ひらり、舞い落ちる薄桃色の花びら。庭先で咲き誇るその花はどこで見ても変わらない。今この時も咲いているし、私が生まれる前からも、こうして生きている間も、そして私が死んだ後も、何年も咲き続けるのだ。春になればそのつぼみをふわりと開かせ夏に向けてその青々とした葉を体中に目一杯広げていく。秋になれば冬支度、と葉の色を変え身からその葉を落としていく。冬は耐え忍ぶように、あるいは春を待つ間の準備なのか、その身ひとつで時を過ごしている。
 私は何度、この花を見たのだろう。春を象徴するこの花。ここでは、二度目になる。

「儚げに散る花の前で姫君は何を憂いているのかな」
「憂いているというか、感傷、かなあ」

 縁側に座ってぼんやりと庭を見つめていた私の隣に彼は当り前のように腰掛けた。
 寒さと暖かさが交互に顔を見せるこの季節も暖かさの方が優勢となりつつある。だからこそ、私は今ここでぼんやりとひなたぼっこをしながら花を見ていられる。
 感傷、という言葉に彼は何を思ったのか、私の名前をゆっくりと紡いだ。私と同い年の男の子が呼ぶにしては艶っぽい、でも彼が紡ぐならば不自然ではない、その響きに思わず笑みをこぼし、視線を隣へと移した。

「なにかな?」
「月の都が恋しい?」

 そういう呼び名を彼は好む。自らも月の都へと行き実際にどんな場所かを知ってなお、彼はあの世界をそう呼んだ。
 私のいた世界。私がいるべきだった世界。それは彼の言う月の都であり、今私がいるこの世界から八百年以上未来の世界。
 ただこちらの世界は怨霊という人知を越えた存在がおり、龍神の神子という何百年も伝説として残る存在がいたりと本当にこの世界から私のいる世界へと未来が繋がっているとも思えなかったけれど。でも、この世界は過去といっていい場所にあたる。行き来も難しい世界の向こうを竹取物語になぞらえるように月の都と彼が言うのはそうおかしいことではない。

 何の因果か、私はこの京にやって来て、この世界の重要人物となった幼馴染の望美たちと共に源平合戦の最中に飛び込んでいくこととなった。
 私は最初とにかく帰りたい一心で、ただそれだけを願って望美の手伝いをしていたはずだった。それが何がどうして、源氏と平家が和議を結ぶという歴史上有り得ない平和を手に入れた後もこうして京にいるのか、よくわからない。
 和議の後、私たちは一度彼の言う月の都でもこの世界で体験したような冒険劇というか一騒動を起こしたというか巻き込まれたというかまあそういったことを体験した。そしてなぜだか望美はあの直情馬鹿こと九郎と仲良く現代に居残った。望美はもともとの世界に戻っただけだ。たた、なんで九郎なんだろう。そうやって時折私と同じようにこちらの世界に残った将臣に文を送るけれど笑われてしまう。それは嫉妬だと、図星なのでいつも将臣に丸めこまれてばかりだ。

「恋しくないと言ったら、嘘になるね」

 こちらの生活に慣れたとは言ってもカルチャーショックなんて毎日のようにあった。過ごし慣れない京での生活は私を寂しさでいっぱいにする時もあった。泣かずに過ごせたわけでもない。
 それなのに、こんなに恋しい恋しいと思っても私はこちらを選んで、こちらでの日々に少しずつ溶け込んでいっている。日々に今までと変わらぬものをみつけて微笑むぐらいに、私はここに居場所を見つけられた。

「でも」
「でも?」

 この世界に残った私は京でお世話になっていた梶原邸で今もお世話になっている。朔も景時さんもよくしてくれて、時折弁慶さんやリズ先生が邸に遊びに来た。将臣は柄でもないくせに季節の変わり目には文をくれた。それ以外にも初めの頃はお互いよくやり取りを交わした。
 隣の彼もまた熊野から足繁くこの京へと足を運んでくれた。別当として、頭領として忙しいはずなのに、今のように隣に並んで私を心配してくれた。

「こちらの春も、随分となじみ深くなった気がする」

 それは仲間のおかげだ。みんなの気遣いが私を随分と助けてくれた。隣の彼も例外ではなく、それが少しだけ気恥かしくまた庭先へと視線を移した。
 いつかこの世界での春が私にとって当たり前となり、向こうは元気でやってるのかなあと望美と九郎の見ていてじれったくなるような様を想像して微笑んだり、譲の新しい恋を応援したり、するんだろうか。いつか、会えたらいいなと思ったり、するんだろうか。

「お前は、どうしてこちらに残ったんだい?」

 誰も、聞くことなく待っていてくれた、聞かないでいてくれた問いだった。

「心残りが、ある気がしたから」
「残ると決めた時もそう言ってたけど、その正体はわかったのかな?」

 心残りがある気がした、というただそれだけで私はこちらの世界に居続けることにした。
 望美は神子としての役目を果たし九郎と共にいることを望んだ。そして九郎は世界を超えてもその望みに応えた。まあ、彼の場合こちらにいることで私の知る義経の未来につながる可能性もあり得たのでそれはそれでいいと、内心は思っている。
 将臣は私たちより三年、こちらに身を置いていた。平家の中枢で、平重盛となり彼らと共にいた。自由奔放な将臣にはこちらの生活が合っていたともいえる。それに彼にとって平家は命の恩人なのだ。しっかりと根をおろしてしまっていた。
 譲は望美が好きで、彼女の手助けをしたくて八葉を全うしていたところがある。もちろんこちらの世界も好きになっただろうしこちらで出来た仲間も大事だろう。でも譲は私たち四人の中では一番現実的で、帰らなければならないという思いが強かった。それが譲らしい。
 私は、こちらの世界に長くいたわけではない。望美と譲と同じ時間だけこの世界にいた。でも九郎のように時空を超えてでも共にいたい人がいたわけでもない。将臣のようにとても思い入れのある場所に根付いてしまったわけでもない。譲と同じ立場だったはずなのに。

 私がこちらの世界に留まると知った時のみんなの反応はそれは様々なものだった。驚いたり、ただ頷いたり、どうしてと問うて来たり、とにかく十人十色とはまさにこのことだなと思える反応だった。
 ただ、決めた私もその時はよくわからなくて、居残ってすぐの頃もなぜ残ったのかとずっと考えていたぐらいだ。はっきりとした理由があったからではなくて、でも、この世界を離れがたかったのだ。

「なんとなく、掴みかけてる気がする」

 それを形にしてしまうには私の気持ちはまだ準備が足りないらしく、今はただ、こうしてぼんやりと庭先の花を見つめるだけで満足してしまう。
 私のはっきりとしない答えに彼はとりあえずは納得してくれたらしい。それ以上問いかけてくることはしなかった。

「この庭も十分桜を楽しめるけどせっかくの天気だ。今日は外に出かけてみないかい?」

 私の視界にひょこっと入り込み悪戯に笑う彼に私はじゃあ、と頷いて立ち上がった。

(ほころぶ花)