それは、イルミがいつものように仕事に行き数日留守にした後のことだった。
は数日ぶりに会ったイルミが何も変わらず、組み手をしたり、攻撃を避ける訓練をにつけてきた。数日前と変わらないようにの修行をみていたので休憩中になんとなく、ふと思ったことを尋ねていた。
「イルミは、仕事をしてきたのよ、ね?」
「うん」
「……イルミは、関係ない人を、殺したこと、ある?」
イルミが留守にしている間、ゼノは仕事で関係のない人間を殺したことはないと教えてくれていた。尋ねた時のはなんとなく聞いたつもりだったが、実際はそのときゼノに聞いたことがひっかかって、思わずイルミに問いかけていたのだ。
「あるよ。邪魔なら殺すし」
何も映さない真っ黒な瞳は嘘など言っていない。言う必要もない。彼はただ聞かれたままに答えていた。
その瞳には反射的に逃げ出したくなって、じり、と距離を取っていた。
「何?」
「……関係ない人も、殺せる?」
「強いて殺すわけじゃないけど俺の邪魔だと思えば殺すね」
じゃあ、邪魔だと思えば、私のことも殺すの?
抱いた疑問は口にすることなどできず、はその日ただ黙々と修行を続けた。
「……ゆ、め」
怖くて聞けなかったあの答えは、なんだったのか。
その答えを、は聞けずに今日も一日を始める。
ゾルディック家のオウカの暗殺を実感したからといって、彼らのそれが仕事上のものだとわかったといって、はいそうですかと、簡単に帰れるほどの心は単純明快ではなかった。
毎日ゾルディック家で行っていた訓練を一人でできる範囲で行い、嫌々ながらベティが用意した教科書で勉強もした。おやつはレオの作るプリンだったりケーキだったりクッキーだったりを食べ、ご飯時は三人で必ず一緒に食べた。毒は今のところ入っていない。
そんな日々を一週間。は表面上は穏やかに過ごしていた。
「もうすぐ、花、咲くね」
「今年は天気が良いんです。おかげで綺麗に咲きそうで、嬉しい限りです」
おやつを食べた後のはレオと二人で向日葵を見ていた。
はレオとベティがどうしてこの家に暮らしているのかよく知らないのだが、二人ともオウカのことを慕っていて、オウカがそれを好ましく思って、信頼していたことだけ、知っている。それだけ知っていればには十分だった。
「向日葵、たくさん増えたね」
「お嬢さんが来るまでは、ちょっと寂しい庭でしたけどね」
三、四年前までこの庭には一つも向日葵など植えられていなかった。薬草ばかり。オウカの仕事用の植物しか生えていなかった。
そのころ、両親を亡くしたがこの屋敷にやってきた。
当時からベティもレオも屋敷に住み込んでおり、三人とも気にかけていろいろと試したもののはひどく塞ぎ込んでいた。そのが、ある日ぽつり。花が見たいと、口にした。すぐに何の花がいいのかオウカが聞けば向日葵がいいと、家で植える約束をしていたのだと、泣きながら言った。
次の日から薬草園は瞬く間に向日葵畑に姿を変えた。どこから連れてきたのか植物の扱いに慣れた人間を連れてきて薬草園を別に用意したオウカは数日後には更地になった庭に向日葵の種をと一緒に植え始めた。
「僕、もうすっかり向日葵に夢中ですよ」
レオは庭師のように働いて、家政夫のように家事をこなしているが本職は画家だという。以前見せてもらったレオの絵は優しい色合いでこの向日葵畑と屋敷に似た場所に少女を一人描いていた。モデルはもちろんこの家で、その絵には心を奪われた。
好きなときにレオは好きな絵を描いているという。好きなだけ絵を描けるこの場所は、レオにとって天国みたいだと、に教えてくれた。
「僕ね、昔とても悪い人だったんです」
「……レオ、が?」
「そう、僕が」
麦わら帽子を被った庭師は隣の少女に世間話のようにそれを教えた。
隣の少女もお気に入りの麦わら帽子を被っていて、二人はお揃いだった。庭の隅に腰を構えている木に二人で寄りかかっている。
「オウカさんは悪い僕を助けてくれたんですよ。助けてもらった頃、お嬢さんにも、会ったことあるんです」
家族の肖像画を描いたんですよね、とレオは笑う。男の人の声にしては太くはなく、女性のように細くもない、中性的な声が優しく響く。その声の持ち主が悪い頃をは想像できないが、祖母の部屋にその画があることは覚えていた。
「懐かしいなあ、お嬢さんのお母さん、まだ拗ねてた僕にね、言ってくれたんですよ」
はその言葉に心当たりがあって、ふと、口にしてみた。
「『もらったものは、大事にしなさい』」
「そう。僕からすれば年下の女の人で、でも、お母さんの顔をして、僕にはっきり、言ったんです。子どもの頃を、思い出しました」
の女性はお強いですねと、レオは笑う。
はその頃を覚えていないけれど、自分が何度も言われたことがある言葉だったのでなんとなくおかしくて、レオと一緒にくすくす笑う。
「どうして僕がこの人たちを、ってちょっと思ってたの、バレちゃったんでしょうねえ。せっかく筆を持たせてもらったのに。恥ずかしくて、一から描き直しました」
ふふ、と笑うレオは姿だけみればどこからどう見ても庭師だったが瞳だけは爛々と目の前の景色以外のものを見て、手はそわそわと動いている。
陽射しの強い日だったが二人の間には風が通り抜け、まぶしい光を感じながらも涼しい午後だった。
「僕は、何も難しいことは考えずに絵が描ける、この暮らしを教えてくれたオウカさんを、恩人だと思ってます」
「うん」
「ですから、やっぱりオウカさんが恨むなといっても、僕の大切な恩人を遠くへ連れ去った相手を、恨まずとも、許せないとは思っています」
「……うん」
「でも、恨んでもオウカさんは喜ばないので、僕はただオウカさんが教えてくれて、オウカさんが望んでくれた、僕の好きな場所で、僕の好きな絵を、描こうと思います」
オウカは、レオの絵が世界で一番好きだと言っていた。自分が大好きなものを、彼は心を込めて描いてくれる。彼の目に映る世界が好きだと。
はレオの出したその答えが正しいかどうかもよくわからないし、正しさを求めようとも思わなかった。
「私も、レオの絵好きだから、嬉しい」
隣のレオの横顔をまっすぐに見つめて、思ったように口にすればレオはパッとの方を振り向いて、それからくしゃりと笑った。
(絵描きの夢)