石畳を歩くそのリズミカルな音、いつもよりも表情の変化が多く、口数だって多いし、戯れに彼が手を繋げばギョっとして、それからやめたはなしだと言わんばかりにぎゅっと、手を握り返してきた。
それを楽しんでいる、と称するのだろうなと少女の隣にいるイルミは冷静に観察し、結論づけていた。
「見えない……」
二人は今メインストリートのパレードを見ている。花の精に扮した参加者が色鮮やかな衣装を着て、グループによっては山車に乗って練り歩く、二日目のメインイベントと言って良い出し物だった。
朝早くから場所取りも行われるこのパレードを小さながいくら背伸びをしても人の合間からちらちらと垣間見える程度だ。イルミは多少の邪魔はあってもある程度は見えている。子どもと青年の差である。
そんな二人の隣には父親と息子がいて、よくある風景だ。見えないと口をへの字にする息子を父親が肩車してやる。ぱっと、顔がほころんで、ほほえましい光景。
「」
「?」
今日の彼がすべきことはと祭りを見ることで、別にここまでのサービスは含まれていないと彼は判断したがいつだったか己の弟が執事にこれをやらせて妙に笑顔が多かったことを思い出したから、彼はひょいとを片手で肩に載せた。
「!」
「見えた?」
「見えた!」
大人顔負けのイルミだがこの時まだ十六。成人男性よりもやや小柄だったがにとってはそんなことは関係ない。
あのイルミがという驚きといつもよりもうんと高い視界から見える花のパレードに彼女は忙しい。
スカートだからさすがに肩車ではなく肩に載せて頭によりかからせる形にしているのだがは遠慮しているのか何かはわからないが不安定な姿勢のまま手は膝の上だ。
「安定悪い。手頭の上でいいから置いて」
「……うん」
ちょんと、乗った手は本当に控えめに置いているだけだった。イルミはとりあえずよしとしたのかそのままを肩に載せたまま立っている。
そのまま人が徐々に減っていくまではずっとイルミの肩の上でパレードを楽しんだ。
下ろしてもらった時に頬が赤かったのはパレードを見て興奮したというよりも、ありがとうと照れながらお礼を言った相手に原因があるようだったが、当の相手はじゃあ次、とパレードを見る前と同じように手を繋いで歩き出したので罪である。
「何?」
「なんでもない!」
躊躇えば手を離される気がしたなんて、そんなことは言えないと、はぎゅっと手を握り返した。
その後二人は花祭りでは定番の花びらジュースを飲み、は遅めのおやつに小さなカップに入った桜のアイスクリームを食べた。毎年このアイスクリームを食べるのだと、彼女は小さくイルミに教えた。イルミにとっては重要なことではないけれど、にとってそれは大事なことだったらしく、アイスを美味しそうに口にして、頬をほんのり染めながらそれを口にした。
後はが興味を持った露店やお店に入って品を見る。時折兄妹かと聞かれてはは首を振り、イルミはただの保護者だと一言で切って捨てた。
傍から見て仲が良いのか悪いのか、よくわからない二人だったがは始終楽しそうだった。
夕飯はホテルで。これも花祭り限定のコースで、にはチョコレートケーキ。花の形のチョコレートが飾られて、は瞳をキラキラさせてすべて美味しそうに平らげた。
「美味しかった?」
「うん、とても」
こんなことで子どもは喜ぶものなのかと、イルミは行儀よく食べ終えたを見ていた。
今日一日、イルミにとってはただ街を練り歩いて出し物を見ただけの一日。それはにとってほっぺたを赤くさせ、瞳をキラキラと輝かせ、口数を増やし、ぴょんぴょんと飛び跳ねたり、幸せそうに笑うような、そんな一日。
やっぱりよくわからない。
「じゃあ良かったんじゃない?」
そういうと、途端にの表情が曇る。今日はよく表情が変わる。
「イルミは、楽しくなかった?」
からすればこのご褒美はだけが楽しめればいいわけではなかった。もちろん楽しかったし楽しめたのだけれど、ただの願うままに付き合ってくれたイルミがどうだったのか。はそこだけが気になっていた。
まさか一日中いつもと違う観点から観察されていたことなんて気づきもしないはただ心配そうにイルミを見つめている。青色がかったすみれ色の瞳。ほんの少し、イルミの知っている瞳の色と似ている系統の瞳。
「の何が面白いのか、やっぱりわからないけど、まあ、退屈はしなかったかな」
「お祭りは?」
「ああ、まあ悪くないんじゃない?」
イルミに花を鑑賞する趣味があるのかという話だ。あるわけがない。
もとりあえず気分が悪いということもなく、イルミにとっても良い一日だったのならと、不思議な顔をしながらもうなずいた。
