お願いだ、とテンプルトンくんは言った。
 その瞳は森深くにある泉のように透き通り、静かな水面のようでいて、底がわからないような深さを持っていて、いつもの彼とは違う神妙さに私はふざけることなんてできずにただはい、と頷いた。真剣に頷いたことが伝わるように私なりにはっきりと。
 傍から見て薄っぺらな返事だったとしても、私はテンプルトンくんのお願いをききたかった。叶える力があるのならこの両手で叶えたかった。そしてそれが何度も繰り返される類のものならば、私のすぐに忘れてしまう頭の中でも思い出せる範囲で何度だってききたいと、思ったのだ。
 どうしてこんなにも切実に彼のお願いを聞きたいと思うのかといえば、私はその願いを知っていたから。何度も、この夢を見たことがあったから。過去、私は彼にその願いを伝えられ、そしてそのお願いを叶えることがなかった時があったから。
 それを私は思い出す度に自分の不甲斐なさと彼の真摯な声に苦しくなる。だから、私は夢の中のテンプルトンくんに必死に頷いてる。彼は、成長した低く澄んだ声で私にはもったいないことを言う。
「僕の名前を呼んで。僕はどこにいてもさんのところへ行くから」


「っていう夢を見たんだよ」
「それ限りなく現実に近いね」
「その通りですね」

 現実の私は夢よりかなり間抜けで、テンプルトンくんの顔を見ることもできずにベッドの上で正座をしていた。
 なぜかといえば簡単で、いい歳して迷子になったからである。そして街の外れで半分泣きべそかいてテンプルトンくんと名前を呼んでいたところを保護をされたからだ。無事に宿に戻ってきたものの彼の顔は晴れない。当たり前だ。初めて来た街の市場で面白いものを見つけてフラフラして迷子になった際の言い訳を、何か、と必死になった結果がこれだったのだから眉間にしわを寄せる彼は実に正しく大人であった。
 そう、つまり、今私は変に動き回るなと叱られているのだった。
 でも仕方がないことだってあると、思うのである。どうしても聞いてほしくて愚かな私は口を開いてしまう。

「すごく綺麗な石があってね」
「ついふらふらと?」
「そう、ついふらふらと」

 へらりと誤魔化すように笑ってみたもののテンプルトンくんの表情は芳しくない。なにせこれ、よくやるのだ。懲りてない。常習犯な上以前一度どでかい迷子沙汰をやらかしているものだから致命的だ。
 育ちの良い男の子をこんなにお母さんみたいなしっかり者の心配性に育て上げたのは私です。

「別に誰彼問わず心配してるわけじゃないから」
「あれ? 口にしてた?」
「してた」

 そうかあ。誰彼問わずではないのか。
 その言葉からほんの少しの優越感でまた顔が緩んだ。
 緩んだもんだからテンプルトンくんの顔が厳しくなる。多分考えも読まれている。

「心配されないようにすればこんなお説教しなくていいんだけど、さん」
「は、はい」

 頷きつつベッドの上とはいえ正座で足が痺れてきたことに気が取られている。
 いや、その、ちゃんと悪いなという気持ちはあるのだ。悪いなと思うけど。けれど私はこうも思ってしまうのだ。

「テンプルトンくん、きっとさがしてくれるだろうなって思ってしまって」

 つまり私の怠慢です。その通りです。
 足の指を動かしてなんとか生き抜こうとしていると目の前のテンプルトンくんは長く深いため息をついている。頭も抱えている。

「首輪でもつけてしまおうか」
「さすがに羞恥心があるんで首根っこ掴みぐらいでお願いします」
「……そうじゃない」

 そうじゃないらしい。でもそれはやらかすと対外的に非常に誤解を生む状態になってしまうのでギリギリ首根っこだと思うわけです。今のテンプルトンくんならできないこともない。しないのは知ってるけど。
 これはもう立ち上がったら大変なことになることを覚悟しながら悪あがきでそっと足を動かしてみようと試していると一瞬テンプルトンくんが足の方に目を向けたような気がした。

「ふらふらするのに手綱も握らせないってことは、さんは僕に常に見ておけって言いたいのか」
「は」
「そういうことでしょ」
「いや、ちが」

 話が変な方向に進んでいる。ヤバい。なんとなく、ニュアンスがよろしくない方向である。
 都合の悪いことに敏感な私の脳みそが回避行動を訴えてきたけれども残念ながら名案が思いつかない。そもそも足がしびれててこれ以上派手に動かすとマジ死んじゃう気がする。人間はシリアスな場面で正座でしびれた足の心配ができるし、そんなことを考えている相手に気づくこともできます。

「あの、気をつけます」
「何度も聞いたけどな」
「今度は、気をつけるからあの、ね? テンプルトンくん、その手を足に近づけるのはやめよう?」
「そうだね。さんがわかってくれたらね」

 何か優位性を確信したらしいテンプルトンくんはそのあとしばらくとてもイイ笑顔で私のことを、主に私の足の痺れをいじめてきた。最終的に痺れは取れたもののベッドで息絶えました。
 しばらくはふらふら勝手に歩くのはやめにしようと心に決めた日だったけれど喉元過ぎれば熱さを忘れるのでその後勝手なふらつきは再開されたことは言うまでもない。



(致死量の優しさ)
title:Nicolo