に向かって話すところが彼のこの件に対する気配りらしい気配りかもしれない。キキョウが見ることを許されていないゼノの私室で、わざわざミルキはその話をしているのだから。
 兄のためかもしれないし、兄と関わる一人の少女のためかもしれないが、それを知る者はミルキ本人以外には誰もいない。

「別に、それが悪いと思ってるわけじゃないけど、放っておいていいの?」
「ミル、暗殺者に感情は不必要だと思うか?」

 突然の問いだった。ゼノは表情を見せることなく、淡々と質問した。
 ミルキは一瞬質問の理解に時間を取られたがすぐに頷いた。暗殺者にとって感情とは仕事上不必要な要素だ。いかに効率よく危険のない殺しができるか。それを考えればおのずと答えは見える。

「要らないね。そんなもの、あったって邪魔なだけじゃないか」
「では、イルミを暗殺者としてどう思う」

 沈黙。悩んでいるのか、言葉を選んでいるのか。ミルキは眉間にしわを寄せて口をへの字にさせている。
 スナック菓子を食べる手が止まった。わざわざ用意してあったお手拭で手の油を取ると手を口元にあて、数十秒。

「イル兄は、暗殺者としての技術も、判断も、一流だと、思う」
「歯切れが悪い答えだのう」
「……時々、こわい」

 気まずそうに落とされた言葉は、小さく、そして迷っていた。ふらふら。言葉があちこちを彷徨っている。それが本当なのかも、ミルキはおそらくわかっていない。
 ゼノはただほんの少しの微笑みを浮かべて、そうかと頷いた。
 暗殺者としては一流。それでも彼が家を継ぐ人間ではないのか。誰もが疑問だし、疑問ゆえに問うことのできない問題だった。

「ワシとしては願うが、シルバにしてみれば賭けじゃろな」

 ミルキは訝しげに祖父に視線を送っていたが答えはなかった。ただ、話は仕舞いだという空気にしずしずと出て行こうとすれば背中から声をかけられた。

「で、なんでそこまでに肩入れしとるんじゃ?」
「ハートちゃんの続編が決まったから今度は新衣装着せたいんだよ」

 あれだけそっくりなのは世界中探してもそうはいない。
 意気込む孫にゼノは間の抜けた返事をして退室を認めた。







「オレとしては簡単でいいけどこれに何か意味はあるわけ?」

 打ち合わせと経過報告のためにイルミは依頼人と二度目の面談を行っていた。
 彼にしては珍しく、己の仕事に対する疑問を相手に抱いていた。そしてそれを問うた。青天の霹靂である。

 昼下がりの寂れたカフェの隅。客はおらず、年老いた店主がカウンター向こうの椅子に座ってうつらうつらと眠りかけている。店内に流れるのは一昔前の音楽だ。イルミも相手も、おそらく生まれていない頃の。
 使い込まれた木のテーブルと古ぼけた緑の生地のソファは外からは死角になっていて、込み入った話をするのに好まれていたに違いない。
 都市開発の結果治安の悪い土地と化した地区の老舗のカフェは今や寂れて怪しい客が時折やってくるばかり。

「まさかそんなことを聞くとは思わなかった。暗殺一家でも俗なことを聞くものだな」
「回りくどい追い詰め方をするために莫大なお金をかけてる物好きに言われたくないね」

 イルミに回ってきた依頼はここ一月と半分、定期的に指定したターゲットを殺して欲しいという長期の案件だった。全部で五人。一人目と二人目は同じ曜日の夜に二週続けて。三人目は二人目が死んで一日空けて。残りの二人に関しての指定を聞きにわざわざ今日は時間を取っていた。
 これだけでこの目の前の青年が一体いくらの金を遣ったのか、一般人が聞けば目を丸くするだけではなく泡をふくかもしれない。それぐらい、金と時間と一流の暗殺者をかけた依頼だった。最終的に殺す相手を追い詰めるための計画だ。その割に殺される相手というのがただのチンピラで、それがイルミには解せなかった。そこまでする価値もない人間ばかりだったからだ。

「殺す気分でもなかったし、他にやることがあった」
「殺す気分じゃないのに依頼するのか。変だね、クロロって」
「オレとしては暗殺者でも花を愛でる趣味があるんだと驚いているが」

 は、とイルミにしては間の抜けた答えだった。何のことだと、彼はわけがわからない。
 その様子に今度は依頼人の青年、クロロの方が面白いものを見たという風に笑っている。彼にしては珍しく、初対面に近い相手の前でかなり素に近い笑い方だった。

