真っ黒でふわふわな長い髪、すみれ混じりの青い瞳。顔周りの髪の毛は一房にして後ろでリボンでまとめ、服はいかにも彼の母が好きそうなフリルのきいたワンピース。
 そのすみれ混じりの青色が、じっと、彼を見ていた。



 部屋から出たら何かいた。何かと思えば見たことのない人間がいたため彼はまずその人間を確認して害はない、と判断した上で視線をそらし歩き始めた。殺そうかと思ったが明らかに自力で屋敷に入れない子どもである。万が一誰かの仕事に必要ならと思いピンに伸ばした手を止めた。
 後ろを振り向きはしないが彼の後ろでは小さな足音が立っている。彼の後をついて着ている。どんどん距離が開いているものの少女はずっと彼を追いかけていた。直線の廊下が幸いして、彼女は彼を見失わない。

 歩き始めて少し。
 カツカツカツ。彼の行く先から聞こえてくるのはせっかちな足音。ヒール音を響かせる人間はこの屋敷にはそういない。特にこの高い音を出す人間はただ一人だ。
 イルミはその姿を認めて歩みを止める。相手も気づいたのか彼の目の前で立ち止まりきょろきょろと当たりを見まわしている。

「イルミ、を見かけなかった?」
「アレのこと?」

 彼は、と呼ばれるものに心当たりがなかったものの今の家の中で見知らぬものは先ほど見た少女だったので視線を後ろに向けた。
 彼が再び後ろを振り向けばわずかな距離しか歩いていないのに随分と後ろの方に先ほどの少女が相変わらずついてきていた。あの年頃の子どもにしてはそこそこの距離でついてきていたといえよう。
 もちろん、この家の基準である。普通なら運動神経が抜群だと言われる速度で反応している。本当に駆け出せば追いつけただろうが室内だったからか少女はずっと早足で歩いていた。おかげで少女の頬は赤くなっている。

「まあイルミ! これからうちで預かる子なんだからあれなんて言っちゃだめよ!」
「え、そうなの?」

 そこから彼の母親による楽しいおしゃべりもとい経緯の説明となった。
 端的に言えばゼノが懇意にしていた家が少女を除いて全員死んだのだが引き取り手がなく、縁もありこのゾルディック家で育てることにしたという。家の名前は彼も何度か耳にしたことがある家で、ゾルディック家とは表だって知られてはいないが仕事相手の家だった。
 改めて彼が少女を見る。少女は先ほどと同じようにじっと彼を見ていた。
 彼を見て動じることなく見返すだけの度胸はあるのだろう。威圧しているわけでもないが特に何もしていない状態で初見の彼をきょとんと不思議そうに見つめる子どもというのはそう多くはない。
 それに彼の母親はむやみやたらに子どもを預かるような女ではない。少なくともゾルディック家のためにならないことはしない。その点で少女は合格点をクリアしている。

「かわいいでしょう? 娘がいたらこういう服を着せたかったのよ」

 ほほほと笑いながら満足気に少女を見る彼女は引き取った理由の半分ぐらいは母と娘ごっこがしたかった、があるかもしれない。現に彼の弟は犠牲になっている。本人は犠牲とも思っていないが。
 そんな思惑を知ってか知らずか見事にキキョウの選んだ服を着こなしてしまった少女は多くの人は可愛らしいと評する出来栄えだ。

「あら、どうしたの?」
「……綺麗な」
「?」
「髪と目の色、してる」

 少女はまっすぐ、彼を見ている。
 あら、とキキョウは手に持っていた扇子をパッと開くと口元にあてて笑い始めた。

「この子ったらどうも人見知りみたいなんだけれど、あなたのことは気に入ったようね」

 母親の笑い声にイルミは面倒くさいと感じたがこの家で平時このキキョウに勝てる人間は彼女の旦那か義父ぐらいだ。子どもたちに拒否権は存在しない。イルミとて正面からこの相手とやり取りをすることはない。
 少女は相変わらずイルミのことばかり見てきて、キキョウのことは気にしていない。それもそれである意味肝が据わっている。

「そう。じゃあ。オレ仕事だから」
「あらいってらっしゃい。イルミなら安心ね。今日は帰ってくるのかしら?」
「ううん。明日帰るよ。じゃ」

 少女のことなどなかったかのように彼は颯爽と去っていった。それでもなお、少女は彼を見続けていた。

「そんなにあの子のことを気に入るなんて予想外だわ」

 これをキキョウがゼノとシルバに夕飯で話したことで、彼らの間で彼に彼女の世話を任せることになったのだが本人は帰ってきてこのことを知ることとなった。




「で、名前なんだっけ」

 自分よりも八つも年下の少女を丸投げされたとも取れる事態に彼は冷静だった。元々三男が生まれた頃からその教育に一枚噛んできた彼にとっては誰かを教育することは特になんてことのない仕事の一つなのかもしれない。
 しかし少女の方は目を真ん丸にしてまともに自分を見てきた彼にくぎ付けだ。緊張のためか頬を真っ赤にさせ、大きく息を吸い込んだ。


「そ。オレはイルミ。よろしく」

 それが、八歳、イルミ十六歳の出来事だった。
 

(菫青と漆黒)