その後はお風呂に入ってはそのままベッドへダイブだった。すやすや。体力的には疲れてはないだろうが、イルミと一日中いたことで緊張していたのだろう。執事にそっと布団をかけられ、夢の中。
「ミクリ」
「はい、何でしょうか」
明日も朝から観光だ。昼過ぎにはこのバーネスの街を発ち、夕飯は家でいつも通り。そして次の日からはいつものように修行と勉強の日々が始まる。だからは朝一番から楽しむ気だったし、イルミもそれに付き合うと約束していたしすることもないので寝るつもりだった。
けれど、ふと思い出したことがあったので、なんとなく、彼にしては珍しく過去の話を口にした。
「オレ、この街に前に来たときに呪いをかけられたんだよね」
「……呪い、ですか」
この青年から出るとは思えない類の単語だった。呪い。非科学的な。しかし、ある意味でそれは彼らの中で現実にもなりえる。が、この時の彼の言葉にその意味はなかった。ただの言葉遊び。
「呪いというほどのことでもないけど、まあ、呪いだな」
なぜ今この時思い出したのか彼も不思議だったけれど、ちょうどこの時期だったかもしれない。こんな花ばかりが舞う頃。
彼はもう、その日の街がどんな様子だったのかも大して覚えてはいなかったけれど、その時かけられた呪いじみた言葉だけは、いまだに覚えていた。
「二つかけられて、一つは効いた。二つ目があったのを今思い出した」
それはもうひとりごとで、誰に確認を取るものでもなかった。彼の記憶の中の相手との確認。
彼が珍しく笑う。フッと、それは嘲笑か、それとも別の何かかは、わからない。
「まあ、呪いなんて馬鹿げてるけど」
そうして彼は何事もなかったかのようにベッドに入る。
花祭りは半分、おしまい。
外に出てさすがのイルミも驚いた。昨日と街の様子がガラリと変わっていたから。
「赤いね」
「三日目はね、赤いの」
朝食はの希望で昨日パレードがあった通りにある店で食べることになっていた。そのために少し早めにホテルを出たのだが彼らを出迎えたのは色とりどりの赤だった。
昨日までは青も黄色も驚くぐらいあちこちに好きなように花が散りばめられていたが今朝、街は赤ばかり。添えるように白やピンクの花もあるがほとんどが赤。一日目と二日目には見られなかったありったけの赤が三日目にしてお披露目されているのだ。
「きれい」
「通りで、昨日は赤がほとんど見当たらなかったはずだ」
「うん」
真っ赤な街で二人はフレンチトーストとオレンジ、もう一人はコーヒーを飲んで、花市に向かった。昨日も二人で訪れたのだがやはり品揃えは違った。前面に飾られているのは赤い花。脇に添えられるようにして他の色の花が置かれているがほとんどの客は赤い花を買っていく。
「そういえば、今日はやたらと馬鹿みたいに赤い花を身につける日だったね」
「……うん」
花市を見てそう言葉にしたイルミには一瞬顔を上げて彼の方を見たが最後まで聞くと俯いて小さくうなずいた。
それがイルミはなぜかはわからなかったけれど、はそのあと首をぶんぶんと横に振って何かを振り払ったかと思えばイルミと繋いでいた手をパッと離してすぐ近くの店の人間に話しかけに行った。
イルミから逃げようという空気でもなかったのでイルミはそれを見ていた。近づくとまた店の人間にうるさく声をかけられるので立ち止まったまま。
そうして戻ってきたの手には一輪の赤い花。
「イルミ、あげる」
「……オレに?」
多分、執事の記録とイルミの記憶を照らし合わせれば彼女がわずかながらに与えられていたお小遣いではじめて買ったものだ。赤い花。たった一輪。そして買ったそれをすぐに彼女はイルミに手渡そうと、小さな手を彼に差しのべた。
瞳が揺れる。青みがかった、すみれ色。
「赤い花、次の年も、その次の年も、イルミにあげる」
あげると、その瞳はまっすぐ、イルミを捉えていた。何の力もないのに、イルミはその瞳から目をそらせない。
そして想像してしまった。来年も、その次の年も、今よりも少し背の伸びたが今みたいにイルミに赤い花を手渡そうとじっとその瞳を向けてくる様を。想像してしまった。
「ねえ、もしも」
もしもの後は歓声に消されてには届かなかった。市場の中央にある広場で何か出し物が始まったらしい。人々の意識はそちらに飛んでしまう。
「イルミ、今、なんて」
「さあ?」
イルミはもう一度その言葉を口にするつもりはないらしく、は絶望的な顔をしたのだが次の瞬間イルミがほんの少し、笑った。そう、口の端をほんの少し上向きにさせるというだけの、ただそれだけのことだったが、確かに彼は笑った。
「!!」
「貰っといてあげるよ」
一輪の赤い花は小さな手のひらから大きな手のひらへ。
しばらくの間、その彼の殺風景な部屋を鮮やかに彩った。
(赤い花を君に)