「さっきから壁際の花瓶に意識を払ってるだろ」

 奥まったテーブル席は片面が壁側に寄っていて、壁側はテーブルの高さに合わせてくぼみがあり、そこに花瓶が置かれていた。
 白い陶器に飾られているのは赤いダリアだ。色味が良く、席に着く時に無視できない存在感を放ってはいるが会話中なんとなく気にするほどではない。あくまでも場を華やかにする演出の一つに過ぎない。
 お互いにコーヒーを頼み会話は殺しについて、と非常に薄暗い内容だったというのに今の二人は花のことを気にして、まるで似合わない会話だった。
 イルミは黙っていたが、ただすっと、その人さし指を自らの背後に向けた。

「……そっちこそ、後ろの絵に気を取られてるだろ」

 今度はクロロがふっと笑う。こちらは自覚していたようで、そうだなと認めた。
 イルミの背後の壁にその絵は飾られている。女性が寝ている子どもを抱きながら頬を撫でている絵だ。二人が親子であることはその淡い金の髪と同じ青の瞳が物語っていた。
 お互い、鼻で笑う。

「花でも贈りたい相手でもいるのか」

 言外に、お前は暗殺者で、人を殺すのに、と揶揄しているがイルミは黙っていた。
 贈りたい? 花を? 誰に?
 このところ、空白の十数秒は空白ではない。空白と思っていたその瞬間、イルミは常ならぬ妙な時間を持っているのだと、気づいてしまった。
 先日殺した、小さな子どもを見た時から。同じ年頃の少女の赤く染まった服を見てから。白い花の中にうっすら見える血のにじんだ水滴を見た時から。

「オレがいなくても、いつかあの花は誰かに贈られるのかな」
「は?」

 毎年くれると、彼女は言ったのだ。それをイルミは何とも思わなかった。思わなかったはずだった。ほんの少しだけ、毎年赤い花を持ってイルミに話しかける彼女を想像したけれど、でも、それが続くだなんて信じていなかった。
 そもそも、あの時イルミはその花を贈る行為は相手が暗殺者だとわかっているのかと思った。殺し屋に花なんて似合わない。毒の香る花ならまだしも、何の変哲もない花だ。飾るために、愛でるために在る花だ。
 なにより、祖母と訪れていた思い出の場所で、祖母を殺した相手と思い出を作った少女が、赤い花をくれると、その未来を告げたことを、イルミは疑問に思ったし、知ったらどうするかと気にもなった。

「オレは、あの花を他の誰かにやるのは見たくないみたいだ」
「じゃあお前のものにすればいい。それだけの話だろう」

 花を手に入れる。イルミはそもそもあの赤い花が何という名の花なのかもしらない。きっとあの花祭りがある時期に咲いている花だろうが、それ以外何もわからない。もし突き止めたとして、それを手に入れたから満足するのではない。花は形だ。問題はその行為だ。その行為の相手だ。

「操ってでも貰いたいわけじゃないけど……。確実に貰うにはどうしたらいいか、難しいな」

 目の前のクロロをそっちのけで考え出したイルミに、置いてけぼりのクロロが突然声を出して笑った。彼にしては珍しいほど、大笑いと言える。
 さすがのイルミもすっと気配を鋭くさせるが、それでもクロロは動じない。笑いを抑えると、余裕たっぷりに足を組み、ソファに背を預けて腕を組んでにやりと笑った。

「それを、人は何と呼ぶか知ってるか?」

 すべてをわかったかのように振る舞う男にイルミは苛立ちを覚えたがその答えを彼は知りえなかった。一体何か、本当にわからないので彼は苛立ちを何とか抑え、その続きを待った。
 本人は、その我慢すらも今までの自分ならすることもないものであることを、知る由もない。人の言葉に耳を傾けるなんて、家族以外にしたことがないというのに、今彼は誰かの言葉を待っている。
 寂れたカフェの、奥の奥。古ぼけた店内でしっとり流れるバラード。コーヒーは冷めてしまった。

「愛だよ、イルミ」

 落とされた言葉は口にした方も口にされた方も似合わない言葉が店を彩る。その言葉はクロロを、イルミを、彼らの中の何かを彩る。口にすることで、言葉にされたことで、名のないものが形になっていく。

「馬鹿馬鹿しい」
「そう、馬鹿馬鹿しく、そして面倒なものだ。陳腐で、安っぽい。うつろいやすく、それでいて手に余る」
「理解できないね」

 それでもクロロは笑っている。愚かだと認めて、それでいてイルミに愛を説く。
 名づけられたその正体に、イルミは今も視界の隅に在る花に視線を注いだ。
 あの日貰った花を、もうぼんやりとしか思い出せないのに、彼は未だにその花の名前を探している。

(花の名前)