「また貴女ですか」
早朝、まだ太陽が姿を見せ始めようとするぐらいの時間、ある部屋の前で座り込む人影と、それをのぞき込むかのようにもう一人。
声に座り込む彼女は顔を上げた。眠り込んでいるかのように顔を伏せていたが彼女が寝ていないことを、のぞき込むかのようにしている彼は知っている。
「いい加減落ち着いたらどうですか」
「……この船、落ちないけど、もしも落ちたときに姫のそばにいたい」
「だからといって武人とは言え、妙齢の女性が壁により掛かって眠るのはおすすめしませんよ」
何度も繰り返したやり取りだ。そのたびに答えは決まっていた。彼女が選び取る運命も。
彼女はいつも姫の心配をし、その身に降りかかる不幸のすべてを薙ぎ払いたいと言い、そしてそれを全うしようといつだってすべてを賭けていた。
彼女は出会った時から自分の生きている世界が無数の可能性の中の一つであることを知っていた。そして風早がそのすべてを知り得ることも、なぜだか勘づき、そしていつだって風早に向き合ってきた。彼女はいつだって一度きりの人生で、選んで生きている。
彼女がどうしてこうなのか、風早は何度繰り返しても知り得ない。いつだって彼女は風早が出会う前に既に"こう"で、彼女はいつの時もその理由を決して風早に教えてはくれない。それは、彼女だけのものだと言わんばかりの背中に、いつの日だったか風早無性に胸をかきむしられる気持ちになったことを覚えている。
「いいの。この行為は、私が私のためにする数少ないものであるから……おそらくね」
彼は彼女のこの言葉を何度も聞いた。それは今朝のこの姫の部屋の前であったり、戦場の最中であったり、死の間際であったり、様々ではあったけれど。
この言葉を耳にする度に彼は言いたくなる。それもまた選び取る可能性のうちの一つであったのだと。
しかし彼女はそんな風早の思考を読んだかのように笑う。
「例えば選ぶ道の一つとしてもよ? 風早、あなたそう言いたげだけど、そもそも世界には選択肢などそう多くはないのよ。でも、私が今、ここで、選んでいるのがいいのよ。もしもこれから何かを選択してそれで私が死んでもね」
「……それで千尋が泣いても?」
「姫の涙が私のためのものとなり、その一瞬を私で満たしてくれるならそれは最高ね」
いつも誰よりも姫への愛を叫ぶ割に、彼女は誰よりも彼女を己のものにしたがらなかった。そして自分を彼女のものにしたがった。
その強くまっすぐな眼差しは敵を見据え、ためらいなく切り倒し、その屍の上を平気で歩く。姫に綺麗だと言われたからとその長い髪を保って、戦では結い上げている。それを姫を守るために短くする運命も、風早は知っている。この運命で彼女はそれを選んではいないけれど、必要があれば目の前の彼女はいつだってそれができることを風早は知っている。
風早の知る限りその行動原理のほとんどは千尋のためだった。彼女はどこまでも自分を持ちたがらなかった。
それを重ねてみていることに、風早は自分では気づいていない。
「貴女はいつも、そうやって千尋しか見ない」
「あら風早」
それは思わず、という声だった。
「あなたこそ、それよ。千尋しか見てない。哀れなほど、あなたには千尋しかいない」
「貴女も」
「違う。私は、姫を選んだの。数ある私が選ぶ道の中で、繰り返しかもしれないと知っていてなお、選んだの。あなたは違う。あなたは、千尋しかいないの。ただひとつ。あなたこそ、私から見れば選び得ぬ道を歩くものに見えるわ」
風早は、ただ黙っている。
「ほら、この話はおしまい。うるさくしたら姫が起きてしまう」
「貴女はいつもどうしてそう、」
「風早、あなたには姫を選ばない選択肢があることを、知るべきなのよ」
そんなのはあり得ないと、彼が頭を振る度、彼女はいつもその答えを指し示してきた。選ばないことをわかっていてなお、その存在を彼女は風早につきつける。
どうしてそんなことをと彼が責めても彼女は動じない。姫を選んだと答えるときと同じように、真っ直ぐに彼を射抜く。さあ選べと。彼女は本当のところでは彼の正体も使命も知らないのに、知っているような顔で彼を試すように問いかけてくる。
「まあ、選べないことも、選ばないことも、選ぶことも、全ては選択しているのだけれど」
「なら、これが俺の選択です」
「そういうものなのでしょうね」
そうしていつも答えは交わらないまま、彼らはお互いが大事にするただ一人の人のために生きるのだ。
夜明けはもうすぐ。彼らのただ一人はまだ深い眠りの中だった。
(花に捧げる運命論議)