「雨ですねぇ」
「雨だね」
旅をしていれば天気が良い時も悪い時もある。山のど真ん中で嵐に出会うことも稀にある。もちろん、天候には十分に気を付けて道中で過酷な行程にならないように注意は払うのだけど。それでも、自然は私たちの意図なんて簡単に無視して好きにその表情を変えてしまう。
今日に関して言えば天気が悪くなるのがわかっていた日だった。久々の大きな街で、雨季で、滞在が長引きそうな今の時期に二部屋はお財布事情に悪いからとものすごく嫌がるテンプルトンくんに先立つものがなければと説き伏せ、運よく貸してもらった衝立を使って一部屋で寝泊りをすることにした。
納屋を貸してもらう二人きりよりもなまじ屋根の下でふかふかのベッドに寝るほうが気まずいこともたまにはあるけれど。テンプルトン青年は情報収集と言いながら一晩戻らないこともたまに、あるので、まあ。
まあそんなことはどうでもいいとして。
ここ最近はひたすらに測量、測量、測量の日々だった。こまめに書き写しもしていたけれど、この街にはしばらく数日こもって地図の整理をして、まとまった地図の資料をまとめておかなくてはならない。だからこの雨のことを抜きにしても街への滞在も妥当なところだった。
「今日は大人しく地図の整理だよ」
「そだねえ」
朝ごはんを食べ終わって部屋に戻ってきて窓を見やれば外に出るには難儀しそうな音の雨だ。晴れの日が多かったから、恵みでもあるけど。
この街にはデュナン縁のといえば聞こえはいいけれどいわば諜報員がいるのでその人に地図を預けておかなくてはならない。紙束はそれなりに重いのだ。それにそんなに都合よくいつも信用のおける人がいるわけでもない。自分たちの足でデュナンやトランに戻ることもある。だから今回は運が良いといえば良いのだ。
テンプルトンくんは実に上手にいろんな国や街を渡り歩く。故郷のカナカンはもちろん、縁があったトランやデュナンにもたくさんの知り合いをつくり、そうして地図を作っては預け、時に頼まれれば地図の写しを渡す。そして身軽になればたくさんの白い紙と共にまた一歩知らない土地へと歩いていく。
私は本当にたまたま、この小さな背中を追いかけて、夢に乗せてもらってこんなところまでやってきた。見知らぬ街で今夜星が見えれば観測ができるかもしれないなんて考えるぐらいには、一緒の夢を見せてもらっている。
今日も溜まったメモをまとめて製図をするテンプルトンくんの手伝いをする。滞在中雨がひどくない時は休憩がてら旅の荷物をそろえに行き、少し寒くなってきたから薄手の服を手放して厚手の上着を一枚見繕おう。それから戻ってまた作業をして、ご飯を食べて天気が良ければ星の観測をしてこの街の測量の誤差を確かめて、そうして眠って、天気が回復すれば街を出てまた測量を始める。しばらく街の付近の測量は日帰りになるだろうから、この宿とは少しだけ長いお付き合いだ。
「寒くなってきたね」
「そろそろ服の整理もしなくちゃね。気に入る服があればいいけど」
「大きい街だからあるんじゃないかなあ…………テンプルトンくんテンプルトンくん」
「なあに、さん」
あのねえ、うん。テンプルトンくんさ、うん。
この子の辛抱強さは地図を作るこの人生をかける作業からして生来のものだということはもちろんだけど、一割ぐらいは私のこのまわりくどい存在も作用していると思う。
「休憩のとき、テンプルトンくんの淹れてくれるお茶が飲みたいです」
「いいよ」
「!」
やったと目を見開いて笑えば宿に泊まっている行商人でしょうと見抜かれた。そうです。夕飯後に見せてもらった交易品に茶葉がありました。買いました。それです。
基本的に私よりもなんでも上手にこなす年下の青年はお茶も上手にいれる。おいしい。
「カナカンのお茶だって」
なによりそのお茶はカナカン産だと行商人はいったから。そうしたら私はそれを買いたくなってしまった。
テンプルトンくんは少しだけ目を細めて、そう、とかすかに笑った。
「テンプルトンくん」
「どうしたのさん」
「カナカンにある地図、いつか見せてね」
一度も故郷に帰るとも言わないけれど手紙だけは折に出す姿を何年も見てるので、確かに世界地図を作るには人生は長くはないかもしれないけど少しぐらいいいんじゃない、と私は思うのだ。
「……そうだね、一度あちらの地図に変わりないかも確認したいし」
「そうだねえ」
こんなにいい息子さんの成長期を親御さんよりも見守っていたのだ。見てるからこそやっぱり一度は帰った方がいい。と独占しているわがままは思うわけで。
「戻ったらさんは童顔年齢不詳で通さないと」
「日本人は元々童顔な傾向にあるんでそこをなんとか」
自分の年齢と外見をすでに考えるのをやめたわけですがさらりと告げられる事実にさらりと受け流す。そういうことは触れなきゃいけないときまではそっとしておくものだ。
「楽しみだねえ」
「……そうだね」
雨は降り止まず、しばらく外出しにくい天気が続きそうだったけれど声をかければ返事をしてくれて明日を疑わずに日々を過ごせるのだから、いいかなと、また気の抜けた笑みを浮かべるのだった。
title:Nicolo