あの頃、私にとっての憧れは三つの背中だった。洋々と前を向く真っ直ぐな人、穏やかでいて芯のある凛々しい人、それから半歩だけ離れてその二人を眩しそうに見るその人。
眩しそうに見るその人を支えられるようになりたい。そう思っていた。私にない瞳を持つ、その人の力になりたいと。
いつもその瞳に何を映してるのですか。
その問いかけはとうとう口にすることはなく、私は五つも歳を重ねた。重ねた年月の分大人になれればよかったが、そんなことはない。私はどこに身を置けば良いのかわからぬままに、ここまできてしまった。
***
「あの頃、私はいつも柊はその瞳でどこをみているかと思っていました」
「この豊葦原の未来を。今は我が君の歩むべき道を、ただみるのみですよ」
微笑み腹の底を見せない柊という人間が本当に未来を見つめていることを、私は知っている。だからこそ、彼の考えていることがわからないのだ。
「柊、あなたは何をみていますか」
「我が君の望む未来ですよ」
嘘ではない。事実だ。しかし全てでもない。
五年前、私は国が失われるとは思っていなかったし、空の上を飛ぶ拠点に居着くとも思わなかった。堅庭で青空の似合わぬ笑みを浮かべ風に髪を任せるままにする柊はこちらに正体を掴ませてくれる気配はない。今も昔も変わらない。いつになっても、届く気配はない。
「私にも、その力があれば良かったのに」
思わず零れた言葉に柊は嘲笑にも見えるものを浮かべた。良い笑みではないのに、少しでも彼の感情が見えることに私は安堵する。まだ私はその背中を見失っていないと思える。
柊はゆっくりと首を振り、私の言葉を否定する。
「お勧めしませんがね」
「私だって、一族の端くれです」
彼と同じ一族。彼は力ある者。私は力なき者。
彼ほどにはっきりとした力を持つ者は一族中にもほとんどいない。それぐらい、彼は力を持っていた。竹簡を読み解き、その先を誰よりも見通した。
あの時聞けなかったそれを今聞いても柊は頑なに答えようとはしない。だから私も踏み込んだ。
「みえたから、抗ったのですか」
彼が片方の瞳を失い、両の手を空にして帰って来た日のことをよく覚えている。なにせ、狭井君に言われて柊を治療したのは私だった。
ただ黙って治療を受ける彼の瞳はうつろで、何も映してはいなかった。
それから、今この時まで、彼の瞳は私には昔以上にわからない色をつくりだしている。今は、踏み込むなと暗に示したそこに立ち入った私を侮蔑の表情で見つめ返している。それもほんの一瞬で、瞬きする間に今度は仮面の顔で笑っている。
「だとしたら、滑稽ですね。失い、何も持てない。みえても、この手は空を掴むだけですよ」
満足かと、言葉に出さずとも拒否を示すその顔を見て、思わず平手で頬をぶっていた。乾いた音が堅庭に響く。
「あなたは、信じることをやめたのですか」
目の奥がカッと熱くなる。私の見ていた過去、失われた未来。それは柊にとって希望だった。そんなことは聞かずともわかる。彼らは、柊も含めて眩しかった。そしてそれは時を経てあの方の妹君へ、彼の弟君へ、同輩へ、思いは受け継がれたのだと思っていた。それを柊はわかっていると思っていた。
「すべての未来は我が君のもの。ええ。人に変えられぬこの道筋を、我々はただ辿るだけです」
「違います!」
いつの日か見た瞳を、私は一生涯忘れないと思った。今もまだあの瞳を覚えている。今はその光を灯さない瞳を見据え、私はそれでも告げずにはいられない。
「私はあの日あの時のあなたたちを胸に、生きてるのですから!」
「……」
いつかお仕えする、そう思っていた方の横顔は凛として、先の見えぬ暗闇に踏み出そうとする姿は私にとって今なお消えぬ光だ。その隣に暗闇なんてないように快活に笑う人も、そんな二人を見て優しく笑いながらも退かぬ彼も。
偶然、夜明け前に見たその姿を、私は覚えている。確かに、この胸に刻んで、今を生きている。
「私は、狭井君の後を継ぐことを当然とし、一ノ姫様にお仕えすることを誇りに思っていました。例え真実が闇に伏せられても、私にとってあなた方は、高千穂に落ち延びた私の生きる光でした」
あの日見たその一瞬の光景。後ろにある過去も先にある未来も、そこにはなにもない。
このまま進んでも良いのか、いつも迷うときはその日見た光景を瞼の裏で思い描いた。何度も、何度も。
「まやかしの光です」
「まやかしであろうとなんであろうと! あなたが今悔いている選択は、過ちではありません。他の誰が罵ろうと、否定しようと、私は信じています。今も、夜明け前、誰に見送られることもなく歩んだ姿を、私は信じています」
目を細め、ただ黙るこの人に、私ができることは多くはない。
それでも、あなたの悔いた過去は私の抱く光だと、何度でも、何度でも、私は口にするだろう。
「柊、あなたは今、何をみていますか」
答えはなく、私と彼の間を吹き抜ける風はお互いの髪をなびかせる。
言葉はない。けれど、本当の意味で初めて私を瞳に映した彼にぎこちなく、微笑んでみせた。
どうか。どうか。
いまだわかりえぬ瞳に、私はただ祈るのみ。
(其は我が光)