「……ひまわりの、家」

 とぼとぼと歩きながらもの頭の中はぐるぐる。ヒソカが放った言葉が回っている。
 イルミが殺した。イルミが、オウカを。の祖母を殺した。
 はオウカがどうして死んだのかよく知らない。命を狙われていたことは知っていたし、も気を付けるようにと、鍛えられていた。
 しかしオウカはを家に置いて世界中を飛び回ることはしょっちゅうだったし、もそれが普通だった。両親が死んでからは「ひまわりの家」呼んでいたオウカの家の一つで暮らしていた。一週間に一度は祖母は顔を見せたし、月のうち一週間はのそばにいて家で何か仕事をしていた。
 だから死んだと聞かされるまで、祖母はいつものように家に帰ってくるものだと、は信じていた。

「帰る」

 そのオウカが死んだ際、遺言としてに伝えられたことがある。
 一つはゼノについて。殺し屋だが古い知り合いで、信頼できるということ。もしゾルディック家の人間が家に来てを引き取りに来たのだと言えば言うことを聞いてゾルディック家で世話になること。
 一つはオウカが持っていた家のこと。が住んでいた「ひまわりの家」以外はすべて引き払い、売却したお金はすべて将来のものになること。それまでは信頼している弁護士に任せ、屋敷の管理は長年世話になっている相手に任せること。
 最後はゾルディック家で世話になっていて、どうしても耐えられない、世話になりたくないことがあれば一度だけ、自分の意志で「ひまわりの家」に帰ってもいいこと。

 はどうすればいいのかわからなかった。イルミは本当に、オウカを殺したのだろう。にわかるのはイルミが意味のない嘘をつくことがないこと。自分の仕事に責任と一種の誇りを持っていること。
 飛び出してしまって、帰りにくいということもあった。何を話せばいいのか、には何も思い浮かばなかったし、出て行ったをイルミは追いかけてはくれなかった。

「……イルミの、ばか」
「本当、ひどい男だよね♦」
「?!」

 隣でしたり顔で頷く男には目を見開いた。
 先ほどまでは気配も何もなかったというのに彼は今はもう隣にいる。
 身を引くにヒソカは両手を挙げて何もしないと意思表示をしているがはこの男が目に見えない何かでを簡単に捕えられることを知っている。かといって逃げても追いつかれるのでただ先ほどと同じように歩くしかなかった。

「どこかへ行くんだろう? 送ろうか?」
「いらない」
「ツレナイなあ♥」
「どうしてついてくるの」

 は電話をかけるつもりだったのだがこの男がいる限りそれはできそうにない。
 しかしヒソカが意外なことを申し出た。

「ゾルディック家の執事が追いついた時、連れ戻されたいのかい?」
「……」
「信用しろとは言わないけど。今ね、キミの家出を手伝ってあげようかなって思う程度にボクは機嫌が良いんだよ♦」

 機嫌が良いという言葉だけはは信用した。も多少は祖母の知り合いと顔を合わせたことがある。変わった人間が多かったがヒソカもその類だ。そしてその極め付けであることも予想がついた。
 そして機嫌が良い変人というものはその時だけは確かに危険は少ない。ただし一言間違えれば途端に危険と隣り合わせだ。特にこの目の前の相手は命の危険があった。
 だからなりに注意を払うことにした。とはいっても、変に気を回すと不機嫌になるから素直に行動することが唯一気をつけられることだ。絡まれ損だし面倒くさいだけだ。
 もちろん、相手はそんなことはお構いなしで、好きなように好きなだけやりたいことをやるだけだ。

「ボクはもっとキミとおしゃべりがしたいんだ♠」
「いや」

 拒否の意思表示のために試しに歩くスピードをあげてみてもこのピエロには関係ない。その足を優雅に踊らせながらも無駄な動きはひとつもない。
 万に一つ、勝てる可能性もない相手だ。逃がそうという気配もない。はひとまず無理のない程度に歩くスピードを落とした。こういう手合いは話させるだけ話させるしかない。

「そんなに聞きたくなかった?」
「キライ」

 それでも、やはりいきなりいろいろな情報を乱暴に押し付けてきた相手に良い感情が持てるわけもない。無遠慮に、自分だけが楽しそうにしている。
 一刀両断してみてもヒソカはなんてことない顔である。拒絶されても気にも留めない。

「残念♥ でも、は思ったより人形らしからぬ感じで、ボクはキライじゃないよ♣」

 ちっとも残念そうな顔をせず、残念がるヒソカはやはりろくでなしだがほめ言葉かわからない言葉でを評価してきたのでは首を傾げる。

「人形?」
「キミが大好き――だった、かは知らないけど、まああのイルミよりは人間だよ♥」

 その言葉には何も言えなかった。睨んで見たものの、それは一体何に対しての不満なのか、にもよくわからないままで、ただ、快い言葉とは程遠かった。

「今度また家出したくなったら連絡してきなよ♣ 手伝ってあげる♥」

 嫌がるにおかまいなしで、ヒソカは連絡先を書いたメモをの洋服にはりつけた。がいくら引っ張ってもとれない。
 何度も剥がそうとすれば上からねっとりとした声が体に纏わりついた。

「捨てたら殺すよ♥」

 連絡を取れとは言わない。しかしここで捨てようと後で捨てようとその場にいなくてもどちらにしろ捨てると本当に殺されそうだったので押しつけられたというのには苦々しい顔でそれをただ黙って受け取るしかなかった。
 強制的にとはいえ、言われたままに受け取るにヒソカはご満悦。
 彼は本日一年のうちでもかなり上機嫌の部類に入る。ヒソカに出会った不幸はあるが上機嫌のヒソカと出会った幸運はある。不幸中の幸いとはまさにこれだろう。

「さあ、ゾルディックの執事からキミを守る騎士様にでもなろうかな♠」
「……」

 こんな騎士なんて御免だと顔にかいてあったがヒソカは素知らぬふり。どうせなら家まで送っていってあげようかなんて言いだしかねなかったのでは空港までねと念押しする羽目になった。
 あの家に帰りたくないにとって心強い申し出だがもっとも受けたくない申し出でもある。念押しのあと苦渋の思いで何とかお願いしますと頭を下げたのだがそれを見てヒソカがにやりと笑うのでさすがにその瞬間ゾッとして逃げ出すように走り出した。

「これは、しばらく彼らで遊べるなあ♣」

 全力で走る少女を軽い足取りで追いかけながら彼はその背中を視線でなぞる。哀れ少女はそれを感じて涙目になるのだが彼はそのオーラの乱れにぞくぞくと体を震わせ、ただただ悦に浸るばかりだ。
 このとき、この道化はたいしておもしろい玩具もなく、近い将来出会うことになる数年越しの大変面白く楽しみ甲斐のある玩具とは未だ面識もない、いわば大変退屈した人生の最中だった。だからこそこの端から見ればくだらないとも取れる、そんな小さな事件にわざわざ自ら乗り込んでいった。
 彼にとって面白味のある人間の、些細な、けれど当人にとっては一生を左右しかねない分岐点。そこで舞台にちょっとした演出を施す。それぐらいの暇つぶし。失敗しようが成功しようが、彼にとってはどちらも一興。再び会えば遊べばいい。

「好みじゃないけど、好きだなあ♥」

 世界は彼のために存在し、すべては彼よりも弱いもの。世界に彼より強いものもいない。
 しかし、時折彼の心を動かす強くない人間も、強くなる人間も、とびきり強い人間も、世の中にいることを彼は知っている。そのすべての玩具に、彼は時にとびきりの愛を捧げ、時に残酷な刃を捧げ、時に極上の死を与える。

「キミとは、また会うと思うよ♦」

 もう少し美味しそうになっていたら、ちょっと遊ぶのも良いだろう。そうすればきっと彼女よりもずっと美味しいものと遊べるから。
 クツクツと、が空港で手配された飛行船に乗り組むまで始終ヒソカはこの調子だったものだから、は最終的にほとんど目を合わさず逃げるように飛行船に乗りこんだのだった。

(押し売り騎士様)